その四
彼の興味はボーカライドの声よりも容姿にこそ偏っていた。
容姿も顔より下半身の方が重要であり、しかして外面よりも中身の方が大事であった。
坂本の主張が女性団体に伝われば、街灯どころか溶鉱炉に吊り下げられてアイルビーバックしそうな下劣さだ。
坂本は満足気に親指を立てて逝く事だろう。
ともかく、作曲の為に簡易AIを起動させた。
神音シクの背中から伸びるコードをコンセントに差し込み、起動用のスイッチであるツインテールの赤い髪飾りをクルクルと回す。
フィィィンと冷却装置の動き出す音がシクから響くと、数秒の時間を置いてからシクの両眼がゆっくりと開く。
瞳孔のコントラストが虹色に変化し、その中央が坂本の顔を捉える。
朝顔が急に咲いて、その隠していた美しさを魅せつけるような笑みを創り上げた。
「おはようございます、マスター。ご用件が歌唱の場合はシング、簡易作曲の場合はワーク、振り付け再生の場合はダンス、をご命令下さい」
「よ、よ、よ、夜のレッスンの場合は!」
「認識中……申し訳ありません、レッスンというご用件は現在のステップにおいて利用できません。ご用件が歌唱の場合はシング、簡易作曲の場合はワーク……」
おお、本当にコンピューターだ!
これはコンピューターだよ!
すげぇ、俺、コンピューターと話しちまったぜ!
妙な感動を覚えながらも、この簡易AIモードというのが電話の自動応答ガイドに等しい機能だと理解した。
「んー、じゃあワーク」
「認識中……ボーカライド・作曲システムを起動します」
再びシクが両目を瞑り、停止した。
どうやら内部メモリを一旦整理し、作曲用のリソースを確保しているらしい。
数秒後、先程よりも大きくなった冷却装置の音が、彼女に少しばかり負担を強いていると分からせる。
「ワークモード、正常に起動しました。新規のプロジェクト名を決定して下さい」
なんじゃそりゃとマニュアルを調べたら、どうやら作曲する際のタイトルを意味するようだ。
曲名そのものとは違い、作曲時の生音や効果音、編集中の楽譜などを含めた作曲全体の作業をプロジェクトと呼ぶ、らしい。
坂本にとって何もかもが「たぶんこうであろう」という判断で強引に理解している為、その本当の所がどうなっているかは、あまり自信が無い。
だが最終的に曲さえ作れれば、それで良いのだ。
音楽や作曲を理解するのが目的では無く、曲を作るのが目的なのだから。
「えーと、音声やジェスチャーで操作するから、プロジェクトの名前を言えば良いのかな。
んー、じゃあ……童謡の歌」
音階名に合わせてドーナツとかレモンとか皆とかの歌詞が出てくる、あの歌である。
「認識…童謡の歌、のプロジェクトを作成しました。小節及びテンポを設定して下さい」
ボーカライドの要求は続き、その後もインストゥルメンタルやミキサーなど、魔術儀式の呪文としか思えない単語に行き当たる度、マニュアルを読んで坂本なりの理解をする。
楽譜と楽器、スピーカーの準備を終わらすだけで、実に数時間が過ぎた。
まだ歌を試す事すら出来ていない。
一週間分の非常食は大袈裟だと思っていたが、アレが何の冗談でも無いと気付いて流石に背筋が寒くなった。
「設定が完了しました。Aパートのノートに音階を入力して下さい。
タトゥ
トゥッ
タンッ♪」
いきなりリズムを口ずさみ始めたシクに、坂本が思わず眉を撥ねさせて驚く。
壊れたかと不安になったが、そういえばリズムを自動演奏で設定していた気がする。
他にもハーモニーやメロディーをどうするかと質問されたので、それらを極力自動で設定した。
何も分からない以上、自分で全てをやるなど不可能。
ならば出来る事は全部他人にやって貰う事こそ初心者の正しい態度である、という坂本の判断である。
「トゥトゥ
タルッタ
トゥトゥッタン♪
トゥトゥタ
ルッタトゥ
トゥッタンッ♪」
どうやらこのリズムに合わせて、何らかの音階を入力すれば良いらしい、と坂本はそこまで理解していた。
だが、これに音階を入力する、という事は、つまり。
「俺に歌えってか……自慢じゃないけど、音楽の成績は五段階評価でダントツの一番だぜ」
カラオケは好きだが歌詞表示も無く、音程のガイドも無い状態で歌うなど、ド素人の坂本にはとてつもない勇気を必要とさせる。
これなら童謡では無く、歌い慣れたボーカライド・ソングの一節でもパクれば良かったと早くも意識の低い考えが凭れ掛かってくる。
何度かわざとらしく咳払いし、思い切って声を出した。
「どーみーふぁー……
しまった、どみふぁじゃなくて、どれみだ!」
痛恨のミス。全く基本が出来ていない証拠である。
だがボーカライドである神音シクは、入力された音階を正確に再現するのだ。
たとえ歌が間違っていたとしても、それはシクにとって童謡の歌なのだ。
「あーあーあー♪
ああっあ、ああああああああ♪」
何度も楽しそうにリズムを口ずさむシクは、セクシャル機能にばかり意識が向いていた坂本から見ても幸せそうだった。
「あー、しゃあねえな……ちゃんと歌うか」
坂本のお世辞にも上手くはない歌声が狭い部屋で反響する。
おそらくは鼻歌でも何でも良いであろう音階入力を、あえてきちんと歌詞入りで歌う。
その方が坂本には音階を理解し易いし、むしろハミングの方が難しい。
「あーああーああーあーあー♪
音階を設定しました。次の歌詞を入力してください」
初めて神音シクが歌を歌った。
それは、誰もが聴き慣れた童謡で、歳を取る程に歌わなくなる歌である。
坂本も十年以上、口ずさんだ事すら無かった。
大人が真面目に歌う曲では無い。
しかし、このシクは子供だ。
正確には、坂本の作曲経験がゼロである為に、シクはゼロ歳児、赤ん坊だ。
歌う事すら理解の乏しい少女が口ずさむに相応しい。まさに童謡である。
坂本は、高揚を覚えた。
自分にもボーカライドを歌わせる事が出来る!
