表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

吾輩は山椒である・ふたたび

 吾輩(わがはい)山椒(さんしょう)である。


 都々逸(どどいつ)調で名乗るなら、

「木から()まれて、()されて()られ、そして小瓶に詰められた」

 ってトコだ。


 七年もの間、吾輩は封も切られぬまま、大森家の戸棚の奥で眠っていた。

 それが先日、ヘッポコ主婦である郁代に発掘され、再び日の目を見ることができたのだ。


「山椒があるなら、今夜は蒲焼きね~」


 郁代の言葉に浮かれきった吾輩は、(うなぎ)の白い柔肌(やわはだ)のつもりでサンマの筋肉質な体にダイブするという失態を、その際に演じてしまった。


 しかし普通、「山椒」に「蒲焼き」とくれば「鰻」だろ?

 「山椒」+「蒲焼き」=「鰻」だろ?

 それとも何か? 時代はもう「サンマ」なのか?

 吾輩が戸棚の中で眠っていた間に、そこまで変わってしまったのか?


 まあ確かに、日進月歩のこの世の中で、いつまでも鰻、鰻と騒いでいる吾輩は古いのかもしれない。

 鰻とサンマ、どちらも受け入れるくらいの度量がなければ、男とは言えまい。

 いや、この「男」を意識する考え方自体が古いのか。

 最近ではジェンダーレスとかいって性差を無視する考えがあるようだし、同性愛者への理解もだいぶ進んだと聞く。


 しかし、突然同性から告白されたら驚くと思うのだが、どうだろう。

 昨日までは、気の置けない友人だった。同僚だった。同級生だった。

 その関係が一変するのだ。



「俺、ずっと田中のことが好きだった」

 そう言って、佐藤は唇を固く引き結んだ。

 よほど緊張しているのだろう。精悍な顔からは血の色が失せている。

 それは、突然の告白を受けた田中も同じだった。

 言葉は聞こえたが、脳が理解を拒んでいた。


 突然の風が、汗に濡れた二人のユニフォームを波打たせる。

 体育館の横壁を通し、試合の片づけをしているらしい後輩たちの笑い声や、靴底の鳴るきゅっという音が響いてくる。

 佐藤と田中は、同じ高校のバスケ部員だった。

 高校のバスケ部は、中学とは比較にならないほどレベルが高く厳しい。新入部員の二人は、時に涙を飲み、時にくじけそうになりながらも、励まし合い頑張ってきた。

 過ぎてみれば、三年はあっという間だった。

 佐藤と田中は、今日の試合をもって引退した。

 試合終了のホイッスルのあとに生まれた静寂の中、歩み寄った二人は、無言で握手を交わした。どちらの頬も、とめどなく溢れる涙に濡れていた。


 それが、三十分前。


 呆然とする田中に、佐藤は白い顔のまま微笑んだ。

「突然言われたら混乱するよな。でも、もう嘘はつけない」

 佐藤の顔は、さっきまでと何も変わっていない。しかし、目の奥にほとばしる激情の色は、佐藤を別の人間に感じさせた。

 強い視線から逃れるように、田中はうつむいた。

「――ごめん」

 それだけ言うのが精一杯だった。


 佐藤の体から、ふっと力が抜けた。同時に場の空気も緩む。

「いや、悪いのは俺だ。一方的に気持ちを押しつけて、マジ、悪い」

 そう言った声は、いつもと変わらなかった。


 遠ざかる佐藤の、その足音が完全に消えても、田中は顔を上げられなかった。

「――佐藤が、嫌いなわけじゃないんだ」

 ぎゅっと拳を握る。テーピングした指が痛かった。

「だけど、俺は、俺は――!」



 ……えーと、なんの話をしていたっけ。

 すっかり妄想癖がついてしまった。七年も放置プレイを受け続ければ、誰でもこうなる。


