4.されど愛の形
翌日、ラウルは事情を聞いて協力を買って出た旧友ココリと外界へ出、一日掛かりでイーリスに言われた材料を集めた。宵の口に店へ帰還すると、中にはシャラと、彼女の恋人でありラウルの仕事仲間、レスターの姿。二人とも三角巾とエプロンを付けて、店の整頓や掃除等を手伝っていた。イーリスは二階の部屋に引っ込んで、薬を調合中である。
長身のレスターは棚の上に在庫の箱を乗せながら、入って来たラウル達を迎える。
「よう、お疲れさん。今日は珍しく面子が揃ったな、皆で飯でも食いに行くか」
手伝いに区切りを付けた彼は頭の三角巾を外し、緩い巻き癖のある金髪を解いた。ココリが賛成する。
「いいねえ、久しぶりに。学び舎近くの新しい店でどう?」
ココリはその学び舎で教員を務める考古学者。髪色と同じ銀の縁の眼鏡を掛け、ラウルよりもやや小柄な身を、黄土色のマントで覆っている。
カウンターの中で瓶を磨いているシャラが、彼に問う。
「……そこ、もしかしてまた『ミツキノカド』のお店?」
「うん。でも今回も、客の入りが酷く悪いらしくてね。やっぱりあの場所には、術者も術式も忘れられた禁呪が掛かっているのかも知れない。だから調査を兼ねて行きたいんだ」
ラウルは本日の成果が詰まった袋をカウンターにどかりと置きつつ、その話を渋る。
「そう言って店が変わる度に連れて行かれてる気がするけど、結論はいつも同じだろ」
ミツキノカドとは、とある大通りの一角の通称。立地が良いにも関わらずどんな飲食店が入っても何故か『月が三度巡り来るまでに必ず潰れてしまう』という曰くから、そう呼ばれている。噂が噂を呼んで逆にその曰くを打ち破ろうとする者が後を絶たなくなり、現在は挑戦的な店が構えられては散っていくのを繰り返している。
「ちなみに、今は何のお店なの?」
「ゲダ峡谷産の怪魚専門店で、そこのホブゴブリンの郷土料理を元に創作した食事を提供しているらしいよ。飽きさせないエキセントリックな趣向を凝らしてるのに、一度来た客が二度と戻らないとか」
シャラは閉口し、ラウルは突っ込む。
「……そりゃ忘れられた禁呪がどうとかじゃなくて、エキセントリックな飯そのもののせいだろうよ……」
ココリはその意見に苦言を呈する。
「学者として、そういう前例からの安易な決め付けは容認できないな。重大な事柄を見逃す元になるからね。子供達が毎日通う道沿いだし、僕としては先入観を捨てた繰り返しの調査で、危険がないかを判断しないといけない。今度こそ食事がまともで美味しかったとしたら、人が寄り付かない原因は他にあるという可能性が出てくる訳で」
教え子達を大事に思うココリの気持ちは汲めても、過去の店から提供された『前例』に何度か酷い目に遭わされているラウル達としては、たまったものではなかった。
「……まあ、それはまた別の日にして、今日のところは人数も多いから行き慣れた店に――」
ラウルが説得しかけた時、上から転げ落ちるように階段を下る音が響いた。
何事かと皆が目を向けた奥の壁から、ニーナがひょこりと顔を出す。彼女はラウルの姿を認めると、カウンターを回り込んで近くまで駆け寄った。
手を後ろに回したままもじもじと上目遣いで見られ、ラウルは首を傾げる。
「ん、どうしたニーナ」
すると彼女は、背に隠し持っていた品を彼の胸に押し付けた。訳が分からないまま受け取ったそれは、両手に収まる大きさの古ぼけた木箱。ぐしゃぐしゃに巻き付けられている赤いリボンは、昨日雑貨屋で買ったものだった。
「……何だこれ?」
「それ、今日食べろ」
「はあ? 何か食い物なのか?」
不躾に言われてラウルが箱からニーナに視線を移すと、彼女は赤くなっていく顔を彼から背けた。
「いいから、ラウルは今日中にそれ食べろ。全部。絶対!」
強く言い置き、ニーナはその場から逃げるように表へと駆け出て行ってしまった。
「……何なんだ一体。今日中って」
ぽかんと立ち尽くしていると、イーリスが二階から降りてきた。
「ニーナ、階段の上り下りはもう少し静かにと前から――」
既にそこに居ない彼女への言葉が空しく途切れる。イーリスの目も、場の全員が注目している品へと向いた。
「……何ですそれ?」
「分からん。ニーナがくれたんだが」
「ねえ、開けてみたら?」
シャラが促す。
「何が入っているんだろうな、俺も見たい」
「うん、すごく興味深いね」
レスターとココリにも言われて、ラウルはその場で邪悪の封印じみたリボンを解き始める。そして蓋を開けた途端、もわりと立ち昇った悪臭。ラウルは記憶に新しいそれに思わず呻き、片手で鼻が曲がるのを抑える。広がる時間差で、そこに居る全員が同じ反応をした。
箱の中に入っていたのは、どす黒く奇怪な塊。
「こ、これは……? あいつ一体どういうつもりだ」
手にしていた三角巾で鼻と口を覆ったまま、レスターはラウルに聞く。
「何か、心当たりはないのか?」
