戰日 一
陽が沈みかけている。見ていると、幾らかの哀愁が湧いてくる。
リークは、この辺に陣を張ると伝令を出した。
「原野戦となればこちらが圧倒的に不利。しかし私は、この戦で帝国を徹底的に叩いておくべきだと思います」
陽が沈んだ後、幕舎の中で軍議を開いた。
「この隘路を利用しましょう。この隘路を抜けるまで撤退を装っておびき寄せます」
声は凛々しい。だが髪は長く、顔は端正であるが、どこか柔らかい。
男であれば。リークは、リルの祖父が死ぬ間際に言った言葉を繰り返した。
彼奴は女であるが故に、いくら優秀でも、いくら戦功を挙げようが、周囲からは軽蔑の目で見られるであろう。尤も、彼奴を評価し、共に戦おうとする輩もいる。唯最後は、味方からの、哀れな裏切りで命を落とすことになる。もし、そうなられたくないのであれば、お前が、お前が死んだ後も、守ってやらなければならない。
それから七年間、まだ十であったリルを引き取り、娘同然に育てた。母はリルが生まれて間もなく死に、父と兄弟は皆、帝国との戦いで戦死した。家柄なのか、帝国への恨みなのかは解らないが、リルはやはり、入軍を希望した。初めは一兵卒で良いと言っていたが、士官学校を上位の成績で卒業し、異例の早さで将校まで昇進した。
「私が先鋒と殿を勤めます」
どうでしょう。と、口で言わずに目で言う。
これが初陣ではない。国境際で小さな争いがあった時は、リルを派遣していた。しかし今回の戦は規模と訳が違う。この国、グリナッド王国の存亡が懸かっている。この国だけではない。北方三国同盟。つまり、グリナッド、ルゼイラ、ナスクの同盟。一国でも破れれば、その全てが滅ぶ戦だった。
「簡単におびき寄せられるほど敵の指揮官は単純なのか?」
「はい。この戦線に来るのは初めてのようですが、他の戦線での戦いを見ても勢いだけで戦をしています」
帝国の侵略は、毎回三方より同時に行われる。
「さらに帝国の指揮官はこの頃戦功らしき戦功を挙げておりませんので焦りがあります」
「魔軍の情報は?」
帝国は、数年前から、魔軍と称される軍団を造っていた。魔軍は、この世の人ではない人で構成されている。ほんの数人でも、数百の部隊を相手にできる程の力を持っている。
「今のところその情報は入っておりません。唯、中央のルゼイラにはかなりの数が投入されたと聞きましたが」
「そうか。レハリナス、竜の状態はどうだ?」
地図を見つめていた中堅の将校が、顔を上げた。
「万全です。帝国の竜はこちらと同じ二十ほど」
「勝てるな?」
「勿論です」
普段は大きな目が細くなり、不適な笑みを浮かべている。
「法兵の数は?」
「二百ほど」
法術と呼ばれる魔法を使う者たちを、法兵と呼ぶ。法術を使える者の数は少なく、数は少ないが汎用性が高く、高威力であるため重宝されている。
「解った。先鋒はリルとする。テトラを連れていけ。テトラ、リルが無茶をしだしたら止めろよ。ぶつかったら即座に引く。それを繰り返せ」
次々に指示を出し、全ての指示が終わった。
「何か意義は?」
何もなかったので、軍議は解散となった。
「若いな、皆」
「全く。勢いがあって結構」 軍議が終わっても残っていた、カンルが答える。
「だがお前を超す器はいない」
「人はいつか死ぬのだぞ、カンル」
「信じられるか、お前が死ぬなど」
「死ぬのではないのかもしれない。死ななければならぬ時が来る。それだけかもしれん」
「だがまだその時はこない」
「当たり前だ。今は。だがな」
地方の小さな商人の家庭に生まれ、貧しかったが、楽しかった。いつの日からか武芸に打ち込み、軍学を学んだ。十六の時、軍に入った。両親は入軍にかなり反対したが、家を出、王都ミレラームを目指した。
「死か」
ぽつりと言った、カンルの言葉が虚しく響いた。
朝。陽が昇る前から進発したので、朝焼けが眩しい。
頻繁に斥候を出した。帝国との国境に、かなり近づいている。
「伏兵の配置が完了いたしました」
伏兵は、本隊よりも早く進発させていた。
「そうか。少し急ぐぞ」
このまま行くと、かなり開けた草原に出、そこで一度ぶつかることになっている。伏兵に一万を割いた。だから実際、二万で十三万を相手にしなければならない。被害を最小限に押さえたいが、だからと言って、始めから逃げるつもりでは戦わない。帝国には、本気で追撃してもらわなくてはならない。
恐怖はなかった。あるのは、好奇心。リルは先鋒をすると言ったので、全騎ではないが、騎馬隊を率いている。 リルにとって、大きな戦はこれが初めてだった。どこまで出来るか。先鋒だけでなく、歩兵が反撃に移るまで、帝国の追撃を食い止めなければならない。万が一リルが敗れても、リークが後方にいる。
草原に出た。前方約十里に敵。
「旗を掲げよ」
敵の陣が動き、両翼が前に出る。鶴翼。
「魚鱗」
どちらも、状況に応じた陣だった。
リルの騎馬隊が駆け始めた。法術と矢が飛んでくるが、横に広がった騎馬隊にはあたらない。
リルが手を挙げた。瞬間、横に広がっていた騎馬隊が、二本の長蛇となった。その二本は、鞭の如く、当たっては戻る。敵の騎馬隊は必死で追い回っているが、追いつけないでいる。
敵の両翼が包み込もうとするが、包み込まれる直前になって徒と共に突き抜ける。
敵を引っかき回したからといえども、圧倒的な兵力差は覆せない。徐々に押され始めた。
「鐘を」
鐘の音が響きわたり、全軍がある方向へと向かって駆け始めた。敵も追ってくる。
谷が見えた。リークは先頭を駆けて、谷を抜けた。後はリルの騎馬隊がどれだけ巧みに敵の追撃を交わしながら、ここまで誘導するかに懸かっていた。
反転して迎え討つ態勢は整っている。来い。思った瞬間、見えた、騎馬隊。その後を追ってきた敵は、すでに勢いがついているため止まれない。
リークは駆けていた。一人、斬り落とす。突き出された槍をかわし、二人一辺に斬り裂いた。
谷の中程で、火が上がっている。見えた。敵の大将の顔。周りより派手な鎧を着たその男は、明らかに動揺していた。誰も守ろうとはしていない。唯一人で叫んでいる。
一閃。剣が閃き、首が舞い上がった。敵の兵は退路を断たれたため、引くにも引けず、降伏を申し出る者までいた。
戦場は次第に静寂に戻っていった。
「四万は討ち取りました。今リル様が追撃を掛けております。降伏は一万。馬は三千ほど。完勝でございます」
「浮かれてはおれぬ。リルが戻ったらすぐ救援に向かう」
「は?」
「ルゼイラだ。力の差がありすぎる。このままでは攻め滅ぼされる。もしそうなれば全てが崩れる」
春の陽射しは穏やかだった。