3 東西両フランク王国の情勢 ~~諸勢力の相克~~
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そのころ、ロゴの封臣であるザイルは、東フランク王国の戦好きシギベルト王の居館を訪れていた。ザイルの父は西フランク王キルペリクの重臣であったが、フランクの有力な家の出であり、東フランク王にも伝手があった。また、先王クロタールの従士頭であったロゴの名前は、どのフランクに対しても通用する力がある。したがって、ザイルはシギベルト王に謁見が許されている。
「さて、ロゴ殿の使者ザイル殿よ。ご覧のとおり王は既に西フランクとの戦争を決意されているところだ。そこで敵方である東フランク王キルペリクの封臣であるロゴ殿が、シギベルト王に如何なるご用件がおありというのか、ご説明頂こうか。」
宮宰ゴデギセルスが促した。
ザイルは書状を取り出して宮宰に渡した。ガーリナが書いたものだが、正式なラテン語で書かれた抗議文である。
「詳細は本書状に示されておりますが、ポワティエ大公グンドヴァルドゥスが、我が主君ロゴの領地に不法に侵入し、更には、グンドヴァルドゥスの末子レイズは、ロゴの封臣でありながら、自らの主君ロゴの家宰を傷つけ、敵にロゴの来襲を内報し、更には主君の直轄の村を襲撃して焼き払いました。」更に続ける。
「これらの行為は、シギベルト王がキルペリク王への戦争を宣言される前になされたものであり、戦争行為ではなく、単なる犯罪です。そこで、ロゴは封臣レイズに対しては反逆者、謀叛人、裏切者としてその封土を没収し、ガリア全土の有力者に対し回状を配り指名手配しております。」
「なんと。」
封臣による反逆はフランクの価値観に照らしても、ガロ・ローマ人の価値観によっても醜行である。時期的に言っても、シギベルトの戦争の命令に従ってなされたものでないことは明らかであり、そういう意味でも正当化できない。
「いかに戦争が始まったとはいえ、このような暴挙にシギベルト王が関わっておいででないことは明らかであります。すなわち、これは完全なまでに犯罪です。我が主君ロゴとしては、シギベルト王の臣下であるポワティエ大公グンドヴァルドゥスをしかるべく処罰されることを要求致します。」
そのように言葉を結んでザイルは宮宰が書状を読み終わるのを待った。宮宰は、それを読み終えてシギベルト王に渡す。
「内容としては、ザイル殿の申されるとおり。近隣の名誉ある貴人らの証言も得られているとあります。更に、レイズの家臣の証言も得たとあります。」
「ふむ。」
シギベルト王は、受け取って読み始めた。
(言い分としてはもっともだが、時期が悪いな。)
ザイルは思った。まさに戦争が始まっているのである。そのような時期に敵方の領主の使節がのこのこやってきて裁きを求めているのである。有利な裁定は望むべくもない。
ブルンヒルドが口を挟んだ。
「ポワティエ大公グンドヴァルドゥス様は、そのような卑怯な真似をなさる方ではありませぬ。立派なお方です。」
グンドヴァルドゥスは、ブルンヒルドに贈り物や手紙をしょっちゅう送っているから、印象が良いのだ。
「王よ。今は戦争中のこと、グンドヴァルドゥスに対して裁定をなさるお手間はありますまい。我が主君ロゴも、もし必要であれば、王の御前にて事実関係を証言する用意が出来ていますし、グンドヴァルドゥスの前であっても、それは同じこと。この戦争が終わってから、正邪を明らかにして頂ければそれで結構でございます。」
ザイルは譲歩した。この状況下で無理押しすると、却って不利な結論が出されてしまうだろう。
ブルンヒルドが更に介入する。
「そのような延期の必要はございませんわ! これは敵の悪質な攪乱でございます!」
ザイルが激昂して怒鳴りつけた。
「そこの女! 我が主君を嘘吐きと申すか!! ロゴは先王クロタールにお仕えし、一度たりとも人を裏切ったりしたことはないわ!! そもそもこれは国事、シギベルト王がお考えを述べられる前に女が口出しすべきことではないわ!! 女は部屋で糸でも紡いでおればよいのだ。」
ブルンヒルドは顔色をさっと変えて黙ってしまった。宮宰は、内心、(もっと言ってやれ)と思ったが、表情には出さない。
「王よ、したがって、ロゴはすぐに裁定がなされることまでは望んでおりません。この状況下においては、正義を度外視して介入しようとされる方もおられることですから。ただ、封臣レイズについては手配にご協力お願い致します。」
「む。」シギベルト王は考え込んだ。
