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怒りのグロリオサ

 扉が開くのを今か今かと待ち受けていたアイビーは、やっと姿を現したヴィーに駆け寄った。


「ああ、ヴィー! 遅いじゃない、何をのん気にしてるのよ。ねじれヨモギがなくなりそうなの。明日急ぎの仕事が入っているし、今すぐ採ってきて!」

「はあ? なに急に偉そうに……」

「いいから!」


 あからさまに嫌そうな顔をしたヴィーの口から文句が出る前に、アイビーは彼の腕をつかんで引き寄せ、その耳にぐっと顔を近づけてささやく。


「お願いだから今だけは言うことを聞いて。ちょっとは使い魔らしいところを見せてよ! そのかわり、今日はいっぱいごちそう作るし、デザートも付ける! 何でも言うこと聞くから。ね、ね? お願い」

「わかったから離れて」


 耳にかかる息がくすぐったいのか、ヴィーは身をよじってアイビーの腕を少し乱暴に振りほどいて出て行ってしまった。珍しくヴィーが文句を言わず――後でそれなりの対価を支払わなければいけないにせよ――、自分の言葉に従ったことにアイビーはすっかり気を良くする。


「ほら! 今の見たでしょペピーナ。わたしはちゃんと……ってあれ?」


 振り返った先にペピーナの姿はない。


「お姉さま、しっかりなさって!」


 ヴィーが開け放った部屋の向こうで、美しい顔を苦悶にゆがめ荒い呼吸を繰り返すグロリオサと、その周りを泣き出しそうな顔で飛び回っているペピーナ。


「え、お師さま大丈夫ですか!?」


 アイビーも慌てて駆け寄ろうと部屋に足を踏み入れたちょうどその時、グロリオサがゆらりと立ち上がった。

 

「……るせませんわ……」

「お姉さま?」


 俯いた顔に長い髪がかかり表情はうかがえないが、グロリオサは全身に隠しきれないほどの怒気を纏っている。そのただならぬ雰囲気を察知したアイビーは急いで後退し、そっと扉を閉めようとしたのだが間に合わなかった。


「きいいいいぃぃぃ! 何ですの! 一体何なんですのあの青二才はあああああ!! 言うに事欠いてこのわたくしを、お、お、おば、おば……オバ、ああ、いやああああ! 口に出すのもおぞましい!」


 普段、優雅でしとやかな態度をくずさないグロリオサがここまで取り乱すことは滅多にない。それゆえ理由は限られ、本人の口から零れ落ちる言葉のはしばしからも、鈍いアイビーにさえ原因は何となくうかがい知れた。


 魔女は総じて寿命が長い。

 たいていの齢を重ねた魔女は、妙齢の女ざかりの外見を取り繕っている。だがいかに見た目だけは若いとはいえ、そこは複雑な女心なのか彼女たちに年齢の話は禁忌だった。


『あらぁ、暁の方。いつ見てもお若いこと。特に首のしわなんて、どうやってごまかし……うふっ。首のしわも目じりのしわもなくって、それであたくしより年上だなんて全然思えなぁい。きっと肉付きがよろしいのね。うらやましいわぁ、あたくしなんて食べても全然太らなくって、ねえ?』

『そのお言葉、そっくりそのまま白夜の方にお返しいたしますわ。本当にお年の割りにずいぶんと若々しい。特にそのお胸、この前お会いした時より大きくなったのではなくて? わたくしとたった三つしか違わないのに、まだまだ成長期とでも言いたいのかしら、不思議ですわ』

『まあ、面白い冗談……』


 うふふ、おほほと、一見和やかに見える会話だがお互いの目は決して笑っていない。定期的に行われる魔女の夜会にアイビーも何度か供としてついて行ったことがあった。彼女の頭上越しに飛び交うさほど交流のない、はっきりと言って仲の良くない魔女と師との殺伐とした会話を聞かされるたび、アイビーの胃の辺りはきゅっと縮こまる。

 お互い顔を合わせている間はほほ笑みを絶やさないのに、一通りの会話を終え相手に背を向けた瞬間すっと無表情になるグロリオサほど恐ろしいものはないと、アイビーはずっと思っていた、のだが。


「お、お姉さま落ち着いて! 深呼吸をしましょう!」

「おだまり! こ、こんな屈辱、生まれて初めてですわ。このわたくしを侮辱し、あまつさえ膝をつかせるなど…………ああああああ! 絶対に、絶対に許しませんわ!」


 オロオロと飛び回るペピーナをうっとうしそうに振り払い、悪鬼のように顔を歪め髪をふり乱す師の姿は、『決して見てはならない身の毛もよだつ怖いもの』だった。

 アイビーはいつにない胃の痛みを覚え、吐き気すら感じた。ここまで師を怒らせるなど、どれほど直截的な言葉をヴィーは放ったのか。ともあれ、ここまで師を激昂させたのは間違いなくアイビーの使い魔のヴィーであり、そのつけが彼女に回ってくるのは当然の話なのだ。


