真相は誰にもひみつ
「もしかして、二人って知り合いなの?」
部屋を追い出されたアイビーは、少々不穏な空気におびえつつペピーナに訊ねた。
「さあ? アタクシ、魔界のことなど毛ほども興味ありませんから。少なくともアタクシはあのお方とはまったくの初対面ね。多分お姉さまもそうではないのかしら。まあ、かなりの力と身分を持つお方とはお見受けしますけど」
「え、そうなの?」
「アイビー……。お姉さまではないけれど、アタクシ不安だわ。どう考えてもアナタがあの使い魔を使役できているとは思えない」
ペピーナに憐れむような目で見られてしまった。
「や、やだなあ。もちろん、わたしだって分かってたよ? 要はすっごく強いってことだよね? そんなのずっと知ってたことだし、それに心配してもらわなくても毎日こき使ってるから! 売り上げが増えてるのがその証拠でしょう」
慌てて取り繕うが、ペピーナの表情は晴れない。
「その強さの度合いが厄介なのよ。アタクシが生まれた精霊界と違って、魔界はとっても野蛮で危ない所なの。力の強さが地位の高さにそのまま直結するだなんて、優雅さのカケラもないわ。アイビーが使い魔だと主張するあのお方は、野蛮な魔界においてかなりの上位に位置するのではないかしら」
四大元素の一つ、風を象徴するシルフのペピーナは、そのあどけない外見とは裏腹に精霊界でもかなりの実力者だ。その彼女をもってそう言わしめるとは、まったくの想定外だった。
「だって、だって。でもええっと……。一応念のために聞くけど、もしかしてペピーナよりも強かったりする?」
上位の精霊としてのプライドもあるのだろう。ペピーナは不機嫌そうにむっつりと頷く。
「もしアタクシがアイビーなら、あのお方の姿を見た瞬間、どこか安全な場所に身を隠すわ。下手に機嫌を損ねて、魂ごと消し飛ばされたくはないもの」
「そ、そこまで!?」
上級魔族と言っても、せいぜいペピーナと同等か彼女にほんの少し劣るくらいだと推測していた。それでも自分には過分すぎる使い魔だと思っていたのに、実際はその予想よりも上をいくらしい。けれど、そんな彼にしてきたぞんざいな対応を思い返たアイビーが、過去の怖いもの知らずの自分に対して恐れを抱いたのはほんの一瞬だけだった。
(あれ? でも、呼び捨てにしろって言ったのも、敬語はやめろって言ったのもヴィーじゃなかった? じゃあ別に怖がる必要ないよね)
そんなことより今、アイビーが気になっているのは師匠とヴィー、扉を隔てた向こう側にいる二人の動向だ。
「ねえ、ペピーナ。二人は何を話し合ってるんだと思う?」
「まあ十中八九、アイビーのことでしょうね」
「だよねえ……」
閉ざされた扉を心配そうに見つめながらアイビーが思うのはただ一つ。
(わたしにとって都合の悪い話題が何一つ出ませんように!)
無駄だとわかっても、祈るしかなかった。
☆
魔族の少年と二人きりになるなり、魔女は膝を折って深々と頭を垂れた。
「いと気高きお方、わたくしは暁の魔女グロリオサ。よろしければ貴方さまのお名前をお聞かせ願えませんでしょうか」
人間界でも名高き魔女、暁のグロリオサがここまでへりくだる態度を、彼女の弟子や使い魔が見たら腰を抜かすだろう。誰にも見られたくない姿だが、目の前の人物に対してはこうすべきなのだと、グロリオサの魔女としての直感がそう告げていた。
「……」
だが少年はその問いかけに無言で返したばかりか、グロリオサなど視界の隅にでも入らないとばかりにそっぽを向き、あくびをしながら大きく伸びをする。先ほどアイビーに与えられた攻撃からようやく復活したようだ。
「気高きお方。無礼を承知で、重ねてお尋ねいたします。ご覧のとおり、わが弟子アイビーはまだほんの駆けだし。特別な才能を秘めているわけでも、強い魔力を保持しているわけでもありません。先ほどのあの子の言ったことが真実として、貴方さまほど力に満ちたお方が、アイビーの使い魔などに身を落とす理由は一体どこにあるのでしょうか」
