第二話
――深夜、ふと目が覚めて近くの時計を見た。時刻は2時16分。まだ朝には程遠い。
ベッドから体を起こし、何となく窓から外を覗いてみた。ビルの光はほとんど消え、車もわずかにしか走っていない。
何処の都市でも見られるような風景に俺は失笑をこぼした。犯罪都市と聞いて身構えていたが、此処は普通の街と何も変わらないのじゃないか。
このままだと何もネタを仕入れることも出来ず、記事が作れないかもしれない。それはダメだ、最悪職を失う。
ベッドの脇に置いていたメビウスの底を叩き、タバコを銜えて火をつけながら、頭の中によぎった不安について思う。それと同時に思い浮かんだのは浅はかな挑戦だった。
せっかくだからこの辺りをふらついてみよう。もしかしたら何かネタを仕入れることが出来るかもしれない。
思い立ったが吉日、手早くカッターシャツとズボン、そしてメガネを身に着け、1ドル札10枚をそれぞれポケットのいろんな場所に入れた。荒事を最低限の出費で回避する方法の一つとして、日本にいる時から実践している。
俗に言うカツアゲに対し、抵抗するのは無駄だ。相手は複数人いるケースが殆どだし、武器を仕込んでいる可能性だってある。
もちろん、他人から金を奪うようなクズに易々と従うのは屈辱的ではある。だが命あっての物種、非力な者は金の力を借りるべきだ。
俺はホテルのフロントにカギを預け、外に出た。四月の夜はまだまだ肌寒い。
ホテル前の大通りには浮浪者すらいなかった。静かな道を俺はタバコをふかしながら歩いた。
しばらく歩くと、裏路地に入ることが出来そうな道を見つけた。しめた、此処なら何かありそうだ。俺は裏路地に足を進めた。
そしてその予感は見事的中した。裏路地に入ってすぐ、俺は前後を何者かに囲まれた。
前に立つのはB系ファッションの黒人。映画でしか見たことないような典型的なクズ共だ。
「よぉ、イエローモンキー」
リーダー格であろう目の前の男は冷たい目で睨みながらそう発した。
「こんばんは、いやーまだまだ寒いですね」
俺は余裕があるアピールをするか如くそう言ったが、相手の目つきは一切変わらなかった。
「俺たちはお前とお話がしたいんじゃない…分かってるだろ?」
「…胸ポケットに入っている」
俺がそういうと初めて男はにやりと笑い、俺の胸ポケットに手を入れた。
そして出てきたのは、メビウスだ。男は舌打ちをしてそれを地面に叩き捨てた。
「こんなシケたモンで満足できると思ってんのか、おい?」
どうやら冗談が過ぎたようだった。俺は胸倉をつかまれてしまい、銜えていたタバコを落としてしまった。
そして幸か不幸か、タバコは男の手に直撃し、男は驚いて手を放した。それと同時にまわりの男達がざわめく。
「ああ、悪い悪い。ついうっかり」
「…気にくわねぇ、糞猿無勢がナメた態度取りやがって!おい、やれ!」
手をさすりながら男が叫ぶと、俺のひざ裏に鈍痛が走り、たまらずその場に跪いてしまった。
「わ、悪かったってホント。金ならある、な?」
「金だ?俺たちが貧乏人に見えるのかよ?俺たちが欲しいモンはな、お前が血塗れになって野垂れ死ぬ姿だよ」
男は左手で俺の髪の毛を引っ張り、ポケットから小型のナイフを取り出して俺の眉間にナイフを突きつけた。
だが、俺は知っている。こいつらは威勢はいいが根性はない。俺を殺す勇気なんて端からない。
俺は男の顔を見ながらニヤリと笑って見せた。それを見た男の顔はみるみる鬼のような形相に変わって行った。
そして案の定男は左手で髪の毛をつかんだまま、俺の顔面に膝蹴りをかましてきた。
やはり殺せないんだな、一安心した俺は鼻血を垂らしながら地面に倒れ込んだ。
第一回の記事は概ね決まった。此処も日本も、不良は意気地なしのクズということに変わりはなかった…と。
そう思ったその瞬間、耳をつんざくような炸裂音が裏路地に響いた。これは、銃声?だが俺は生きているし、体のどこにも激痛は走っていない。
どうやら男達も銃声に驚いたようだった。そしてそれと同時に何かが倒れゆく音も裏路地に生じた。
急いで立ち上がろうと地面に手を付くと、生暖かい鮮血がべったりとこびりつく。俺は立ち上がって状況を確認しようとした。
それは一瞬の出来事だった。
目の前に広がるものは血の海と、それに溺れ行くクズ共の姿。鉄の臭いが鼻を衝く。
思考回路が追い付かない俺は、先ほど鳴り響いた炸裂音の方角を向いた。
其処にはただ一人の女が、拳銃を右手で構えて立っていた。その女の髪色は、鮮血と同じだった。