「……ねえアイビー?」

「っ! は、はい!」


 グロリオサが今までとは打って変わった優雅な笑顔――ただし、顔は蒼白で目は決して笑っていない――で問いかけてくる。ぴんと背筋を伸ばして返事をするアイビーはすでに涙目で、額には脂汗がにじんでいた。


「わたくしに、今まであったこと全部、余すことなく教えてくださるわよね?」


 優雅に首を傾げる師に対しがくがくと頷いたアイビーは、すべてを告白せざるを得なかった。


 本気でワーラビット(垂れ耳)を召喚しようとしたこと。

 教本の手順どおりに染料を混ぜ、忠実に魔法陣を描いたこと。

 陣の中央に前報酬を置き、教本どおりの呪文を唱えたこと。


「え、えっと、それから……」


 期待に胸をふくらませ、もくもくと煙の上がる魔法陣を見つめていると、そこから現れたのがなぜが最上級(当時はそこまでとは思っていなかったのだが)魔族だったということ。

 この辺りからグロリオサの表情は怒りから憂いに変わり、アイビーの話が半ば押し切られるように契約を結んだあたりになると、あからさまなため息をついた。


「悪魔の甘言に惑わされてはいけないと、わたくし何度も言いましたわよね? 明らかに弱者のあなたはいつ餌食にされるか分かったものではないのに」

「だ、だって! 断ったとたんに殺されちゃったらどうしようって思ったんです。とりあえず言うことを聞いておけばそのうち何とかなるかなって。怒られるのわかってるから誰にも相談もできないし。でも、彼もああ見えていいところもあるんですよ! 多分。……ある、のかな? えっと、とりあえず悪だくみはしてないみたいだし、大変な素材集めはちゃんと手伝ってくれる、って言ってもあとで埋めあわせしないといけないけど! なまけ者だし口は悪いし、ごちそうばっかり要求するし。最近太ってきたのは絶対そのせいよね。でもあんなに美味しそうなものを我慢するのがだいたい無理な話なの」


 師へ対する言い訳から徐々ににひとり言へと移行していく。ぶつぶつと不満を漏らしながら無意識に自分の頬に手を触れるアイビーを見て、ペピーナが納得したような声を上げた。


「ああ! アイビー。アタクシ、アナタどこかが確かに変わったような気がして、ずっと考えていたんだけれど分からなかったのよ。今やっと分かったわ。なあんだ、少しふっくらしただけなのね。でも前よりも健康的でとってもステキ、可愛らしいわ」


 ペピーナの褒め言葉に、アイビーはついさっきまでの悩みも忘れて嬉しそうに頬を染める。


「え、本当? やだなあ照れちゃうじゃないペピーナ」

「アタクシが思うに、今までが痩せすぎだったのよ。でもあともう少しお肉がついたほうがもっともっと女の子らしくってステキになるんじゃないかしら」

「うーん。そう考えるとごちそう三昧も捨てたものじゃないのかな。ねえペピーナは女王りんごって食べたことある? そのままでもすっごくおいしいのに、ヴィーったら焼きりんごにしてその上にバニラアイスまで――」

「それが、あの使い魔の名前なのですか?」


 どんどん横道にそれていく会話を黙って聞いていたグロリオサが、不意にアイビーに問いかけてきた。


「え? えっとヴィーのことなら、そう、です、けど」

「あの方が自ら名乗って、あなたにそう呼べとおっしゃったの」


 そう言えば師は怒りの真っ只中のはずだった、と紅潮していたアイビーの頬は急速に冷め、質問の内容にどこか決まり悪げに答える。


「本当はもっと長ったらしい名前なんです。でも当然わたしに言えるわけなくって、そしたらヴィー、ええっと彼が、好きなように呼んだらいいって」


 非常に自尊心の高い魔族が、明らかに自分よりも下級のものに対し名を明かしたうえ『好きなように呼べ』など、グロリオサの決して短くはない人生で聞いたことがない。

 精霊族ではあるが、今使役しているペピーナにも後に続く長い名前がある。主であるグロリオサは当然すべて正しく発音できるのだが、アイビーをはじめとしたグロリオサの弟子たちにも気軽に名前の一部を呼ばせるのは、『お姉さまの弟子ならばアタクシの妹も同然』という、ペピーナのおおらかな気質によるものが大きい。あのアイビーの使い魔は、どう考えてもおおらかには見えない。


