6.交錯する火
西へ向かう日の脚は早いのに、街へ向かう者の足は遅れていく。
歩く最後の谷間が扇状に広がりつつあって峡谷地帯は終わりに近いが、その先には更に林をくぐる道が続き、ようやく街が見えてくるのは、そこを抜けた向こう側となる。
レスターは度々立ち止まり、下にずれてしまうラウルを背負い直す。
「……気を失っている奴ほど重たいものはないな。意識が戻ってくれれば、地との縁を切らせて運びやすくもなるんだが」
レスターとシャラが身軽さを得るのに使う風の魔法は瞬発的な動作を補助するものであって、ラウルの術のように持続的に物の重さを減らす事は出来ない。歩き通しと戦い詰めの疲労に加えて大人一人分の重さまで課せられた帰路が、レスターには果てしなく思えていた。
ニーナの手を引いているシャラが、見かねて休憩を促す。
「あそこの洞で一度ラウルを降ろしましょう、このまま歩き続けるのは流石に無理よ」
「しかしこれ以上遅くなるのはな……」
暗くなる道に滴る血。レスターは休むのを渋って前に進もうとしたが、空の向こうから響いてきた複数の鳴き声を警戒し、足の向きを変えた。
「何か来る、見つかると厄介だ」
先程シャラが指した、崖壁に下から大きく入った切れ込みのような洞へ全員で駆け込み、身を隠す。洞の口の上部には低木が庇状に茂っていて、シャラは枝葉の陰から、近づく鳥型の魔族の群れを伺い見た。自分達が後にした平原の方角から来て、宵闇迫る空をけたたましく鳴きながら過ぎっていく。
「何かしら、気が立っているというより怯えているみたいな……」
遠くへ行ったのを見届けて、洞の奥を振り返る。レスターは降ろして寝かせたラウルに触れ、険しい顔をしていた。
「どうしたの」
「失血のせいか身体が冷えてきている、保温しないと駄目だ」
背負っている時からラウルの手足の冷え方が気になっていたレスターは、破いたマントの残りを彼に掛ける。シャラもその上から自分の携帯分を着せた。
「火も焚いて温めないと……。柴木を集めてくる」
告げて出たシャラの言葉で、レスターの横にいるニーナは顔を上げた。ラウルに寄って傍らに座り込み、前へ出した両手の間に魔力を集める。作り出したのは拳大の火の玉。小さな手から零れる暖かな光で、彼等の周りに這い始めていた夜の闇が退く。
「ラウルを温めてくれるのか」
レスターはニーナの懸命さに感心する。帰る足を止められて再び見ている事しか出来なくなった彼女は、ラウルのために出来る事を、自ら見つけようとしていたのだった。ただ彼女の魔導力のみで燃える火はラウルの身を温める熱源としては弱く、やがて戻ったシャラの集めてきた柴木に移され、焚火の火種となった。
物的な燃料を得て熱が増大した火のもとで、ラウルは急速な体温低下だけはどうにか免れている状態となる。
「……こうなると、もう動かせないな」
昏々として火影に血の気のない顔を揺らめかせるばかりの彼から視線を上げ、思い詰めたレスターはシャラを見る。彼女は、彼が口で言う前に頷いた。
「イーリスを連れて来る、待ってて」
出来れば、レスターはシャラ一人で夜の外界を行かせる事は避けたかった。だが最早動かせなくなったラウルを救うには、自分達のどちらか一方が治療を施せるイーリスを呼びに街へ行き、もう一方がラウルとニーナを守るため残るより他に手がない。そしてこの場合、敵と遭遇しても逃げて自分の身だけ守れば良い前者の方が、襲われれば必ず戦ってふたりの盾とならなければならない後者よりも荷が軽い。そう判断し、レスターはそちらをシャラに任せたのである。
「何に出くわしても極力振り切って進め、頼むぞ」
「分かってる、ふたりをお願い」
帰路の照明用に拾ってあった木切れの一本を手に持ち、先端に魔法で火を宿らせると、彼女はすっかり夜となった表へ駆け出て行った。
夜は当然ながら、辺りを闇に覆われて視界が悪い。その状況で、多くは夜行性である魔族との遭遇率も上がる。『日が暮れたら面倒』とラウルが言っていた主な理由はそれだが、加えてもう一つ、夜の外界では『稀だが面倒な現象』に遭う事がある。
「――レスター!」
行かせた直後に聞こえた、シャラの呼び声。彼は緊張を走らせ、弓矢を掴み持って洞から飛び出した。その頭上を通り越した光弾が呼び声のした方に撃ち込まれ、振動がくると同時に土飛沫が上がる。
「シャラッ!」
