10.彼女の友達
それから三日が経った朝。ラウルは仕事へ赴く前に、イーリスの店へやって来た。
イーリスは事前に注文されていた薬の袋詰めを彼に渡す。
「これに全部入れてありますから」
「おう、ありがとな」
受け取ったラウルは、階段がある奥に目を向ける。
「五日くらい帰れねえから、行く前に一度ニーナの顔を見ときたいけど……まだ寝てるか?」
「いえ、もう起きていますよ。熱が下がって、今朝は御飯も食べられましたし」
ニーナは外界から戻った後、疲れのせいで熱を出してしまい臥せっていた。休養すれば良くなるだろうと聞いていたラウルは、ひとまずほっとする。
「そうか。心の方も、順調に癒えてくれたらいいがな……」
彼は思う。あの日自分が決めた事は、果たして彼女のためになったのだろうかと。どうか良い方へ向かってくれるようにと、願って止まなかった。
「私も、まだ心配して――」
彼女のこの後について、イーリスもまた懸念する。だが口にしかけた言葉は、階段を駆け降りて来る例の騒々しい音と声に断たれた。
「――そっちはダメぇっ!」
奥から先に飛び出して来たのが彼女よりもずっと小さな影で、跳ねて店のカウンターに上がるところまでは三日前の再現。それの首に赤いスカーフが巻かれているのも同じ。異なるのは左の耳先の内側に、あの日と同じ月を象った破紋がちんまりと入れられている点だった。
「ここでは遊べない! こっち!」
遅れて出て来たニーナが、カーバンクルを呼ぶ。するとカーバンクルは両耳を立てて止まり、くるりと振り返った。
差し伸べられた手に、首を傾げる仕草を見せていたカーバンクルは駆け寄って乗る。そこから腕を伝って上がり、彼女の肩に落ち着いた。
ニーナの血色の良い顔を見られて、ラウルは安心する。
「そうそう、ここでは遊べないってちゃんと教えるんだぞ。また色々ひっくり返したら大変だからな」
「うん。ティトかしこいからすぐ覚える」
『ティト』と名付けられたカーバンクルがニーナの言う事をきちんと聞き、イーリスは胸を撫で下ろす。
「走り回りたい時は表の遊び場へ行くと良いですよ。でも熱が下がったばかりですし、今日一日はまだ家で休んで――」
「行ってくる!」
言い終えられる前に、ニーナは張り切って店を出て行ってしまった。
「……ったく、しょうがねえな」
「はしゃぎ過ぎで熱がぶり返さないか、まだ心配しているんですけどねえ」
二人共、困ったと漏らしながら笑みも零す。
「結局は帰す話をひっくり返して、あいつの希望を通す形になっちまったけど……まあ、良かったのかな」
「貴方が決めた事は正しかったんですよ。あの状況でカーバンクルと引き離してニーナの心が良い方へ向かうとは、私にも思えませんでしたから」
あの日ラウルが告げた言葉は、ニーナの予測とは逆の内容だった。
――このカーバンクルはニーナの言う事なら聞き分けてくれるんじゃないかと思うんだ。だから……だからニーナからカーバンクルに言って、『破紋』を入れるのに協力させてほしい。それさえすればニーナとずっと一緒に暮らせるんだって、伝えられるなら――。
一度カーバンクルと一緒に暮らすのを許さなかった手前、ラウルは悩んだ。生きる上で思い通りにならない事の方が多いとも、確かに教えていかなければならない。けれどもそれでニーナの心を壊してしまっては元も子もないと考えた彼は、結論として、自分の固い頭の方を壊したのだった。自分達が長く気づけなかった彼女の孤独という傷を、それだけ重大なものと捉えて。
このカーバンクルは密猟されてきた魔族であり、本来ならば捕らえられた闇商人の罪の証拠として調べが済んだ後は、外界へ帰されるところ。
しかしラウルが保護名目での飼育許可の申請を出し、それを受けた国による審査の結果、申請が通ってカーバンクルは街に留められる事となった。元の生息地を特定出来ない状況にあるカーバンクル自身が、申請者の庇護するニーナ自体を守るべき新しい『居場所』と定めている実情を、認められたからである。
