8.今日のひは二度落ちる
ここから少し時間を遡った、街での出来事。
店の中で、イーリスはいきなり飛び込んできたレファレッドに尋ねた。
「――ちょっと貴方、どうしたんですか急に」
受け止められたレファレッドは息を整える間も惜しんでイーリスに訴える。
「ニーナが、呼んでる、助けを求めてるんだ。すぐに行ってやらないと」
イーリスは喫驚した。内容が真面目に危惧していた事だけに、真偽の確認に慎重になる。
「……その話は本当に、本当ですか? どうして貴方に、ニーナの呼ぶ声が聞こえて……?」
「『火』だよ。あたしは昨日、あの子の火を食って、それがまだ、あたしの中に残っていて……。とにかくラウルが死にそうだって、他の皆も危ないって、聞こえたんだよ! 多分あんたの手当てがいる状態なんだ」
信じられないというよりも、無事を願うあまり彼等がそのような危機的状況に陥っている等とは信じたくない気持ちが働いていた。しかし現実として、彼等はまだここに帰還していない。
戸惑うイーリスに、レファレッドは半ば掴み掛かって言う。
「……信じられなくても、引きずってでも連れてくよ。それであんたに嫌われようが構わない、あんたが大事なものを失って泣く姿を、見ずに済むならね」
気迫に圧されたのもあるが、何より一片の嘘も見当たらない彼女の眼が、イーリスに疑念を捨てさせた。
彼はレファレッドの両肩に手を掛け、勢い込む彼女を自分から少し離して頷いた。
「分かりました、貴方を信じます。ではすぐリタ街道への最寄りの門から――」
街門前で乗用の獣型魔族を借りて駆るつもりで、外へ向かうイーリス。その彼の腕を、レファレッドが掴んで止めた。
「そんな悠長な事は言ってられない、直接『飛ぶ』よ」
「飛ぶ?」
「ニーナが向こうで焚いてる火に、あんたとあたしを転送するんだよ。条件はぎりぎり揃ってるから行ける筈さ、自分以外の者を連れてくのはやった事ないけど、やるしかない」
そう断ってレファレッドはイーリスを大胆に抱き締め、自分の身に縛り付けた。
「やった事ないって、え、ちょ、何を――」
「絶対に、あたしから離れないでおくれよ。あんたを、あたしの火で火傷させたくないからねえ!」
言い放たれるや否や、激しく燃え上がる二人。レファレッドは目を閉じ、自分と通う火の在り処を探査する。 その中からニーナの気配がするものを見つけ出し、虚空世界にそこへ至る道を思い描く。
イーリスは、レファレッドが自分を鷲掴む大きな手に変わり、それに強引に持ち去られる感覚を覚えた。目の奥が圧を受けて視界がうねり、ふつりと暗くなった直後にまた眩んだ途端、炎の包みが解けて、二人は少々荒っぽく投げ出された。
転がった下は地面で、周りを囲う岩壁は火影に揺れている。
「いたた……。ここ、何処ですか」
イーリスは自分の腕の中から先に起き上がったレファレッドに聞く。
「何とか、来られたよ。……ニーナ」
レファレッドは彼にではなく、彼女に応えた。イーリスは飛び起きて振り返る。
ニーナは焚火からいきなり現れた二人に驚き、尻餅をついていた。でもそれがイーリスとレファレッドである事が分かると、見開いた目から涙をぽろぽろと溢れさせた。自分に近い方のレファレッドにすがりついて泣きじゃくる。
「……助けて、助けてっ!」
「ああ分かってる、分かってるよ。助けに来たんだ。よく知らせてくれたねえ」
レファレッドは不安と恐怖で一杯になっていたニーナを、強く抱き締めて撫でた。
「ラウル! 一体どうし――」
イーリスが焚火の向こう側に寝かされているラウルに気づいて立とうとした時、直近で響いた何かの衝突音。彼もレファレッドも音がした方に顔を向け、洞の外側から青白い光が奇妙に差すを見た。
