5.空いた穴と裂かれた仲
一晩経ってみたらば、あの女に関する出来事は全て悪い夢だった――という展開を切に望んで就寝したラウルだったが、翌朝目が覚め、やっぱり空になっている棚と、流し台に山と積まれている洗い物の皿を見て、今一度絶望する。
しかしいくら金が無くなったからといって、シケた顔ばかりしていられない。目下の生活費を稼がなければならない彼は、『金額だけで仕事を選ばない』の信条に『但し金額によっては仕事を選べない』の文言を臨時的にぶら下げ、当分の間は倫理に反しない限り何でも引き受ける覚悟で身支度を始める。
防具を着けようとした時、出入り口の扉がこつこつと叩かれ出した。
「――ラウル、ラウル」
訪ねて来たのはニーナで、彼が中から扉を開けると、昨日と同じ蓋付きの籠を下げて立っていた。
「よう、どうしたこんな早くから。もう朝飯は済んだのか?」
「外界に行きたい。木の実を集めたい」
急に言われて、ラウルは困ってしまう。
「昨日行ったばっかだろ? 今日は連れてけないぞ、俺はこれから用事があるし」
断られると、ニーナは喚いた。
「行きたい!」
「無理だ。何に使うのか知らんが、昨日採ってきた分でどうにかしとけ」
「他のは食べてくれない――」
取り合わないラウルに憤慨してつい滑った口を、ニーナは慌てて噤む。
「……食べてくれない? えっと、また食い物……のようなもの作ってんのか? 先に言っとくが俺は昨日、当分いらないくらい腹に飯を詰め込んじまったから、何作ってきても食ってやれないぞ」
ラウルも見当違いに慌てて、適当な予防線を張る。
ニーナはどうやら気づかれなかった事に内心ほっとして、でも希望が通らない事にはいじけて俯く。黙ったままその場を動こうとしない彼女を持て余したラウルは、悩んで時計をちら見した後、一つ提案する。
「……外界にまで行ってる暇はねえし、お前が欲しいのがどんな木の実だか分かんねえけど、もしかしたら、この家の裏手にもあるかもな。探しに行くなら一時間だけ付いてってやるが、どうする?」
彼が緑地の方を指すと、ニーナは嬉しそうに顔を上げた。
ラウルが稼がなければならない生活費には、ニーナの分も含まれる。けれどもそのための忙しさを理由に彼女の心をないがしろにも出来ず、彼の苦労は続くのだった。
幸い、緑地にはニーナの求めていた木の実が幾らか落ちていた。ラウルと別れた彼女は木の実を入れた籠を大事に抱えて、いそいそと家路を行く。
その途中の雑貨屋前で、彼女の足が止まった。フリッツの家であるそこの店内には、相変わらずおどろ可愛いマスコット人形のゴマちゃんが鎮座している。今は黒皮のベストに赤いスカーフというワイルドな装いのそれを、ニーナはガラス越しにじっと見つめる。
学び舎へ赴く格好で出て来たフリッツは、店のガラスにへばり付いているニーナに気づいて話し掛けた。
「……また欲しいもんがあるのかよ」
「あの首のやつ、欲しい」
ニーナが迷わず指差したのは、ゴマちゃんのスカーフ。
「はあ、だからゴマちゃんが着けてるものは売り物じゃねえってこの前も――」
「欲しい」
大きな金の目を向けられ、フリッツの口は開いた状態で止まる。少ししてそれが一回閉じられると、出てくる言葉が変わった。
「……分かったよ。あれ、一箇所虫食い穴があって売り物にならなかったやつだし、お前にやる」
店の中へ戻って取って来たスカーフを畳まないままぶっきらぼうにニーナに渡し、フリッツは尋ねる。
「でも、そんなものどうすんだよ」
「……トモダチに……」
もごもごと聞こえたそれも意外だが、彼の食い付き方も、傍から見れば意外なものだった。
「……友達? お前に友達なんていんのかよ、俺が知ってる奴か? 俺いが――あ、いや……」
ニーナは彼と共通して知る者として、真っ先に浮かんだラウルの名をぽつりと挙げる。
なんだ、と拍子抜けしてフリッツは言う。
「ラウルは大人だろ。大人と子供じゃ友達って言わねえよ」
話す横から、駆けて来る二人分の足音とフリッツを呼ぶ声。
「悪い、遅くなった。行こうぜ」
フリッツの学友達は、彼の側に立つニーナを不思議そうに見る。
「魔族の子じゃん」
「お前の友達か?」
「えっいや、き……客だよ、只の、店の客!」
フリッツは照れから、力一杯そう言ってしまった。それを聞いたニーナは目を伏せてくるりと踵を返し、駆け去る。
「あ――」
遠ざかる小さな背に、彼の胸はちくりと痛んだ。
***
薬を買って帰る客と入れ替わりで店に入って来たラウルを、イーリスは労う。
「ああ、お疲れ様。仕事、見つかりました?」
ラウルは手に持っていた紙の束をカウンター上に置いて見せた。
「朝から斡旋所と伝を回って、とりあえずこれだけな。早速明日から忙しくなるんで、またニーナをお前とココリに任せっきりにしちまって悪いが……」
「だから、それはいいんですってば。何も貴方一人で頑張らなくても」
イーリスは昨晩ラウルの家へ呼び出された際に、彼の身に起こった事を全て聞いている。そしてどれだけ生活に窮する状態に陥ろうと、ニーナの養育に必要な費用は自分が捻出するのだと言い張る彼を、心配していた。
でもな、と渋い顔をしているラウルに、イーリスは持ち掛ける。
