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剣士と幼魔の奇想曲  作者: F.Koshiba
第3話 友は貴く煌めく(全10部)
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3.無垢な悪夢

 すぐに追ったものの、入り組んだ路地で先程の警備兵達を見つけられないまま、ラウルは目抜き通りに繋がる噴水広場へと出た。

「いねえな、こっちだと思ったんだが……」

 白い石畳と水飛沫が眩いそこに、のどかで和やかな憩いの時を脅かすようなものは見当たらない。

「あら、ラウル」

 聞き慣れた声に振り向くと、噴水の縁石に腰掛けるシャラとレスターの姿があった。彼等もラウルと同じく、外界へ赴く装備でいる。

「よう二人共、これから仕事か?」

「ああ、ここで依頼主と待ち合わせている。お前は、誰か捜しているのか?」

 呼ばれる前のラウルが辺りを見回していたので、レスターはそう尋ねた。

「騒ぎの声が聞こえて、警備兵も動いてたから見に来たんだが、何か知らないか?」

 シャラとレスターは顔を見合わせる。

「騒ぎ? さあ、レスターは気づいた?」

「いや、何も」

 二人の反応に、ラウルは溜息を吐いた。

「そうか……じゃあ見当違いの方向に来ちまったんだな」

 シャラは小首を傾げる。

「どうしてラウルがそれを気にしてるの?」

「ココリが用心して学び舎の子供達の帰宅を見合わせてるんで、状況を把握したくて――」

「――ああいた! ラウルー!」

 説明する横から突然、今度は聞き慣れない声に名を呼ばれた。

 そちらから彼に向かってひた駆けて来るのは、純白の婚礼用ドレスに身を包んだ女。彼女は寄るなりラウルの両手を取り、無邪気に笑って言った。

「もう! 貴方ったら全然迎えに来てくれないんだもの。待ちきれなくて、こっちから来ちゃった」

「は……?」

 全く予期せぬ出来事に、ラウルは呆ける。

「どうしたの? そんなにびっくりした顔して。あ、ドレスだから見違えちゃった? どう、綺麗でしょ」

 前だけが長めの黒髪で半分ほど隠された、女の顔。ラウルに生じた眩暈はその美貌によるものではなく、記憶を激しく揺さぶられた事によるものだった。

「……誰、だっけ」

 彼女は素っ頓狂な声を上げる。

「やだあ! まさか忘れてないでしょ? 私よ、マリオンよ!」

 ラウルの眉間にしわが寄る。

「マリオン……?」

「あ、間違えた、カミーユだったかも」

「はあ?」

 彼女は一旦ラウルの手を放し、白い手袋の人差し指を下唇に当てて考える。

「うーん、やっぱりそれも違うわね……。アンリ? ソフィア? エレオノーラ? 貴方に名乗ったのは、どれだったかしら……?」

 目の前で繰り広げられる珍事に、シャラとレスターは唖然としながら立ち上がる。何事かと、衆目も集まり出した。

 女は艶っぽさとあどけなさを同居させる表情でもって、ラウルに問う。

「ね、私の名前、分からない?」

「……お前に分からないお前の名前が、俺に、分かる訳……」

 ラウルは名前どころか全てにおいてさっぱり分からない相手に、しかし何故かはっきり分からないとは言えず、すっかり困惑していた。

「そう? 変ねえ、告げたのは確かなんだけど……。もしかしたら、あの時ちょっと『吸い取り過ぎた』せいかしら? じゃその分、返すわね」

 彼女の腕が、常に危険と隣り合って堅く築かれている筈の剣士の警戒心を難なくすり抜け、その首へ絡む。あまりにも容易く懐を侵犯されたため、彼は熱く唇を奪われている事に気づくまで、数秒を要した。シャラとレスターは目を剥き、辺りで見ている者達からはどよめきが起こる。