作曲は続く。
殆どをシクが処理してくれる以上、坂本の作業は童謡を歌うだけとも言える。
それは、神音シクという少女に童謡を教えている大人としての気分すら感じた。
「音階を設定しました。次に、歌詞を入力して下さい」
「音階だけかいぃー! 歌わなくても良かったんかぃー!」
シクは初めからそう言っているが、自分が何をしているかも定かでは無いから仕方がない。
「キャンセルだぁ!」
「Aパートの音階を削除します。Aパートのノートに音階を入力してください。
トゥトゥタ
ルッタ
トゥトゥッタンッ♪」
あーもう、なんか嫌になってきたな。
そう坂本は項垂れながら、思い通りになりそうも無い作曲行為に、早くもゲンナリとしていた。
そもそも童謡を歌わせた所で、それが部屋を出る条件の「シクを歌わせて幸せにする」に繋がるとは思えない。
これはあくまでも練習の為に設定した曲だったが、それを歌わせる準備だけでも数時間。
実際に歌わせてもミスの連発だ。
これで嫌にならない方が、思考力の欠如を疑われてしまう。
それでも、
「トゥトゥタ
ルッタ
トゥトゥッタン
トゥッタン♪♪
トゥトゥタ
ルッタ
トゥ♪♪」
坂本の声が弾む。
それと同じくして神音シクの歌声も万華鏡を覗きこんだみたいに綺羅びやかな声音に変わっていく。
歌声に込められた感情のベロシティが、しっかりと大きな数字を刻んで跳ねる。
たかが童謡であるにも関わらず、それは心地良い不思議な音楽空間だった。
童謡で世界を幸せにしようとした、作曲者の想いと熱意が、人間とボーカライドを通じて部屋の壁で反響、共鳴させる。
もうそれは、誰にも「たかが」などとは言わせない重要な価値と感情と願いのこもった響きとして、坂本とボーカライドの全身に跳ね返った。
「さぁうたいましょ♪」
神音シクというボーカライド。
ありもしないはずの、心から楽しそうな歌声が止まる。
これで曲は完成したからだ。
扉は、開かない。
「童謡の歌をミックスダウンしますか?」
ミックスダウン。
作曲データでは無く、視聴用のデータとして音楽ファイルに変換する作業だ。
おそらく、ミックスダウンさせたデータを歌わせてもドアは開かないだろう。
神音シクは幸せに歌ったが、それは童謡の歌を作った人が「彼女を幸せにした」のだ。
坂本は彼女を「童謡の歌と出会わせた」だけだ。
「ああ、頼むよ」
それでも坂本は、歌を変換させた。
彼にとって、初めてボーカライドを使った記念だ。
でもそれ以上に、楽しそうに歌う神音シクが、またいつか見たくなる日が来るかもしれない。
もし作曲技術が上達して、その時に改めて歌わせてみても、先ほどの拙さを再現する事は難しいだろう。
ボーカライドに歌わせる、何度も修正が可能であるからこそ、一期一会となる歌声データが存在するのだ。
「シク、新規プロジェクトを作るぞ」
「了解しました。プロジェクト名を決定して下さい」
坂本の指が、神音シクの頬に触れた。
とても優しく、指のぬくもりが彼女の肌に溶け込むように、とてもとても柔らかく。
「君の幸せ」
それが、彼の決めたプロジェクト名前であり、彼女を幸せにした曲のタイトルそのものとなった。
作曲風景なんて、どうやって小説に書けば良いんだ?
と完全に煮詰まり、それはもう色んな人に聞きまくりました。
ノリで進めると酷い目に遭う、という教訓ですね、はい。