シギベルト王も正義感は強いし、フランク人の長の一人として、レイズの行為を許すつもりはない。
「それについては承知した。また、ポワティエ大公についても、戦争が終わり次第正邪を明らかにする。」
はっきりと約束した。
「なお、我が主君ロゴは、報復のため現在ポワティエ周辺に出陣しております。ポワティエ大公なる者が、ある人が述べるとおりの立派な男であれば、勇猛果敢に城外に打って出て、今頃はロゴの手に掛かっておりますでしょう。」
ザイルは言い放った。
この当時、既に騎士道精神的な気風が既に醸成され始めていた。したがって、こういうことは正々堂々と述べる方が印象が良かったのだ。また、ザイルの親族がシギベルト王に仕えていることも有利した。
「ふむ。立派な口上、予は感服致したぞ。ロゴ殿とは、そしてザイル殿、貴殿とも、いずれ戦場でお会いすることとなろう。」
シギベルト王もにこやかに笑ってザイルの発言に応じ、会見は無事に終了した。ザイルは一礼して退出した。
謁見の間の扉が開いて、一人の男が入って来た。
「シギベルト王様、グントラムただいま帰着致しました。」
曲者・グントラムが帰って来たのだ。
「おお、グントラム、首尾は如何であったか。」
シギベルト王が尋ねた。あまり気乗りしない様子ではある。やはりフランク共通の敵と考えると抵抗があるのだ。ブルンヒルドに頼まれてやむなく参戦を依頼したに過ぎない。
「は、このグントラム、無事に務めを果たし、ブリトン王国の両国王は西フランク王国に攻め入ること承知なされました。」
曲者・グントラムは誇らしげに答えた。
「そうか、それは良かった。」シギベルト王は躊躇いながら成功を祝した。宮宰ゴデギセルスは苦い顔をしているが、王妃ブルンヒルドはにこやかに笑いかけた。
「そうですか。ご苦労様です、グントラム殿。ブリトン王国も話は通じるのですね。」
グントラムは顔をしかめた。
「一応話は通じましたが、いやはや、奴らはとんでもない野蛮人ですな。国境地帯から王の都に至るまで、1里ごとにフランク人の首を木からぶら下げておりました。」
ブリトン王国のうちケルト人はブリテン島からサクソン人に追い出されて来たから、ゲルマン人に対する敵愾心が強いのだ。
「私の部下も両王の面前で全員斬首されました。その首は、彼らの主立った家臣に一つずつ下げ渡され、家臣らの家の門前に仰向けになるように埋められました。顔が地表に出るように埋められたのです。そうすれば、家臣らとその家族は家を出るとき、そして入るときにフランクの顔を踏みつけることができるという理由です。私はオーヴェルニュ大公であるということと、シギベルト王の使節であるということ、シギベルト王の贈り物に私財を追加していたことで、なんとか命だけは助かったものです。」
聞きしに勝る野蛮さに、王と側近は気が遠くなりそうだった。もっとも使節の目的は達せられたのであるから、それはそれでよしとするべきであろう。
「そうか、辛い役目を負わせてしまったようだな。グントラムよ、この使いでそなたが受けた被害は、褒賞も加え充分に報いよう。」
シギベルトは重々しく言った。
曲者は、
(よし。私財を追加したと言っておいて良かった!)と思った。
実際には、私財を追加したのではなく、逆に王の贈り物を私財に組み込んだのだが、もちろんそのことはいわない。いずれにせよ、証拠はどこにもないのだ。
「は、ありがとうございます。我が股肱の臣らが無惨にも殺されたことを思うと喜べませんが、それでも王に奉仕するのは、我が喜びでございます。」と答えた。
戦雲は近づいてきている。
○ ○ ○ ○ ○
そのころ、ソワソンでは。
キルペリク王は狼狽していた。
「シギベルト兄とグントラム兄が同盟を結んだということではないか。これはまずい、まずいぞ。」
この時期、キルペリク王の宮宰は空席となっていた。側近としては、国璽尚書のアンソヴァルドゥスが筆頭株となる。ちなみに、ロゴの封臣、ザイルは、このアンソヴァルドゥスの三男という関係になる。
キルペリク王は、この時期、ソワソンに滞在していた。東フランク王国との国境が近い。
アンソヴァルドゥスが答えた。
「ポワティエ大公が既に攻め込んで来たそうです。撃退したという報告がロゴ殿から。」
書状を王に手渡した。
「そうか。それでは、そちらの戦線は大丈夫そうだな。」
「一方で、グントラム王は、エウニウス・ムモルス殿を総司令官に任命されたとの情報が入っております。」
「うぅ。」キルペリク王は玉座に座り込んだ。頭を抱える。