 そうそう、蒲焼きだ。


 今日は日曜。

 へっぽこ夫婦は、遅い朝食を取ったあと、自家用車で食料品の買い出しへと出かけた。

 戻って来るなり郁代は、小鍋で何かを煮はじめた。かなりゴキゲンで、調子っぱずれの鼻歌が漏れている。

 それはどうでもいいのだが、漂ってくる匂いが鰻のタレのような気がしてならない。

 鍋から顔を上げた郁代が、

「今夜は頼りにしてるわよ、山椒ちゃん」

 と吾輩にニンマリ笑いかけたことも気になる。


 鰻が出てくる確率は低いだろう。きっとまたサンマの蒲焼きだ。

 下手すれば、家計の厳しい大森家のこと。白米に鰻のタレだけかけて食ってもおかしくない。

 期待してはいけない。

 いけないが、この甘辛い匂いは、吾輩の理性を狂わせる。


 正直に言おう。

 なんだかんだ言いながらも、吾輩は鰻を期待している。

 カモン、鰻! 鰻、カモーン!

 頭の中は、そのフレーズでいっぱいだ。

 自分でも愚かだと思うが、それほどまでに鰻は吾輩の夢であり、捨てられぬ欲望でもある。


 夕方までは、そわそわしっぱなしだった。

「もしかして鰻……」と期待しそうになる吾輩を、「同じ(てつ)を踏むな!」と叱責する吾輩がいて、「時が来れば判る。落ち付け」と言う吾輩の足に、「でも、希望は大切だよね」と吾輩が(すが)りつく。

 バレンタインデーにおける非モテ男子の胸中のようだ。


 休日の大森家の夕食は早い。

 それだけが救いだった。

 平日ならあと二時間、家の(あるじ)である飯太郎(いいたろう)が帰宅する夜八時まで、気を揉み続けたことだろう。


 食卓には、前回と同じ光景が広がっていた。

 青い縦縞の丼。レトルトの吸い物。そして、吾輩。

 飯太郎が丼の蓋を取ると、ふわりと湯気が立ち上り、一拍遅れて甘辛い匂いが部屋いっぱいに広がる。それすらも前回と一緒だ。


「おお、美味そうだなあ!」


 嬉しさに鼻の穴をふくらませ、飯太郎は吾輩を掴み上げた。

 ふわっとした高揚感。そして、蓋が開いての開放感。


「…………」


 今回は無言で落下した。

 相手を鰻と思い込み、「ヒャッハー!」と奇声をあげつつ飛び降りた過去は、ぜひとも消し去りたい。


 下り立った先は白くなかった。

 サンマの浅黒さとも違う。

 黒い。しかも、もさもさと波打っている。

「……チ○毛?」

「失礼ねっ、海苔よ!」

 湿り気を帯びた刻み海苔が、尖った声を出す。


 おい、郁代!

 吾輩という優秀な脇役がいるのに、余計なのを加えてどうする!

 料理は算数とは違う。足せばプラスになるってもんじゃない。


 憤りに震えながら、吾輩は必死で底を目指した。

 海苔の下にあるものの正体を、早く見極めたかった。

 体が、海苔とは違う感触を捉えると同時に、視界が明るく広がった。


 柔らかい。それに、白い。


「おおお……!」


 感動に全身が打ち震える。

 その時、何か細いものが体に当たった。

 まさぐると、その髪の毛のようなものは、等間隔に続いていた――って、


「コレ穴子おぉぉ! 穴子の小骨えぇぇ!」


 折りしもテレビに映るは「サザエさん」。マスオに両手を合わせたアナゴさんが、

「(ん)フグタくぅ~ん。(ん)頼むよ~ぅ」

 などと、無駄に美声を響かせている。


「美味いなあ」

 飯太郎が舌鼓を打つ。

「穴子も鰻も同じようなものだな」

「でしょでしょ~」

 郁代が、はしゃいだ声で応じる。

「ほとんど同じっていうか完全一致? それなら安い穴子で十分よね」


 ふざけんな馬鹿夫婦!


