後輩さんについて、私のお腹について 後-2
「……って、いやいやいや、寝ませんよ!」
私はがばりと起き上がって毛布を引っぺがした。
彼の許可を取ることもなく、枕元のスタンドライトをパチリとつける。
私の焦りとは裏腹に、暗闇の中に優しくぼんやりとした橙色の明かりが灯った。
お肉につられて危うく流されてしまうところだった。
私のお腹の写真は断固削除してもらわなければならない。
布団から体を起こそうとしない彼をじとりと睨む。
それでも彼はどこ吹く風。
薄明りに照らされている彼はいつもの如く感情の読めない表情で私を見つめ返すばかりだ。
「お腹の写真です、消すまで眠れませんよ」
彼の変わらない表情からは、私が何と言っても消すつもりはないぞ、という無言のある種の圧力が感じられた。
それでも私は引くわけにはいかない。
お腹の写真だなんて、恥ずかしすぎる、恥ずかしすぎるのだ……!
語気を強めて、彼の目をしっかりと見据える。
先に逸らした方が負けだ。
私はなけなしの精神力をもって彼の目をじっと見つめた。
三十秒ほど、見つめ合っただろうか。
彼は一度、瞬きをした。
それでも体を起こすことはしない。
うぐぐ、向き合って話をするまでもない、お腹の写真は永久保存。当然だ。とでも言った感じだろうか。
分かっていたが、彼は、手ごわい。
こ、このままでは私が眠くなったら負けです……!
私は、彼に効きそうな有効打を考えることにした。
彼にとって、何が精神的攻撃になるだろうか。
(物理攻撃はとてもじゃないが効きそうにないので最初から選択肢には入れないことにする。)
きらいになりますよ、なんてどうだろう。
……デッドエンド一直線な未来しか見えないな、駄目だ、駄目だ、よそう。
もう二度とお腹を見せませんよ、とか……寝てる間に勝手に捲ったりして見そうだなあ。
というより今までそうしてきたのではなかろうか。
ううん、なかなか良い案が浮かびません……。
欠伸を小さくして、目を擦る。
寝たら駄目です、彼の思う壺です。
欠伸を噛み殺しながら思案に耽っていると、彼にくい、と袖を引っ張られる。
はてなと思い彼を見るが、表情は特に変わっていない。(常の事ではあるが)
何か訴えたいのだろうかと彼をじいと見つめてみるが、彼が何かを言語化するわけでもなく。
ただ、時折くい、と袖を引っ張るばかりだ。
どうやら、私に早く寝てほしくて、この袖を引っ張る行為は「早く寝転がりなさい」の意であるらしい、と気付くのにそう時間はかからなかった。
眠い、けど、引っ張られるままに負けてはならない。ならないのだ。
策を考えてうんうん唸る私の服を、彼がまたくい、と引っ張る。
これは……負ける。
負ける。確実に負ける。そんな予感がびしびししている。だって眠いものは眠いんだもの。
私は、方向性を変えてみることにした。
眠気で頭がぼんやりとしてくるが、目を擦り擦り考える。
お腹の写真はもう諦めて(どうしようもできない気がする……どうしようもできない気しかしないので)、代わりに別のことを提案してみるのはどうだろうか。
こんなことを考えている時点で当初の目的とは全く関係のない方向に向かっているのだが、気付く人もいなければ教えてくれる人、止めてくれる人もない。
とめどない思考が無制限にあちらこちらへと流れていく。
例えば、もっと一緒にいる時間を増やしてほしいとか、デートしたい、家デートでも可、とかどうだろう。
……私と一緒にいる時間より後輩さんといる方が楽しいのか、なんて問うのはお門違いの八つ当たりだろうか。
うん、八つ当たりだ。だって散髪だし。後輩さんは散髪の練習台だ。それも私のための。
彼にだって人付き合いというものがあるだろうし。
文句を言うべきじゃない。
言うべきじゃない、の、だろう、けれど。
それでも休日に私と過ごしてほしいと、思うのだ。思ってしまうのだ。
「後輩さんより、私と一緒に、いて、ほしいです」
半分寝ぼけている頭は、思ったままの言葉を口にした。
彼を見ると、僅かに眉を寄せている。
彼は上半身を起こすと(あ、やっと起きてくれた、嬉しい)、私の髪を梳くように撫でた。
私の髪を通った彼の指が、耳の後ろと、首をなぞる。
彼の細長く、けれど私よりも十分大きい彼の指に触れられていると、安心する。
「お前の髪のためだ」、と言いたいのだろうか。
宥めるようなその仕草に甘えて、彼の胸にぽすりと身体を預けた。
彼は一瞬、小さく息を飲んだが、すぐに何でもないかのようにそうっと私に触れた。
彼の手が、優しく私の頭を撫ぜる。
数回繰り返されるうちに、いよいよ眠りに入ろうと私の頭が働く(この場合は働くのではなく、休んでいる、休もうとしている、と言うのだろうか)。
しかし、うやむやのままに眠らされてはいけない。
私は、目を瞑りながらも、口を開いた。
「家に、呼んだらいいじゃないですか……そしたら一緒、いれるし、後輩さんの髪も切れる、」
むにゃむにゃとほとんど口の中で呟いただけの言葉だが、彼に届いただろうか。
彼の胸から顔を離す。
動くと彼の匂いが空気に浮かんで、溶けて、いい匂いで、私の頬が少し緩んだ。
彼は私の言葉をどう受け取っただろうか。
是、か、否か。
そこまで分からずとも、快く思ったか、不快に思ったか。何とも思っていないのか(彼に限って何とも思わないことはないのだろうけれど)。それだけでも彼の顔から読み取りたい、と思う。
重い瞼を押し上げて、彼の表情を伺い見る。
彼は困ったような、呆れたような目線を私に向けていた。
困らせてしまった、のかもしれない。
それもそうだ。
考えなしに言ってしまったが、彼はきっと私と他人が必要以上に接触するのを嫌っているだろうし。
少し考えてもみれば、わざわざ先輩の家まで行って(しかも同棲中の彼女がいる前で)髪を切られるなんて、相当訳が分からないだろうし、私が後輩さんだったら確実に嫌だ。丁重にお断り申し上げたい事案だ。
けれど、私の、思い過ごしだろうか。自意識過剰だろうか。
ほんの少しだけ、彼のその顔は、嬉しそうに見えた。
とんでもないことを言っているにしろ、わがままにしろ、彼からすれば私に「一緒にいたい」なんて言われればやっぱり嬉しいのだろうか。
そう、自惚れても、許されるのだろうか。
彼の表情にほっとした私の、ついに睡魔に負けて閉じてしまった瞼に、柔らかい感触がした。
そうっと、彼の手に背中と頭を支えられながらベッドに寝かされるのを、ぼんやりと感じた。
「考えておく」、と彼の声が聞こえた気がしたので、交渉は成立したのかもしれない。
彼が「考えておく」と言ったら、何かしら行動を起こしてくれるに、違いないのだから。
私は安心して眠りについた。
可愛らしく、貴重な彼女のやきもちと、ほんの少しの、わがままとも言えないようなわがままに耳を赤くした彼が口元を手で覆って彼女の寝顔を眺めていたことも、
そうっと彼女の額に口付けが落とされたことも、
眠りについている彼女には知る由もないこと、なのでした。




