3.光の下で
門を抜けてすぐは草原で、人や荷車の往来により出来た道を辿れば森林に着く。人族が生計を立てるのに必要な素材の手近な狩り場として、よく利用される場所である。そこに入り、緑をそよがせる風や時折射し込む陽光に浴しながら、ラウルは横を歩くニーナに尋ねた。
「で、どんな材料がいるんだ?」
ニーナはラウルの家で彼の準備を待っている間に書いたメモを出し、見せる。だが書かれているのは字ではなく絵と思しきものであり、解読が困難だったため、ラウルは彼女に読み上げを所望した。
「最初のは、マイコニドの胞子」
マイコニドとは、森を徘徊する茸の一種である。攻撃性はないが撒き散らす胞子には幻覚作用があり、誤って吸い込むと混乱に陥って危険である。
「次が、コカトリスの目玉、グールの爪」
「……おい」
コカトリスは猛毒を放つ厄介な鳥。グールは人族の死体が瘴気に浸かって魔族化したもので、動くものを見境なく襲う狂暴性が知られている。ラウルの表情がみるみる曇っていく。
「それから、マンティコアの棘、ガーゴイルの破片、タラスクの背びれ、あと――」
「待て待て、ちょっと待て! 何だよお前、聞いてりゃ『深層』にしかない物騒なもんが殆どじゃねえか!」
依頼難度の理不尽な高さに、ラウルは思わず足を止めてニーナを問いただそうとする。しかし彼女はろくに耳を貸さず、行く先に何かを見つけて駆け出し、落ちているその歪な石ころを拾い上げた。
「ガーゴイルの破片っぽい。それはこれでいい」
ラウルは呆れる。
「……随分いい加減なもんだな。大体そのメモしてあるやつ、ほんとに瘴気あたりの薬の材料なのか?」
ニーナは石を籠へ収めると、振り返って否定した。
「これはその薬の材料じゃない」
「じゃあ、他に使い込んだやつか? もう一度聞くけど、そもそもお前は何を作ろうとしてたんだよ」
改めて強い口調で追求されると、彼女はしどろもどろして口籠もった。
「……ち、チ……」
ラウルは眉の根を寄せる。
「ち……? 『治癒薬』か?」
ニーナはこくこくと何度も頷く。
「へえ。それを作るには高度な技術がいるって聞いたがな」
その慌てた素振りに気を留めず、ラウルは素直に感心していた。ニーナは籠を抱きしめながら、恐る恐るラウルを上目に見る。
「もうそこまで習ってるって事はお前、イーリスのところで結構頑張ってんだな。偉いじゃないか」
笑顔で褒められて、彼女は顔が熱くなるのを感じた。慌ててうつむき、胸に仕舞っている首飾りの『石』を、衣の上から握った。
それは、相容れない存在同士を結ぶ手立て。ラウルに貰ったその石を身に付けているから、彼女は今、人族の街で暮らして彼の側に居る事を公に許されている。
「もっと向こうを探す」
ごまかしたニーナはくるりと向きを変えて足早に行く。ラウルはその奔放な翼が生える背に一応の断りを入れた。
「言っとくが流石に深層までは潜れねえぞ。俺達だけじゃ日暮れまでに帰るどころか永遠に帰れなくなっちまうからな」
分かった、と分かっているのかいないのか分からない返事。こうしてしばしニーナの足が向くまま付き添い、ラウルは彼女の護衛役を務めていた。
籠にはメモになかったものが彼女独自の基準で吟味されながら放り込まれていく。それがほぼ一杯になった頃、摘んだ草を手に、木の根元にしゃがみ込んだままなかなか立ち上がらないニーナを、ラウルは覗き込んだ。
「……眠いのか」
ニーナは目をこすりながらも首を横に振る。彼女は元々夜行性。人族と暮らすために昼間活動するようになったが、日光は未だ彼女にとって眠りを促すものである。加えてまだ幼く、成体よりも多くの睡眠時間を要するのは人族の子供と同じだった。
「そろそろ帰ろうぜ。今日は昼寝もしてねえし、このあと店の片付けもあるからな。材料もそんだけ集めりゃ十分だろ」
しかしニーナは帰りたがらず、その場でただただ首を横に振るばかり。埒があかないので、ラウルはひとまず『帰る』以外の動機を与えようと考えた。
「……ならまあ、せっかくここまで来たし、俺のとっときの場所に連れてってやるか。すぐ近くだから」
「……ラウルの、とっときの?」
興味を示したとろにすかさず手を差し伸べる。ニーナはその手を取って立ち上がり、大人しく彼に付いて行った。
木漏れ日のカーテンを何枚か潜り抜け、開けた場所に出た彼等の目に溢れたのは、湖の水の輝きと畔の草花の煌めき。春はここより生まれ、世界に若草を萌え広がらせていくのだろうかと思わせる景に、ニーナは惹き付けられた。