「好きなように、ねえ」


 今まで百を超える弟子をグロリオサは見てきている。

 アイビーは、物事を深く考えず目先の欲を優先し、自分に都合の悪いことはすぐに忘れてしまうという、いわゆる問題児だった。注意をし、そのたびにアイビー本人も深く反省するのだが、しばらく経つとけろっと忘れ何度も同じ過ちをくり返す。浅はかなアイビーに呆れ、悩まされることも数多くあったグロリオサだが、不思議と見放そうだとか破門しようと思ったことは一度もない。


『お師さま見てください、この前の課題やっとできたんです!』

『まあ、あなたにあの課題を与えるのはまだ少し早いのではないかと思っていたのだけれど、わたくしの杞憂だったようですね。アイビーの日々の努力は確実に実を結んでいるのね。とても喜ばしいことですわ』

『そ、そうなんです! ……ええっと、実はカレンとかジャスミンも手伝ってくれたんですけど、でも半分くらいはわたしだけでやったんですよ、半分も! これはもう、及第点をあげる気満々になったり――』

『いたしません』

『うう、ですよねー』


 悪く言えばお馬鹿、良く言えば素直で正直なアイビーは嘘を吐きとおすということができない。話の続きを優しく促し、黙って聞いているうちにアイビーの方から簡単にぼろを出す。

 優等生然とした、とりすました表情をくずそうとしない多くの弟子たちよりも年相応の無邪気さとあざとさをあわせ持つアイビーは、グロリオサの母性本能をくすぐらせる存在らしい。


 ――馬鹿な子ほど可愛いとはこういうことなのかしら。


 アイビーの愚かな失敗を叱りながら、ふとそう考えることもあった。

 だがそれは長い付き合いで、なお且つ女性であるグロリオサだからこそ感じるアイビーの内面の話だ。聞けばなかば押しかけるように使い魔になったらしい、あのくそ生意気な魔族が初対面のアイビーに対し、グロリオサと同じような感情を持つとは思えない。


「あ、あの……。わたしの顔に何かついてます?」 


 頭のてっぺんからつま先までを行ったりきたり。師の視線にアイビーは居心地悪そうに身じろぎした。


「ふうん。もしかしたらそういうこと、なのかしら」


 小さな顔を縁どる長い黒髪、いっそ憎たらしいほどに瑞々しい肌、吸い込まれそうに大きい、深い青の瞳。あらためて見ると、アイビーは十四歳の子どもらしいあどけなさに加え、徐々に大人に近づこうとする色香がほんの少し入りまじった、愛らしい少女だった。

 なめ回すようにじっくりと弟子の姿を眺めていたグロリオサの薄紅色のくちびるは、やがて意地悪そうに弧を描く。


「たぶん、そうなのね。あの青二才、わたくしが気づいたと知って一体どんなお顔になるのかしらね? ふふ、ふふふふふ。ほほほほ、おーほっほっほ!」


 左手を腰に、右手を口もとに当てて突然高らかに笑い出す、世にも高名な暁の魔女グロリオサを見た弟子のアイビーとシルフの使い魔ペピーナは顔を見合わせ、お互い不思議そうに首をかしげた。 


「お師さま?」

「お、お姉さま……」


 二人のいぶかしげな視線に気づいたグロリオサは咳払いをしながら、「あらいやだ、わたくしとしたことが」と居住まいをただし、取り繕った真剣な顔をアイビーに向ける。


「つくづく思ったのですけれど。アイビー、あなたは浅慮に過ぎます。今回のことだけではないわ。前にだって……。まあこれは今さら言ってもしようのない話ですわね。とにかく、わたくしあなたが心配なの、ですから」


 そのとき、グロリオサの顔には堪えきれない笑みが浮かんだのだが、その笑顔は「にっこり」というよりは「にんまり」に近い。


「また、すぐに来ます。そうね、とても心配だから五日に一度はあなたのお顔を見たいわ。ペピーナ、それで何の問題もありませんわよね」

「え、ええ。アタクシとしてもアイビーのことは心配ですから。王城から先読みの依頼がきてますけれど、お姉さまには簡単な仕事ですし。でも五日に一度はさすがに頻度が高いのでは――い、いえ、なんでもないです」

「そう、良かった」


 ペピーナの疑問を有無を言わさぬ笑顔で封じ込めたグロリオサは、その美しい顔をアイビーにも向けた。


「それではアイビー、またすぐに参りますわね。くれぐれもあなたの使い魔さんによろしくお伝えくださいませ」

「じゃ、じゃあね。しっかり頑張るのよ、アイビー」


 上機嫌に去っていく師の後姿を、アイビーはただぼう然と見送った。 


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