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【1】異界にドラゴン


 空には月も星も無く、世界は闇に包まれていた。生命の気配さえしない程の暗闇は何処も同じで、この山の中も例外ではない。時折木の葉の揺れる音だけが、風に溶けて、消えていく。


 突如、水を打ったように、張り詰めた空気が震動した。カラス達が驚き、飛び立つ。


 好き勝手に枝葉を延ばす木々の下で、太く、無骨な二本の脚が、山中を揺らすかのように地響きを鳴らしていた。その巨大生物は人ではない。動物と呼ぶのもはばかられる、異形の生命だ。暗い樹海の中に獲物を求めて、鈍重に、しかし毅然としてさ迷い歩いて行く。


 ふと、その岩のような巨体が停止する。視覚情報がろくに得られないこの暗闇で、わずかな光を見付けたのだ。その瞳を細める瞼の皮も、岩石が張り付いているかのように厚い。気配を消し、頭角の下にある巨大な耳をそばたてる。


 「ん……あれ」


 残照が消える。


 人の声がした。


 その匂いを嗅ぎ、以前喰らった人間の味を思い出すと、牙を覗かせた口から一筋の涎を垂らし、忍び寄る。




,,,




 「ん……あれ」


 ここ、何処だ。


 何も見えない。一人ぶらぶらと歩いていた、オレンジがかった夕焼けの世界から一転、真っ暗闇に放り込まれ、遼は状況を理解できず、何度も目をしばたいた。


 「……ここ、何処だ」


 ぼんやりと疑問を口にしても、答えてくれそうな人の姿は見えない。いくら黄昏時とはいえ、商店街脇の並木道に、こうも人気が無いものだろうか。


 暗闇に目が慣れてきて、流石におかしいと感じた。ただ、ぼんやりしている間に並木道を行き過ぎただけだと思っていたのだが。


 「並木道っつーより……森だろ、ここ」


 遼は今、緩やかながら傾斜のある、道と呼ぶには余りに舗装のなっていない、土と雑草の坂道に立っていた。周囲には太い樹木がそびえ連なっている。上を見上げた視界には、その樹木の掲げた枝葉が隙間無く広がっており、夕焼けは愚か、月明かりの一筋すら降りてはいない。

 これは只の迷子とは違う。あの並木道がまっすぐこのような山中に続く訳も無く、知らないうちに山を登ってしまう程、遼も鈍感ではなかった。


では何故、どうやってこんな場所に来たのか。いや、それよりも。


 ――――これ、どーやって帰んの。


 驚きや疑問が、不安へと変化し出す。あ、これ夢かもな、と思ったその時。


 大きな音がした。ビクンと身を竦め、その方向を見る。


 直後、布の裂けるような音……音量的には、幾百枚の布を同時に引き裂かねば足りないだろう大音量だが……と共に、一本の大樹が傾いた。枝が袖を掠め、地鳴りと共に倒れこむ。


 「…………」


 驚き、声も出せずにいた。森の木とは、勝手に倒れかかってくるものなのか。考えたくなかったが、何らかの猛獣によるもの、という理由の方が有り得る気がした。


 ふと、「ある日、森の中、クマさんに、出会った」というフレーズが浮かんだ。いつか親戚の子供が母親と歌っていたのを思い出す。それを微笑ましく眺めていた記憶が蘇る。欠片も笑えなかった。


 森のクマさんですかと呼び掛ける訳にもいかず、静かに倒れた大樹を端から端に目で辿る。音の出所と、大樹の根本が一致する。そこに、巨大な、二つの塊が見えた。指がある。何かの足だ。クマの足では無いように思えた。恐る恐る、視線の先を持ち上げる。


 全身が黒く輝いていた。それは、皮膚がびっしりと鱗に覆われているからだ、と気付く。股の向こうに、丸太のように太い尾が引きずられているのが見える。3本ずつの指が付いた、トカゲのような腕が、筋肉と鱗に包まれた胴体にあり、そこから伸びた長い首に、やはりトカゲに似た頭が付いていた。しかし、トカゲとの相違点はある。耳の後ろに2本、鼻に1本、合計3本の角が頭から伸びており、何より、背中にコウモリのような翼が一対、畳まれていた。


