第六話 初めての夢
【ラプンツェル】妊婦が食べるのによいとされる野菜。髪長姫とも言われるグリム童話のひとつ。長年子どものいなかった夫婦に、やっと子どもが授かった。だが生まれた子どもは魔女に連れて行かれてしまう。それは夫婦が交わした魔女との約束のせいであった。魔女の庭に生えていたラプンツェルがどうしても食べたくて仕方がなかった妊娠中の妻の為に夫が、忍んでラプンツェルを摘み採っていくのだが、魔女に見つかってしまい、理由を話すと、好きなだけラプンツェルを採っていい代わりに生まれてきた子どもを差し出せ、というものであった。
魔女に連れて来られた女の子どもはラプンツェルと名づけられ、森のなかの出入り口の無い高い塔に閉じ込められる。成長したラプンツェルのとても長い髪を塔の上から垂らし、梯子代わりにして魔女が上って訪ねてくるのだが、或る日、魔女の居ない隙にラプンツェルの美しい歌声に惹かれて王子がやって来る。逢瀬を重ねていく2人であるが……というストーリーである。初版にはあった性的行為や詳細な描写が、後版で改変される。
・ ・ ・
施設で拾われたケンは、可憐に可愛がられて、良い時を過ごしていた。可憐に勉強を教えてもらい、文字の存在を知り、歌を聴いて、そして――。
初めて夢を見る。
それは、ケンが成長し、大人になって、成熟した可憐と手をとって、結婚する夢であった。とても先の未来の話で、式は、パリで行われた。2人が神父の前で永遠を誓い、接吻を交わした後、盛大に花火が上がった。大喜びで見続けていると、突然の暗闇がケンらを襲う。ケンが振り向くと、白衣を着た男たちが気がつけば居て、ケンらを強引に連れて行った。ケンは寝台に寝かされてしまい、可憐は何処だと吠え問い質すと、男たちが顎で示した先に、いばらに絡んだ可憐の姿があった。
(可憐。かれん!)
壁にもたれ立ったまま押さえられて、それはまるで女神のよう。丸みを帯びたその身体に、痛々しくも棘の刺さった箇所から細く線を流線に描き血が滴り落ちる。美しい長い銀の髪もいばらに絡まり、解くのが困難であった。目は閉じ息は途絶えているのか、ケンは寝台に括りつけられ確かめにはいけない拘束状態である。
白衣の男たちが2人、いや3人は居たであろう、ケンを取り囲んでいた。内の一人が注射を見せながら、針を上に向け、「予告する」と抑揚無く無表情で言った。
「お前は3年後、1948年に、生まれ変わるだろう」と言った。
(3年後……?)
いきなりでは理解し難かった。おかしい点には直ぐに気がつく。何故なら、ケンが可憐から聞いた話では、ケンたちが居る時代は明治の初め――1868年、のはずではなかったか。ケンがさらに男たちに訴えかけると、「1948年に」と念仏の如く繰り返した。
「お前は犬から狼へ、狼から人狼へ、人狼から人へと、成る」
別の白衣を着た男が低い声で言った。また別の、隣に居た男が言った。
「過去へ、未来へ、また未来へ、そしてだ――人と成る」
「成る」
男たちは揃って余裕たっぷりに頷いていた。
「120年」
男たちは連鎖するように、続けた。
「120年。大還暦」
「大還暦。お前は、2068年に死ぬであろう」
「死ぬ」
「死ぬ」
「シヌ」
「2068年に」
「何故分かる」
「お前は独りだ」
「独りだ」
「独りだ」
「ヒトリダ」
「寿命だ」
夢は、そこで終わりであった。目が覚めれば夢の内容はケンの記憶から全て消えていた。
