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その二

 坂本がボーカライドの店へと走る。

 今の彼は己が求める「新品かつセクシャル機能搭載」のボーカライドを張り出している店へと急ぐ事だけを考えていた。


 雑居ビルの二階へと続く細い階段を、怪しい看板で案内している。

 だがその階段は、シャッターが半分ほど降りているいわゆる怪しい店だ。

 

 看板には「中古ボーカライドショップ・ぴっくぴく」という屋号と、幾つかの商品名と価格だけが書かれている。

 オタクに媚びるイラストや煽り文など、そういった愛想は何も無い。

 奇妙なストイックさを感じる。

 あるいは、単にオタクを食い物にしたいヤクザのシノギかは判断の分かれる所であろう。


 シャッターをくぐり、階段を登る。突き当たった壁には申し訳程度に古いボーカライドのポスターが貼られており、その絵の指先が示す方向には薄汚れたガラスのドアが「営業中」という札と共に坂本を招いていた。


 ツバを飲み込む。

 

 大丈夫、今日は現金しか持っていない。

 もし身ぐるみ剥がされても身分証や通帳などは無い。

 写メに学生手帳ごと写されて「おい、たまに呼び出すからケツ洗ってすぐ来いよ」とか脅される危険は避けられるはずだ。


 ガラスドアを押し開ける。

 丁番の軋む音。


「いらっしゃーい」


 わずかに甲高い、だが中年の少し酒焼けした声。

 その疲れながらも気持ちハツラツとさせている雰囲気は、坂本に聞き覚えがあった。


 あ、これ、オタクが無理にリア充を演じている時の声だ。


「どもー。表の看板に新品ボカラがあるって見たんすけど」


 途端、彼の中の不安は仲間意識へと変貌した。

 野生の獣が森の奥で感じた気配に怯えて声を上げれば、そこから同種の声が返って来た時のシンパシー。


「んんっ。ありますよー、ええ。彼女でしょ?」


 店員は、ボカラ雑誌やアルバムが満載のカウンターから身を乗り出し、店の奥にあるUFOキャッチャーを指差した。

 その中には、幾つもの小さな卓球の玉と、九つに区切られた丸い窪み。

 そして片羽だけのクレーン。


「卓球をすくって、丸い窪みを全部埋められたら……」


 と説明し、UFOキャッチャーの隣を指差す。


 太古の森に宿り、幾万もの獣の命を癒してきた深い翠緑の湧水。

 その神秘性を纏う艶やかな二房の、足首まである長髪。

 ツインテールと横文字を使う事すら忌みにされる神々しさで、彼女はその薄い唇を自愛の象徴として柔らかい笑みに綻ばせている。

 目立たない鼻の高さは人あらざる整いを見せていた。

 わずかに釣り上がる閉じられた瞼は、それでもなおエメラルドの鉱石として輝く事を思わせる。

 

 その瞳が持つ彼女の意思が如何に気高くかつ自由自在に世界を求めているか、彼女の白くきめ細やかな瞼の肌一枚では隠しようもない。


「ボーカライド三輝星にして極。神音かみねシクです」

「一回、幾ら…  いや、いい。これを預かってくれ」


 財布を丁寧に取り出して、店員のテーブルへと捧げる。

 店員は目を瞑って頷くと、何も言わずに手元のパソコンを操作した。

 ピーっという音が鳴って、UFOキャッチャーがフリープレイ表示となった。

 