「心当たりって言われてもな……」
こんな得体の知れない代物を寄越される覚えなどなく戸惑っていると、イーリスがぽんと手を打った。
「そういえば近頃、熱心に読んでいるものがありました。それから何か分かるかも。昨日置きっ放しになっていたので確かここに片付けて……」
彼はカウンターの下から、一冊の書物を探り出す。
「あ、私があげた古雑誌」
シャラが言う。見覚えあるそれに閃いたのは、ココリだった。
「――ははあ、分かった。ラウルが貰ったそれ、多分『チョコレート』だ」
あまりにも外観からかけ離れた見当に、一同唖然とする。
「これが、チョコレートだあ? どういう事だよ」
「三日くらい前、字の勉強でニーナが興味を示していたその雑誌を、教材にしたんだけど――」
ニーナには、『学問の先生』が二人居る。一人は読み書き計算を教えるココリ、もう一人は魔法全般を教えるイーリスである。
多くの魔族が本能的に生き方も魔法の使い方も知っているのに対し、一部の知能的な魔族は仲間達と助け合って暮らす中で様々な『学習』をしなければ、それらを知る事が出来ない。生まれてからずっと一緒だった仲間達を失くし学ぶ機会を奪われた彼女には、代わりにこれから人族の街で生活していくための知識や技能、その他諸々を身に付けさせる者達が必要なのだった。
「――それで、一緒に読んだのがこの記事」
ココリはイーリスから雑誌を借りて頁をめくり、該当の箇所を皆に見せた。掲載されているのは、ラウルには馴染みの薄い風習について。
「……ばれんたいん?」
「そう、『遺世界骸念』の一つと言われているものだよ」
この世界には、由来不詳な共有概念――俗に遺世界骸念と呼ばれるものが、文明や文化、言語等に無数に存在する。これを根拠に提唱されているのが、ある一つの創世説。
――この世界は、『遺世界の思念』が創造したものである。
世界の根源となり法則となり全てを成す『魔力』は、かつて在った世界の『残留思念』。そして有形も無形も、残留思念に含有される『概念』を礎に発現したものとするのがそれ、『遺世界創造説』だった。
要するに、この世界は想像の産物、という事である。
遺世界創世説に強い関心を持って日夜調査研究しているココリは、こうした機会等で解説し出すと夢中になり、延々語り続ける。
「――中でも世界の大半を覆い、人族の身にとかく有害かつ魔族の悪意の根となっている『瘴気』は、今は『遺世界』と呼ばれるかつての世界を破滅に導いた『負の思念』だと言われていて――」
「分かった、分かったから止まれっ! 説の講義はまたニーナが居る時に頼む!」
ラウルが制すると、ココリは脱線に気付いて話を元に戻した。
「……ああ、ごめん。で、ここに書かれているバレンタインデーというのは……まあ、簡単に言えば『好き』を伝えるための機会と手段だよ」
「へ?」
「年に一度の該当日に対象へチョコレートを渡す事が、そういう意味になるんだ」
それが、ラウルに対するニーナの気持ち。彼を囲う全員が大いに納得した。
「その日はこの雑誌が刊行された月の今日になるんだけど、ニーナには、まだそこまで分からなかったんじゃないかな」
レスターは頷く。
「なるほど、だから『今日中に』と念を押していった訳か」
「言葉では伝えにくいから、このやり方を選んだのね。恥ずかしがり屋のニーナちゃんらしくて可愛い」
笑うシャラに、イーリスが続く。
「それは、食べない訳にはいきませんねえ……」
ラウルはぎょっとして声を荒げる。
「冗談じゃねえ、これが食える物に見えるか! それにイーリスお前、昨日見たこれの原材料が明らかにチョコレートなんか出来るもんじゃなかったの知ってるだろ!」
「恐らく雑誌に書かれていた内容を彼女なりに解釈して、更に独自のアレンジを加えて一生懸命作ったのが『それ』なんでしょう。何と健気な」
しみじみと返され、彼の顔がひきつる。
「女の子の気持ちがこもっている品を、無下にするものじゃなくてよ?」
「僕等にはもう分かっている事だけど、ニーナとしては手渡すのにとても勇気がいったと思うんだ」
「だろうな。だからここは、応えてやるべきじゃないか。拒むなんてお前らしくもない」
「……お前ら……!」
全員の凶悪な微笑に、彼は追い詰められていく。密に交流する仲間達にこの上ない憎しみを抱き、血の気の引いていく音が、信頼という絆の崩れていく音にも聞こえた。
「……ああ、分かったよ。食えばいいんだろ、食えばっ!」
貰った気持ちが嬉しくない訳はなかった。ただ、受け入れるのに死ぬ覚悟が要るだけで――。
肉体に対しても精神に対しても鈍器になり得る闇の塊を掴み出す。一度躊躇うとふんぎりがつかなくなってしまうので他の思考を一切停止して、ラウルは一思いに、齧り付いた。
その日の彼の記憶は、そこで終わる。
それから一週間、ラウルが剣士の休業を余儀なくされたのは言うまでもない。
彼女の秘薬・終