通り過ぎる風 一
レタールまで、一直線に駆けた。
レタールは皇国に囲まれていたが、一度ぶつかると、皇国は傾れを打って潰走し始めた。これほど早く戻ることは、誰も予想してはいなかっただろう。
レタールには、カンルがいた。
「お前がいて、本当に良かった」
リークは、シドルの首を討ち取ることだけを考えていた。
「私が役に立つのは、城か城の近くにいるときだけだ」
「今回は、それがいつも以上に嬉しい」
グリナッドという国は、実質、滅んだ。だから、兵卒達にも、去りたい者は去れと言った。半数が、抜けた。故郷に親が居る者。今のこの状況を信じきれない者。理由は様々だったが、二万は残った。正直、もっと減るかと思っていたものだから、嬉しかった。
「これからどうする?ここに籠もるか?」
「籠城は、援軍が来ることを前提として成り立つもの。それは、お前が一番よく解っているはずだ」
ルゼイラからの援軍は、あてにしていなかった。来るはずがないし、来たところで既に手遅れだ。
「王族の行方も解らずか」
「あぁ、もう首を落とされたかもしれないが」
「直、帝国が雪崩込んでくる。国は滅んだ。俺達の存在意義はもう無い。だが」
諦めたつもりはない。何を諦めてはいないのか。この国を守ることをか。この国の再編か。生きることをか。否、シドルの首をはねることを。その後のことは、考えてなかった。
「俺は、ノークに負けた。だが悔しくは無い。一度も会ったことはないが、あいつに何かを感じた。魔軍の邪魔さえなければ、ノークにはグリナッドだった場所を任せても大丈夫だろう」
帝国は、この大陸のどの国よりも豊かだった。これ以上豊かさを求める必要がないほど。ノークは、南の国々への中央の介入を許さないだろう。
「明朝、ルアールまで駆ける。細かい取り決めなどいらぬ。目指すはシドルの首一つのみ」
自分は、どこか、甘かった。全てを事態を想定し、計画を練ったつもりだったが、一つだけ、抜けていた。同じ宗教の国までも敵になるということだけが、抜けていた。時代に遅れていた。いや、目を向けなかった。向けようとしなかった。そしてこの結果だ。取り返しのつかない、結果になってしまった。
翌朝、門を開け放ち、馬に乗った。
城内は静かだった。兵も、将校も、ここにいる住人達までも、何一つ音を立てない。
この緊張感を感じるのも、最後かもしれない。しかし最後にふさわしい、緊張だと思った。
「進発」
声が響いた。
騎馬を先頭に整列させ、駆け始めた。三千の騎馬と一万七千の徒で、シドルを討ち取る。
両脇には、今まで共に戦ってきた将校達がいる。変革の頃と比べると、今は若い将校達が中心となっていた。変わってないのは、自分とカンルぐらいだ。皆、帝国との戦いで死んでいった。俺達だけ、帝国ではなく皇国か。残念だ。
旧友達よ、俺は、おまえ達と共に築き、守ってきた、この国を滅ぼした奴を討つ。
前方で敵が陣を組んでいた。柵の間から、一斉に矢を放ってきた。
ほとんど何も考えていなかった。突き出された槍を払う。柵が次々と引き倒され、そこから敵中に切り込んでいく。
「邪魔だ」
山が揺れているようだった。敵は、押され始めている。あまりの威圧に、既に浮き足立っていた。
血と汗が混ざっている。
ただ前だけを見ていた。後ろを見る必要などない。誰も、失うものは、もうないのだから。
首を飛ばした。飛ばした先には、槍と檄が林立していた。壁はまだ厚い。しかし、怯む必要などない。止まる必要などない。
矢が膝の横に刺さった。それで、目が覚めた。息苦しさを、感じなくなった。
突き出された槍をはじき、叩き斬る。敵の騎馬隊が向かってくるが、全て斬り落とした。
押しまくっている。皇国があわてて中央に兵を移動させているが、もう遅い。
敵の壁が、薄くなっていくのが感じられた。
敵陣が崩れ始めた時、気付けば、太陽は傾き始めていた。
まだ、これからだ。そう思った瞬間、馬が潰れた。背中から地面に落ちる。体が動かない。馬を。と叫ぼうとしたが、声が出ない。
「リークさん」
最初は誰か解らなかったが、クセスだと解った。腕に矢が三本刺さっていた。
「まだだ。まだ。終わってはいない」
やっと出た声は、掠れた声だった。もう無理です。だから、静かにしていてください。そう言ったクセスの声は、震えていた。
生き残ってしまった。死ぬつもりだったが、死ねなかった。
しだいに、リークを中心に兵が集まってきた。傷を負っていない者はいなかった。ほとんどの将校は生き残っていた。
もう、立ち上がれる。
しばらくして、クセスが戻ってきた。
「リル、さんが」
「どうした?」
クセスの声と表情から解ってしまったが、聞いた。
「行方、不明です」
必死で涙を我慢しているのが、解った。そしてその場に座り込んで、声を上げずに泣き出した。
戦争だ。戦争なのだ。しかし、その一言で片付けてしまうには、あまりにも重かった。俺は、何も守れなかったのかな。
空を、仰いだ。何事もなかったように、いつものように、赤かった。
これから、どうするかな。将校達が、リークの前に集まっていた。
生き残った兵は一万と少し。全員、最後まで諦めなかった。
「軍は、ここで解散する。家族がいる者は、帰れ。これは個人的な願いとして聞いて欲しいと、兵達には伝えてくれ。お前達もだ」
「帰る場所のない俺達はどうするんです?山にでも籠もって、山賊でもやりますか?」
トウエが、わざと明るい声で言った。しかしそれでも、少しだけ楽になった気がした。
「馬鹿を言え。お前達は、まだ戦いのだろう?」
皆の顔が、引き締まった。
リークは立ち上がり、一息ついた。
「なら、行こう。俺達は戦場を求め、戦場は俺達を呼んでいる。そんな、気がする」
「どこへ、ですか」
簡単ではないかもしれない。しかし、生き残ってしまったからには、生きていかなければならない。投げ出すことは、許されない。
「共和国。へ」
風が、通り過ぎた。