軌道から彼女を狙った攻撃だったのは明らかで、レスターは叫んだ。散って漂う光が、地面に穿たれた穴を知らしめる。
その穴の横で、彼に応えてかざされた火の明かり。シャラは攻撃を回避し、そこに居た。
彼女の無事に安堵している暇なく、レスターは光弾が飛来してきた方向を振り仰ぐ。
夜に沈む峡谷の起伏を浮き上がらせるほど、空におびただしい数の『鬼火』が浮いていた。それらが取り巻いているものに、彼は目を見張る。
頭部の無い、巨大な虫の遺骸。切断された胸部と腹部は縦に積まれているだけで、節にずれと隙間が生じている。紛れもなく、彼等が昼間倒した筈の女王である。
「『不死化』してこんなところまで追って来たのか……!」
夜は、死した魔族の魂が鬼火となって彷徨う事がある。不死化とはその鬼火が自らや別のものの骸に取り憑いて再び動き出す事を言い、これこそが夜の外界特有の、稀だが面倒な現象。不死化した者は当然ながら既に死んでいるのであって絶てる命が存在しないため、葬るには憑代の骸を消し飛ばして跡形もなくするか、焼き尽くして灰にするしかない。
鬼火は青白く揺れ、時折記憶として持つ元の身――ホーネットの姿を象る。ラウル達に倒された全てのホーネットが女王の遺骸に自らを投じ、無念を払うための剣と鎧となる形で、不死化させたのだ。
「……死んでなお尽くすか、騎士も蒼白になる忠義だな」
鬼火の青に顔を照らされて呟き、レスターは矢の残りが心許ない筒を背に引っ掛ける。
骸の表面を、光の筋が脈打って下から上り始める。汲み上げられる力で頭部の失われた箇所に先刻と同様の光弾が生じ、大きく膨らんでいく。
女王は、今度はシャラでなくレスターのいる方に身体を向けた。次の狙いが自分だと思ったレスターは、ラウルとニーナがいる洞に被害を及ばせてはまずいとそこから離れる。しかし女王は、彼の動きを追わないまま光弾を胴から切り離して上に浮かべた。それにより狙いが自分ではなく洞の方にあると気づいた彼は、攻撃が放たれる直前、咄嗟に抜き取った矢の先を火魔法で眩く燃して高く振り、女王の注意を引いた。
思惑通りに攻撃を誘導され、レスターの居た位置へ穿たれた新たな穴。光弾を避けた彼にシャラが駆け寄る。
「やっぱり洞を狙ってる、さっきも初め私じゃなくて、そっちを攻撃しようとしたから――」
シャラも、実は一度目の攻撃の際に彼と同じ行動を取っていた。でなければ洞に残っていたレスター含む三人は、今頃無事で居ない。
「中の、ラウルかニーナに執着しているという事か」
「分からないけど、そうとしか思えない」
理由は不明でも二人の居る場所が敵の目標と分かった以上、彼等はそこの壁になりながらの戦いを強いられる事となった。
その洞の奥で、ニーナは外から伝わってくる空気の異様さにすっかり怯えていた。
「……こわい、ラウル……!」
彼にすがろうと掛けられたマントからはみ出している指先を握り、彼女はその異常な冷たさに、凍りつく。
失血を伴ったせいで尚更気づかれにくくなり放置された『元凶』が、彼の体温の源――命の火を、内側から食い荒らしていた。
ラウルの著しい容態悪化を自分だけが知る事となり、ニーナは彼にもっと熱を送らなければと、横で燃え続ける火に必死で魔力を焚べた。表の暗がりから戦闘の音と揺れが響いてくる中、強く、祈るようにして。
――ラウルが死んじゃう、シャラとレスターも、危ない……助けて、助けて――!
街の店では、イーリスがカウンターの中で薬素材の選別作業をしつつ、ラウル達の帰りを待っていた。しばしば壁の時計を見て、じりじりする。もう戻っていてもおかしくない時間なのにと。
――まさか、何かあったのでは……。
何度も胸を過ぎり、でも彼等に限ってそんな事はと振り払うのを繰り返して、選別した乾物が籠に積もっていくに等しく、心配も募っていく。
そうしていると何事か、店の扉が外から激しく叩かれ始めた。薬屋としての営業時間は過ぎているが、今日イーリスは皆が帰還するまで店を閉めないつもりでいて、まだ扉に鍵をしていない。
「開いてます、開いてますよっ! そんな叩かなくても」
壊されては敵わないと慌ててカウンターから出た時、勢い良く開けられた扉。
騒々しい来客は、イーリスの見知った者だった。息急いて店の中へ飛び入り、更に彼の胸へと飛び込む。
「えっ……? ちょっと貴方、どうしたんですか急に――」
思わず受け止めたその者の只ならぬ様子に、彼は困惑した。




