舞踏会編 前夜譚4 ナイストライ
夜の市街地を、轟音と爆炎が揺るがした。
月光を反射する白銀の箒に腰をかけたヨグは、宙を滑るように飛んでいた。長い裾を翻し、夜風にその長い髪と、脇腹から垂れ流す赤黒い血を浚わせる。箒の軌跡からは黒い火花が散り、夜空に不気味な弧を描く。
彼女が指先を払うたび、漆黒の弾丸が地上へと降り注ぐ。屋根は崩れ、外壁は抉れ、石畳は爆ぜる。
人々の眠る街は、瞬く間に戦場へと変貌した。
「メイド★十徳 掃除名人」
屋根から屋根へと駆けるイズモは、爆炎を避けつつ寂滅で魔弾を斬り払う。
火花と闇の残滓が散り、瓦が飛び、煙が渦巻く。
「……はらわたから血を流しながらその動きが出来るか」
呆れ混じりの声が夜に響く。しかしその瞳は鋭く、冷静さを失ってはいない。イズモは壁を蹴り、影を渡り、宙を飛ぶヨグを睨み据える。
箒に跨がるその姿は、まるで魔女のように不気味で、街を破壊する災厄そのものだった。
ヨグの唇が、誰も口にしないはずの古の言葉を紡ぎ始める。
「――ケオ・エレバ・クフナ」
低く、しかし澄んだ声。
その響きが空気を震わせ、街全体を重く覆った。大斧の刃に黒い稲光が走り、次いで空に亀裂が走る。縁からは眩い白光と底なしの闇が同時に流れ出し、夜空をねじ切るように広がっていく。光と闇が絡み合い、世界そのものがきしむ音が中庭を越えて街全体を揺らした。
地上を駆けていたイズモは、思わず足を止めた。
見上げるその瞳に映るのは、見たことも聞いたこともない魔術が、今に街を焼き払わんとする光景。
「……古代魔術。デタラメだな」
イズモの唇が震える。
学園での魔術の実技、母国での修行。これまで数多の魔術を見てきた彼女にとって、それは体系の外にある異質な力だった。
次の瞬間__空が裂けた。
黒と白の奔流が滝のように地上へ降り注ぎ、瓦礫も屋根も石畳も飲み込んでいく。轟音が市街を震わせ、爆炎と砂煙が夜空に舞い上がる。舞い上がった塵は渦を空に描き、完全な無へと献上されていく。先の実技場での決闘が、児戯に見えるような圧巻の光景。その中央でヨグは冷ややかな瞳で街を睥睨する。
古代魔術ケオ・エレバ・クフナ。それの発動は歴史をたどれば王国内で実に500年ぶりの代物である。
だが__。
轟音はやがて遠のき、その跡に残されたのは灰燼と化した市街地。
家々は半ば崩れ、石畳は砕け、空気は焦げた匂いと漂う灰で満ちている。瓦礫の山の下で火が燻り、立ち昇る黒煙が夜空に重く溶け込んでいった。
ヨグは箒に腰を下ろしたまま宙を漂い、冷ややかな瞳で下界を見下ろす。片手には大斧を携え、その姿は微動だにせず、凛とした威容を崩さない。
「……」
彼女の視線は絶えず揺れる煙の底を追っていた。灰に覆われた影の中、いつ再び斬撃が走るか知れぬ。
生命察知を展開しても、返ってくるのは生き物の微かな残滓と火の熱だけ。肝心のイズモの気配は、やはりどこにも映らなかった。
ヨグの背筋に、ひやりとした殺気が走った。躊躇なく身体を捻り、箒ごと横へ飛ぶ。
「__裂け寂滅、顎砕き・裏」
直後、影から滑り出た黒い刃が月光を裂いた。
寂滅の刀身が首筋を狙って振り上げられ、袈裟懸けの一閃が空を裂く。
「……!」
間一髪で首は免れた。
だが刃は容赦なく箒を捕らえ、乾いた破砕音とともに軸を斬り砕いた。宙を滑っていたはずのヨグの体は再び重力の枷に捕らえられる。砕けた箒の残骸が灰の中に舞い、夜風に流されて消えていった。
ヨグは咄嗟に大斧を突き立て、瓦礫を蹴って着地する。膝を沈めて衝撃を殺し、凛とした姿勢を取り戻す。
「これで同じ土俵だ」
ヨグは無言で大斧を構え直す。
その瞳には動揺の色ひとつなく、ただ夜の戦場を睨み据えていた。
「ええ、同意します」
ヨグは低く呟き、足先で砕けた石を踏みしめると、大斧を脇下に構えカウンターの姿勢をとる。
「愚策だな……」
そう言うが早いが、イズモは消滅した。
だが、イズモが姿を消した瞬間、瓦礫に伸びた黒い影が波紋のように揺れる。
「撫でろ寂滅、竜の鱗削ぎ」
振りかぶられた、誰も視認できない死角からの一刀。
人の眼では見逃す微細な揺らぎ__だがヨグの冷徹な視線は逃さなかった。
「……あごくだき、うら」
ヨグの誰に聞かせるでもない声とともに、瞳がわずかに動いた瞬間、頭上の闇を裂いて白刃が振り上げられる。
寂滅の切っ先が月光を弾き、狙い澄ました不意打ちの斬撃が、いつの間にか振り下ろされた寂滅を打ち据える。
「……まさか!?」
「影。見えてます」
刃を弾かれたイズモの身体は、制御を失い宙を舞った。
そのまま灰燼と化した街路へ叩き落とされ、石畳を砕きながら転がる。
「私の技を……ッ!」
瓦礫に叩き落とされたイズモが身を起こすより早く、ヨグは地を蹴るように踏み出していた。
大斧が唸りを上げ、夜気を切り裂きながら振り下ろされる。
イズモはとっさに寂滅を構え、刃を交差させて受け止める。