顔は軽く伏せたまま、グロリオサは上目づかいで彼をひたと見据える。輝く湖水のようなその目は少年のすべてを見透かそうと細く眇められ、その視線を受けた魔族の少年は不快気に眉をひそめた。
☆
時は少々さかのぼる。
新米魔女アイビーが、使い魔を召喚しようと魔法陣を描き終えて呪文を唱えたちょうどその頃。魔界のひなびた田舎の片すみ、ワーラビットたちが住まう集落の集会所の掲示板に、新しい求人広告が貼りだされた。
※※※※急募!※※※※
職種:使い魔
仕事内容:薬草集め、店番など
年齢:人間に換算して十三歳まで
性別:不問
募集人数:一名
※垂れ耳歓迎
※三食昼寝つき、星ニンジン食べ放題、他応相談
問い合わせ先:暁の魔女の百三番弟子アイビー・ヘデラまで
ワーラビットの集落――主に年若い者たち――にこの求人は大きな活気をもたらした。もともと多産な種族であるワーラビット族は常に食糧難だった。弱肉強食の魔界において、最弱に近い彼らに三食昼寝つきの報酬は大きい。加えて暁の魔女系統といえば平和主義で温厚な性格として有名だ。他の魔女とは違い、いかに弱い使い魔でもその意見を尊重し決して無下にすることも冷遇することもないと評判も高い。
条件に合う若いワーラビットたち、特に垂れ耳種はぴょんぴょんと飛び跳ね、おのれこそが相応しいと主張するが、対する立ち耳も負けてはいない。老いも若きも入り混じった争いに辺りは一時騒然となった。
そこへ偶然にもふらりと立ち寄ったのが、魔界のすべての山を治めるステイメン公と、同じく魔界のすべての海を統べるピステイル女侯の間に生まれた第二十五子、ヴィスキオ・ギー・ミルストー・ムエールタゴ・ウィースクム・アミエーラだった。
彼は両親から与えられた領地に興味を示すこともなく配下にその地の統治を命じ、自らはふらふらと魔界の各地をのん気に放浪中。下克上を狙う男悪魔たちの好戦的な態度と、秋波をおくる麗しい女妖魔の視線を華麗にかわしながらたどり着いたのが、このワーラビットたちの集落だった。
「何をそんなに騒いでるの?」
きいきいと、我こそがふさわしいと求人情報に立候補する垂れ耳ワーラビットのうちの一羽が、上級どころか最上級魔族である彼に気づき顔色をなくしたのを皮切りに、集まっていたワーラビットたちは蜘蛛の子を散らすようにあっという間にいなくなってしまった。一人残された彼はそれを気にすることもなく、興味深そうな面持ちで掲示板の広告をはぎとる。
「使い魔? 星ニンジン……」
そこから伝わる微弱な魔力をたどった先に長い黒髪の少女の姿があった。その、深い海のような濃い青色の瞳と魔法陣ごしに視線が交わった瞬間、彼は全身に稲妻が駆けめぐったかのような衝撃を受ける。
ヴィスキオ・ギー・ミルストー・ムエールタゴ・ウィースクム・アミエーラ。齢百八十三(人間に換算するとおおよそ十五歳)にしての初恋だった。
☆
「オバサンには関係ないよ」
ヴィーはグロリオサに対してはじめて言葉を放つ。暁の魔女はほんの少しくちびるの端を引きつらせただけで、麗しい顔には相変わらずたおやかなほほ笑みを浮かべたままだ。
「気の遠くなるような永い時を生きる貴方さまがたに比べれば、わたくしなどまだまだ若輩者。それゆえのご無礼をどうかお許しくださいませ。至らぬところは多いとはいえ、それでもアイビーはわたくしの大切な弟子。いわば妹のような存在でございます。先ほどと同じ問いではありますが、何ゆえ貴方さまは――」
「しつこいな、だからオバサンは嫌いなんだ」
苛立ちとともに視線にほんの少しの魔力を込めてにらみ付けた。ヴィーの強大な力をじかに受けてしまった暁の魔女は、床にくずれ落ちてしまう。ぎゅっと眉間に皺を寄せて胸に手を当て苦しげに大きくあえぐグロリオサの醜態を見たヴィーは、ふんと鼻を鳴らしてせせら笑う。
「それにしても『妹』とか、どれだけ若作りするつもりなの図々しい。せいぜい『ひ孫』が正しいと思うよ、オバサン。じゃなかった、オ・バ・ア・サ・ン」
それっきり彼がグロリオサに興味を向けることはなく、苦しげに肩を大きく上下させる暁の魔女を尻目に、さっさと部屋を出ていった。