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代償は高くつく

 灰の樹海へと向かう途中のことだった。

 空飛ぶホウキで優雅に空中散歩を気取っていたアイビーは、突如現れた荒くれものの大ガラスの群れに襲われた。最初カラスたちは、アイビーと並走して空を飛んでいるヴィーの輝く白金の髪に狙いを定めたかのように見えた。しかし彼のするどい一睨みにひるんだのか、今はその腹いせといわんばかりに大きな翼をはためかせては、かわるがわるアイビーの黒髪をつつこうとしている。


「痛い痛い、やめて! ちょっとヴィー、笑って見てないで何とかしてよ!」


 己の頭部を庇おうと両手をホウキの柄から離したため、操縦の制御が利かずアイビーは今にも墜落寸前だ。


「カラス達にはアイビーの髪の毛が宝石に見えるんじゃない? よかったね、後で誰かに自慢できるよ」


 愉快そうに笑いながらヴィーはからかうが、アイビーはそれどころではない。ふらふらと上空をさまよいながら両手を振り回し、追い払おうと懸命だ。カラスたちはそれを上手にかわしながら、明確な狙いを定めてアイビーの頭にくちばしを振り下ろす。


「やだやだ、やめてってば! はげちゃう! ねえ、ヴィー! 何とかしてって言ってるでしょ!!」

「苔岩キノコ」

「え?」


 耳慣れない単語に一瞬動きを止めてしまったのが運のつきだった。カラスたちはアイビーの頭髪を抜き去ろうといっせいに攻撃し始めたのだ。


「ぎゃあ!」


 ひときわ大きい悲鳴を上げるアイビーの醜態を楽しそうに眺めながら、ヴィーは聞こえよがしに一人ごちる。


「苔岩キノコのバターソテーが食べたいなあ。たぶん、オムレツとの相性もいいと思うんだけど。もし溶岩トカゲの卵のオムレツと苔岩キノコのソテーが一緒に食べられるなら、カラスを追い払う気力も出てくるかもしれない」


 苔岩キノコは知る人ぞ知る珍味で、値段にしてみたら希少とされる溶岩トカゲの卵よりよほど高い。これもまたヴィーのお気に入りの雑誌『週刊☆魔女通信』の後ろの頁に載っている高級商品なのだが、敵の急襲を受けているアイビーにはそれを認識する余裕もなくただ絶叫するしかなかった。


「分かった! 分かったから、お願いだから何とかしてええぇぇ!!」






 

「し、死ぬかと思った」


 ようやくたどり着いた灰の樹海の中腹で、アイビーは膝をついてぜえぜえと荒い息を吐く。彼女の細く白い腕は大ガラスの攻撃により傷だらけで、自慢の黒髪はぼろぼろだった。


「うぅ。もう、最悪ぅ……」


 痛みと情けなさで堪えきれない涙がにじむ。アイビーは手製の薬草を少ししか持ってこなかったことを心の底から悔いた。ヴィーがいるのだからと高をくくっていたのだ。腕の傷はカラスの鋭いくちばしによるひっかき傷がほとんどで、後々深い傷痕を残すものではなかったが、それでも数日はひりひりと痛むだろう。これが樹海に住む強敵、火喰いグマと戦っての傷ならまだ箔がつくが、相手がただの性悪カラスとあっては箔どころか弱小魔女として不名誉な評価を与えられるに違いない。

 ぐずぐずと鼻をすすりながら絶望的な表情で腕の傷を見ているアイビーの頭を、いつの間にか誰かがなでていた。優しささえ感じるその手つきは、頭部に続いて痛々しい傷のある両腕を同じようになぞる。痛みが消え、見る見るうちに傷口が綺麗に塞がっていくのをただ呆然とアイビーは目を丸くして見ていた。やがて我に返って顔を上げると、こちらを見つめるエメラルドの瞳とかち合う。ヴィーだった。


「あ――」


 ありがとう、と言うよりも先に彼はにっこりと微笑んだ。


「お礼ならうわべだけの言葉より、シマヘビ白イチゴのタルトがいいかな」


 一切れで一般庶民の半月分の稼ぎが飛ぶと言われている超高級菓子を要求され、アイビーは感謝の念から一転、悲壮な顔つきになる。


「あ、あ、悪魔ーーーー!」


 その声は空しく樹海にこだました。






「はぁ、今月もカツカツだよ……」


 帳簿をつけながらアイビーは力なくため息をついた。売り上げは悪くない。ヴィーが使い魔になったことによって採取できる素材の質が格段に上がり、それと共に薬も値上げされたのだが、需要にはまるで事欠かない。最近では万能薬として知られる貴重な火喰いグマの胆のうのみならず、高価に取引される毛皮まで手に入った。問題は一向に貯蓄できていないことだ。


「収入と支出がほとんど一緒ってどういうこと?」

 