 ラウルは戦慄し、突き飛ばすようにして彼女を自分から離した。

 じっと見つめてくる女の瞳に浮かんだ、金の灯の記憶。彼はたった今『二度目を奪われた』唇に片手の指先をやる。そこから、一つの名が零れた。

「――ルノア……」

 聞いた途端、彼女は顔と声を明るくした。

「ああそれ! それよっ! ルノア! 間違いないわ、思い出してくれて嬉しいっ!」

 シャラがおずおずとラウルに確認する。

「……誰、って言ってたけど、やっぱり知り合いなの?」

「……外界で、命を助けられた……」

 イーファの森で、瘴気に巻かれて動けなくなったところに出くわした者だと、ラウルはようやく認識する。それを裏付けるように、ルノアと名乗り始めた女はその話を交える。

「あの時、私が居なかったら確実に死んじゃってたものね。抱えて放さなかったリリムの子も、あれから元気になった?」

 先日ニーナがラウルの身を蝕む瘴気を食らったのと全く同じ事をして、ルノアもかつて、彼を救っている。そんな幻かも知れないと思っていた者が再び自分の前に現れて、ラウルは驚きを隠せない。

「……ああ、まあ」

「良かったあ! じゃあ私の名前を思い出してくれたし、約束も、果たしてくれるわよね?」

「やく、そく……?」

 次々と新たな謎を振られ、まるで頭が追いつかないラウルは聞き返す。するとルノアは表情を一変させてよろめき、今度はいたく悲嘆し始めた。

「ひどいっ……あんな大事な約束まで忘れたまま、思い出せないなんて……!」

 ルノアの黒目がちな目にみるみる涙が溢れ、ラウルは狼狽しっ放しとなる。

「え、いやそう言われたって、覚えがないもんはどうしようもねえし、一体、何の約束だか――」

「私と、結婚してくれるって言ったじゃない!」

 突拍子もない話に、彼は絶句した。彼女はさめざめと泣いて、彼と、ざわつく周りの同情心に訴える。

「あの子が元気になったら、私を迎えに来てって……あの子が連れ子でも構わないから結婚してってお願いしたら、聞き入れてくれたから私、貴方を信じて待ってたのに」

 レスターも聞かずにいられなくなる。

「ラウル、お前本当に……?」

 彼は全力で否定する。

「いやしてねえ、そんな約束した覚えがねえ!」

「したわよ! 約束してくれなきゃ見殺しにするって言ったら、分かったって返事くれたもの!」

 判明した事情。シャラとレスターはラウルを気の毒に思った。拒否が許されぬ状況下での約束、を揃って言い換える。

「脅迫されたのか……」

「脅迫されたのね……」

 彼等の周囲には、いつしか人だかりが出来ていた。中には街頭劇と思い込み、面白がって見物している者もいる。それを外側から、大声が突いて割った。

「――ここを通せ! 道を開けよ!」

「いたぞ、囲め!」

 人だかりの内側にもう一重、警備兵達による包囲が出来上がる。その後ろから息急いて来た白髪混じりの男が、ルノアを指差す。

「ああ、確かにあいつです! あいつがあの衣装を着たまま、代金を払わずに逃げたんですよ!」

 ラウルが驚愕する横で、ルノアはあっけらかんと言う。

「あらまあ、もう来ちゃったの? まだ大事な話の最中なのに」

 巻き込まれてはたまらないのでラウルは彼女から距離を取ろうとしたが、腕を掴まれて機を逃す。兵士が訝しんでラウルに問う。

「お前はそいつの仲間か」

「違う!」

 ルノアはラウルを離すまいとして彼の腕に絡みつき、事態を益々ややこしくする。

「仲間なんてものじゃないわ、夫よ」

「もっと違う!」

 白髪混じりの男は衣装屋の店主で、ルノアがいま来ているドレスは彼の店から盗まれた物。その事実から、ラウルは自分が追って来た騒ぎの大元が彼女であると察した。

「どうして追いかけて来るのよ、断りは入れて出た筈よ?」

 抗議するルノアに、店主は激高する。

「何が断りだ! ふざけた事を抜かしおってからに!」

「ちゃんと言ったもの! 『ちょっと百年くらい貸して』って!」

 それは誰がどう聞いても『ふざけた事』であり、ラウル達は呆れてものが言えなくなる。

「――この騒ぎは一体何事だ!」

 野次馬が野次馬を呼んで止まないそこへ更に、別の一団が近づく。外側で、誰かが見て言った。

「騎士団だ」

「へえ、団長もおいでじゃないか」

 僅かに片眉を上げたルノアが、全く他人事みたいに呟く。

「……やあねえ、皆この程度でうるさく集まって来ちゃって――」

 すると一転、彼女は食い下がる反抗的な態度を改めてラウルを放し、すかさず店主に走り寄った。気づけば間近に来ていた黒く濃艶な瞳に、彼はほんの一瞬で、腹の怒りをすっかり抜き取られてしまう。そして彼女は恍惚となった彼の手から、ドレスの請求書を受け取った。