 「……クマさんじゃ、ないですね」

 「ぐるるるる」


 クマの方がまだマシだった、と思う。目の前の姿は、ゲーム画面等でおなじみであり、動物などとは格が違うだろう。最近ハマっていた「バラクエ」にも、最終ダンジョン手前で出ると言われていたが、まさかそこにたどり着く前に……


――リアルで「ドラゴンがあらわれた!」に遭遇するとは。


 そのドラゴンは、身構える前に襲い掛かってきた、とはならず、猛々しい咆哮を森中に響き渡らせた。


 「うお、お、おおわぁっ!」


 遼は思わず叫ぶと同時に、木々そびえ立つ坂道を駆け降りた。


 それを追わんと駆け出すドラゴンの、巨大な足音が地を揺らす。


 後ろを振り返ると、雑木林を薙ぎ倒しながら、ドラゴンは突き進んでいた。巨体が災いし、木々が障害物になっていることで、速度自体は遼とあまり変わらない。とはいえ、少しずつ、勢い付いてきた巨体が距離を縮めてくる。その距離に比例するかのように、死の恐怖が遼の頭を満たしていった。肺が酸素を求め、呼吸が荒くなる。急に稼働された筋肉が悲鳴を上げる。


 背後から飛んだ咆哮が、遼の激しい呼吸音を掻き消した。ドラゴンの口が開いたのが後ろを見なくとも解る。生まれて初めて殺気というものを感じた。おそらく、もう数秒後には追い付かれるだろう。


 逃げ切れないな、と思った。どうにかしなければ、と言っても、どうにかできるのか。バラクエの主人公と違い、遼の背に勇者の剣は無く、つまり反撃の手段は無い。いや、剣があったからと何が出来る訳でもないが。出来るのは、誰かの助けを願うことだけだった。


 「だっ……誰か助けぶっ」


 しかも、その助けの言葉を最後まで発することさえ出来ず。


 頭から、ぶつかった。


 木に。


 視界が反転し、意識が遠退く。


 遼は強く瞼を閉じ合わせた。自分の死ぬ瞬間を見たくはない。ひっくり返ったまま、ただひたすらその時を待った。








 なかなか死なない。いや、もう死んだのか?目を開けたら、もう天国だったりして。そっか、死ぬ瞬間の痛みって、無いんだな。ありがたい。


 混濁する意識の中、遼は瞼を開いた。


 人影が見えた。ドラゴンの前に、誰かが立ちはだかっている。なびかされた長い黒髪が微光を発しているが、男のようだ。何かが弧を描き、閃く。刀だ。次の瞬間、ドラゴンの腕から、浅黒い液体が噴き出した。男が、正にゲームの主人公のごとく、ドラゴンを斬りつけたのだ。


 視界が、暗転する。




,,,




 「いってぇ!」

 「起きろコラ」


 頬に鋭い痛みが走り、目を覚ます。同時に瞼を開くが、暗闇があるだけで何も見えない。数秒後、ランプが灯り、空間を照らした。遼は、狭い洞窟のような場所にいた。


 ランプを掲げたのは、先程ドラゴンと一緒に見た、あの男だった。黒の長髪が印象的な後ろ姿だったのを、おぼろげに記憶している。


 その顔は意外な程若かった。せいぜい、遼と一つ二つしか違わないだろう。白めの肌の上に、細く引かれたシャープな双眉。その下にキレのある瞳が二つ付いていた。中々はっきりと鼻の線が通っており、総じて女性と見違うような顔立ちだ。特徴的な黒髪が腰まで伸びているのも、それを一際強く印象付けている。


 彼の薄い唇から、感情の読み取りづらい低音で、淡々と言葉が紡ぎ出されていく。


 「よう。怪我とかねーかよ」

 「た、助けて貰ったみたいで……ども」

 「あぁ。それよりお前、こんな所で何してる」

 「え」


 「お前、どう見ても戦士じゃねぇよな。そんな人間が黒針くろばり山に来るとしたら、陸越団りくえつだんからか?いや……けどそれは大人共がしっかり見張ってるハズだ。お前、どうやってここへ来た」