「綺麗だろ」
「……うん」
暗がりを好む彼女が、『光』というものを初めて綺麗だと感じた瞬間だった。
ラウルはなだらかに下る湖畔で背の剣を外して置き、青く柔らかな絨毯に仰向けに寝転がる。
「ここでこうやってんの好きなんだ。疲れたし、ちょっと休んでこうぜ」
そう言って目を閉じる。彼がさっさと寝てしまうので、ニーナは季節とラウルに置いて行かれた気分になり、自分も慌てて籠を置くと彼の横に寝そべった。
暖かさに迎え入れられ、草の香りと、葉の音に包まれる。それらは小さな胸が抱える心配事や怖かった思い出を和らげ、疲れも吸い取って、軽くなった彼女を空に優しく誘う。穏やかに緩やかに、雲と時とが流れ行く蒼を眺めている内、意識も一緒に、彼方へと流れていく――。
――無論、ラウルの方は本当には寝ていない。
目を開け、寝息を立て始めたニーナの顔を見ると、彼は静かに微笑んだ。
何もかもが、朧だった。傷口から体温が流れ出ていくようで、そのまま、自分が冷たい石になっていく気がした。
でも、包み込んでそれを防いでくれている『誰か』の温もりがあった。ふわふわと運ばれる心地良い感覚は、魔力を操って身を浮かばせるものとは根本的に違う、『土の束縛』からの解放によるものだったと後に知る。
――それが、魔導力とは無縁に生まれてきた『彼』の、『力持たぬ力』。彼は魔力を根源とするこの世界の法則から意図して抜けられる、『魔漏体質』の持ち主だった。
「――ほらニーナ、着いたぞ。扉開けたいから起きろ」
過去の夢から覚めるとそこはもうイーリスの店の前で、ニーナはラウルに抱き抱えられていた。寝ぼけ眼のまま降ろされ、彼の腕に引っ掛けられていた籠を受け取る。日が傾いて、細道はすっかり建物の影に覆われていた。
「さ、早く中を片付けねえとイーリスが帰ってきちま――」
扉を開けて中に踏み入ったラウルは、言葉半ばで固まる。魔道士の白い装束を纏い、金の長い髪を後ろで束ねたその青年は、荒れ果てた店内でカウンターを背に腕組みし、彼等を待ち構えていた。彼こそがここの店の主、イーリスである。
「……お帰りなさい。随分遅いお帰りで」
その微笑みが、二人の背筋を撫で上げた。目つきが変わった途端、怒涛の勢いで説教をし始める。
「全くどういうつもりですかニーナ! 私が帰ってくるまで番をしている約束だったのに店を空にするなんて! それに何なんですか、あのカウンターの向こうで酷い悪臭を放っていた粘液は! 処分するのも、充満した臭いを取るのも大変だったんですからね! 他に調合用の甕は割れているわ、売れていないはずの薬も減っているわで、こんな状態にした挙句一体今までどこで何を――」
「い、イーリスちょっと落ち着けよ!」
止まない雷。きゅっと目を閉じて縮こまるニーナに助け舟を出そうと、ラウルが口を挟む。すると今度は彼が睨まれた。
「ラウル、貴方も貴方です! 店番を頼んでいたニーナを連れて出るなんて何を考えているんですか!」
飛び火でたじたじになりながら、ラウルは釈明する。
「いやその、頼んでた薬を受け取りに来たら、ニーナが店の品を使い込んじまったっていうからさ……。薬を作り直すために、材料を集めに行ってたんだよ」
「材料?」
「ほら、これ」
ラウルはニーナの籠を指差す。歩み寄ったイーリスはそれを訝しげに覗き込み、片手で中を探る。
「……薬の材料に出来そうなものは、何も見当たりませんが」
ラウルは目を瞬かせる。
「え? 治癒薬は出来ないのか?」
「あれにはこのようなもの一つも使いませんよ」
ラウルとイーリスはニーナの方を見る。彼女は二人からどういう事かと目で問われてびくつき、下を向くと床に跳ねるほど大きな声で、その言葉を放った。
「ごっ……『ゴメンナサイ』!」
二人が驚いた隙に駆け出してイーリスの横を抜け、屋根裏部屋に続く階段がある奥へと消える。
「あっ、ちょっと待ちなさ――」
遅れて追おうとしたイーリスを、ラウルが引き止める。
「……まあまあ、『謝る』って事を覚えて、初めて出来たんだしよ。使い込んだ分の薬の材料は、書き出して貰えりゃ明日また俺が行って採集してくるから、今日のところは、許してくれないか」
イーリスはけたたましく階段を上がっていく音となだめてくる言葉との合間で、うなだれた。
「……本当に、仕方ないですね。ニーナも、貴方も」