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きっかけは失敗から?

 眉根を寄せた真剣な表情で、アイビーはごく慎重に魔法陣を床に描いていた。強い魔力のこもった染料は、使い魔を召喚するアイビーのために師が特別にくれたもので、ちょうど一回分しかない。自腹で買うとなると目玉が飛び出そうなほど高く、まだ十四歳でひよっこの彼女が逆立ちしたって作れるものでもない。失敗は許されず、自然と必死にもなるのだ。


(色は黒か白。ああ、でも茶色のぶち模様も捨てがたいかな。可愛ければオスでもメスでもどっちでもいい。できれば年下。同い年でもいいけど、馬鹿にされたらいやだもの。あとは垂れ耳! これだけはぜったいに譲れない。垂れ耳、垂れ耳のワーラビットよ、使い魔として我がもとに来たれ! 星ニンジンならいっぱいあるよ!)


 アイビーは魔術書片手に自らの願望を込めながら、精緻な紋様を描いていく。


「できた!」


 完成した魔法陣を前に、額ににじむ汗をぬぐいながらまずは一息つく。そして紋様を崩さないように陣の中央に前金代わりの星ニンジンを置き、ありったけの魔力を込めて呪文を唱えた。魔法陣は青い輝きを放ち、辺りにはもやが立ちこめる。否が応でも高まる期待に胸を膨らませ、アイビーはきらめく瞳で魔法陣を見つめた。


 やがて、現れたのは――


 まばゆいプラチナブロンドにエメラルドのような鮮やかな緑色の瞳を持った、人型の魔族の少年。人間と明らかに違うのは、人並みはずれた美貌と背中にコウモリに似た黒い羽、先端が少し尖った耳くらいだ。当然長い耳が頭頂部から生えているわけでもなく、アイビーが切望したように垂れているわけでもない。つまりは、


「失敗した……」


 アイビーはがっくりとその場にうな垂れた。







「ヴィスキオ・ギー××××××」


 アイビーがかろうじて聞き取れたのは最初だけで、途中からはまるで意味を成さない言葉の羅列としてしか耳に入ってこない。


「ええっと、ヴィ……ぐっ、ゴホゴホゴホっ」


 しかも、その名前から溢れる圧倒的な魔力に耐えきれずにむせ返る始末。本来、魔界の者を支配下に置くには、まず使役者がその名を正しく呼ぶことが前提だ。アイビー程度の魔力の持ち主ならば、魔族でも弱者に位置するワーラビットかいたずらもののピクシー、あるいは気まぐれなワーキャットあたりが妥当なところで、彼女はその中でも温和な性格とされるワーラビットを使い魔として望んでいたのに。


「弱すぎる。そんな脆弱な力でこの僕を支配できると思っているわけ?」


 馬鹿にしたように鼻を鳴らす魔族の美少年に、むせている途中で反論できるわけもない。軽い気持ちで名前を呼ぼうとしただけで、アイビーにこれ程の苦しみを与えられるのだから、この魔族の少年はよほどの実力者なのだろう。アイビーが涙の浮かぶ目で見上げると少年は顔をしかめ、嫌々といった体で口を開いた。


「……別に、使い魔になってあげてもいいんだけど」

「でもうぅっ、わ、わたし、ヴィスキゲホゲホゲホゲホっ、うぅ、おえぇぇ、がはっ」

「ヴィーでもギーでも好きに呼べば?」


 心底呆れたような視線にさらされながら、アイビーは血反吐をも吐きそうな勢いで嘔吐えずいた。自分の魔力の低さをまざまざと突きつけられ、なんとも情けない気分だ。胸に手を当てて深呼吸をし、落ち着くのを待ってもらう。


「ゲホゲホッ、うぇっ……そ、それって、つまり、わたしの使い魔になってくれるってことですか? でも――」


『よろしいですか? 魔族を使い魔として従えるならば、必ず格下の者になさい。魔族というのは恐ろしく気まぐれな生き物。ねえアイビー? 例えばあなたが自分よりも力の強い魔族を召喚したとしましょうか。その者が名前を明かし、あなたが正しくその名を呼んで枷をはめたとしても、それは真実契約が交わされたとはまったく言えませんわ。あなたよりも強いその者は、弱いあなたの枷などいつでも簡単に外すことができる。気がついたら魂ごと吸い尽くされていたとしても不思議ではないのですよ』


 アイビーの脳裏に、師の言葉がよみがえる。上級であればあるほど、魔族の気まぐれと残忍の度合いは増すという。中には人間の血肉や、高潔な魂を好んで食す種族もいるのだとか。前もって師から教わっていたアイビーは内心おののき、どうにか彼の申し出を断りたいと必死だった。

 

「わ、わたしこんなにやせっぽちだし、考えることだって俗世まみれで全然おいしくないと思うんです」

「はあ? 何言ってんの。こっちだって人食いの趣味はない、もちろん魂もね。清らかな心って要は深く考えないってことだよね、味気なくて」


 味気ないということは一度は食べた経験があるはずだ。偶然とはいえ、とんでもない大物を引き当ててしまったと顔色を無くすアイビーに、


「三食昼寝付き」


 魔族の少年はそう提案してくる。


「それを飲んでくれるなら、使い魔になってあげてもいいよ」


 もしこれが彼女よりほんの少し力が上の魔界の者だったなら、師の教えどおりこの申し出を断っていただろう。だが、少年は明らかに上級魔族。彼の気分一つでアイビーの命は消えてしまうかもしれないのだ。


「でもわたし、あなたの名前ちゃんと呼べないし……」

「だから、ヴィーでもギーでも好きに呼んだらいいって。さすがにその位なら言えるよね? それとも何、せっかくこの僕が使い魔になってあげてもいいって言ってるのに断るつもり?」


 せめてそれでもと、アイビーが試みた最後の抵抗はあっさりとかわされてしまった。不機嫌そうに眉を寄せる少年の姿に背筋が凍る。怯えと体中の震えを悟られないように、ぎこちない笑顔を浮かべながらアイビーは彼が許してくれた愛称を恐る恐る口にした。


「じゃ、じゃあヴィーで」


 今度こそむせないように苦労しながら名前を呼ぶと、ヴィーと呼ばれた魔族の少年は満足げに笑う。

 こうして、ワーラビットを使い魔として召喚したいというアイビーの積年の夢は儚く散ってしまったのだった。

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