「俺は、資本主義という今の時代に感謝する」


 ふらふらとした足取りで、坂本は操作盤へと辿り着いた。


「人の価値も、命の価値も、物の価値も全てが金で解決する。資本主義という名の神は素晴らしい」


 ファースト・ラウンド。


「そんな資本主義の神を、俺は凌駕する」


 レディ。


「俺は、今、この子の為にチンケな神の条理に逆らう。生きて、戦って、死ぬ!」


「お客さん、どうか! どうかお名前を!」


 神々しい神を拝むかの如く、店員が坂本に縋り付いた。


「俺は坂本! 神を倒す男だっ!」


 オン・ユア・マークス。



 * * *



 一週間。

 常連となった坂本は、今日も今日とてUFOキャッチャーに明け暮れていた。


「坂本ちゃーん、晩飯は何が良い? 奢るよ~ん」

「ヒュー! さっすが店長、話がわかる! じゃあドレミノ・ピザのシーフードミックスで」

「あいよー。生地は分厚いのにするからな。食べ応えあってお得に感じるんだ」


 最初に会った店員が、ここの店長である事を初日に知って、それからはボーカライドの話でどんどんと打ち解けていった。


 店長は「ボカラ・ガチ勢」であり、彼女たちをアイドルとして認識し、その歌や踊りを芸術として評価する人々だった。

 だが健全な描写のみを信仰するのではなく、彼はオタクカルチャーとしての性的な見方も許容する、そういった楽しければ何でもありな人間だ。


 どんな層とも付き合えるからこそ、こういうボーカライド専門の中古ショップ店を開けるのだろう。

 この一週間で坂本の知る限り、他にも常連客は決して多く無いが、帰省シーズンなので半分開店休業中の雰囲気らしい。


 今日も朝から二人だけである。


「まーしかし頑張るねぇ、坂本ちゃん。初日から言ってるけど、それ客寄せパンダのつもりだし、まず揃わないよ。フリープレイだから、お金も取ってないし」


 坂本の前には、九つ空いた窪みの二つが埋まっていた。

 一週間掛かって、ようやくそこまで塞いだのだ。


 卓球の玉をクレーンですくおうとすると、平たいフォークの先から簡単にコロコロと落ちてしまう。

 だがフォークが止まる振動と玉の転がる方向が逆を向いた時、僅かに玉がフォークの上で維持される。

 その維持されている奇蹟の瞬間に窪みへと運ばれて、いずれかの空いている穴に入れば良い、という訳だ。


 はっきり言って神業である。


 それでも朝から晩まで遊べば、三日で玉をすくうコツは掴めた。

 しかし落ちる位置は、完全にカオス理論で制御される。

 つまり運次第だ。

 

 更に穴が埋まれば埋まる程、外れる可能性は高くなる。

 九つ埋めるなど、もはや奇跡の域であった。


「何回も確認したっすよ。あの子を頂いていくってね」


 一時間に一回は卓球の玉を窪みの上へと運べるようになった坂本。

 その表情は激しい疲労で青ざめているが、神経細胞は彼の暴力的な性欲で制御されている。

 絶対に俺の嫁にする、絶対に。


 夜戦的な意味で!


「俺の絶対の意思が奇跡を呼ぶ。これはもう魔法だ」

「どす黒い力でエントロピーは凌駕してるね」


 店長が出前を注文しつつ、やれやれと坂本を見つめた。


「でもほんと、セクシャル機能で頑張れる若さが羨ましいよ」


 そう言って店長は、カウンターに積み上がる雑誌から一冊を取り出す。

 シク・パックと書かれた雑誌の表紙は半分ほど破れ、手垢でヨレヨレとなりながらも、まだまだ新しい読み痕が幾つも刻まれている。

 それだけ何度も何度も読み直されては、この雑誌の読者に深い感動を与えている。

 

 CDアルバムという古いアンティークなアイテムも、店長は好んで収集していた。

 それをプレイヤーで聴くと、無料やオンラインで垂れ流される音を聴くだけでは無く、ボーカライド音楽の瞬間的な断面に触れるかのような気分となれるからだ。

 

 ちなみに店長の座る椅子は、半裸の神音シク・クッションが敷かれていた。

 

「言っとくけどセクシャルがダメって意味じゃないよ。エロを否定なんてしない。どんな形であれボカラに触れる機会が増え

れば、そこにある音楽や文化と接して共感を得られるからね」

「店長は真面目だな。そりゃ俺だって聴き込んでる方だけど、やっぱりキャラとしてのラインを超えた事は無いかな」


 好きな作品のキャラクターだから、好き。

 坂本は単純にそう考えているし、その延長上でボーカライドという最高の嫁が手に入るならば、それは至福の時間を味わえるだろう。

 

