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第十五話 ケィビィ


【ブラックケトル】アメリカインディアンの社会、シャイアン族の酋長。彼は白人との対立を望まず、和平を結びたがった老賢者であった。インディアンの社会は完全合議制民主主義であり、「首長」や「族長」のような権力者は存在しないのであるが、白人たちにはこれが全く理解できなかった為に1864年のサンドクリークの虐殺のように、インディアンへの無差別大虐殺へと発展していった。1863年の前年の年、「インディアンは、この地上から消し去るべき自堕落で、宿無し同然で、残忍で恩知らずな人種である」と社説で書いた新聞が発行されている。州でインディアン絶滅キャンペーンが開始されていた。



 ・ ・ ・



 笑えなかった。玉振が読んでいた本から顔を上げると、そこには消えかけている虹の架かった空があった。

(今日は天気がいいな)

 店からは近い大きな公園、急遽、休みを貰った玉振はそこで時間を潰していた。今朝になって目を開けると体調が優れなく、小雨が降っていて、何とか気だるい体をベッドから起こして店に休むと連絡をとったものの、午前中に寝ていたら昼頃には回復し、天気も良くなり軽くなった体で午後からは外に出かけた。

 レガシィの部屋で寝泊りをしてから2日経つ。レガシィへの懐疑心は消えてはいないし起きている問題、謎の解決はしてはいないが、時間を置くことでうやむやなまま気にしなくなっていった。それより玉振に、別の興味が訪れる。

 レガシィの部屋で寝た時にも思い出された、身の不安――俺、何なんだ? は、「アジアン」の言葉で引っかかっていた。「アジアン」は、万引き少年たちを払い除ける為に喧嘩を吹っかけた時、少年に言われた言葉。どうにも頭から離れなかった。考えてしまったのは、玉振が、日系人であるのかということ――肌は日に多少は焼けてしまってはいるが黄褐色ではない、かといって白人ではない。髪はほぼ黒に近い茶、目は黒のように見えるが、髪の色と同じく褐色にも見えた。顔、端整で、もはや30代とは思えぬまだ少年のような色香があった。果たして、少年たちが本当に日系というものを存じていたのかどうか――自分たちにとって異なる者をそう呼んだだけではないのか? ――と、玉振に発想が持ち込まれていた。

(帰ろ……)

 小さな呟きと共に、玉振は座っていたベンチから退いた。本はつい先程、図書館で借りて来た物である。

 戦争の史実を知るべく、例の、「マンハッタン計画」を調べていながら。

(「あれ」に書かれていたことが……事実だったのだとしたら。俺は……)

 立ち上がって歩く玉振の肩にヒラヒラと、木の葉が当たって落ちた。男によって見させられた数枚の紙に書かれていたことが、夢でもうなされる程に玉振の体に疲労を与えている。

 だが、好奇の心も、あった。

(日本という国の、死者の数の羅列。統計だから仕方ないとはいえ、たった一年足らず半年程度だけでも、あんな……俺にはもう一度見る勇気は無い)

 もうたくさんだとも思う反面、続きが気になっていた。

(エノラ・ゲイやB29、それと爆弾の設計。誰かの構想段階での手書きに思えたんだけど、あれは……素晴らしかった。ああいうのを……「やりたい」が……)

 決して口外できないことを頭では平気で言えた。素朴な感情、それは好奇というものである。いずれこの手で設計を立て、実行できたら。それはその対象は、戦闘機でも爆弾でも構わない、実験が出来たら、などと――本当なら、思いたくはなかった。

(賢くなりたいから……)

 日が、落ちかけている。そちらを見上げる。自分が何者であるかと同時に、自分がこれからすべきことは何なのか。まるで青春がそこにあるかのように玉振は……願った。

 男からの「連絡」を、大人しく待っている。



 南部の木には奇妙な果実がなる

 葉には血が、根にも血を滴たらせ

 南部の風に揺らいでいる黒い死体

 ポプラの木に吊るされている奇妙な果実

 美しい南部の田園に

 飛び出した眼、苦痛に歪む口

 マグノリアの甘く新鮮な香りが

 突然肉の焼け焦げている臭いに変わる

 カラスに突つかれ

 雨に打たれ 風に弄ばれ

 太陽に朽ちて 落ちていく果実

 奇妙で悲惨な果実


 1939年、エイベル・ミーアポルにより作詞、作曲されたブルース『奇妙な果実』は、アメリカの人種差別を告発する歌である。黒人をリンチにかけ首を縛り、木に吊るし火をつけて焼き殺すという恐ろしき凶行は、この頃にもまだ見られた、ここで言う「果実」とは、木にぶら下がる黒人の死体のことである。