「その顔、人が死ぬのを見るのは初めてのようね」
女は静かに呟き、口角を釣り上げた。悪魔の如き微笑に、俺は立ち竦む事しかできない。
言われたことは図星だった。いくらアウトローな記事を書くとはいえ、殺人に立ち会ったことなんて一度もなかった俺は、周りにいくつもの死体がある事実を受け入れることが出来なかった。
この女の目的、次にとる行動は何かを必死で考えようとするも、それらを全て恐怖が覆い隠す。
再び銃声が鳴り響くまで、俺は何もすることが出来なかった。
とっさに目をふさいだ俺は、まだ命があることに気付く。目を再び開けると、やはり女はそこにいた。
「何で避けなかったのかしら。もしかして私が殺す気ないってことを読んでた?」
そんな訳じゃないに決まっているだろう。この女は恐らく常識が通じない相手だ、それだけは確信できる。
「あ、えっと…」
「…アリーチェ、依頼人は何が欲しいんだった?」
女がそう言ったその時、俺の後ろに何かが落ちてきた気配がした。急いで俺が振り向くと、今度は黒い喪服に身を包んだ少女が立っていた。
「ア・タ・マ!来る前に確認したでしょ!」
「そうだったかしら?まぁいい、じゃあ後はよろしく」
「えー!?また私がこれやるの!?この服クリーニング出したばっかりなのにー!!」
「立場を弁えなさい、全く」
この二人は俺の存在が目に映ってないようだった。それ以上に二人の会話が何を意味するのか全く分からなかった。
喪服の女…恐らくアリーチェというのだろう、彼女は嫌そうな顔を浮かべながら、俺を膝蹴りした男に近づいた。
男は頭部に銃弾が当たっているようだった…そういえば何故銃声は一発だけだったのに、複数の男が死んでいるんだ?
だがそんな些細な謎も、目の前でアリーチェが行った惨劇で全て吹き飛んだ。
何処から出したのか分からない巨大なハサミなような物で、男の首を斬り外したのだ。
死んで間もない男の首からは鮮血が飛び散り、黒い喪服に赤い模様を彩る。
そしてアリーチェはサッカーボールの如く男の頭を蹴り上げ、赤髪の女の方にパスをした。
女は待ってましたと言わんばかりに手早く黒いビニール袋で頭をキャッチし、サッと入り口を結んで袋を肩に担いだ。
「これは何処に捨てるんだったかしら?」
「ブルーノさんトコの3番ビル裏!依頼の説明ちゃんと聞いてたのホント!?」
「聞いてたわよ、失礼な」
「嘘よ絶対!最近弛んでるんじゃないの!?」
アリーチェはそう言いながら俺を完全に無視して女に近づいた。その時、遠方からサイレンの音が聞こえだした。
「あらあら、弟子にそんなこと言われちゃうなんてね。じゃあこれ一緒に捨てに行きましょうか」
「もちろんよ!私が付いて行ってあげるんだから!」
二人の異質な女はそのまま裏路地を歩いて行こうとしたが、ふと赤髪の女がこちらの方を向いた。
「誰だか知らないけど、サツには正直に全部言っとけばすぐ釈放されるから。いい夜を」
女はそう言って軽く手を振り、裏路地から消えて行った。
一体あの女達は何だったのだろうか、考えようにも頭が一切回らない。
日本にいた時はこんな感覚一切なかった。何をされようと死ぬことはないという絶対的な安心感が今回は一切なかった。
死への恐怖、それをマジマジと感じさせられてしまった。ああ、此処はやはり犯罪都市キャスタニアなのだ。
俺が次の行動に移る前に、気が付けば向こうから警察達がやってきた。
――午前10時頃、中央警察署前にて。
寝ぼけ眼に朝日は容赦なく照りつける。まさか一夜目をいきなり警察署で過ごす羽目になるとは思っていなかった。
あの女の言った通り、起こったことをありのまま話すと警察達は何かを察したかの如く俺を即座に釈放した。
それどころか新しいシャツとズボンまでくれて傷の手当までしてもらえた。
だが警察には今後そのような危険な場所に近づかないこと、そしてその二人の女については関係を持たないようにするようこっぴどく言われてしまった。
残念ながら記者という仕事上その二つは守ることは出来ない。特にあの女達について俺は非常に興味があった。
どんな相手だろうとネタになるならそれで結構だ。少なくとも俺のような部外者に危害を加えるような…
「あら、また会ったわね」
そんな声が後ろから聞こえてきた。まさかと思い、俺は声のする方を見た。
其処にはあの時見た赤髪の女が立っていた。陽の光の元に立つ彼女はとびきり異彩を放っていた。
まず目を引くのはその真っ赤な赤髪だ。そして右目には眼帯、服装は何というか…カウガールとでもいうのだろうか。
