4.最後かも知れない晩餐
盗難事件があったのとその収束を伝えにココリのところへ戻ったラウルだが、まだ外界へ行く用事が残っており、何より財布の大量出血を引きずっていて詳細を説明する気にはとてもなれなかったので、また後ほど、と夕食を共にする約束だけして彼と別れた。
頼まれ物を揃えてイーリスの店に着いたのは、日の入り頃。その時にラウルは初めて、ニーナを助けた日に出会った奇妙な女の事をイーリスに打ち明けた。
イーリスは、ラウルが覚えなく口にした『ルノア』という名の主が誰だったかを知り、驚いていた。
「……瘴気に巻かれた貴方が何故助かったのかは、ずっと疑問だったんです。どうして今まで言わなかったんですか」
客側のカウンター端にひとつ置かれた丈高な丸椅子に座り、ラウルは肘を付いた手で頭を押さえる。
「あの時は朦朧となってて、後から思い出せる事も少ないしで、そんな女が現実にいたかどうか自信が持てなくてよ」
「このあいだ死に掛けた貴方に対してニーナが発揮した力については、話したと思いますが……瘴気そのものを操る力は、リリス種固有のものだと言われています。だとすると、その女性は……」
「かも知れんが、心底どうでもいい」
うんざりとしているラウルに、イーリスは一応冒険者の務めとされている事を促す。
「外界の異変として、専門組織への情報提供はした方がいいのでは?」
「知らないままいりゃ関わり合わずに済むってんなら、報告なんてする気はねえよ」
リリス種の存在以上に彼女の性格の方が、ラウルにとっては伝説級に有り得ない大問題なのだった。
「ココリは、聞いたら興味を持つでしょうけど……。これから食事する時に話すんでしょう?」
瘴気という、遺世界創世説と繋がりの深いものを自在に操れる魔族の話題。ココリが食事よりもそちらに食い付くのは目に見えていた。
「あいつにもいずれ言うつもりだけど、今日のところは今日あった話だけにしとくよ。もう疲れて、質問攻めには耐えられねえし……。イーリスも飯、一緒にどうだ? ニーナ連れてくけど」
その誘いに、イーリスはうろたえる。
「えっ、でも店を閉めた後に作らなければならない薬が多くて、今夜はちょっと、遠慮しておこうかと……」
ラウルは察して、断りを入れる。
「……今日行くのはミツキノカドの店じゃねえぞ」
「あ、じゃあ行きます」
「お前な……」
あっさり覆した言葉に、イーリスは付け加える。
「ただ、ニーナは行かないと言うかも……。そうしたらやっぱりやめておきます、家で一緒に食べないといけなくなるので」
「ニーナどうかしたのか? そういや出て来ねえな?」
ラウルは階段のある奥へ目を向ける。いつもは彼が店を訪れると屋根裏部屋から騒々しく駆け降りて来るのだが、今日は一向にその音が聞こえない。
「帰ってからずっと部屋に籠もりっきりで、おやつの時間にさえ呼んでも出て来ないんですよ。貴方と出掛けていた時、何かあったんですか?」
「分かんねえ、大人しく遊んでると思ったら急に帰りたいって言い出して」
「そうですか……。具合が悪いのでなければいいんですけど。少し気をつけて様子を見ておきますね」
それを聞いてあまり気にしていなかったラウルも、ニーナの事がやや心配になった。
***
王都の中には、手を加えられないまま遊ばされた緑地が幾らかある。ラウルの家は小高いその脇にひっそりと建つ小屋で、朽ちないよう修繕と維持管理をする条件で、彼は長らく借り手がなかったそこに安値で住んでいる。
周りに少しばかりある、今は放置されて雑草が育つばかりの農地の前まで帰って来て、ラウルはカーテンの締まる小屋の窓より明かりが漏れているのに気づいた。
「あれ……何か消し忘れてったか? そんな筈は」
草を踏み分けて急いで扉まで行き、取っ手を引くと確かに掛けた覚えのある鍵も開いている。
ラウルは緊張を走らせ、背の剣を外して持つと勢いよく扉を開け放った。その目に飛び込んだのは、テーブル上に所狭しと並べられた豪勢な料理の数々。
作り立ての湯気の向こう側から、声が弾んで来た。
「あ、お帰りなさい! ちょうど夕飯出来たところよ」
エプロン姿でしれっとそこに居るルノアに、ラウルは今日何度目かの眩暈を覚えてよろめき、扉口でへたる。
「お前っ……何で俺の家知って……どうやって入った……!」
「ふふ、貴方の家は私の家でもあるんだもの。知らない方がおかしいじゃない。それに私と貴方を隔てられるものなんて、この世界にありはしないのよ?」
用意した最後の一皿をテーブルに置いて、彼女は事も無げに笑った。改めて見る料理の尋常でない量にラウルは青ざめ、剣を床に置きっ放して隅の調理場へ駆け入り、棚の中を次々と確認する。
