現代版 あづさ弓
名古屋市の有名企業に就職しており、結婚もしているというある男がいた。
彼は彼の妻をとても愛しており、逆に彼の妻も彼をとても愛していた。
ある日、彼は上司に業績が認められその会社の偉い方から、明日からは東京にある本部の方に異動ということで頼む、と言われた。辞退することもできるが、そうなってしまうと今後の行動に差支えがあるかもしれないとも言われた。
彼は上京をするかしないかで悩み、妻に相談した。
「今日、会社の上の方から東京の本部で働いていかないかって言われたんだけど、どうすればいいかな?君をここに一人で残すのもどうかなと思うし。」
「いいわよ、東京に行っても。私はあなたと一緒に住めないのは寂しいけど、家のことは私がやるし、あなたの夢を壊すこともしたくないもの。」
「そう・・・。わかった、ありがとう。俺は東京で働くよ。でも、連絡はずっと取るよ。休暇が取れたら帰ってくるよ。」
「うん、いってらっしゃい。」
「本当にありがとう。」
翌日、彼は幼少期から住んでいた町を出て、新たな住処へ向かった。
彼の妻はそれを見送り、次に彼に会える日を楽しみにしていた。
それから2年ほど経った。男(彼)は宣言通り、休暇が取れた日は毎日帰った。女(彼の妻)は男に会うたびに心がやすらぎ、夫が離れても幸せにやっていた。
ところが、そんな幸福な日々はある日を境にして減っていった。
原因は男の仕事が忙しくなったことだ。
男が東京に帰った次の夜、女の元には夫からの電話がかかってきていた。
「もしもし、お疲れ様。」
「ありがとう。ひとつ言っておくことがあるんだ。」
「何?」
「今、仕事が立て込んでいてあまり帰れそうになくなるんだ。ごめんね。」
「大丈夫よ。あなたの夢の邪魔はできないわ。私のことは心配しなくてもいいわよ。」
「ありがとう。君には感謝感謝だよ。」
「なるべく、電話はかけるつもりだけど、会議とかがあるからかけれないときがあるけど、大丈夫だよね。じゃ、まだ仕事があるから切るね。おやすみ。」
「あ、う、うん、おやすみ。」
夫はさっさと電話を切ってしまった。そう思ったが、女はこれも夫のためだから仕方がない、と考え直し、夫のいない日々が続いた。
女はその寂しさを紛らわすようにして近所のスーパーのパートを始めた。そのスーパーで働いていると、毎日同じものを買って毎日女のレジに並びに来る男がいる事にだんだんと気付いていた。
その男は女がレジの清算をしている間に他愛のない雑談をし、去り際には何時にパートが終わるかを聞き、素直に答えるとそれまで待っておくから一緒に帰ろうと誘ってくるという人であり、気味が悪そうであった。
しかし、夫の愛情に飢えていた女はその男に、毎日一緒に女の家まで送ってもらうという間柄になっていた。
その関係のまま夫と音信不通のまま、3年が過ぎた。
夫からは未だに何も連絡が来ないことにより女は、熱心に3年も女を口説き続けた男に負けてしまい付き合うことになった。
その記念として女は付き合い始めた男を夕食に家に誘った。
新しく付き合い始めた男が家にくる数時間前、女の家のチャイムが鳴った。女はその男が早くも来たと思い、少しうきうきした表情で扉ののぞき穴から見ると、そこには3年間音信不通だった夫がいた。
女は扉越しに拒絶の意味を込めて言い放った。
「あらたまの 年の三年を 待ちわびて ただ今宵こそ 新枕すれ
(3年間、待ちくたびれました。今晩付き合い始めた男と共寝するつもりです)」
男は3年間も放っておいた自覚のせいか、とても潔かった。
「あづさ弓 ま弓槻弓 年を経て わがせしがごと うるはしみせよ
(長い時間の中で僕がかつて君にしたように、君も新しく付き合い始めた男を愛しなさい)」
そう言ってから、男は行こうとしたので、引き留めるつもりで女は男に言った。
「あづさ弓 引けど引かねど 昔より 心は君に 寄りにしものを
(他の男の人が私の気を引いても引かなくても、心は昔からあなたの物だったのに)」
しかし、男はどこかへ行ってしまった。女はとても悲しくなり、後ろから男を追いかけた。が、全然追いつくことができずにとうとう倒れてしまった。
女はその倒れた場所にあった、表面が平らな岩に指から出した血を使って絶望を描いた。
「相思はで 離れぬる人を とどめかね 我が身は今ぞ 消え果てぬめる
(私の方だけが元夫のことを想っていて、離れて行ってしまった元夫を引き止められなかった。だから私は今にも死んでしまいそうだ。)」
女はこれを書いた後、この歌の通りにそこで死んでしまったらしい。
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