「今日の晩御飯は、うちで食べて行ってくださいよ。そうしてもらえればニーナも部屋から出て来て、一緒に食べてくれるでしょうし」
「あれ、ニーナまた部屋に籠ってんのか? 今朝、俺んとこに来たけど」
「ええ。今日は朝も昼も、一人で食べたいと行ってご飯だけ持って行ってしまって……」
そうニーナの話をしていた矢先だった。
「――そっちはダメえっ!」
彼女の声と共に、階段を駆け降りるいつもの騒々しい音。しかし奥から先に飛び出して来たのは、いつもと違う、彼女よりもずっと小さな影。片手に乗る大きさのそれは飛び跳ねて店のカウンターに上がり、二人の前に姿を晒した。
「……カーバンクル!」
茶色い毛並みに長く細い耳、太い尻尾。何より額に半分埋まっている赤く美しい石が、ラウルの呼んだ獣型の魔族『カーバンクル』である証。首に巻かれている、石と似た色の小振りなスカーフも愛らしい。愛らしいが、それは店内の模様を一変させるとんでもない嵐となる。
「ここでは遊べない! こっち!」
遅れて出て来たニーナが、持っていた布切れを放ってカーバンクルを追う。するとそれはニーナの手が届く寸前で再び駆け出し、カウンター上に置かれていたラウルの紙束を蹴散らした。
「おいっ! 大事な書類が――」
派手に舞い飛ぶ紙の合間を縫って薬の陳列棚に飛び移ったカーバンクルは、ニーナとの追いかけっこを楽しむかのように跳ね回って棚の品々を次々とひっくり返し、落としていく。
「あーっ! 何て事を……!」
缶のものは軽快に床を打ち鳴らし、瓶のものは華々しく破片を散らして、あらゆる薬の液体や粉末がぶち撒かれたところへ、掴み取ろうとする者の手を優雅にすり抜け、浸かっていく書類達。
場は一気に阿鼻叫喚の事態と化した。
小さくも激しい嵐は木の空き箱に追い込まれ、ようやく収まった。その箱を抱えるイーリスの手と、彼の横で腕組みするラウルの手は、どちらも引っ掻き傷だらけになっている。
「……このカーバンクルは外界へ帰す」
「嫌だ! せっかく『友達』になったのに!」
むすりとして告げたラウルに、次はニーナが抵抗する。しっちゃかめっちゃかな店の只中で、げっそりとなったイーリスが言う。
「全く、無許可で魔族を街に連れ込んではいけないというのに……。さては昨日、外界へ行った時ですね?」
秘密がばれてしまった彼女は、伏し目がちに明かす。
「……足を怪我して、弱ってた。だから、助けた」
彼女が出先から急に戻りたがったのは、このカーバンクルを街へ連れ帰るため。部屋に籠りがちだったのは、付きっきりで看護していたため。足の怪我は、イーリスから常に一つ持たされている自分の治癒薬を使って治してやったと、彼女は話した。
「探してた木の実は、こいつの餌だったんだな」
ニーナはラウルに話して聞かされた『ちょっと大人』を意識して、店の薬や食料は持ち出さず、自分の物だけでどうにかカーバンクルを元気にしようとしていた。昨日採ってきた中で唯一カーバンクルが食べるのは木の実だったが、それが尽きた今日は朝から新しい物を集めに行きつつ、部屋に持ち込んだ自分の食事を分け与えていた――という事の次第を、その甲斐あってすっかり回復したカーバンクルに元気一杯引っ掻き回されたラウルとイーリスは、溜息まじりに把握する。
「……一緒に、暮らしたい」
ニーナの呟きに対し、二人とも首を横に振る。
「駄目だ」
「無理です」
「どうして!」
ニーナの駄々を、ラウルは毅然と退ける。
「元いたところに帰してやるのが一番だからだ。元気になっても窮屈な街に閉じ込められたままじゃ、また弱っちまう。カーバンクルは希少種だし、外界でそっとしといてやれ」
外界の魔族にいくら敵対心を持たれていると言えど、人族は何でも手に掛けて良い訳ではない。身を守り、生きるのに必要なものだけを得る。それ以上の過剰な殺生は外界の均衡を崩し、その悪影響は、この世界で辛うじて生かされているに過ぎない圧倒的少数の自分達が、真っ先に被る――。人族は古くよりそう心得ていて、あらゆる規則を設けて自らを戒めながら生活しているのである。
危険度合に応じて常に駆除対象の魔族が数多くいる一方で、人族に理解のある特定種や絶滅が危惧される希少種等は保護対象と定めて、多くの国が加害を規制している。カーバンクルも、高値が付く額の石目当てで乱獲された事により数が激減していて、現在は保護対象になっているのだった。
「それによっぽど懐いてでもいなければ、野生の獣を街で暮らせるように躾けるのは大変なんですよ。これを見たら分かるでしょう?」
イーリスが指す店の惨状を前に、ニーナは唇を噛んだ。出なくなった言葉の代わりに、零れ始める涙。昨日から泣かれる事におかしな耐性がついてしまっているラウルは、ニーナのそれにも流されなかった。
「諦めろ」
ニーナは二人に背を向けて奥の階段を駆け上がって行き、屋根裏部屋へ引っ込んでしまった。
彼女が放って行った赤い布切れは、虫食い穴を避けて隅が四角く切り取られていた。カーバンクルの、首のサイズに。
「……ま、全部の我がままを聞く訳にはいかねえからな」
「思い通りにならない事の方が多いとも、教えていかなければなりませんしね……」
彼女の涙が後を引く中、彼等は自身にも納得させるように、そう言葉を交わした。