 後世では、「この歌はやがて黒人への暴力に対する反対運動を代表する歌となり、この歌詞によって心に植えつけられた暗鬱なイメージこそが、20年後に公民権運動という輝かしい果実を結ぶ種子の一つとなったのである」……とされる。


 第二次世界大戦時、若しくは太平洋戦線において、アメリカ軍兵の一部が日本軍戦死者の遺体に対して行った戦争犯罪、猟奇行為が数々とある。日本軍戦死者の遺体の切断行為、何故その様な行為に出たのかとすれば、敵兵の遺体の一部を戦争の、土産として持ち去る、換金する、コレクション化するためであった。それ以外に、戦時中の、敵兵に対する怒りから行われる、というだけでなく、黄色人種である日本兵に対する人種差別的感情からも行われる行為だったとも言われている。


 大量の日本軍の戦死者の遺体は排尿や死体への射撃などで冒涜され、あるいは記念品として戦死者の耳や、時には頭などが切断されネックレスにされるなどして持ち去られた、ともあり、戦後、マリアナ諸島から本国へ日本軍将兵戦死者の遺体の残りが送還された時、約60%がそれらの頭部を失っていたという。サイパン島で収容所にいた日本人少年が、海岸で頭蓋骨をボール代わりにして遊ぶアメリカ兵を目撃しているらしい。


 日本人の遺体を切り刻み持ち去る行為、及び日本の軍部やメディアがアメリカ軍人による死体遺棄報道を元に行った反米宣伝が、結果的に連合軍上陸後にサイパンや沖縄で発生した民間人の集団自殺などに繋がったのでは……としている。


 死者に口は無いのだ。生き残った者の勝利、それが戦争であった。

 一体、何処で、どの様にして歯車が狂ってしまっただろうか、解らない。死は、人を狂わせる――必ず。



「ただいま……」

 決して足取りの軽くはない帰路で、ようやく自宅に着いた玉振がそう言った所で、返事は無かった。無論、あるはずが無いのではあるが。

 鞄を置き、喉が渇いたからと冷蔵庫を開けて玉振は自分の頭を叩き、舌打ちする。「あ、と。しまった」どうやら冷蔵庫の中にはほぼ食料品が無い。「スーパー寄ってきたらよかった。馬鹿」と、自らを罵る。今日はずっと上の空で過ごしていたのだと溜息をついた。

(買ってくるか……) 

 嘆いていても始まらないと、鞄から財布だけを取り出し外へと出る。ドアに鍵はかけた、二度と物事を忘れない様、自分に厳しく言い聞かせる様に努めた。確実に閉めたドアから離れて下の階へ。トントン、と鉄の階段を下りていくと、アパートの管理人である初老の男性、ケニーというが、彼に会った。「……」

 無言で、目が合って暫く間があったが、「どうも」と、止めかけた足を再び動かした。「これからか」肩がすれ違った所で声をかけられた。「あ、ちょっとそこまで」玉振は答えて、直ぐに場を離れようとした、だが。

「これを預かっているんだが」

「え」

 隠れて見えてなかった片方の手から、白い紙を渡された。

「誰から?」「あんたに用があって来たと言っていた」

 玉振は、まさか、と心当たりを確かめようとした、即ち、待ち望んでいた、「男」からの接触を。アーグ、彼のことを。

 紙の表裏、隅々までも探したが、名前は書いていない。

 読んでも、何のことだかが解らない。「どういうことだ……?」下唇を噛んだ。記号で書かれている訳でも、仮に他人が読んでもヤバいことが書かれている訳でもない。筆記で書かれた英文である。「一体、誰がこれを」

