戰日 二
夢を見ていた。
夢の中で女が謝った。正確に言えば妻だが、何も悪くないのに謝った。何に対してか。俺にか。女自身にか。だが自分は、言葉を見つけることが出来なかった。
運命にか。夢の終わりでふと、その言葉が浮かんだ。
目が覚めると、しきりに自分を呼ぶ声が聞こえた。
「ノーク将軍。お入りになってもよろしいでしょうか」
少し待て。そういってノークは服装を整えた。
「西の戦線の情報です」
グリナッド。その方面にいる指揮官の顔を思い出そうとしたが、思い出せない。
「指揮官殿は討ちとられました。これは予定通りです」
思い出す。あの太った醜い屑か。あまりにも役に立たないので、わざと討ち取らせるようにした。生きて帰ったとしても、敗戦の責任を問いつめて死罪。敵に討ち取られ、帝国のために死んだとするのが、せめてもの情けだった。
「しかし損害が大きすぎます。兵は六万を失いました。降伏する者もでる始末です。竜も十頭失いました」
「何があった」
信じられなかった。今まで、ここまで被害を出した戦があっただろうか。頭が痛くなる損害だった。
「やはり魔軍も使うべきであったか」
「魔軍云々の話ではございません。警戒もせずに追撃した結果、伏兵に会いました」
溜息。後悔。しばらく目をつぶってた。
「流石リークだ」
「それが今回はリークの策ではないようなのです」
「誰だ」
「それが、リルという若い将校です。歳はまだ二十にもなっていないと聞きました」
「女か」
誰がそんな小娘の献策を聞き入れようか。その点において、ノークは、リークの度胸や覚悟に感嘆した。
「グリナッド軍が後三日で到着します」
後三日。三日で何が出来るか。グリナッドが到着しても、勝てる。ただ、それに伴う損害が大きすぎるものになる。
「明日決着をつける。グリナッドが到着する前にだ。ロフト、魔軍に伝えてこい」
今から約百五十年前、大陸はヴェレッジ帝国とハギア・ルセクス教国とに分かれていた。教国は今とほとんどその領地は変わっていないが、帝国は、王位継承戦争。さらにはルセクス教会の大分裂により、ついに北と西、皇帝教皇主義を主張するヴェネス大帝国と、ルセクスの教皇を正当とするリバレッジ皇国とに分裂した。そして両国間で起きていた戦争を、皇帝戦争と呼んでいる。北方の三国は、元来皇国から独立を許されて建国された国であるため、この戦争は、事実上皇帝戦争であった。
しかし目的が違う。分かれた二つを統一するための戦争は、いつの時代からか、帝が己の利益を露骨に優先するようになった。統治を考えれば、征服した地に住んでいる民は手懐けておかなければならない。なのに帝は何を血迷ったのか、町村を焼き払い、その地にいる全ての民を根こそぎ奴隷として、帝国内へと連れ去った。
これはノークが生まれて間もない頃の話だが、そのつけで今、各国の激しい抵抗にあっている。
「ノーク様は、疑問を感じたことは無いのですか」
幕舎の中でロストが唐突に、落ち着いた声で言った。
「何にだ?」
ロフトはしばらく黙って下を向いていた。
解る気がした。ロフトの言いたいことが。自分もこの将軍職に就くまで、いや、就いてからも、今でも迷っている。
「この戦争の意味を」
意味など無い。命じられたことを遂行する、それが軍人だ。そう、逃げてきた。帝国に生まれてきたからには、帝国の軍人として帝国に尽くすだけなのだと。
「自分で見つけろ」
ロフトがこちらを向いたが、ノークはあえて顔を向けなかった。
この男は帝国軍に入るべきでは無かったのかもしれない。どこか甘いのだ。ノークは内心、峻烈で、疑問を持たない副官を望んでいた。それでも副官としているのは、統率力は群を抜いていて、不正を許さないからだ。