「……鬼火?」
「どうやら、外に厄介なものがいるようだね」
レファレッドの眼は鋭く闇を射抜き、捉えた。滑空して自分達めがけ突っ込んで来るその厄介を、真正面で。彼女は屈んだ姿勢のまま、ニーナを自分の後ろへ庇った。
レファレッドの前で煌めきが起こった刹那、炎が猛る。一点集中で放射された紅蓮のそれが、迫る敵を夜の空へと突き返した。
それから洞の表に出て、イーリスはレスターとシャラに会った。へたりかけたレファレッドを支え、改めて、宙で鬼火に青白く照る骸を見上げる。残っている形と大きさから、二人は正体を察した。
「あれは、ホーネットの女王でしょうか」
「大方、一度倒したのが不死化して追っかけて来たんだろうさ。全く……しつこいのは嫌われるよ」
新たな邪魔者を認識した女王は、骸の融けただれる口に光を汲み上げて、三たび目となる甚だ大きな光弾を形成していく。
「……イーリス、あいつの火葬を頼めるかい?」
疲弊している様子のレファレッドに言われ、彼は承知した。
「高威力の黒魔法を使うのは久しぶりで、自信はないですが……」
「自信がないのは、威力の制御だろ。そんなもの気にせず最大火力でぶっ放しゃいいよ。あれは完全に焼き尽くして灰にしないと、葬れないからね」
傍から、レスターが息絶え絶えに伝える。
「火への耐性が、上がっているんだ……。加減は、いらん」
ニーナを除く全員が負傷し治療が必要なのも把握しているので、ためらって時間を食っている場合ではなかった。
「……分かりました。レファレッド、少し離れていてください」
腹を決めて彼女から手を離し、前へ出る。
女王を見据えて真っ直ぐに立つ彼の、裾や袖や束ねられた髪の先が、静かに煽られ始める。緩やかな渦を巻いて彼の身に集積していく魔力が、見て取れるようだった。
『魔導力』は、魔力を自身に集めて操る力。全般的に、人族は魔族よりも魔導力で相当劣る。しかし人族でも稀に並外れた魔導力を持つ『魔導体質』の者がおり、魔導士という職にはそれと認められた者しか就けない。イーリスはその一人である。
渦は間もなく金に近い朱の炎に具象され、幾重もイーリスにはべる。女王には鬼火が青と白の流星みたく注がれ続け、空と地の双方が、質の異なる怪しくも美しい光彩を抱えた。
女王は膨らし終えた光弾を骸から切り離して浮かせ、急速に魔力を集め始めたこの場で最も危険な存在に、狙いを付ける。
イーリスが挙げて広げた片手の掌は、相手の光弾を受け止めんとする形に似ていた。はべらす炎の帯が腕を伝い、掌に結集していく。
イーリスの身が集められる魔力の限界については実のところ本人にも分からず、平時は用心して必要最低限の量に留めているが、今は自身に課す縛りを解いて、時が許す限り呼び込んだ魔力を紡いでは炎を編む。それを一点で巻き取り続けて結ばれた玉は、圧縮を重ねながら立ちどころに大きくなる。
「まだ……まだです、堪えてくださいよ……!」
力が増せば増すほど暴れたがる火球を抑え込んで耐える。その手の前腕を、もう片方の手で強く掴んで支えた。
同等の大きさとなった二つの光が、瞬刻、目の覚める輝きを放つ。
互いに向けて弾き飛び、二者の間でぶつかり合って爆発し百方に散ずる、風と熱と音の振動。
結果は、相殺――ではなかった。爆ぜたのは一方的に打ち破られた光弾のみで、突き抜けたイーリスの火球は女王のど真ん中にぶち込まれ、その骸を燃やす炎は世界が夜から夕に引き戻されたと錯覚するぐらいに、辺りを赫赫たる光輝で染め変えた。
今ひとたびの落陽。程なく骸が灰燼に帰すと、空の鬼火達も忠心と執心の対象喪失に伴い、内から外へと沈黙が広がるように、消えていった。