慎ましく舞踏会が開かれることとなった。降誕祭の祝いは禁教の為、出来ない代わりにワイスの計らいで、化学研究全般に対し貢献する貴賓を集め、これまでの感謝の意をも込めて祝おうではないか、ということであった。明治の舞踏会といえば鹿鳴館が思い出されるであろうが、明治政府によって建てられた欧化政策的な象徴、社交の場であった。残念ながら昭和20年の東京大空襲で焼失してしまったが、鹿鳴館時代と呼ばれる明治16年から20年にかけては外国からの賓客だけではなく天皇節の祝賀会行事等、国内行事も行われて注目を集めていたようである。当時の外交政治的思慮が背景にあり、日本においては西欧の行儀や作法、舞踏などは日本人がどうにも知る由はなく、実に風当たりは厳しいものであったのだが、諸外国人に滑稽と称されつつも、短く儚き歴史の華の建となっていよう。煉瓦造2階建てで1階に大食堂や談話室、書籍室、2階には開け放つと100坪にはなる舞踏場が3室あり、バーやビリヤードが設備されていたという。
舞踏会が執り行われると聞いた時、可憐は舞い上がって杏樹女史にすぐ様、報告をした。
「まあ大変。私も出席させて頂けるのでしょうかどうしましょうどうしたら」
頬を赤らめ困った顔をした。
「先生がドレスを着るのを見るのは楽しみ。お父様が何を言おうと、先生を出席させてって頼んでみるわ。断らせない」
得意気に可憐は鼻を鳴らしている。頼もしかった。可憐が杏樹女史のもとから離れ、螺旋階段を上がって行きながら「ケーン!」と呼ぶと、部屋で寝ていたケンは、ドアの隙間から出て可憐の居る所まで走って行った。首から垂れ下がった鎖を引きずり廊下を走れば直ぐに可憐と合流した。
「もう直ぐパーティよケン。一週間後。先生も私も華やかなドレスを着て、美味しそうなフランス料理やワインが並んでて、演奏者が音楽を奏で始めたら、私はお父様を呼んで一緒にダンスをするの。私がリードして華麗に踊ったら、お父様も他の皆もきっとビックリするわ。日本人は誰も彼も、西洋のダンスは苦手で下手ですもの」
首っこを抱かれながらケンは話を聞いていた。
(パーティ? ドレス?)
嬉しそうな可憐の陽気さは伝わっている。
(だんす?)
可憐は鎖を手に回収しながら、「行こ」とケンの毛なみを押した。
(へた?)
午後の授業を始める前に、ケンらは散歩に出かけた。
翌日からの邸宅内では、食事会の準備で使用人たちを含めワイスも慌しく移動することが多かった。同じ席で食事を採ることが出来ず、ワイスとはすれ違っていた。何とか取りつけてワイスに杏樹女史の出席を申し出ると、それは構わん、と難なく返事があった。やったわ、と可憐が飛び跳ねているとワイスの横から、ササキが「あのう、旦那様」と控えめに声をかけていた。
「どうした、む」
ワイスの目にとまったのは、ササキが抱えていた大きな箱である。「これが先程」白い長箱に赤い光沢のある洒落たリボンで飾れられ、白いカードが添えられていた。「貴殿に捧ぐ」と書かれたカードを気にかけながら、箱を開けるようにワイスはササキに指示をした。
「なあに、それ?」
無邪気に可憐が横から覗き込んでいる。箱を開けると、折りたたまれた衣服らしきものが顔を出した。「これは……」ワイスが手に取ると、それは白い、広げると約まやかではあるが、印章のように花がデザインされた上品なドレスであった。
「ドレスだわ! まあ素敵!」
感嘆の声を上げる。可憐、そしてミヤも杏樹女史も聞きつけて来て、場は一層に騒然となった。
「一体誰がこれを」
「旦那様」
ササキが心配そうにワイスに尋ねると、無言であったワイスの表情が、カードを眺めているうちにみるみる曇っていった。「可憐、お前にだ。フリード公から」とぼそりと呟いた。「フリード?」可憐には覚えがない名前である。首を傾げた。「お前を気に入って贈って下さったらしい。受け取りなさい」それを言うと、ワイスは素っ気なく場を後にする。「旦那様……」
残された可憐たちはお互いに顔を見合わせながら、視線を可憐からドレスへと集中させた。
「今度の舞踏会に着てもいいのかしら……」
可憐が不安を口に出した。ワイスの態度が気になっていた。
「旦那様が許可下さったのですから、怖がることはないのではないかしら」
「でも」