エウニウス・ムモルスは名将として評判が高い。高いというよりは、この時代のガリアでは唯一大軍を指揮する能力があるとみなされていた。他の将軍は引率するだけなのである。
「これはいかんな。」
「はっ。」
国璽尚書は、(ガルスウィンドを殺すからこういうことになるのだ。)と思いながら答えた。王妃を夜間絞殺するなど、その後どうなるか考えれば分かるだろうというものだ。
もっとも、そもそも国璽尚書としては、西ゴート王の王女という何の外交的価値もない女のために南仏の諸都市を譲渡してしまったこと自体がもったいないと考えていたから、結果として諸都市が返ってくることは良いことだと思っている。しかし、戦争となると別だ。これは勝てない可能性が高い。シギベルト王は勇将である。グントラム王は別に戦上手でもなんでもないが、ムモルスが出てくるのであれば話は別だ。西フランク王国は、とてもかなわないだろう。
「グントラム兄王に使いせよ。金銀財宝を持って行き交渉するのだ。裁きに応じるゆえ、中立的立場から交渉を呼びかけて欲しいと。」
「はて、それに応じますかな。」
「内々の交渉であれば応じてくれるはず。表だってやるとシギベルト兄が横やりを入れてくる。グントラム兄が長兄の立場でそうすると判断したのなら、シギベルト兄も文句は言うまい。」
戦う前から負けてしまった。悔しい。しかし、今はとにかく窮地を逃れることだけを考えるしかないだろう。いつの日か、これから失うこととなるものを取り戻せばそれで良い。
○ ○ ○ ○ ○
ヒューゴは部屋の片づけを終え、大司教の執務室のドアを開けた。
「おや、お前か。ドアを開ける前にはノックをするべきではないのか。」
グレゴリウスが座って何かを読んでいた。どうせ、「L・・・伯爵夫人のいけない大冒険」とか、そういうものだろう。
「ノックは、ウィンパクスとの間の決まりごとさ。俺自身は守るつもりはない。」
ヒューゴは取り合わなかった。
「で、このような夜中に何用じゃな?」
「この修道院を離れることにした。」
ヒューゴは軽く告げた。
「なんと! お前はまだ3歳ではないか。どこに行くのかね。」
グレゴリウスが心配そうに聞いた。もっともグレゴリウスが心配しているのは、自分のことだろう。急にグレゴリウスの治療が効果を現し始めてトゥールの町でも評判になっている。最近はお呼びがかかることも多い。これで今後は治療の効果がでなくなったら評判はがた落ちだ。しばらく病気で寝た振りをして、その後は力を失ったとか、何か説明を考えなければならないだろう。
(そうだ、私などには過ぎたる力、と言って神にお返ししたとでも言っておこう。それでなんとか誤魔化せるだろう。)
グレゴリウスは考えを巡らせた。
「まあちょっとね。それで約束のものを貰いに来た。」ヒューゴは手を出した。
それが取引の内容となっていたのだ。治療に協力すること、グレゴリウスが治療をしている振りをしていることについては口を噤むこと、その代わりヒューゴが修道院を離れるときには自由に離れさせること、そしてそのときにはヒューゴが逃亡した使用人ではないこと、自由人であることをグレゴリウスが書面で証明することが条件だった。
「思ったよりも早かったな。」
グレゴリウスがこぼした。かなりの金を稼ぐことができたし、自分の名声も高まった。それが終わってしまうのだ。
「まあ、この修道院は腐っているからな。そろそろ自分の身体が悪徳に染まって臭くなってきたところだ。もう少し綺麗な水の流れる川に棲むことにしたのさ。」
ヒューゴがさらっと言った。
ヒューゴとしては、大司教の書庫に無用に積み上げられた蔵書を読み終わったのだから、ここに残っている必要はない。他に学ぶべきことはたくさんあるのだ。
「お前はいつも高みを見ているのじゃな。世の中は綺麗事だけでは済まぬのだぞ。ヒューゴよ、私とお前とは色々あったが、お前が神の子羊であることには違いはない。お前の行く末に幸あらんことを。」
グレゴリウスが手元の羊皮紙に何か書きつけながら言った。
「おっさん、はじめてまともなことを言ったな。」
書類を受け取ったヒューゴは、そう言い捨てて執務室を出た。特に誰にも挨拶することなく修道院の門を通り抜けた。
修道院の外は、いつもと変わらぬ街の賑わいを見せていた。
「自由、か。」ヒューゴは呟いた。
ご一読ありがとうございました!煉瓦の接着は漆喰を使うのだと、教えて頂きました。ありがとうございます。そうですね、漆喰ですね。もちろん小説上は、書かれていないだけで、誰か知っている人が適切に処理したことになっています。