「――備蓄してあった食材がすっからかんじゃねえかよっ、たった一食分に全部使いやがったのか!」
「だってえ、貴方がお腹を空かせて帰って来ると思って。愛情に手抜きする気もないし」
悪びれず、上目遣いでラウルを見つめる。
「ふざけんな、お前が盗んだ衣装の代金払わされて財布も空だってのに、俺は明日から何食って生きてきゃいいんだよ!」
「じゃあ、私の家に来ればいいわ。大抵のものは揃ってるし、いつだって好きなものを好きなだけ調達出来て、何不自由なく過ごせるわよ。けどあの家、広過ぎるのが難点なのよねえ……。だから私的には、この貧しくて狭いあばら家で身を寄せ合う暮らしの方が、愛を育みやすくて良いのだけど」
酷い言われように、ラウルは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「貧しくて狭いあばら家で悪かったな……あと何でさっきから一緒に暮らす前提なんだ」
「やだ、また忘れちゃったの? 結婚の話」
「いい加減にしろ、もうその分の借りは返したろ!」
「あらあらまあ、貴方とあの子の命は、そんなにも安いものじゃないでしょう……?」
怒鳴られても全く怯まないルノアは、今一度ラウルの懐に易々と入り込んで迫り、逆に彼を怯ませる。
彼女の艶かしい唇が自分のそれと重なった時の感触を生々しく思い出して、彼は不覚にも赤くなってしまう。
「え、いやちょっと、待っ――」
「ああそうねえ、夫婦の絆を強めるには、夫を迎える妻の定番とか必要かしら?」
凶悪な色香でもってラウルはぐいぐいと後ろへ押しやられていき、終いに奥のベッドへ倒される。ルノアは服の裾から膝を露わにしてラウルにまたがり、彼の首へ、たおやかに手を掛けて聞く。
「……ご飯にする? お風呂にする? それとも――私よね?」
最後以外を選択したら、縊り殺される――。彼は首に食い込んでくる指先から、極端に振れる激しい愛憎をひしと感じ取った。
追い詰めて追い詰められる、そんな彼等の耳に、表の声が届く。
「――ラウルー、いるのかい? 扉開きっ放しになってるよ?」
仕事が明けて、約束通り夕飯を食べに行くためラウルを呼びに来たココリだった。半端に開いている出入り口の扉を不審に思いつつ、彼はそこから家の中をひょこりと覗く。
「ラウル?」
ココリの銀縁の眼鏡に映ったのは、見知らぬ女性と絡み合うラウルの姿。彼は眼鏡の下の目を点にする。
「……ああ、ごめん……」
謝って引っ込んでいく彼を、ラウルは必死で呼び止める。
「まっ……待てココリ! 違う、帰るなっ、助けろ!」
「え、助け……?」
何やら様子がおかしいので、ココリは再度、そうっと中を窺う。一瞬見間違いだったかもと思ったが、そこにはやはりベッド上で大胆にラウルを組み敷いている美女が居て、どうしても見てはいけないところを見てしまっている気分になる。
精神的な面から動きを封じられているラウルは、天の助けとばかりにココリに願う。
「留守中に上がり込まれてたんだっ、警備兵を呼んでくれ……!」
「うん……? まあ君がそう言うなら……」
何が何やら分からず疑問符を沢山浮かべながらも、言われるまま彼は行こうとする。その肩を掴んでぐるりと身体の向きを変えさせたのは、飛んで来たルノア。彼女はココリの手を握り、彼に挨拶する。
「まあまあ、ラウルのご友人? 初めまして! 私、このたび彼の妻となりましたカロリーヌです。さあさ、こちらへいらっしゃって!」
「え、妻……?」
家の中へ引っ張り込まれたココリは、彼女とラウルを交互に見る。
「なってねえし、名前はルノアじゃなかったのかよ!」
ルノアが退いてやっと立ち上がれたラウルは、彼女の言う事を悉く否定する。
「わっ、何このご馳走?」
ココリはテーブルの料理にも至極驚く。ルノアはエプロンを脱いで放り、胸元の合わせ方が甘くあざとい布服一枚の格好となる。
「結婚祝いよ。ご友人が居れば披露宴になるわね、遠慮せずたんと召し上がっていって」
「勝手に人ん家に入って食材使い込んどいて、お前が遠慮しろってんだ……!」
怒り心頭に発するラウルと、自由奔放に振る舞うルノアとの狭間に置かれて、ココリは状況の説明を求める。
「ち、ちょっと待ってよ! 一つずつ順に教えてくれないと、僕には何が起こっているんだかちんぷんかんぷんで――」
ラウルよりも先に、ルノアが口を開く。
「ラウルと私は結婚の約束をしていてね、でも彼ったら全然家まで迎えに来てくれなくて。それで今日、私の方から来ちゃった訳。分かってくれた?」
目が白黒なったりまた点に戻ったりと忙しいココリに代わって、ラウルは深々と頷く。
「……ああ、お前の性格はよおく分かったよ。その分じゃ、本当に約束したかどうかも怪しいもんだ」