「相手様も御好意で下さった物のようですし、きっと舞踏会に御出席なさる方かもしれないですわ。それより、まあまあまあ! なんて素晴らしいドレスなんでしょう。触ってみてくださいな、この手触りと滑らかさ。私はこれまで見たことがございません、舶来の物でしょうか。お嬢様がこれを着て御出席なさるとしたら、私何て言葉が出るやらで」
ミヤは絶賛した。可憐の顔は晴れきってはいないが、「そうね、ええ。うん」と無理に作り笑いをこさえる。ドレスをたたみ、箱へ戻すと、隣にお座りで待機していたケンと目が合った。
「楽しみね」
微笑むと、箱に蓋をする。「お嬢様、部屋へ」と言われて箱はミヤと共に持って行く。
(ドレス。パーティ。カレンがそれをきる……)
可憐に連れられて歩きながら、ケンは思考をこらす。耳に入った言葉を覚えて、例え鸚鵡のように真似て繰り返すばかりであっても、ケンは止めない。
(たのしみ)
1866年頃になるが、ドイツが統一される前、プロイセン王国によるオーストリア帝国との戦争、いわゆる普墺戦争があった。実際はプロイセンと、オーストリアを盟主とするプロイセンを除名したドイツ連邦国との戦いであったのだが、サドワの戦いで、プロイセン軍がオーストリア軍に圧勝する。7週間戦争などとも呼ばれる戦争だが、プロイセンでは第一軍にフリードリヒ・カール親王、第二軍にフリードリヒ3世王太子が司令官として活躍する。
これの影響を受けて、ドイツ統一はオーストリアを廃し小ドイツ主義のプロイセン主導のもとで行われることになり、北ドイツ連邦が形成された後は1870年に始まる普仏戦争へと続いていくのである。
同じ頃同じ時代、1868年頃、翌年の1869年まで16箇月間に渡り、日本では維新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争があったと先述した。区切りとしては正月の鳥羽・伏見の戦いを初めとし、日本国内の各地で内戦が起こる後、箱館五稜郭(現在の函館市)を陥落させるまでこれは続いた、この一連の内戦を総じて戊辰戦争と呼んでいるのである。戦争は、その前にあったペリー来航の際に浮上した開国と攘夷問題から発展したものであるが、維新政府軍――薩摩藩・長州藩らを中核とした討伐派が、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟であるに対しクーデターを起こしたのである。まずは王政復古の大号令を発させ、4月に江戸城を開城させた討伐派は、それから上野戦争、東北戦争へと続き、中でも長岡藩(新潟県)や会津藩(福島県)では藩内が戦場となったことで、多くの死傷者を出しているのである。
これを経て、明治絶対主義国家への確立、近代国家へと、道は拓かれる。
薩摩藩など新政府側はイギリスとの好意的な関係があり、武器商人との取引があったとされる。また旧幕府側はフランスから、さては奥羽越列藩同盟・会庄同盟はプロイセンから、軍事についての教練や武器の供与などを受けていたらしい。だが、いずれも外国からの軍隊派遣を要請することはなく、この一連の戦争に欧米列強による直接介入は幸いなことに無かったのである。もし戦争に諸外国の圧力が加われば、戦死者の数は全然と違ってくるのかも知れず。
そして慶応4年、若しくは明治元年のこの年、干支が戊辰であったことに由来し戦争に名がついているということは、既に知れ渡る周知の学なのであろう……。
時は1868年なりて。
邸宅では普段とは違い、奥底に緊張感を秘めながらも、準備は進められ舞踏会は開かれる。朝の4時半に目が覚めた可憐は、早速とミヤを呼び、支度をせがった。起こされたケンは可憐の傍についてはいたが、邪魔になるからとミヤに鎖を引かれて自室にて待つとしている。
ケンは窓から見える空に目を合わせ、何も思い浮かばない時間を過ごした。