 どうやってと言われても。オレは家に向かって歩いていただけだ、と言いたくなる。こっちが聞きたいくらいだった。


 「え、えと、わかりません……つーか、さっきまで普通にいつもの帰り道を歩いてたよーな……まさかこんな、黒針山? に、来ちゃうとは思わなくて」


 それに、ドラゴンに会っちゃうとも思わなくて。


 男はフッと笑みを漏らし、少し可笑しそうに言った。


 「帰り道、か。学校からか?」

 「いやぁ、ちょっと病院行ってて」

 「……この世界には、学校も病院もねぇよ」

 「え」

 「……そろそろ、さっきのトカゲに追い付かれる。匂いで見付かる前に、山降りちまうぜ」


 突然灯を消したかと思うと、男は石壁に立て掛けてあった刀を素早く掴み、洞窟を飛び出した。一瞬放心したが、彼の背中を見て、先程のドラゴンの鋭い牙と、長く伸びた角を思い出す。慌てて、その背を追い駆け外に出た。


 洞窟を飛び出した時には、やはりまだ森……黒針山から出てはいないことを把握した。視界に先程までと同じ、樹木に囲まれた光景が広がっていた。


 しかし遼が長髪の青年に追い付いた時には、彼は既に山を下りきっていた。すっかりと視界は開けており、二人は、山下に拡がっていた空き地に立つ。


 静かに佇む男に、遼は乱れた呼吸を整えながら質問を繰り出した。


 「あの、さっきの……学校も病院も無いって……『この世界には』って、どういう事なんスか」

 「……」


 男は黙ったままだ。腰に差した刀に手を支え、微動だにしない。まるで何かを待っているかのように。


 「……アンタの持ってるそれ、刀、ですよね。それに何よりさっきのドラゴンみたいなヤツ。普通ありえない……『オレのいる世界』には、ありえない。もしかしてオレ、何と言うか……まさかオレ」

 「ヤツが来たぜ。もう少し俺から離れねーと、潰されても知らねーぞ」



 異世界にトリップしちゃった!?という遼の発言は、男の鋭い忠告と、あの魔獣の咆哮、それによる遼自身の内心の動揺と恐怖によって、最後まで発声されることなく掻き消された。


 雑木林の闇の奥から、力強い羽ばたきによる飛行で、先程のドラゴンが現れた。


 逞しい二本の巨足で、何故か、ヤツの身体程の大きさもある大岩をしっかりと掴みながら。


 「あの岩を落として、俺達を潰そうって魂胆だな」

 「……えぇと。オレは、逃げるとかすればいいんですかね」

 「俺が奴を斬る。……とりあえずその間死なねーように努力しとけばいいんじゃねーのか?」


 あの巨大な岩を、空飛ぶ相手に狙い落とされては避けようが無い。それは火を見るより明らかだろうに。てか、斬るて。


 突如、男の瞳から感情が抜け落ちた。


 彼は屈み込むと、左腰に差した刀の柄を右手で握る。左手は軽く、据える程度に鞘を掴んでいた。


 そして、曲げていた膝を素早く伸ばし、強く地面を蹴り、彼の身体は一瞬で空宙へ、一個の弾丸のように飛翔した。淡い、緑色の光を跡に引きながら。遼達二人の真上へと飛んできていた巨竜と、巨岩へと向かって。


 彼の飛び立つ衝撃により巻き上がった砂埃と発生した爆音に目を細めながら、遼はそのイリーガルな跳躍に呆気に取られ、大口を開いたまま男を見上げた。その彼の向こうで、ドラゴンが大岩を放し、音も無く岩が落下し始めるのが見えた。


 岩と男の距離が急速に、一瞬で縮まり、衝突する――その瞬間。


 彼の左手の親指が、強く、刀の鍔を弾く。鞘から素早く引き抜かれ、彼の右手の中にあるその黒刀は、神速の如き勢いで、幾十、幾百回と振り抜かれた。彼の進路を阻もうと、迫り落ちる巨岩に向かって。


 遼の目ではとても彼の絶技を捉えることが出来ず、一瞬で斬撃の閃光が岩全体を駆け巡り、巨岩が泥のように、その造形を崩した事だけを認識した。そうする間にも、大小様々に細切れにされた空宙の岩を足場に、男は更に天へと駆け登り、ドラゴンとの距離を詰めていた。


 ドラゴンへの斬撃は、たったの一閃。遼は初めて見たドラゴンの首と胴が離れ、息絶えるのを見た。


 大小様々に細切れにされた無数の岩が、遼目掛けて落下してくる、その向こうに。

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