遠きいただき 二
まだ、雪が残っていた。手綱を握っている手が、かじむ。
急すぎる出陣だった。どこが攻めてきたかも知らされないまま三刻(六時間)走り、半刻(一時間)の休憩が与えられた。
陽は真上に昇りかけていた。
「どこが、攻めてきたんでしょう?」
「わからない。この方向だと、リーガリー王国、リゼクス教国、帝国。どれもあり得る」
息が、あがっていた。吐く息がかすかに白い。
陽射しが暖かかった。まだ日が昇る前から出兵したので、何も食べておらず、空腹だった。
「隊長、召集命令です。鉄隊の先頭に集まれとのこです」
「わかった。行こう」
そう言われ、トルテは後に続いた。
「攻めてきたのは、リーガリー王国。数は、三万。理由はよくわからんが、単なる侵略かもしれん。だが、相手が何であれ理由がどうであれ、攻めてきたのなら押し返すのみ。我々重鉄隊がその要となることを、忘れるな」
重鉄隊は、重装の騎馬と歩兵だけで編成された隊だった。野戦では速さこそ無いものの、その圧倒的な破壊力で敵陣を崩し、功城戦では城門を崩す。それが、重鉄隊だった。
「敵はすでに共和国領内へと入ったようだ。近いうちにぶつかるだろう」
グラル大佐の声には重みがあった。
「久しぶりの戦か。この国に来て初めての戦だ」
対照的に、この上官の声は軽かった。
クセスという女だった。グリナッドから来たと本人は言っている。グリナッドに女の将がいると聞いたことがあったが、まさか自分の上司になるとは、思っていなかった。
一人だけ、例外的に遊撃塞ではなく、ここに来た。男のような顔を想像していたが、はっとするような美人だった。
来たばかりの頃、陰で笑われているのを聞いたことがあった。しかし、本人は全く気にしていないようだった。
女だからと言って命令を聞かない兵も、しばらくすると、命令を聞くようになっていた。何もしていない。ただ、普段通り動いていただけだった。
次第に、周囲の将校もクセスの実力を認め始めた。だが、未だに嫌っている将校も多い。
進発した。共和国の兵数は三万で、王国と同数だった。
リーガリーは共和国の西にあり、その南にはリゼクス教国があった。最近はリーガリーとのいざこざはなかったが、良好とも言えなかった。教国との国境では、絶えず紛争が続いていた。
平野に、兵の声がこだました。
前衛のぶつかり合いが始まった。
魚鱗。伝令の声が聞こえた。重騎の半分の二千五百は鱗の先頭を行き、敵を乱す。その後に歩兵が続き開けた穴を大きくし、残りの重騎で完全に敵を崩す。重騎の攻撃は、半端な抵抗では止めきれない。
「あの敵なら、一撃で潰せる」
駆け出す直前、クセスはそう言った。クセスの隊は、先頭の先頭を駆ける。
疾駆。と言うには少し遅いが、重騎は駆け始めた。
敵の、騎馬隊。少しの重みもなく、あっという間に乱れた。
クセスの剣がしなやかに舞い、二つ三つと首を落としていく。それは思わず見とれるような技だった。
鉄の楔。鋭利で、頑丈な楔。それが、最もこの隊にふさわしい呼び名だと、トルテは思った。
歩兵が飛び込んでくる衝撃が、確かに伝わった。もう、止められるものは何もない。
衝撃は大きくなり、敵は潰走を始めた。後少しで、敵陣を二つに割れた。
「脆かった。何でもない、ただの敵だった」
追撃は、軽騎がする。重騎では遅すぎる上、馬がもたない。
「帝国と、比べて。ですか」
「まぁね。指揮官や兵数の違いもあるだろうけど」
「帝国は、強いんですか」
「最後のノークの時は、そう感じた。粘って一気に突く。そんな感じかな」
クセスが兜をとると、風が吹いてきた。
「リーク殿はどうなのです。寡兵でもノークと互角に戦ったと聞きました」
「静かに見ている。例えて言えば、雲の上の傍観者。熱くなることがない。一度だけあったけど」
「軍人としては、珍しいですね」
「逆に私たちが熱すぎたから。熱くなり過ぎた石を冷やしてくれた」
汗がひき、今度は少し寒くなってきた。
追撃に出ていた軽騎が、戻ってきた。
次の戦場はどこなのか。考えているのは、それだけだった。