そら、くも、あかり、き。
そんな単純な言葉さえ浮かんではこない。
無駄な時間が過ぎた後、まだ午前ではあるがミヤが部屋へ入って来て食事を与えた。「遅くなりましたねケン、さあお腹がすいたでしょう。召し上がれ」銀の器に入った御飯とスープの入った皿。スープは手製の時もあれば、施設からの特製である時もある。可憐が稀に自分と同じ物を与える時もある。味覚で味わっているのだかどうだかは、見るだけでは判らなかった。
「貴方も舞踏会に相応しい格好をしなくちゃね、ケン」
ミヤが思いついたように言った。
ケンはミヤにより、浴室へと連れて行かれた。
舞踏会は午後から開場されるが、メインとなるのは夜会の方で、可憐が待ち侘びているようにダンスが催されるまでにはまだだいぶと時間があった。ミヤたち使用人が忙しく走り回って準備した立食パーティー、欧風ではあるが、来賓には外国人と日本人、両方が混在する。
部屋の窓から外を見下ろしていた。招待客が疎らに訪れて来始めると、可憐は急いで鏡を見ながら身だしなみを整えた。確認するとドアから出、ケンを呼ぶ。「ケーン!」暫く待っていたが、何の反応もないので可憐はケンの部屋へと急いだ。
風呂で洗われて綺麗になったケンに、小さな黒い蝶ネクタイが着けられていた。
「きゃあケン、可愛い!」
着けたのはミヤで、首輪を替えられて飾られていた。「素敵よ」傍によると可憐が頬を撫でてくれている。
ケンは目を細めながら、さする可憐の手つきに気持ちよく応えていた。
(きもちいい)
気分が良かった。褒められたからか、手触りの、感触か。着けられた飾りに関心は無かったが、可憐が喜んでくれるなら……と、不思議な気持ちになった。
「見てどう? フリードって方が下さったドレスよ。窮屈だけど」
腰に手をあてがいながらその場で一周した。可憐は身体が細く、痩せている。ドレスは全体がレースで出来ており非常に優雅な、今で言うAラインのマーメイドドレスであった。大胆に肩を出し、三変酒色のレース地に金属小片の刺繍が輝き、尚一層の優雅さを醸し出す、色は白一色だが寧ろ地味で美しく清楚で成人なドレスであった、兎も角も美しい、と唸る形容である。
髪をアップにしティアラを模してカチューシャで留め、肩を出してはいるが銀色の首飾りが寂しい首もとを覆い隠している。それは友人から贈られた舶来品、禁教の為に天使や十字架は着衣出来ないが、ドレスにはよく合っている。
(カレン。きれい)
言葉には出来ないが、ケンは目で言った。微弱ではあるが、ケンから「気持ち」が発すられているようである。
(カレン。うつくしい)
ケンは、次々に言葉を発していた。
(カレン。かわいい)
まだ思いつく。
(カレン。たべたい)
微妙にズレがある。まだ慣れてはいないし使い分けが未熟の域から脱していない。
(カレン。わ、た、し、は……)
発したくも覚えた言葉が少なく選ぶ能力も乏しく仕方がないであろう、今の感情に適合するに近い言葉が、出て来たのが苦心して最後にこれである。
(入れたい)
欧米を意識した様式に則っとり立食社交場では、右隅から左隅へ前菜、スープ、サラダ、魚、肉、デザートが各テーブルごとに並び、雇われた臨時の使用人である執事、給仕、コック、運転手が来客を温かく出迎え入れ、ホールでは代表による簡単な挨拶のもと、満員御礼、拍手とともに賑やかに執り行われていた。
「それでは、今後の化学、そして祖国の発展の為に」
乾杯、と掛け声とともに、グラスを掲げた。グラスは合わせずがマナーと心得、グラスの脚を持ち、上級のワインをひとくちと口に運ぶ。行儀など不慣れな者も混在してはいるが、互いを思いやり会を楽しむべきであるよう配慮が為されている。
ヴァイオリンとピアノによる二重奏、それがヴィオラとチェロが加わり四重奏。クラシックが流れるホールでは、各国の化学者他ならぬ著名人や王に縁のある者も参列していた。アンリ・ベクレル、ピエール・キュリー、アルフレッド・ノーベル。会は華美に見ようが質実でもあった。