ラウルの記憶があやふやなのを良い事に、結婚の約束というのが彼女のでっち上げである可能性は十分に考えられた。
「信じられないって言うの? 酷いわ、私は信じて、ずっと貴方を待ってたのに……!」
ルノアの嘆きを、ラウルはもう真に受けない。
「いくら待たれたって、そもそもお前の家なんざ何処だか知らねえよ」
「やだあ、そう言えば場所を伝えてなかったかも? 私ったらうっかりしてたわ、それじゃ来られないわよねえ。旧アストナ国領にある、レイフェトア山の古城よ。そっちを愛の巣にするなら、今からでも案内するけど?」
聞いたココリは随分な冗談だと思う。
「……その場所、人族なら即死するレベルの瘴気に没した外界の最深層じゃないか。そこの古城って『幻紫城』? 瘴気が異常に濃くなってからは調査に行った魔族の冒険者達が揃って『消えていた』と報告している遺跡の筈だけど……」
「まあ! 知ってくれているなんて感激しちゃうわ、博識な貴方も一度ご招待――」
機嫌良く話すルノアの横顔に、ラウルは拾い上げた大剣の先を突きつける。ココリは彼の行動が行き過ぎているように見え、慌てふためく。
「ちょ、ラウル何を――」
「とっくに分かってた事だが、そんなところに住んでるって自分で言うならお前、魔族だろ。『破紋』はあるのか? まさか契約を無視して、俺の家以前にこの街へ侵入してきちゃいないだろうな?」
「え、魔族……?」
そうとは思いもしていなかったココリは、人族にはない外見的特徴を彼女に探すも見当たらず、解せない表情をする。
魔族が人族の街へ入るには、契約が必須。破紋や血界石を持たずに入り込んだ者は問答無用で捕らえられ、場合によっては即時討たれる。
「あら……破紋が見たいの? 仕方ないわねえ、私の波紋は夫にしか見せられないところに入れてあるんだけど、その点、貴方になら全然問題な――」
言いながら頬を染めて、何のためらいもなく服を脱ぎ出す。一瞬剥き出された胸を、しかしラウルが目にも留まらぬ速さで彼女の両襟を掴んで閉じ、仕舞わせた。
ルノアはさも残念そうに聞く。
「……見たくないの?」
ラウルの顔もまた、青くなったり赤くなったりと忙しかった。
「……もういい。見逃してやるからさっさと出てけ」
突き放されると、ルノアはうるうると涙を浮かべた。が、ラウルは態度を変えない。
「泣いても無駄だ。出て行かねえなら本当に警備兵を呼ぶ」
手を空けるため咄嗟に木の床へぶっ刺してしまった大剣を引っこ抜き、余計な家屋修繕の仕事が増えた事にも辟易する。
ルノアの涙は現れるも消えるも流星より速い。
「んもう、つれなくするなら今夜は九番目の恋人のところへ行っちゃうんだから!」
「九番目でも九十九番目でも、勝手に好きなとこ行けよ」
ココリは突っ込まずにいられない。
「どれだけ恋人がいるの……」
「世界中にいるわよ。あ、でも一番は絶対、貴方だからね?」
言われたラウルは剣を構える。
「どうせ恋人とやら全員に、同じこと吹いてんだろ」
「やだ、嫉妬しちゃった?」
彼女の笑みに、神経がささくれ立っているラウルは怒号を飛ばす。
「出てけ!」
ルノアは身を返して片手をひらひらと振り、ようやく出入り口へと向かう。
「今日のところはそうするわ。気の昂ぶった貴方は、とっても愛しくて惜しいけど……またね?」
「二度と来んな!」
出て行って扉が閉まり、気配が感じられなくなるまで、ラウルは剣を構え続けていた。その腕にそっと手を置いて、ココリは剣を下げさせる。
「……事情、詳しく聞かせてくれるよね?」
ココリの好奇心に満ちた目に、ラウルはげんなりとする。
「……お前には、時間を置いてから話すつもりだったんだがな……」
「その前にあれ、どうするの?」
ココリがテーブル上に残された料理を指して聞く。
「どうするって……食うしかないだろ勿体ねえ」
どれだけ腹立たしい者が作った品々だろうと、財布にも棚にも蓄えが無くなって明日以降食うや食わずの生活となるラウルには、それを廃棄などとても出来ない。
「夕飯、店へ行くんじゃなくてこれで済ますの?」
「話を聞きたいんならお前も食ってけよ。一人で平らげられる量じゃねえし」
「うーんでも食べて大丈夫なのかな、変なもの入れられてたりしない……?」
色彩豊かで見映えはすごぶる良く、香り立って実に食欲をそそる出来だが、作った者の性格を考えると、確かに何を仕込まれていてもおかしくなかった。食べても食べなくても、これっきりとなりかねない晩餐。
「……イーリス、呼んどくか……」
結局ニーナの都合で食べに行かない事になっていたイーリスは、もしものための救命要員として、食後で構わないからとラウルの家に呼び出されたのだった。




