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28 グレゴリウス ~~ガリアで最も尊敬された男~~

少し短い目ですが、本日分です。

結局、庶兄のシアンとは顔を合わせる暇がなかった。光秀改めヒューゴと急ぎで話をした後、かなり遅い時間になってしまったので、客人房に戻って寝たのだった。


そろそろ冬が近い。修道院の夜は、特に病人がいるときでなければ薪を使わないから寒さが辛い。テウデリクたちは、子供連れで、しかも客人であるから、多い目に毛布を与えられた。そこで大きな寝台に全員が固まって、温め合いながら寝たのだった。

なお、当時は雑魚寝が普通で、家族などは全員で一つの寝台を使うのが一般的であった。


そういうわけで、目が覚めたときは、身体が強ばっていた。幼女も辛そうに目をこすっている。修道院の食堂で朝食を頂き、客人房に戻って呼び出しを待った。


しばらくすると使いの僧がやってきたので、テウデリクとゴームルは客人房を出て僧の案内に従って歩き出した。


「そういえば」テウデリクが思い出して言った。

「爺は、結婚はせぬのか。」


当たり前すぎて気が付かなかった。ゴームルは60近いから、なんとなく枯れている印象があったということもあるが、全く女の影がない。今は定期市だので金が入ってきている。なんならトゥールで適当に身の回りの世話をする女を見繕って帰ってもいいかもしれない。


「クロタール王の従士をしていた頃ですかな、結婚したのですよ。」

ゴームルは苦い顔をして話し始めた。


「従士というのは、王の移動について回るのが仕事ですからな。あちこち動いているうちに、いつの間にかおらんようになった。」


流石の暗黒時代である。そういう落し物もあるのだろう。


「そうか。」


「1歳になる娘がおりましてな。俺なりに可愛がっていたんですが、それきりですがな。最近見ないなと思っていたのですが、あるとき、もういないことに気が付きました。」


逃げたのか攫われたか、それとも移動中に死んだのだろうか。


「悪いことを聞いたな。」


「いやいや、それでも俺は今は楽しいです。ユーローもいますしな。」

いきなりユーローの名前が出た。

「ユーローがどうかしたのか。」

「あいつは手先が器用だし、俺よりもずっと深く物事を考える。木工工作の天才とも言っていい人間です。一緒になって、仕組みやら構造やらを考えていると本当に楽しい。子供みたいな、いや孫かな、とにかくユーローは俺にとっては大事な家族だと勝手に思っております。いや、もちろんテウ様たちも俺のことを家族同然に考えて下さっていると、俺は思っている。でも、ユーローは、なんだか、可愛いのです。」


そういって、ゴームルは穏やかに笑った。


「そうか。それは良いことだ。しかしどうだ、トゥールの町には女も多い。食い詰めている若い女もいるだろう。衣食住を保証するといえばついてくる女もいると思う。父者と相談しておけばよかったのだが、これくらいは僕が独断で決めてもよかろうと思っている。ここで傍仕えの女を探してみるか。」


テウデリクは優しく言った。ゴームルは家宰として良くやってくれている。しかし片足の身で、しかも高齢だから、そういう女を身の回りに置いて、少しは生活に華やぎを持たせてもいいように思った。


「はっはっは、テウ様は大人のような気遣いをしますな。ありがとうございます。考えてみますかな。女か。女。若い女を貰って、それが従士に色目を使っただとかでやきもきするのも、それも悪くないかもな・・・。」


修道院でするには、若干不適切な話題ではあったが、なんとなくしんみりとして歩いているうちに、修道院の奥まで来た。


「ゴームル様には、ここでお待ち願います。」

案内の僧が言った。


「ん? そうなのか。」

ゴームルは不思議そうに言って、木の長椅子に腰かけようとした。


庶兄のシアンは、「グレゴリウスは、テウデリクとゴームルに会いたいと言っている。」と伝えてきたはずだ。

今日もテウデリクとゴームルが案内されてきている。

それなのに、ゴームルにここで待っていろとはどういうことなのだろうか。


「なぜゴームルを待たせるのだ。」

テウデリクが詰問した。


「いえ、それは拙僧には分かりかねます。ただ、上の者がそう申しましたので。」


「上とは、グレゴリウス大司教様か。」


「いえ、そういうわけでは。」


「では構わん、僕たちは大司教様に呼ばれてトゥールに立ち寄っている。ゴームルだけ待たせる必要はあるまい。」


そういってテウデリクはゴームルに立ち上がるように促したが、ゴームルは、


「いやいや、テウ様、俺は不信心者で、大司教様なんかとお会いしても何を話していいか分かりませんよ。おそらく何かの手違いで俺の名前も出ただけでしょう。ここで休みながらお話が終わるのを待っていますよ。」

と言って立とうとしなかった。


「そうか。」

テウデリクは諦めて一人で歩き出した。


(しかし無礼だな。呼び出しておいて、一人はここで待てという。それも片足がなく、歩くだけでも辛いことは向こうも知っているはずだ。)

不満はあるが、相手は高位の聖職者だ。とりあえず無難にやり過ごそうと考えてながら、テウデリクは大司教の執務室に入った。


・・・


グレゴリウスは、オーヴェルニュの大貴族の家柄の出身である。トゥールの大司教の地位には、伝統的にグレゴリウスの一族が就任することになっていた。この時代に珍しく博識で、教会法や儀式典礼に通じており、また神聖魔法の研究をしているとも言われていた。ガリア随一の知識人であり、敬虔かつ信仰堅固な宗教家としても、厚く尊敬されている人物である。


