9話:幻想大陸への進出
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隔離都市・アトラス院
その理念は『未知を征服し、あらゆる不可思議な闇を薙ぎ払う』こと。
その理念を実現する手法は『普遍的』で『便利』で『お手軽』な技術の確立。
任務:ベルリオーズと、オルレアに幻想大陸の調査を命じる。
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ベルリオーズとオルレアは旅支度をしながら、言葉を交わす。
「ルールを決めましょう。私を守ること。素材を傷つけてはならないこと。自分自身を傷つけないこと。特に貴方の得意とする自爆は絶対に使ってはいけません」
「オルレアを守るのは当たり前だ。研究素材を守るのも納得だ。しかし自爆は何故だ?」
「貴方の魂を削るからです」
「痛くて苦しいだけで、あれほどの火力を得られるなら使わない手はないと思うが」
「気付いていないかもしれませんが、貴方は昔、自爆するのを嫌がっていたんですよ。痛くて、苦しくて、辛いから、と」
「知ってるよ、それでも君に言われて使ってるうちに慣れた。応用技も使える」
「だから、やめさせたい。貴方がいつか心を無くしてしまう気がして。それに全身がバラバラになって、再生しないかと、私は不安になるのです」
「そうか、不安になるか。なら了解。となると、代用品を考えないとな」
「あと外での貴方は『太陽』のように輝き、光へ向かって飛翔する、友情・努力・勝利を理念とした正しいキャラクターであってください」
「なぜ?」
「そのほうが受けるからですよ。狡猾で、陰湿で、頭脳面な嫌われる役割は私が担います。だから貴方は愚直に正しさを信じて頑張る太陽の如き人間性で行動すること」
「了解した。オルレアの指示に従う」
ベルリオーズは、オルレアに問いかける。
「俺も自爆以外は好きではない。が、得意分野はエネルギー発生と操作。ゴリ押しを基本として、小技を混ぜて完封させてもらう」
「準備、終わり」
「こっちも終わり」
ベルリオーズは、オルレアに手を差し伸べる。
「世界を救う旅の始まりですね」
「派手にいこう」
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幻想大陸にある列強の一つ、軍事帝国アドラー。
情報収集をする為にベルリオーズとオルレアは潜入した。
ベルリオーズは治安維持部隊として、オルレアは総合情報管理局の管理人として情報を集めている。
軍事帝国アドラーは実力さえ示せば、一気にのし上がれる。特に特殊な能力があれば更に重用される。それは優秀な二人にとって都合が良かった。
その日は雨は容赦なく降り続いていた。
細かい針のように肌を刺す冷たい雨だった。魔力ランタンが滲み、街灯の光が水溜りに割れて揺れる。深夜二時を回った下町の裏通り、ゴミ袋が山積みになった路地は、腐ったような湿気と安酒の匂いで満ちていた。
ベルリオーズは、独立治安維持組織アーキバスの制服の外套を肩に羽織ったまま、傘も差さずに立って、通信魔法で本部に連絡していた。
「対象を確保。本部に連れていきます」
オールバックにした黒髪は雨に濡れて額に張り付き、メガネのレンズに水滴が無数に絡まる。それでも彼は拭おうともせず、ただ目の前の男を見据えていた。男は壁に背を凭れさせ、両手を拘束具で縛られたまま、うなだれていた。
年齢は四十代後半か。顔は汚れと髭で覆われ、目は充血している。コートの裾は破れ、靴は片方だけ穴が開いていた。
罪状は商店での万引き。弁当一つと缶コーヒー二本。店員に突き飛ばされて転んだ拍子にナイフを落とし、凶器所持で気絶した。
逮捕の瞬間は男は起きていたが、ほとんど抵抗しなかった。
「腹が減ってただけだ」と、掠れた声で繰り返しただけだった。ベルリオーズは、ふと、常日頃から思っていた疑問を問いかけたい衝動に駆られた。
その欲求に従うか迷うが、しかし相手から罵声を浴びせられるのを覚悟して、穏やかな声音で、しかしはっきりと問いかけた。
「貴殿の人生には、理不尽や困難が山ほどあっただろう。それでも、もし諦めずに頑張り続けていれば、たとえそれが大それた成功でなくても、せめて飢えずに眠れる、身の丈に合った満足できる日々はあったはずだろう、何故、努力しなかった? 夢を抱いて努力することはどんな人間にもできるだろう。あとは強度と絶対値の問題だけだ」
男はゆっくりと顔を上げた。濁った瞳に、街灯の光が弱々しく反射する。しばらく沈黙があった。雨音だけが、ざあざあと二人の間を埋めていく。やがて男は、吐き捨てるように言った。
「……恵まれたガキに、俺達みてぇなやつのことが分かるわけねぇよ」
「そうか。」
その一言で、すべてが終わった。ベルリオーズは唇を結んだまま、瞬きを一つだけした。反駁も、説得も、慰めも、一切浮かばなかった。なぜなら、それが真実だったからだ。