また、逃げた。あいつを副官にしたのは、自分と重ねることが出来たからではないか。自分と同じ疑問を持った者が傍にいて欲しかったからではないのか。
甘さではなく、優しさなのかもしれない。ノークはふと、そう思った。
翌朝、ルゼイラの陣と対峙した。
騎馬隊が一斉に駆けて行く。その後方では、魔軍が第一陣を勤めていた。
ルゼイラの騎馬隊も陣内から迎撃に出てきた。愚かな。圧倒的多数を覆すには攻めるしかない。攻めるしかないが、機会というものがある。
堅陣を敷いていて、攻め落とすには時間が懸かるのではないかと思ったが、機会がいきなり飛び込んできた。
押し潰す。そして帝国軍の威勢を示す。
敵の騎馬隊が四散し、馬止めの柵がはがされていく。矢や法術が飛んできてはいるが弱々しい。
「攻めの手を緩めるな」
伝令が飛んできた。伝令は一度ロフトに伝わり、必要、不必要を分けていた。伝令を聞いた直後、ロフトの顔色が変わった。
「後方にグリナッド軍が突如出現」
不意に頭を殴られた気がした。後方では土煙が舞っている。
なぜだ。後三日、三日ではなかったのか。しかもよりによってこの時に。何が間違っていたのか。ノークは自分の不注意さに情けなくなった。
もし、眠っていなかったら。夜を徹して駆けてきたとしたら。ロフトは間違っていなかった。ただ見落としがあった。
「前方の部隊に陣まで戻れと伝えろ」
後少しだった。
幸い陣は攻撃されてはいなかったが、ノークは将校に囲まれていた。
「私はこの後退が間違いとは思っておりません」
ロフトがノークを庇うように言ったのが、ノークは気に入らなかった。
「後ろのグリナッドは君たちの、本隊があしらえばよかったのではないのかな?」
魔軍をまとめている、クナウスが声を上げた。
「たかが七千だぞ。どう考えても本隊が破られることはなかった」
「万が一、という事態もあるのです。それに」
「それに?」
「グリナッドを率いているのはテトラでした」
「それがどうした」
「この劣勢を覆したいのであればリークやカンルが出てくるはずです。リークの姿は確認されています。なのにテトラだったのです。騎馬の数も少ない。ほとんど見あたりませんでした」
「だから何だというのだ?」
「何か裏がある。そう思います」
馬鹿馬鹿しい。そう言ってクナウスは出ていった。
外がざわついていた。
「竜です。ノーク様」
なぜ竜が。そう思ったが、外に出た。竜は尋常ではない速さで飛んできていた。
「緊急です」
竜から降りた兵は、叫んだ。
「竜を使うほどのか?」
「はい。突如レリビネル要塞、ルシウム間にグリナッド軍五千が現れました」
裏がある。やはりこの男を選んで正解だった。そう思った。
「指揮はリーク。五千はすべて騎馬です」
「そうか。皆に帰還の準備をしろと」
「ルゼイラに対しては如何致しましょう?」
「兵を二万伏せておく。それでもこっちは十八万。リークは我らを甘く見ていたようだな」
レリビネルには、一万がいる。
「ここでリークを潰しておく。いや、潰しておかなければならない。全軍でだ」
夜通し駆けに駆けた。グリナッドは動いていない。
グリナッドの退路に、六段の陣を構えた。他に退路はなく、この道を通るしかない。
「不気味だ」
グリナッドの陣が見える丘に登り、陣を見ていた。静寂に包まれている。一段目の陣では、馬止めの柵が作り始められていた。
「慌てている様子などありませんね」
「いや、リークほどの将だ。この程度で慌てるような」
不意に、鐘の音が響きわたった。
「何だ?」
グリナッドの兵が次々に騎乗を始めていた。
不味い。焦り。一段目は柵作りで態勢が整っておらず、他の陣に至っては大半の兵が休んでいた。これを待っていた。始めから。敵に城を攻めるきなど始めから無かった。
ノークは、すぐ四段目に戻り、指示を出し始めた。
一段目に、ぶつかったようだ。