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なんとも言えない雰囲気の中、ご飯を無理やり口に詰め込んで朝食を終える。
先程まで感じていた旨みが今は全く感じられない。
砂を噛むとはよく言ったものだ。
俺のほうに視線を向けたままニヤニヤと笑う隣の男にイラッとする。
気分が下降の一途を辿るのを止められない。
「ごちそうさまでした」
珠姫も食べ終わったようで、賢くも挨拶をしているのが聞こえて、下降していた気分がようやく止まる。
澪さんたちはと見てみれば、まだ隣に座った人と話しながら食べている姿が見えた。
もう少しかかりそうだ。
さて、どうするかと思う。
本音としては、用は済んだので部屋を辞したい。
突き刺さるような視線を遠ざけてくれた食事(途中で味も感じなくなってしまったが…)も終わり、纏わり着く視線がうざくなってきたので。
しかし、澪さんと真さんを放って勝手に出て行くのはどうかと思うし、俺ははっきり言って部外者なワケだから勝手な行動は慎むべきなのだ。
「皇ちゃん」
次の行動を迷っていると、珠姫が珍しく声をかけてくる。
「どうした?」
「もう部屋帰りたい」
「あ?…そ、そうか…」
本当に珍しい。
珠姫がこんなことを言い出すなんて。
でも、珠姫が部屋に帰りたいというなら、こちらとしては大儀名文が出来て助かる。
ちょうどいいから便乗させてもらうことにした。
「分かった。行くか」
「ん」
珠姫が立ち上がり、俺を待つ。
待たせないように素早く立って澪さんに視線を向ける。
此処にいるのは珠姫の行動を気にしている人たちばかりだ。
周りの様子が変わるから、澪さんも気付いて視線が合った。
澪さんが笑って頷いてくれたのを了承と取って、入り口に向かう。
珠姫を止める者などいなくて、すんなりと俺はその場を辞しすることに成功したのだった。
「…珠姫」
「皇ちゃん」
……なんなのだろう、この状況は。
部屋に帰ってきて畳の上に腰を下ろしたら、途端に珠姫に抱きつかれて膝の上に抱き上げるような形になってしまった。
珠姫は俺の名前を呼んだ後、何を言うこともなく俺の背中に腕を回してきた。
そのまま黙っていると、珠姫も身を任せたまま何も言わず、時間だけが静かに過ぎていく。
磨耗した精神が落ち着いていく。
俺はここで理解した。
珠姫が俺を広間から出すために、ああ言ったのだと。
澪さんたちに連れてこられて1日、俺はずっと緊張を緩めることが出来ていなかったのかもしれない。
珠姫たちの親戚とはいえ、俺にとっては赤の他人で、そんな赤の他人が集まる場所で居る俺の精神を珠姫は心配してくれていたのだ。
そう理解すると、フッと張っていた緊張の糸が一気に弛んだ気がした。
珠姫を抱えたまま、俺は畳の上に転がり、珠姫を強く抱き寄せた。
それに応えるかのように、珠姫の腕にも力が入る。
これだから珠姫は侮れない。
色んなことに無関心で人を心配させる反面、ふとした瞬間、人の気持ちに沿ってみせる。
幼いころ、何度、俺はそんな珠姫に救われたことだろうか。
母さんは、俺は手がかからなかったって言うが、それは幼い時、ここぞというときに珠姫の存在が俺を支えてくれたからだ。
それがあったから、俺は、珠姫と離れ離れになっても親の手を煩わすことが少なかったのだと思う。
……ついしんみりしてしまった。
珠姫の温もりを感じながら俺は意識が離れていくのを感じた。
眠りに身を任せた意識が完全に落ちる前に口元に柔らかいものが触れたような気がしたが、確認する間もなく、俺の意識は落ちていってしまった。