 原因は分かっている。収入が右肩上がりに増えているのも、増えたそばから浪費されていくのも。


「なに一人でぶつぶつしゃべってるの、気味悪い」

「ヴィー!」


 アイビーは背後から帳簿をのぞきこんで来た元凶をにらみ上げる。


「ちょっとここ見てよ、こ・こ!」


 先月よりもはるかに多い支出欄を指し示してヴィーに注意を促がそうとするのだが、彼は全く別の欄を見ていた。


「へえ。あのクマの毛皮わりといい値段で売れるんだ、あんなに弱かったのに。でも、ちょうど良かった。満月エビが食べたい気分だったんだよね。さっそく注文しなきゃ」

「ま、満月エビ……。いや、でも待って、そこじゃない! わたしが見て欲しいのは支出欄!」

「見たけど何?」

 

 真顔で返されてアイビーはうっと言葉に詰まる。


「な、何って、この浪費っぷりを見てなんとも思わないの? 先月の倍以上よ。わたしとしてはもうちょっと節制して欲しいんだけど」

「見たけど特に何も思わないかな。節制って言っても欲しい物は自分でまかなってるつもりだし、この火喰いグマもこの精霊石もこの月酔い草も、全部僕が採ってきたものだと思うんだけど。違う?」

「そ、それはそうなんだけど! でももうちょっと、なんかこう……せっかく稼いだお金を貯金するとか節約しようとか、ヴィーはなにも考えないの?」


 アイビーは上手い言葉が見つからず、長い黒髪を両手で無造作にかき乱す。自らの髪の毛をぼさぼさにする彼女の姿を不思議そうに見ながらも、ヴィーが悪びれる様子はまったくない。


「貯金? 節約? 意味がわからないな。『使い魔』として、これでもかっていうくらい大いに貢献してるつもりだけど、まだ足りないの? 弱い癖に、注文だけ多いのはどうかと思うなあ」


 いつかのように手つきだけは優しく、アイビーの乱れてしまった髪を梳かしながらヴィーは続ける。


「とりあえず赤字にならなきゃ問題なくない? それに満月エビ、確かアイビーも好きじゃなかったっけ。香草焼きでもいいけど、ただ蒸しただけでも美味しいんだよね。そのまま食べるのもいいし、ちょっとだけ塩をかけるのも捨てがたいな」

「ああ、そうなの! すごく美味しいの!」


 ヴィーの話を聞いていくうちに頬の内側と舌の裏側に甘い痛みを感じ、口腔内に唾液が溢れてきたアイビーは今までの話も忘れて力強くうなずいた。

 満月エビは他のエビとは違い、熱を加えてもその身を赤く染めることはなく、あくまでも月のように薄く金色に輝く。ブリッとした歯ごたえもたまらないが、蒸すことによってエビ本来のうま味と磯の香りがぎゅっと凝縮される。よけいな調味料など必要ないのだが、ヴィーの言うとおりほんの少しだけ岩塩をふりかけるとよりいっそう甘みが引き立つ絶品で、一度口にして以来、アイビーの大好物になってしまった。


「そう、良かった。品切れにならないうちに頼まないと」

「ああ、でもそれはちょっと待っ――いや、でも……」

「なに?」

「うぅ……ううん、なんでもない」


 軽い足取りで去っていくヴィーの背中を見つめながら、アイビーは切なげにため息をついた。貯蓄をしたいアイビーとしては断固反対すべきなのだが、なかなかそうはできない理由がある。

 ヴィーは大変な美食家と同時にとんでもない浪費家である一方、大食漢でも吝嗇家けちでもない。「食べきれないから」と、届いた高級食材を半分以上分け与えてくれるのだ。そのせいか、近ごろアイビーの舌もずいぶん肥えてしまったと、彼女自身自覚している。


「も、もう頼んじゃったならしかたないよね。お金はもったいないけど、満月エビを捨てるのなんてもっともったいないし。べ、別に食べたいわけじゃないけど、どうせヴィーが全部食べ切れるわけないんだし。捨てるくらいならわたしが食べるの手伝ってあげたほうがエビたちも救われると思うの」


 満月エビは希少種ゆえにとんでもなく値が張る。初めて食べた時舌がとろけ、まるで天にも昇る思いをしたアイビーが、直後に値段を聞いて本当の意味で昇天しそうになったくらいだ。

 近日中に大金を手にする予定ではある。その内訳のほとんどは自称使い魔のヴィーが仕留めた火喰いグマの素材が占めるのだが、それも満月エビの購入を許してしまえば支出で相殺される。できることなら珍味中の珍味を注文しようとするヴィーの愚挙を止めたい。だが既にアイビーの口腔内は、噛めば噛むほどうま味のにじみ出るあの味を痛烈に求めていた。


「ああ、早く食べたい! でも、お金が……」 

 

 相反する思いにしばし葛藤するアイビーだったが、その後届けられた大量の満月エビを目の前にすると全部ふっとんだ。嬉々として大鍋で茹で上げ、さまざまな調理法で珍味を思うぞんぶん味わうのだった。


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