「誰だって初めは無知だよ。何かを知る切っ掛けにエロはダメだ、歌だけだ何だと手段にキレイ事を選ばせる余裕があるのは

『本当は興味を持っていない人間』くらいなもんだ」


 シクパックを積み直し、その束となった背表紙やCDアルバムを指でツツツっと滑らす。

 ああ、この手触りすらも愛おしい。

 死ぬまでこの文化に寄り添っていたい。


「無責任な言葉で『もっと他の手段があるんじゃないの?』と可能性を広げるだけ広げて収縮させない。醒めた理屈だけが先

走っていく。その点、坂本ちゃんはクレイジー過ぎる程に余裕が無いからね、見ていて微笑ましいよ」


 褒められているのかバカにされているのか。

 そういった区別は無用だと、坂本は判断した。

 UFOキャッチャーから視線を外して、店長の方へと肩越しに横顔を向ける。

 

「だってキャッキャウフフできるんだぜ? そりゃ 余裕なんて無いだろ! ベルト外してフル・フロンタル待機! パンツだって食っちまうよ!」

「漫画じゃないんだから食ったら窒息するって」

「奇跡もパンツもあるんだよ」

「命は無いがな」


 店頭から「ドレミノ・ピザでーす」と声が掛けられて、店長が応対に行く。

 昼を回り、流石に集中力が危なくなってきた坂本が目元を指で揉んだ。

 

「今後一生涯、もう二度と手に入るか否か。その狭間に居るって自覚してて努力しない程に、俺は大人しくないんだよ」


 不退転の覚悟は、定期的な補給を持って完遂に至る。

 無理を続けても倒れるだけ、それを自覚しているからこそ、彼は操作パネルから手をカチッと離した。


 その最後の一押し。


 カコッという隙間に物がハマる音。

 それを耳にした坂本が、ざわつく気配で背筋を寒くさせながら振り向く。


「おっ、おおおおおおっ! 三つ目きたぁああああ!」


 卓球の玉が、しっかりと窪みに入り込んでいた。

 その絶叫は店長の耳にも当然ながら入る。

 彼は精も根も尽き果てた老婆の如き、そんな驚愕の表情を浮かべた


「やったのか! 新一!」

「あの、俺、坂本だけど」


 ピザをカウンターに置きつつ、店長がUFOキャッチャーへと駆け寄る。

 そこには窪みを埋める三つの玉。

 思わず悲鳴すら零して、店長は我が事のように喜んでみせた。


「やるじゃねぇか、坂本! ここまでやる奴が出るとは」

「褒めろ褒めろ。この坂本をもっと褒め育ててくれ」


「ははー! もうとてもキモオタとは呼べんわっ」

「あの、俺、客だけど」


 とはいえ、まだ六つの隙間が残っている。これらを埋めない限りは、神音シクを手にする事は出来ない。


「ま、とりあえず一服します。ピザは熱い内に食え」


 そう言ってUFOキャッチャーから離れる坂本だったが、店長はオタクが考え事をする定番の腕組みポーズで立ち尽くしていた。

 何度か神音シクと坂本の顔を視線が行き来する。


「店長、どうしたの?」

「坂本ちゃん。マジで神音シク、欲しいんだよね?」


 それはいつもの剽軽な声とは違い、固く静かな響きを持つ鉄のような響きだった。

 一瞬、何を言われたか理解できなかったが、口だけはなんとなくの返しをする。

 友人にする気易い気持ちだ。


「そりゃまあ欲しいから、貴重な休みを潰して来てる訳で」

「分かった。本気なら、俺だって本気で付き合おう」


 店長は小走りで店のバックヤードに入ると、一杯のコップに入ったホットコーヒーを手にして戻ってきた。


「基本フリープレイの客寄せパンダ。だけどな、そこまで頑張られちまったら、遊びで済ます訳には行かないな」


 そう言って、真面目な顔でコーヒーを坂本に手渡す。


「なんだなんだ。あんまりマジレスされるとビビんだけどさ」


 やや引いた感触で言葉を交わそうとするも、店長はあまり表情を変えはしなかった。


「まぁ飲めってんなら貰うけど、変な物とか入ってないだろうね。はっはっは」


 坂本が、コーヒーカップに口をつける。



 * * *



 真っ白の四角い空間。

 六畳ほどの部屋に、坂本は一人で居た。


「うぉおおおおおい! なんじゃこりゃあああ!」


 その坂本の悲痛な叫びに答える者は、誰も居ない。

執筆当時、毎月の如く彼らのプライズが出まくりました。

嬉しい悲鳴を上げながら、ゲーセンの貯金箱に投資しまくったものです。(白目)

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