「失礼、お相手は」
「いいえ、おりませんの」
「では私と」
手袋の手から手へと取り合って、若い男女はホールの中心へと向かう。ダンスフロアともなるこの局地に、何組ものカップルは舞踊をする。ここは社交の場、出会いと芸術の場。誰もが酔いしれ、ひと時の時間を過ごしている。
一方、可憐はというと。
ケンを連れて、庭に出ていたのである。
「つまらないわ……」
そう呟きながらであった。ケンがそれを聞いて大人しくしていると、またひとつ、照明がホールに点いた。夜が始まる、告げるように灯された灯。それを見ながら可憐は、折角に着たドレスを恨めしそうに見ながら溜息をついた。
「お父様も御挨拶に忙しくて何処かに行ってしまったし、お腹もすいていないし。あーあ、先生は、何処に行っちゃったんだろう。欠席かな……」
捜しても、朝から杏樹女史の姿は見えなかった。残念ではあるが仕方なく、可憐はケンだけをより所に人目を避けたように闊歩していた。庭には誰もおらず、可憐がこれまで趣味で育てていた花が、懸命に咲いている。すると花壇に交えてひとりの影が、サッと可憐の背後に現れたのであった。宵闇もそこそこ、風がそよぐ、秋の香り。蜻蛉は向こう、鳥が素直に啼く。砂を引き摺った音がして、可憐は背後の気配を感じとった、透かさず振り向く。
立っていたのは紳士、30代半ばといった所であろうか、背丈の筋通る長身の気品ある男が黙って可憐を見つめていた。可憐は男の出現に戦慄き、固まった。畏怖する相手に男は一歩を下がると、胸に手を当てて一礼をした。
「貴女は、ワイスマン氏のご令嬢、可憐殿であられますか」
仰々しく、けれど洗練されたような振る舞いに可憐は動けなかった。「はい」返事をするがやっとであった。
「私は、フリード・ヴィル。王より仰せつかい、こちらに招かれました。会場ではお見受けできなかったのでもしやと思い、でも勘が的中できたようですね」
穏やかに微笑い、鼻を掻く。愛嬌それが可憐の目には意外に思えた。そして聞いた名、フリード・ヴィル。フリード、と聞いて可憐の胸が高鳴った。
「貴方がこれを?」
ドレスの裾をヒラヒラとさせながら、片手で摘んで持ち上げる。「はい。僭越ながら」とまた奇をてらったように頭を掻く。
「何処で私を……?」
「湿板で」
「湿板?」
「あ、いえ。ええと、ワイスマン氏には色々とご教授を頂いた縁が御座いまして。貴女のことも、詳細を存知ております」
「あ……」
可憐は息を呑んだ。途端に冷や汗が出る。自分の肌を見つめ、「恥ずかしい……」と声を漏らした。「恥、とは?」素朴にもフリード、可憐の顔を窺った。
「私……普通ではないから……」
気に入りの口紅で飾られた唇から、頼りのない声がする。銀にまるで染められたかのような現実的ではない真しやかな髪、細い躯、か細い声は、男の常軌を逸する行動を誘発させようとする。
「そんなことは御座いません」
「でも」
「何故己を否定なさるのかは、干渉は致しません。ですが、ただ、私は」
フリードは可憐の両肩に手を置き、真っ直ぐに目を見る。刹那、動きは止まり、宵闇の支配から便乗した、暁からは程遠い顔を出した月は、怖くも光る。
「貴女にただ会いたいと」
可憐の瞳に映る像は、ただひとり。
身を任せた可憐に縛りは解かれた、そして、また別の縛りを。
(こいつ)
解いたのは、傍に仕えた獣であった。
(きけん)
ケンは立ち、威嚇状態の態勢に入る。『危険』――。眼光が鋭く、血走る。ドクドクと、血の流れは熱き川。押さえきれない衝動が、「彼」を襲っている。
「ウゥゥゥウ……」
歯を剥き出し睨みつけるケンに驚き、フリードも可憐も一斉に彼を見た。「ケン!」「ウガァッ!」可憐が初めて見た光景であった。
《続く》