胸元は大きく開き、豊満なバストが顔を覗かせている。ヘソから下腹部にかけても大きく露出し、左わき腹には七芒星のタトゥーが見える。
異常に短いホットパンツには確認できるだけで四丁の拳銃がぶら下がっている。とても現代社会に住む人間の恰好ではない。
それなのに道行く人々は彼女を気にも留めようとしない。
「…フフッ、朝っぱらから素敵なお姉さんの乳房が見れて満足できたかしら?」
しまった、胸を凝視しすぎていたようだ。
「いや、その…用件は?」
「そうね…すこーしお姉さんとお話ししてもらえないかしら?カフェ代は奢ってあげるわ」
「え、はぁ…どうも」
そう言うわけで、謎の女とお茶を飲むことになってしまった。
此方としてはこの女について知る機会が増えるので満足だ。それにカフェなら命の心配はしなくてもいいだろう。
無言のまま俺たちは道を歩き、着いた先は人の出入りが激しくガヤガヤと煩い喫茶店だった。
女が扉を開け、その後ろを俺は着いていく。喫茶店の中はコーヒーとタバコの臭いで充満していた。
俺たちが手ごろな席につくと、すぐに店員がやってきて女の前に一つのグラスを置いた。
「彼には適当にコーヒーを。後はチップであげるわ」
彼女はそう言ってベストのポケットから100ドル札1枚を店員に渡してグラスを手に持った。
グラスの中には黄金色に輝く透明な液体だけが入っていた。
氷も入っていないそれは、恐らくウィスキーだ。こんな朝から酒を飲むとは。
「…さて、まずはお互い自己紹介でもしておきましょうか。私はジェロシア、あなたは?」
「記者の世羅田晃司、です」
「世羅田晃司…日本人か」
俺の名前を聞いた彼女…ジェロシアは何かを勘ぐるような目つきでこちらを見つめてくる。その眼光は鋭く、それでもって生気を一切感じさせない。
「ええ、こっちには仕事で来てるんですが」
「ふーん、そう。それで、記者って一体なんの記事を?」
「雑誌です。まぁなんというか、あんまりお堅い感じじゃないです」
相手もまた、此方の素性を知りたいようだ。だが残念ながら俺は相手にとって有益な情報は殆ど持っていないはずだ。
ただのしがない記者の素性なんて価値があるようには思えない。
「なるほど…私が聞きたかったのはこれだけ。それじゃあお話してくれたお礼に、コーヒーが来るまでそちらの質問に答えてあげる」
これは願ったり叶ったりだ。俺はいつもの記者モードに頭を切り替え、山のようにある質問を整理していった。
「では単刀直入にお聞きします。ジェロシアさんは何故昨夜あの男たちを殺し、首を狩るようなことを?」
こんな物騒な事、この騒がしい喫茶店以外ではとても言う事などできない。相手もそれを分かって此処に連れてきたのだろう。
俺の質問に対し、ジェロシアは不敵な笑みを浮かべてウィスキーを一口飲んだ。
「そう…平和ボケした日本人にはアレが何を意味するか分からなかったのね」
「え…?」
「じゃあ単刀直入に答えてあげる。そういう仕事だから」
仕事…つまりそれは…
「もしかして、殺し屋?」
「その通り。流石国立大卒で大手出版会社“越膳社”に勤める記者なだけあって、察するのがお早いこと。日本でも週刊外道伝で殺し屋についてまとめた記事が2回ほど載っていたそうね。お姉さん同業者がそうやって紹介されてるなんて羨ましいわ」
ジェロシアが口走った言葉に、俺は衝撃を受けた。何故この女は俺の経歴や俺の記事が載っている雑誌名を知っている!?
俺は日本人の記者ということしか伝えていないはずなのに、一体何処から情報を仕入れたのだろうか。
「ど、どこでそれをお聞きに…?」
「あら、コーヒーが来たわ。此処のコーヒー、とっても不味くて評判だから一度飲んでみたら?」
俺たちの話は、コーヒーカップによって遮られてしまった。驚きを隠そうとアツアツのコーヒーを口に含む。確かに缶コーヒーとなんら変わらない安い味がした。
「少なくとも、あなたが嘘はつかない人間であるってことは分かった。その調子なら目を付けられることもないと思うわ」
ジェロシアはそう言って、いつの間にか空になったグラスをテーブルに置き、席を立った。
「でも、この街で何かを隠し通せるとは思わない方が身の為よ。それじゃあお仕事頑張ってちょうだい」
去りゆく彼女の姿を、俺は黙って見ることしかできなかった。
不味いコーヒーを啜りつつ、混乱する頭を整理することに徹する。
喧騒にざわめく喫茶店の外には忙しそうに行き交う人々の姿と、天高く上る太陽が映っていた。