3 南蛮人の乳母か?紅毛人か? ~~おっぱいには違いあるまい~~
開いてくださってありがとうございます。しばらくは一日一話ペースで投稿していこうと思っておりますので、お楽しみ頂けましたらうれしいです。
数日たって分かったのだが、僕は赤ちゃんに戻っているみたいだ。
どうして分かったかというと、目がかなり見えるようになったからだ。やけに大きなおっぱいと大きな顔をした乳母だと思っていたのだが、ひょっとして自分が小さくなったのではないだろうかと思いついたのだ。試みに自分の手を見てみたところ、どうしたことだろう。白くて小さなぽっちゃりとした手が動いていたので、びっくりした。
僕の手は、こんなのじゃない。火縄銃を打ち、槍を振るい、手綱を掴み、女を抱き、肉を喰らった手だ。自分の手ながら、なかなか良く働いてくれたものだ。それが、今はどうだ。ぷにぷにしていて、見ているだけで笑ってしまうようなかわいらしさだ。
まずい。まずいぞ。本能寺で明智に襲撃されて一命を取り留めたはいいが、その衝撃で赤ちゃんに戻ってしまったなど、諸大名や家臣らに知られたら、大変な笑いものだ。威信も威厳もあったものではない。舐められた織田家はおしまいかもしれない。毛利やら、上杉やらが、爆笑しながら攻め込んできそうだ。そうか、それで、家臣が乳母を付けて、赤子の態を装って看病させているのだな。なるほど。これは内密にさせなければなるまい。
しかしどういうことだ。なぜか乳母が南蛮人のような感じがする。かなり僕も目が開いてきているので、乳母の顔がぼんやりと見えるのだ。南蛮人ぽい顔だ。しかし、南蛮人そのものとも少し違う。
僕は、南蛮人とたくさん話をしたことがある。単なる興味本位で話していたのではない。彼らの話の内容から、まだ見ぬ国々の秘密を探っていたのだ。そのことから分かるのだが、この乳母は、僕の知らない国の者だ。たまに僕をあやすようなことを言っているが、それは南蛮人の言葉の響きとは全く違う。そうすると、南蛮人と敵対するという、紅毛人であろうか。
とりあえず、彼らの言葉を覚えることにしようと思った。なぜかというと、人は、その時その時に、自分にできることをしておくべきだからだ。
そして身体の自由が利くようになれば、大急ぎで天下を統一し、いま覚えた言葉や知識をもとに、この第三勢力ともいうべき民族を利用して、南蛮諸国を牽制しながら、唐天竺にまで我が名を轟かせよう。
そう考えると、赤ちゃんに戻ったのは、むしろ僥倖かもしれない。僕が成人するまでの間に、家臣どもに日本国を統一させて、それから世界征服ができるではないか。
しかし、不満がある。誰も報告に来ない。光秀がどうなったのか知りたいし、信忠のことも心配だ。家康はおとなしくしているのだろうか。正直、あいつのことは全然信用してない。絶対、何かすごい悪いことを考えていると思う。あいつは、昔、人質として我が父の城にいたが、一緒に遊べるような性格ではなかった。あいつは、誰ともつるまず、いつも供の者を傍に置いて、城の隅で、ごそごそ密談をしていた。あるとき、たまたまそれを耳にしたのだが、織田家の人間について、盛んに悪口を言っていた。
「林は、ケチな男だな。」とか、「信広(僕の庶兄な。)は、女にだらしないが、あんな様子では、とてもじゃないが、城代の器ではないわ。」とか、実に陰険な顔をしてぼそぼそ陰口に熱中していた。
悪口はいい。人質になっているのだから、不満があるのは当然だ。僕が心底驚いたのは、家康は、まだ幼年であったのに、いつも穏やかに笑っていたからだ。誰に対しても丁寧な応対振りであった。誠実な人柄とみえた。そうみえていたのに陰湿な陰口だ。あそこまで裏表の激しい人間はいないだろう。僕は、何かを恐ろしいと感じることはほとんどないのだが、あの子供の人間性だけは、本当に恐ろしいと感じた。うむ。やはり家康は殺しておくべきだ。
「村井、村井を呼べ」
乳母に命じたつもりだが、口から出たのは、
「あうあう、ばっばばー」という声だった。
なんか、赤ちゃんみたいな声がでたので、僕は笑ってしまった。まあ、赤ちゃんなんだけどさ。
「きゃきゃきゃ。」いや、赤ちゃんの笑い声って、癒されるものです。自分の声だけど。
乳母は、完全に乳母としての役割に徹しているらしく、にっこりと微笑んで、
「・・・」というよく分からない言語で、僕をあやしてくれた。
やむを得ぬ。家康を殺すよう命ずるのは、後回しにしよう。
ところで、他にも心配事はある。
柴田とサルは仲良くしてるだろうか。目を離すとすぐに揉めるから困る。
この前など、重臣らを集めて飲み会をしていたのだが、僕が厠に立った隙に、柴田勝家とサルが喧嘩を始めた。帰ってきたら、サルが血相を変えて、
「上様!」
と大絶叫したので、本当にびっくりした。もう一回厠に行こうかと思ったほどだ。
柴田と藤吉郎が、口々に言い分をがなりたてるので、何が問題なのかさっぱり分からなかった。しかも二人とも酔っていて呂律が回らないので、更に分からない。それなのに二人そろって、僕にどちらの言い分が正しいか判断してくれと言ってきた。
どうしてあいつらは、協調するということができないのだろう。仲良しで狎れ合ったりされても困るのだが、ここまで揉めるのも非常に困る。
僕が赤ちゃんになっている間、重臣たちが、きちんとすべきことをしているのか、ものすごく心配だ。僕が重視しているのは、協調と競争だ。いがみ合うことではない。お互いが足を引っ張り合っていると、敵に付け込まれて、あっという間に崩壊する。そのあたり、ものすごく心配だ。
それなのに誰も報告に来ない。
ともあれ、今は、この紅毛人と推測される乳母が喋るのを、良く聞いておくことにしようと思った。
なにしろ赤ちゃんに戻っているものだから、おっぱいを飲むのも、もう抵抗がない。乳母は、何かと僕に話しかけてくる。それに乳母のところに来る人間も紅毛人らしき者ばかりだ。それと喋っている声もするので、聴き取りの練習はばっちりだ。
しかし、意味の分からない言葉を延々と聴かされるのは、結構辛いものがある。赤ちゃんの僕は、それを子守唄にして、また眠ってしまったようだ。
ご一読ありがとうございました。