そして昨日より、カーバンクルとニーナは晴れて共に暮らしている。
「それにしても、意外とあっさり許可されたな。お偉い奴等の固い頭まではなかなか壊せねえと思ってたけど」
保護対象の魔族ゆえに飼育許可を得るのは困難と予想し、誰が出て来ようが抗戦する気でいたラウルは、ほっとするというより拍子抜けしていた。揉めずに済んで良かったと本当に思っているのは、そうなった場合にラウルが絶対引き下がらないと知っているイーリスである。
「また、ジークが取り計らってくれた可能性も?」
「さあ、どうだかな。ただあいつには何かと助けられてっから、有事の時には協力したいと思ってるよ。感知したって言ってた外界の異変も、あれからどうなったか気になるし」
「そうですね。なかなかお会いする機会がなくて、伺えませんけど……」
出発時間を迎えて、ラウルは話を切り上げる。
「――さてと。世話するものも増えたし、また稼ぎに行ってくっかな!」
ニーナのあの活き活きとした笑顔を守り続けるために、彼は剣と責任を背負い、今日も今日とて仕事に向かうのだった。
肩にカーバンクルを乗せ、ニーナは街を駆ける。
長らく人通りの多い大きな道は苦手な彼女だったが、今日は何とも思わなかった。もう大勢の中の独り、ではなくなったから。
その道を進んでいると、行来する者達の流れから子供達だけがちらほらと逸れて行く脇道があった。ニーナはそれに気づいて、自分もそちらへと入る。
子供達が集まっていたのは学び舎だった。角を曲がって赤い煉瓦塀に沿った道を辿り、門をくぐってそこに入って行く。
「ココリ!」
門の前に教え子達を迎え入れる彼の姿を見つけ、ニーナは走り寄った。
「ああ、ニーナ。もう熱は下がったのかい?」
「うん」
それは良かったと目を細めたココリは、次にカーバンクルへ視線を移す。
「君も、ニーナと一緒に居られるようになってほんとに良かった。今後とも、彼女をよろしく頼むよ」
身を屈めるココリに対して、カーバンクルの方も飛び乗ったニーナの頭上で前足を上げて立ち、彼と目の高さを近くしてチイと返事した。その姿は、得意げに胸を張っているふうにも見える。
「はは、ちゃんと通じてるね。やっぱり君は賢いんだなあ」
「あのね、昨日からティトって名前で呼んでて――」
そうして話す彼等の傍で、足を止めた少年が一人。フリッツだった。ココリは笑顔で挨拶する。
「やあフリッツ、おはよう」
フリッツは思い掛けずニーナを前にして、強張る。彼はニーナが無事保護されたすぐ後に熱で寝込んでしまったと聞かされ、今日まで彼女と会えずにいたのだった。
だからフリッツがニーナに『言いたい事』は、まだ言えていない。
「……あ、えっと、その……」
会えたら、次こそは言おうと決めていた。しかしながら心の準備が整わず、フリッツは口籠ってしまう。
彼の気後れした態度にニーナとココリがきょとんとしていると、フリッツの学友達が元気にやって来た。
「センセおはよー。あ、フリッツ」
以前フリッツの店の前で会ったその二人を見て、ニーナはココリの陰に少し身を隠す。
「あれ、こないだの魔族の子じゃん」
「店の客の子だっけ?」
言われてフリッツはびくりとする。三日前を想起して湧き上がった、もう後悔したくないという思い。それが、彼の喉でつっかえていた言葉を押し出させた。
「たっ、ただの……、ニーナは只の『友達』だよっ!」
彼が認めた『彼女の友達』は、耳まで赤くして学び舎の敷地へ駆け込んで行く。それを追う学友達。
「何だ、やっぱお前の友達なんじゃないかよ!」
「最初っからそう言えって! ――あ、またな!」
フリッツに言われた事にも、彼の学友達に手を振られた事にも、ニーナはひたすらびっくりしていた。
彼等をぼうっと見送っていた彼女の口元が、やがて綻ぶ。それを目にして、ココリも優しく微笑んだ。
彼女がこれから友達と見る世界に、沢山の煌めきがもたらされるよう願って。
友は貴く煌めく/終