評判のとおり、グレゴリウスは質素な僧衣を着ており、飾り気のない机で書き物をしていた。テウデリクが入室するのを見て柔和に笑う。


「これは、ロゴ殿のご子息、テウデリク殿ですな。貴殿に神の祝福のあらんことを。」


テウデリクは腰を屈めて挨拶した。


「大司教様、お目に掛かれまして光栄です。ロゴの息子、テウデリクでございます。」


・・・


グレゴリウスがなぜテウデリクに会いたいと言ってよこしたのかは、結局全く分からなかった。無難な天候の話から始まり、トゥールの町はどうだったか、人が多くでびっくりしたのではないかとか、好きな食べ物は何かなど、つまらない話が延々と続いたので、テウデリクは少しずつ苛々してきた。いや、少しずつではなく、天候の話が始まった段階で切れそうになっていたのだが、そこは必死に自分を押さえていたのだ。


もっとも、退屈しているとか、苛々しているとか、そういう素振りを見せるわけにもいかない。また、うっかり妙な受け応えをして、下手な言質を取られるわけにもいかない。庶兄シアンに迷惑をかけることにもなるし、政治的問題になったら領主である父ロゴにも波及してしまう。

そういうわけで、緊張しつつも実りのない話に耐えつつ、最後に、グレゴリウスが、


「おや、ついつい楽しく話し込んでしまいましたな。また機会があればお会いしましょう。」

と言って話を打ち切ったときは、テウデリクもかなりほっとしたものだった。


・・・


(阿呆だな、あれは。中身が空っぽではないか。教養はあるのだろうが、あれでは生産性がない。)

信長としては、最も嫌いな人種だ。今はテウデリクとして、大いに迷惑した。こんなことで時間を潰したくはなかったのだ。もっとも、ここに呼ばれたお蔭でヒューゴと出会うことができた。それだけは成果として考えてよいだろう。


(あとはシアン庶兄に挨拶して雑草が丘に帰ろう。)

やるべきことはたくさんある。山積みになっているのだ。資金と配下を得た今、一気にロゴの所領全土を大改造したいのだ。


「ゴームル、どこだ?」

さっきゴームルが座っていた木の長椅子には誰も座っていなかった。

(先に帰ったのだろうか。それなら案内の僧が一言伝えてくれてもいいものを。)

この修道院は、どういう規律に服しているのだろうか。ホウレンソウ、すなわち報告連絡相談がない組織が、テウデリクは嫌いだった。


仕方なく客人房に帰ったのだが、ジャケ、幼女、二人の従者がいるのみで、ゴームルはいなかった。


「ジャケ、ゴームルは帰っていないのか。」

「テウデリク様とご一緒じゃなかったのですか?」ジャケが聞き返した。

質問に質問で答えるのも嫌いだが、それよりはゴームルの件が先だ。


「ジャケ、ゴームルを探してきてくれ。大司教の執務室前で待たされていたのだが、僕が大司教と話を終えて出てきたらいなくなっていたのだ。」


「ほう、分かりました。」

そういってジャケが客人房を出ていこうとするのを、テウデリクは呼び止めた。


「いや、待った!」

ジャケが扉に手を掛けたまま不審そうに振り向いた。


(何かおかしい。ここは用心する必要があるかもしれぬ。)


そう考えて、テウデリクは荷物の袋を開き、ジャケの剣を取り出した。


従者たちの一人に、兄のシアンを探して至急連れてくるように、そしてもう一人には、修道院の事務方にゴームルの所在の確認を依頼し、修道院の中を探して回るように指示した。


そして、ジャケに剣を渡し、

「ジャケ、今回の呼び出しは、そもそも何かおかしかった。ここに残って僕を守れ。」と命じた。


ジャケも、言われて初めて不穏な状況に気付いたらしく、

「はっ、そうですな。そういえば何か全体的におかしかった。」

と言って、剣を腰に付けた。テウデリクも急いで短刀スクラマサクス片手斧フランキスカを腰の左右に着ける。


「お前は部屋の奥に座って待っていろ。」幼女に指示した。


(やられたかもしれぬ。)

姿の見えぬ敵はゴームルを狙っていたのだろうか。ゴームルに対して何か恨みがあったのかもしれない。しかし、それならこのように手の込んだことはしないとも思われる。いや、ジャケから引き離す手段としては合理的かもしれない。

もちろん他の事情があるのかもしれない。狙いはロゴに対する牽制かもしれないのだ。


とりあえずロゴの息子であるシアンとテウデリクの安全を確保するのが最優先だ。


(グレゴリウスが糸を引いているのだろうか。しかしそれにしては今回はグレゴリウスが前面に出すぎている。そうするとグレゴリウスは、陽動でしかなく、利用されただけか、何者かの思惑を知っていながら、素知らぬ振りをして動いたのか。または、グレゴリウス自身も何らかの陰謀に加わっているのかもしれぬ。)

思えば、トゥールの大司教たるものが、テウデリクと天気の話をするためにわざわざ時間を割くとも思えないのだ。


(くそっ、もっと早く異変に気づいておくべきだった。)


従者に連れられて、シアンが駆け込んできた。犬耳が揺れている。


「ゴームル爺さんに手出しをする奴は、十戒に違反するんだぜ。」

少し動揺しているのか、いつもの切れがない。

ご一読ありがとうございました。

明日は、17時に投稿できると思いますが、ひょっとすると夜になるかもしれません。引き続きお楽しみ下さい。

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