「私に、こんなにも素敵なドレスを見繕ってくれてありがとう。とっても嬉しかったわ。代金は後ろの彼が払ってくれる事になったから、それでいいでしょう? 困らせちゃったお詫びの分は、これで足りる……?」

 そう言って店主の頬に口付けを一つ残し、またくるりとラウルのところへ戻る。

「はい、これ。支払いよろしくね!」

 屈託ない笑顔と請求書を押し付けられ、ラウルは血相を変える。

「おい! お前冗談じゃ――」

 当然拒もうとする彼の耳元で、ルノアは囁いた。

「……命を、助けてあげたわよねえ? 今度は貴方が私を助けてくれたっていいじゃない?」

 返す言葉を封じられて、ラウルは口をぱくぱくさせるしかなくなる。

 ルノアは突如跳ね上がり、高く身を躍らせた。無垢な白を装う魔性が、群衆の頭上を越えて舞う。呼んだ風に運ばせて最寄りの屋根に降り立ち、その向こう側へと行方をくらませる。

「逃がすな! 追え、追――」

 彼女を捕えんと声を張り上げる指揮の兵士を、しかし店主が慌てて止める。

「あ、いやいや! もうそっちは追わなくていいです! 後は代金さえ受け取れれば、私は、それで構いませんので……」

「……本当にいいのか?」

 確認されて何度も頷く。彼は怒りに次いで、骨も抜かれた様子である。

 程なくしてルノアが去ったのとは正反対の側から、鎧で青の騎士団と分かる者が数名、騒然とする場の中心に到着する。その内の一人であるジークは、すぐにラウルの姿を認めた。

「……お前か」

「……よお、しばらくだな」

 近寄りがたい冷厳さを遠巻きにして、女も男も、若き騎士団長に見惚れる。

 来る途中で既に兵士から事の顛末を聞いていたジークは、渦中のラウルに問う。

「盗みを働いたという者は、お前と関わりがあるのか。それは何者だ」

「過去に一度会ったきりで、素性も何も知らん。今回は一方的に絡まれただけだ」

 逃走した女について追及しようとするジークに、兵士が報告する。

「その者に関してはもう許したいと、盗難被害に遭った者が申しております」

 兵士に伴われて来た店主は、ジークに深々とお辞儀する。

「お騒がせして大変申し訳ございませんでした。衣装のお代は、こちらの方に支払って頂けるとの事ですのでもう……」

 こちらの方、ことラウルは泡を食う。

「えっ、いや俺は、そんなもの……いや、でも、その……」

「……また知らぬ者の罪の賠償をするつもりなのか」

 ラウルには、ジークの目が一層冷めたものに見えた。

「これは、そんなのじゃなくて……一つでかい借りがあって、断るに、断れないっていうか……」

 言いつつ、握り締められてくしゃくしゃになっていた請求書を恐る恐る広げる。そこに記載された額を目にして天を仰ぎ、そのまま後ろへ倒れそうになる彼を、レスターが支えた。

「こんなの払えるかよ、鎧の修理代もかさんでるってのによ……!」

 レスターとシャラも、彼の肩越しにそれを窺い見る。

「……ラウル、助けられたというのが本当なら払っておけ。これであの破天荒な女に借りを返せるなら、安い方だろう」

「そうしておきましょうよ、ね、私達も出来るだけ手伝うから……」

 ラウルが不憫過ぎて、見かねた二人は協力を申し出る。借りという弱みを無くす事で縁を切れるならば、出費止むなし。そう即決させるほど、彼女が常人には手のつけられない相手であると、三人は思い知ったのだった。

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