隔離都市では自分は恵まれていた。
決して大金持ちではなかった。
父親は小さな工場の経理、母親はパートの看護助手。
それでも三食は確実に食卓に並び、冬は暖房が効き、学校へ行かせてもらい、本を買い与えられ、「頑張れば報われる」という、ごく普通の経験を積み重ねることができた。
更にオルレアの友人でして頑張るモチベーションもあった。
その「普通」が、どれほど稀有なことか。今、目の前の男は、それを骨の髄まで知っていた。男は続けた。声は低く、怒りよりも疲労が勝っていた。
「お前は生まれたときから走れる足を持ってた。俺は這うことしかできねぇ体で生まれて、這ってるうちに膝が擦り切れて、這うのもやめた。それだけだ」
ベルリオーズは黙って聞いていた。雨がメガネのレンズを伝い、頬を滑り落ちる。涙ではない。ただの雨だ。
(確かに、みんなが最後まで頑張り続けることなどできない)
最初から低い立場の者は頑張る方法も、余裕もない。
頑張っていても途中で挫ける者もいる。
結果を出しても理不尽に潰される者もいる。
「もういいや」と投げ出す方が楽だと気づく者もいる。
高潔な精神と行動など、疲れるだけで何の価値もないと悟る者もいる。
『できるやつはできる。できないやつはできない』
それが現実。ただそれだけだ。もしこの世界が「努力と誠実さだけで生きていける者」だけで構成されていたら、たった一人の裏切り、たった一つの例外で、すべてが崩壊するだろう。
単一で完璧なシステムは脆い。
量産には優れるが、例外を許容しない。だから人類は、欠陥だらけのまま、怠惰な者、狡猾な者、投げ出す者、裏切る者、あらゆる「例外」を内包しながら、それでも種として存続してきた。
それは人類の悪性が進化に適していた生存戦略が正解であった結果だ。ただの、リスクヘッジが効果を発揮した。
「そうか、ああ、他者にこの生き方は難しいのか。そうか。いつも、そうだった。そうか。悲しいな。弱さを正当化する言葉は嫌いだったが、確かにそうなのかもしれない」
ベルリオーズはゆっくりと息を吐いた。白い息が雨に溶けて消える。理想と現実は別の話だ。自分は自分の定めた夢に向かって、できる限り最大限の努力をし、最善を尽くして生きる。
世界を救おうとは思わない。社会の仕組みを根本から変えようなんて、おこがましいとも思う。ただ、自分の内側に価値を定める。
己の感情と信念に従い、自らに誇れる生き方を貫き続ける。その結果として、周囲が少しでも好転すれば、それで最良だ。もし悪化するなら、それもそれで受け入れよう。
それで十分だろう。
それで森羅万象最強無敵天上天下滅尽無双。
雨脚が一層強くなった。路地の奥から、腐った段ボールの匂いが流れてくる。ベルリオーズは男の拘束具を点検し、静かに告げた。
「……行きましょう。馬車が表で待っています」
男は何も答えなかった。ただ、濡れた地面を睨みながら、ゆっくりと歩き出した。二人の足音が、雨に混じる。
背後で、街灯がゆらゆらと揺れていた。ベルリオーズは、自分が自分に誇れる生き方を、今日もただ、精一杯、選んだ。雨はまだ、降り続いていた。けれど彼の胸の奥には、小さな、しかし確かな火が灯っていた。
それは誰にも消せない、自分自身のための、ただ一つの灯火だった。
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本部に犯罪者を収監して、廊下を歩いていると、上級尉官の制服を着た少年が、ベルリオーズに手を振る。
「やぁ、ベルリオーズさん」
「スメラギ隊長。お疲れ様です」
「うん、お疲れ。ベルリオーズさん、聞いたよ。浮浪者に何故努力しなかったのか? と問いかけた、と」
苦笑いしながら言うスメラギに、ベルリオーズもつられて苦笑いする。
「申し訳ありません。つい、気になってしまい」
「いいよ、いいよ。そういうものだからね。少し時間がある。話をしないかい?」
「ぜひ」
治安維持組織アーキバス本部の休憩室で、二人はコーヒーを用意して、語り始める。
「それで? 何を思ったんだい?」
「俺……私は、秩序と公平さ。真面目で誠実で努力を惜しまない姿勢、そういったものが好ましく思います。結果はともかく、夢を抱いて進むこと。それが尊い事だと思います」
「俺で良いよ。君らしい価値観だ。そういうタイプだしね」
「だからこそ、思いました。何故、途中で諦めたのか? と。今回の浮浪者の件ならば、頑張ることで理想に至ることは稀でしょう。しかし僅かな日銭だとしても、正当な仕事の対価として受け取ることができる。それで腹を満たせば、今よりはマシな筈です」
「確かに、その通りだ」
「理解はしています。搾取される事に甘んじろ、と言っている自覚はあります。しかし、今のように犯罪者として収監され、罰を受けることは無かったと思います。諦めず、その過程に価値を見出せればきっと、彼は今よりマシな人生になった」
スメラギはカップを静かに置き、ベルリオーズの瞳をまっすぐ見つめた。いつものように穏やかで、どこか遠くを見ているような、底の見えない声で語り始める。