「知らないのか? あの子」

「子ども?」

「てっきり、身内の子かと」

「そんな馬鹿な。俺には……」

 家族など、居るはずがないのにと言いかけて止めた。子どもが玉振を訪ねてくる。何故か気味の悪さを覚えた。「どういうことなんだ」分からない。

 訪ねてきた子どもの特徴を聞くと、年は5歳から7歳くらい、ピーナッツのTシャツを着ていて活発そうな顔をしていたという。白人の子であったと。

「だから、まぁ、あんたの子にしちゃ、妙だとは思ったけど……」

 太い腕を組み考えているケニーの目が、突然大きく開く。「あ、あれ」目線は玉振の体をすり抜けて遠く、つられて玉振は振り向いた。

 すると視線の先に、ひとりの子どもが立っているではないか。

「あの子か?」

「そうだ。あの子」

「本当か?」

「何を疑ってる。あの子を知らんのか」

 場から距離数十メートルは遠く、こちらを凝視していた子どもを指していた。大通りに繋がる道路で、破れの見れるフェンスや他アパートが軒を連ねているなか、玉振をただ見つめている。そして――ニヤ、と笑みを零した。視力のいい玉振は、それを見逃していなかった。

(誰だ……)

 嫌な汗を掻いた。だが、動き出さねば始まらないだろうと、玉振は子どもの居る方へ向かった。するとその子どもも、玉振の方へ向かって来る。自然と対面することになった。

(……?)

 近づいてみると、子どもは楽しそうな顔をして、ズボンのポケットから何かを取り出した。それはお菓子、カステラのひと切れであった。紙にも何も包まずにポケットに入れていたらしく型崩れしていたが。「ふふ」

 可笑しそうに口に入れた。「これ、もらったの。その紙をお兄さんに渡したから」と子どもは拙い言葉で告げる。つまり、子どもは誰かにお菓子で利用されたということかと玉振は知った。

「誰に言われた? 君の知ってる人だった?」

 子どもに合わせて質問をするが、ノー、と示しただけで終わった。「思い出してくれ、どんな奴だった? これを渡すように言ったのは――」玉振の持つ紙を見ても、子どもの反応は変わらない。食べながら、指を舐めながら、「知らない」と答えた。

 お菓子――

 お菓子、カステラ。

 引っかかっていたのは、それである。カステラ、鶏卵を泡立てて小麦粉と砂糖(水飴)を混ぜ合わせた生地を焼いた菓子だが、玉振は奇妙な存在に思えた。「カステラ」は、日本で言うならポルトガルから伝わった南蛮菓子として有名だが、日本に既存するカステラは、独自に発展した「和」菓子になるのである。一般説では16世紀の室町時代末期にポルトガルの宣教師によって平戸や長崎に伝えられたとされており、当初のカステラは鶏卵、小麦粉、砂糖で作った簡素なものであったという。夏目漱石はこれを、チョコレートを塗った卵糖カステラを口いっぱいに頬張る、などと著して当て字にしていたらしい。

 ポルトガルには「カステラ」という名の菓子はなく、原型とされる菓子は見た目も製法も異なる為、実質的に無形の物ではないのか、と言える。

 玉振を既視感の様なものが襲っていた。身震い、寒気がした。これは――何事か。

 南蛮菓子、カステラ。子ども。

 揺らぐ玉振を嘲笑うのか、子どもが大騒ぎし出した。「えへへへ、あははは!」と腹を抱えている。「どうした?」と、玉振は気味の悪さを押して言葉とは裏腹に一歩退いた。近寄るな、危険――本能が勝った、と言えよう。

 そして見るからに、子どもは変貌をその様相に現したのであった。目が充血しひん剥き、汗をかいており体熱のせいで髪が逆立った。そして顔と体が歪み、神経の筋が全身肌に浮いて目立った。血流が熱かろう、激しかろう、全身を真っ赤にさせ、呼吸の旋律が芳しくない。

 一歩どころか、即座に離れていた。これは「危険」なのだと本能が知った。玉振は離れてただ見守る、子どもの有様を。ぱくぱくと口は開けて何かを言っている? いや、空気を探しているだけか、見ているだけで息苦しくなった。

