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遠山先輩と星埜先輩のおかげで、案件は恐ろしいほどスムーズに片付いた。
他の役員総出で、オリエンテーションの準備を終わらせ、帰途に着く。
「ただい―」
「皇ちゃん!」
玄関のドアを開ければ珠姫が全力で駆け寄ってくる姿が視界に映る。
…お、おい!そのまま来るのか!!
慌てて後ろに片足を踏ん張ると同時に、珠姫の身体がかぶさってくる。
「っ!!」
「おかえりなさい」
何とか間に合い、後ろに倒れこむのを防ぐことに成功した。
セーフだ。コンクリに頭からなんてありえないぞ!
「…ただいま」
ぐりぐりと頭を押し付けてくる珠姫に怒る気力もなく、背中を叩いてそのまま引っ付けたままダイニングに移動する。
「遅かったな、皇紀」
「ただいま、父さん」
ビール片手に野球中継を見ている父さん。
てか、今の状態について突っ込んでくれよ。
…いや、突っ込まれても余計に疲れるか。
「皇紀、おっかえりなさ~い♪まぁ!皇紀ってば、ちゃんとお姫様抱っこしてあげなきゃ」
「…何がお姫様抱っこだ」
分かった。
これは母親の入れ知恵だ。
珠姫が自分でこんなことをするはずがない。
疲れて帰って来た息子に、どんな仕打ちだ…。
「母さん、ご飯」
余計なことは言わず、ダイニングの入り口付近に鞄を置いて洗面所に移動する。
この間、珠姫はそのまま。
手で支えてはいるが、大半は珠姫が自分の力で俺に抱きついていた。
意外と力あるんだよな…。
洗面所で手を洗おうとすれば、さすがに邪魔で声をかける。
「珠姫、手が洗えない」
「…ぎゅー?」
「…」
近場から覗き込まれる。
疲れてるんだぞ、俺はっ!
抵抗するのもエネルギーが要る。
そして、そのエネルギーはほぼ空っ欠だ。
「ほら。『ぎゅー』…ただいま、珠姫」
珠姫の願いのままに抱きしめてやる。
ついでに、もう一度帰宅の挨拶をする。
手を離せば、今度は素直に俺から離れた。
「よし」
泡ハンドソープを手に押し出し、手を洗う。
うがい用のコップを使って、うがい。
出来るだけ風邪から身を避けるには必要なことだぞ!
やっておいて、損はない。
口元を手で拭って、振り向けば、珠姫が無言で待っていた。
「…」
「…」
「…行くぞ」
抵抗するには―(以下同文)
貼り付く珠姫を引っさげて戻れば、ホカホカと湯気を立てた味噌汁が俺を待っていた。
今度こそ珠姫を離して席に着けば、差し出される白いご飯。
今日の晩飯はカレイの煮付けらしい。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
味噌汁に口をつけると、しっかりと出汁がきいている。
うまい。
使い切ったエネルギーを補給するように、ガツガツと食べる。
ええ、無言で。
3杯おかわりすれば、やっと腹が落ち着く。
いつものゆっくりペースに戻せば、母さんから声が。
「皇紀」
「ん?」
「珠姫ちゃんの携帯のことなんだけど」
「ああ…」
「澪ちゃんからはOKが出たわ。というか、ぜひ購入して、珠姫に使い方を教え込んで欲しいと頼み込まれたわ」
「…了解」
「真くんは、ぜひ珠姫からのメールが欲しいって泣きつかれたわ」
「…」
メルアドはこれねと、母親からメモを渡される。
無言でポケットにねじりこんで、ため息をつく。
どうしたって出てしまうから、幸せが逃げていくぞとかの突っ込みはいちいちいらないので、よろしく。
携帯の使い方は教えるのは構わないが、メールを送ることに関しては、確約できん。
珠姫が小まめにメールしている姿が想像できないんだ。
…真さん、すいません。
善処しますが、来なくても俺を恨むのだけはやめてください。