「……ベルリオーズさん。君は正しいよ。君の言う通り、努力を続ければ、少なくとも飢え死にはしなかっただろう。僅かでも正当な対価を得て、明日を生きる糧にはできたはずだ。それは紛れもない事実だ」
少しだけ間を置いて、苦い笑みを浮かべる。
「でもね。君が今感じているその“心の追いつかなさ”こそが、実はとても大事な痛みなんだよ」
スメラギは窓の外、灰色の街並みを眺めながら続ける。
「我々アーキバスが見ているのは“秩序”だ。だが秩序とは、誰かの努力が必ず報われる世界ではない。努力が報われる確率を、ほんの少しでも上げてやること。それが我々にできる精一杯なんだ」
ベルリオーズは静かに聞いている。
「浮浪者のあの言葉……『恵まれたガキには分かるわけねぇ』。あれは嘘じゃない。彼らが味わってきた理不尽は、君や私が想像できる範囲を遥かに超えている。努力すれば報われる、という前提そのものが、彼らにとっては最初から崩されていたんだよ。家族も、住む場所も、教育も、明日という概念すら奪われた人間にとって、『頑張り続けろ』というのは、時に残酷な呪いにしかならない」
スメラギはカップを両手で包み込み、ゆっくりと息を吐いた。
「だから君が今、胸の奥で疼いているその違和感は、正しい反応だ。『努力すれば報われるはずなのに、何故諦めた?』という問いかけは、理想主義としては完璧だ。でも現実を生きる人間にとっては、時に“暴力”になる。我々にできるのは、彼らが努力を放棄せざるを得なくなったその“過程”を、少しでもマシにすることだ」
スメラギは言う。
「君は今、ちょうどその地点に立っているんだな、自分の「正しさ」が、実は生まれ持った特権の上にしか成り立たない幻想かもしれない——という、底なしの穴の縁に。君はまだ気づいていないふりをしているけれど、浮浪者の一言で、君の価値観の土台が音を立ててひび割れた。『もし自分があそこに生まれていたら、同じように胸を張って“努力は尊い”なんて言えたのか?』その問いに答えられない自分を、君は恐れている。答えられない=自分の全てが偽物になる気がして。だから必死に蓋をしている」
スメラギへの言葉に、ベルリオーズは沈黙。少なくともオルレアのために頑張ることはできるが、自分の未来のために頑張ることはできるだろうか? と。
「完全に救うことはできない。完全に公平にすることもできない。だけど、努力が完全に無意味にならない程度の、ほんの僅かな希望の欠片を、せめて明日を諦めなくても済む程度のセーフティネットを張ること。それが治安維持組織の役目だ」
そして、静かに、しかし確かにベルリオーズの肩に手を置く。
「君の理想は間違っていない。ただ、それをそのまま他人に押し付けることはできない、ということだけだ。理想と現実の狭間で苦しむのは、君がまだ人間らしい証拠だよ。その痛みを忘れたとき、君は本当に“正しいだけの機械”になってしまう」
スメラギは思う。
こうやって偉そうに言いつつ、笑顔で任務をこなし、完璧な報告書を書き、誰よりも真面目に振る舞うことで、『自分は正しい人間だ』と自分に言い聞かせようとしている。
君が今味わっているのは、理想の崩壊じゃない。
『自分の信じてきた正しさが、世界のすべての人に当てはまるわけではなかった』という、取り返しのつかない喪失だ。そして僕は、それを無理に埋めてやることはできない。
この穴は、君が自分で降りて、底まで見て、這い上がってこなければ意味がない。だから僕はただ、君が落ちるときに手を差し伸べられる距離にいるだけだ。
最後に、どこか寂しげな、でも優しい笑みを浮かべて。
「だから、たまにはこうしてコーヒーを飲みながら、胸が締め付けられるような思いを吐き出してくれ。君一人で抱え込むには、あまりにも重すぎるからね」
スメラギはカップを軽く掲げて、静かに言った。
「君の正しさは決して無駄じゃない。ただ、それをどう届けるか、それが我々の永遠の課題なんだよ」
スメラギは思う。
「いつか君が私の正しさは完璧じゃない。でも、それでもいい、と言える日まで、そっと見守ることしかできない」
……苦しいだろうな、ベルリオーズ。でもその苦しみこそが、君がまだ“人間”でいられる最後の証なんだよ、とスメラギは思う。
ベルリオーズは静かに息を吐いた。
「辛いですね、現実は」
「みんなそのリアリティと戦っている。折り合いがつけれるようになるのは30か40になる頃かな」
「それは……長い戦いになりそうです」
「君はそれが得意だろう? 失敗を前提としつつ努力し、結果を分析して次の努力に繋げていく。最善を繋げていくのが君の美徳だ」
「これは手厳しい。人にものを説く暇あるなら、まずは自ら実践するべし。正論です。ではそうしましょう。最善と愛する人に尽くす人生を」
「え、君。好きな人いるの?」
「いますよ」
「誰? 誰? 教えて」
「え、いやです。お疲れさまでした」