「馬鹿野郎! 何ぼうっと見てるんだ!」

 声が上がる。

 横から腕を引っ張って行かれたのは、間一髪となった。子どもが。


 子どもが、破裂した。


 パァン、とも、表現しきれない音が玉振の耳、更には脳をつんざく。倒された玉振を庇う様にして一緒に倒れた男、それは待ちかねた人物であった。即ち、

「ア、アーグ」

 覚えている名前を呼んだ。「見ろ」男は見る様に促した、反射的に玉振が男の言うままに焦点を合わせると、子どもの姿は木端微塵になった為に無い。似た光景をかつて見た覚えがあった、科学実験だった、玉振は店で番組を見たことがあった。何の爆破実験だったかは印象に薄く確信が持てなかったし、そもそも爆破だったのかさえ自信が持てていない。

 だから、子どもが破壊されたのだと直ぐに察して、恐怖に駆られた。

(嫌だ、こんなのは、嫌だ……!)

 両腕で頭を抱えた。見たくもないショウに唾を浴びせたかった。

(嫌だぁぁああああ!)

 嗚咽と涙が漏れた、ぐっ、と我慢した。吐き気の方が苦しい。

「しっかりしろ。車を用意してある。ちょっとやり過ぎた様だな」

 玉振の体を抱えて立ち上がろうとした男、アーグは、悪戯がすぎたと謝罪しながらではあるが本当の所は覆い隠されていた。それほど、子どもに関心がなかったのか。奇妙だった。

「立てるか」

 注意を促しアーグは玉振の体を支えて、近くに停めてあった車へと着く。それから2人は乗り込み、現場から離れることが目的で車を発進させた。

 ストリートを問題なく走っていく。人は歩道を、車両は道路を、並ぶ民家やビル、アパートや店にも人が、生活していた。今さっき起きたことが疑わしい。

「少々手荒な真似をしたが」

 運転をしているのは無論、アーグである。隣の助手席に玉振は乗せられ、上の空の彼に聞いていなくても構わない位の音量で説明し始めたのであった。

「君に現実味を与えてやろうと思ったのが狙いでね。それでどうだ、充分味わったか?」

 何のことかわからない、と玉振は囁いた。

 それでもアーグは続けた。

「安心しろ、あれはネズミだ」

「ネズミ?」

「名前はモルモット」

 冗談なのか本気なのかは定かではない。

「我々の科学力じゃ飯前だ。……食うか?」

 差し出してきたのは1本のタバコである。食えるか、と僅かにエネルギーがみなぎる。大きく頭を振った。「正解。食ったら死ね、吸うなら」アーグはチラリとダッシュボードを見た。ライターがそこに入っていると教えているのである。「結構」玉振にはそれはどうでもよかった。

「君の身元を調べさせてもらった。シロで、黒かもな」

 何のことだかは、さっぱりとわからないが、調べたと言われて気持ちのよいものではない。

「結果、きれいに『無い』事実が浮かび上がった……要は、君の過去で、調べても分からない時代がある、ということ」

「勿体つけてないで早く言って」

 眠いんだ、とイライラを誤魔化した。

「君の正体を知りたい。身体検査を行いたいと思う。それから……」

 車をどこへと導きながらも、止まろうとはこれっぽっちも考えてはいない様であった。前を見、玉振を見ようともしていないのであろうか。アーグは、日本へこれから経つので玉振に助手として来いと言った。報酬ははずむ、と……。

 核爆弾の構想――ネバダでの地下実験。

 人体破壊――破裂爆弾。

 玉振は、思わず笑みが零れた。声に出しては言わないが、これほど魅力に富むことは無い、と好奇心が勝つ。核だって? そんなものが何故必要になる? ふざけているにも程がある……玉振は惑う。

「技術があってもそれを使わせない愚かな人民こそ哀れ」

 それが本心なのか……アーグは呪文の様に唱えた。

 玉振は、心に決めたのである。


『甘い誘惑は危険と隣り合わせ』


 あの子どもに渡された紙には、そう書いてあった。手のなかで握られていた。



《続く》



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