 確かに同じウナギ(もく)。サンマよりは近いと言えよう。

 しかし、鰻はウナギ科の淡水魚、穴子はアナゴ科の海水魚と、あとはハッキリ分かれている。

 尻尾も違うし、顔も違う。鰻は下顎の出ている「アイ~ン」顔だが、穴子は逆で顎なしだ。

 栄養価については、何をか言わんや、だ。


 しかし吾輩は、罵声をぐっと飲み込んだ。

 前回、心ならずもサンマを傷つけてしまったことを、今も深く悔いている。

 この事態は、決して穴子のせいではない。

 強いて笑みを作った吾輩は、気さくな調子で穴子に声をかけた。

 

「あの夫婦、馬鹿だな」

 しかし、穴子からの返事はない。

「ば、馬鹿夫婦ダヨネー?」

 聞こえなかったかと思い、もう少し大きな声で呼びかけた途端、


「はあッ?」


 ものすごく不機嫌そうな声が返ってきた。

「ゴミカスのくせに何言ってんの? 話しかけないでくれますーぅ?」

 続けて、大きな舌打ちと低い呟き声。

「ったく。山椒のクセに」

 その瞬間、頭にカッと血がのぼった。

「クセにとはなんだ!」

 怒鳴る吾輩を、穴子は鬱陶しそうに、上から下まで舐めるように見た。

「だってアンタ、香辛料じゃん。なくてもいい存在じゃん?」

「山椒がなければ、鰻も穴子も引き立たんっ。吾輩あってのオマエらだ!」

「へー。じゃあ聞きますけどぉー」

 穴子は、蠱惑的(こわくてき)な体をふくらませて言った。

「白いゴハンがあるとしてー、オカズが一品しか選べないとしますねぇ。穴子だけの皿とぉ、山椒だけの皿ぁ。これで山椒取る人いると思う?」


 ああいるさ。いるに決まっている。


 そう叫んだはずが、吾輩の喉から漏れたのは、「くっ!」という苦しげな声だった。

「ほらね」

 穴子の声には、勝者の響きがあった。

「アタシは主役にはなれない。でも、オカズにはなれる。だけどアンタはどっちも無理。誰かと一緒でないと価値を示せないの。この差、判る? 判ったら消えろゴミカス。分をわきまえろ。な?」

「もう、アナちゃんったら止めなさいよ。言いすぎ!」

 ハスキーな甘い声が降ってきた。

 見上げると、刻み海苔が心配そうに吾輩たちを見ていた。

「だってノリちゃん、コイツうざいんだもん」

 不満そうな穴子に、刻み海苔は、母親のような優しい笑みを向けた。

「確かに私や山椒さんは、アナちゃんみたいにはなれないわ。でも、私たちがいないと物足りなく感じる人もいる。その隙間を埋められるだけでも幸せ。十分よ」


「おお……」


 天を仰ぐ吾輩の口から、感動の息が漏れた。

 なんと美しい考え。なんと慈悲深い笑顔。

 やはり女は、心根が清く正しく美しいのが一番である。


 吾輩は、鰻に固執し過ぎていたのではなかろうか。

 色白のモチモチ肌に(こだわ)って、大切なものを見失っていたのではないだろうか。


 彼女は、チ○毛のような体を伸ばして、吾輩を優しく抱きしめてくれた。

 いい匂いがする。潮とお日様の匂いだ。

 うっとりと目を閉じる吾輩の耳に、穴子の下品な含み笑いが聞こえた。

「言っとくけど、ノリちゃん男だよ」

「は?」

 吾輩は目を開いた。

 ニヤニヤと笑う穴子から、すぐ目の前にある海苔へと視線を移す。

 よく見れば、てらてら光る表面に、うっすら浮かぶ黒い点。

 これ、髭? 髭なの?

「ちょっ、待っ……」

 逃げようとしたが、身動きひとつ取れない。

 湿気を吸った海苔のホールド力を甘く見ていた。

 

「あはは、仲良くねぇ」

 穴子が高らかに笑う。

「離さないわ、ダーリン」

 うむ。この腕力は確かに男。

「(ん)いいじゃないか、キミ~ん」

 アナゴさんは黙っとけ。


「ま、待ってくれ!」


 吾輩は叫んだ。


 吾輩は頑固だが、偏狭ではない。

 時間をかければ変われると自負している。

 だが、すぐは無理だ。心はそんなに単純なものではない。


 すまない、海苔。

 ごめんよ、佐藤。

 君を傷つけたいわけじゃないんだ。

 優しい君は、俺の大切な友達だ。それは永遠に変わらない。

 だけど、俺は、俺は――。


「最初は女がいいーーーーーー!!!!」


 最初ってなんだよと思いながら、海苔にガップリ縦四方固(たてしほうがた)めを決められた吾輩は、胃袋という名の奈落に向かって滑り落ちて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