こぼれ話02
これまた携帯購入による、こぼれ話。
「み、澪さ~~~んっ!!」
ある日、とある県のとあるマンションの一室で、喜色に満ちた声をあげながら走る男の姿があった。
生憎…幸運なことに、それを見たのはただ1人であったが。
「近所迷惑よ。マコ」
「うん、ごめん。でね!澪さん、聞いてよ!!」
相手の非難の言葉にあっさりと謝ったが、本当に悪いと思っているのか分からないほどに、男のテンションは高く、やはり嬉々として手に持った携帯を目の前の女性のほうへ向ける。
男のテンションに、このままでは言っても無駄だと判断した女性―筒井澪はため息をついた。
目の前で携帯をかかげる男は筒井真。
澪の旦那様である。
「ああ…珠姫からメールが来たのね」
「そう!そうなんだよ!!元気だって!」
男が何をそんなに喜んでいるかというと、携帯を初めて購入した最愛の娘である珠姫から、初のメールが届いたからだった。
現在、仕事の都合で、泣く泣く離れて生活している珠姫からのメール。
それも初メール。
常々、『最愛』と恥ずかしげもなく他人に話すほどの娘である。
これが飛び上がって喜ばすにはいられない真であった。
それを冷めた目で見つめる妻の視線も気にならないのか、たった一言『元気』と書かれたメールを愛おしいものを見るように見ていた。
たった一言の素っ気無いメールに、万感の想いが込められているかのように見つめる夫に、澪は呆れしかなかった。
事の起こりは一週間程前。
いつもの恒例となりつつある、珠姫を預かってくれている宮ノ内家への電話からだった。
昔からの親友である亜紀恵のおっとりとした柔らかい声が、受話器から聞こえてくる。
「え…携帯?」
『そーなの。皇紀が珠姫ちゃんに携帯を持たせたいって言ってるの』
「…皇くんが?」
受話器から聞こえた『皇紀』の名前。
皇紀とは、宮ノ内家の愛息子の名前だった。
そして娘の大事な人の名前でもある。
澪も実は、かなり前から珠姫に携帯を持たせようか悩んでいた。
しかし、実際のところ、携帯を珠姫にもたせたとしてもただの置物と化す可能性のほうが高く、購入には踏み切れずにいた。
そこに皇紀の名前である。
『そうよ~。学校でいろいろあるから、連絡がすぐ取れるように携帯を持たせたいって―』
「皇くんが間に入ってくれるならぜひも無いわ!こちらからお願いするわ!!明日にでも珠姫に携帯を買ってちょうだい!!!」
脳に言葉の意味が届いて、慌てるあまりに亜紀恵の言葉を途中で遮るように口を開いてしまう。
数秒、受話器の向こう側が沈黙に満たされる。
(皇くんが珠姫にって…素敵よ!!理想の展開だわっ!!)
沈黙にも気付かず、澪は今後の事を思って知らず笑みをのぼらせる。
『澪ちゃ~~ん?』
「…へ?…っ!ご、ごめんなさい!!すごい理想的な話だったからつい…」
『もう。…まあ、いいわ。じゃあ、皇紀に許可が下りたって言っとくわ』
「ええ。お願い。それと、購入した携帯を珠姫が扱えるようにレクチャーお願いしますって言っておいて!」
『…分かったわ』
その後、珠姫の様子について聞いて受話器を下ろした。
「澪さん、何かいいことでもあったの?」
後ろから聞こえてきた声に笑顔のまま振り向く。
妻の嬉しそうな顔を見て、真も笑みを見せる。
「うん!とってもいいことがあったわ」
「そうなんだ!何があったの?」
「え~…またのお楽しみ?」
「ウソ…教えてくれないの?」
からかいがいのある夫に、澪は無邪気な顔を装って、首をかしげた。
案の定、情けない顔をした真にコロコロと笑う。
「澪さ~~~ん」
「ふふふ。嘘よ。実は、珠姫が携帯を持つことになったの」
「え…う、嘘っ!!?だ、だって、持たせても無駄だって…」
「本当よ。だって、皇くんからの要望だもの」
「うわっ!……で、電話っ…電話しなくちゃ!!」
話を聞いて真は転げるように電話に飛びついた。
これには澪も驚いた。
「ちょっ…マコ!」
「う~ん。う~ん。早く出て~~!!」
「…」
短縮を押したのだろう。
受話器を耳に当てて、相手が出るのを今か今かと待つ真。
それを唖然と見ながら、澪は口をあけたまま凝視する。
「あ!も、もしもしっ!!皇輔さん!ぼ、僕だよ!!真っ!!!――…うん!珠姫が携帯を持つことになったって聞いて、連絡したんだっ…――…そう!皇くんに頼みたいことがあってねっ。あの、僕、珠姫からのメールが欲しくて……―うんっ!お願いします!!ありがとう!!!」
真の天にも駆け上りそうなテンションに先ほどの自分の喜びも彼方へ。
正直、ドン引きしながら、亜紀恵の夫である皇輔と真の(真の声だけ)会話を聞いていた。
ホクホクとした顔で受話器を下ろした真にため息が出る。
(マコは本当に珠姫ラブで困っちゃうわ…いや、私も珠姫大好きだけど。…珠姫がお嫁に行くときどうするのかしら?)
満面の笑みでこちらを振り返る夫を見ながら、澪はもう一度ため息を吐いたのだった。
いつまでも携帯画面を見て幸せそうな顔をする真を放って、キッチンに移動していれば、澪の携帯がメールの着信を知らせた。
早々と登録した珠姫のための着信音だ。
どうやら真に遅れて澪にもメールを送ってきたらしい。
これといって夫より後になったメールに文句を言うつもりの無い澪は、携帯を開く。
操作してメールを見れば、夫と同じように「元気」の一言。
クスッと笑う。
しかし、その下に添付のマークが。
夫との違いに首をかしげながら添付を開けば、澪の顔に輝かんばかりの笑顔が咲いた。
「澪さんにもメール来たんだね!良かったね!!」
やっと興奮がおさまった真が後ろからやってきて、澪の開けた携帯に注目する。
澪は勢いよく振り向いた。
それに目を瞠る真。
「来た!超可愛いっ!!」
ギュッと携帯を抱きしめて先ほどの装ったものではない、無邪気に笑う澪に、真は目を奪われる。
そして、我に返り、澪の言葉を咀嚼する。
『超可愛い』
それはどういうことだろうか?
首を傾げて澪に問う。
ニコニコと携帯画面を真に向けてくる。
画面を見た真は固まった。
澪の携帯画面には、記憶の中より断然大きくなり格好良くなった皇紀と、愛しい珠姫のツーショットが写っていた。
そして、何よりいつも無表情に近い珠姫が、嬉しそうに笑っていた。
「皇く~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!?」
近所迷惑極まりない叫び声が、とあるマンションの一室であがるのであった。
次も携帯の話になります。
書き始めたら止まらない(苦笑)