火花が奔り、石畳が抉れるほどの衝撃が腕を痺れさせた。
休む暇はなかった。
ヨグはイズモが体勢を崩した隙を逃さず、横薙ぎ、縦薙ぎと斧を重ねる。一撃ごとに瓦礫が砕け、灰煙が巻き上がる。
イズモは壁を蹴って飛び退き、受け流しながら距離を取ろうとする。
「……影に潜む技、連続使用はできないのですね」
だがヨグはイズモが体勢を立て直すよりも早くすでに追いすがっていた。
斧の巨刃が地を裂き、夜の街を轟音で満たす。
「……クソがッ」
短く吐き捨てながらも、イズモは寂滅で火花を散らし続ける。
だが防戦一方、攻め手を見いだす余裕はなかった。
ヨグの瞳は冷たく、凛とした光だけを宿している。
まるで相手の抵抗すら計算のうちであるかのように、淡々と斧を振り下ろし続けていた。
「……!」
イズモは機が熟すのを待ちわびたように、寂滅を振り上げる勢いを利用し、無理やり身体を沈み込ませる。吐き出した術とともに、イズモの姿は影に呑まれるように消えた。その直後、大斧が振り抜かれ、彼女のいた場所を粉砕する。石畳が抉れ、瓦礫が宙に舞い、灰煙が夜空を覆った。
ヨグは追撃の斧を止め、大地に残る影を無感情に見下ろす。
「……それ、便利そうなので教えてもらえませんか」
その声音に焦りはない。それに応えるような音はなく、ただ静かに市街のどこかを影が這う。
むしろお互いが待ち構えるように、冷ややかに周囲を冷気が覆う。
灰煙の中、影が揺れた。
次の瞬間、寂滅の白刃が今までになく鋭い閃光となって飛び出す。
「斬れ寂滅ッ、一刀竜断!」
ヨグは大斧を振り上げて受け止めようとするが、身体がわずかに遅れた。
「……あ」
先ほど受けた貫きの傷口から、再び鮮血が噴き出す。重心が乱れ、大斧の軌道がわずかに狂った。
そこを逃さず、イズモはさらに踏み込む。
「油断したな」
寂滅が鋭く閃き、ヨグの肩口を斬り裂いた。
血飛沫が闇に舞い、石畳に赤い飛沫を描く。
ヨグは呻き声ひとつ上げずに踏みとどまった。
だが、斧を振り上げる腕は重く、呼吸はかすかに乱れている。
腹部から滴る血が石畳に赤い跡を刻み、彼女の足元に小さな水たまりを作っていく。
対するイズモもまた、影から繰り出した連撃で息を荒げ、寂滅を握る手が震えていた。
それでも瞳は冷たく、決意の光だけは揺らいでいない。
「油断……いいえ、すべて__」
ヨグは大斧を静かに構え直す。腹部から滴る血が石畳に赤い跡を刻み、彼女の足元に小さな水たまりを作っていく。
「……もういいって。それ」
対するイズモもまた、影から繰り出した連撃で息を荒げ、寂滅を握る手が震えていた。
それでも瞳は冷たく、決意の光だけは揺らいでいない。
一瞬の沈黙__。
「……これで終わり」
「了承。戦闘の終了を実行」
二人の声が重なり、同時に地を蹴った。
ヨグの大斧が残光を纏い、横薙ぎに奔る。イズモの寂滅は蒼白い軌跡を描き、大上段から閃く。
光が交錯し、閃光が夜を切り裂いた。火花が弾け、空気が震え、瓦礫の山が爆ぜる。交わされた一撃は、夜の市街地そのものを揺さぶるほどの衝突となった。
市街の瓦礫がまとめて吹き飛び、石畳が抉れ、盛大な土埃が宙へ舞い上がった。砂塵が視界を覆い、夜空すら霞んで見えなくなる。
その中で、ヨグとイズモの影はすれ違ったまま背を向け、静止していた。土埃が舞い、崩れた建物が軋む音だけが響く。時間が凍ったような、張り詰めた一瞬。
やがて――。
「……」
イズモがゆっくりと寂滅を収め、残心の姿勢で振り返った。
その瞳は冷たく、わずかに光を帯びて揺らめく土煙を見据えている。
対してヨグの身体が、かすかに震えた。
腹部からすでに血を流していたその身に、今度は新たな紅の線が走る。
胴を斜めに切り裂かれた痕から鮮血が飛び散り、白い裾をぼたぼたと染めていった。
「……」
その表情からは脱力を読み取ることすらできない。だが、大斧を握る手がゆっくりと力を失い、重い音を立てて石畳に落ちた。
そうしてヨグの身体が傾き、やがて崩れるように倒れ込んだ。夜の静寂に、血の滴る音だけが響く。残心を保つイズモの姿は、月明かりに浮かぶ孤高の影そのものだった。
「死体の処理は……教会が済ませる」
息を吐きながら告げる声は低く、冷ややかだった。
「シュルズベリィの令嬢が……お前の死を知ることはない」
ヨグの顔に一切の感情は浮かばない。ただ血を流し続け、夜の石畳に倒れ伏していた。
イズモは視線を一瞬だけ落とすと、踵を返した。土煙を踏みしめる足取りは重いが、迷いはなかった。
「……私を」
掠れた声が夜気に震える。イズモの耳にも届いたのか、彼女は足を止め、方だけで振り返る。
「__まだ生きていたか」
「私を、殺したのは悪手でした、ね」
唇の端がわずかに緩み、かすかな微笑が浮かぶ。
「……あなたも、教会も。王宮、騎士も……怒りを、知るでしょう……か、れの……」
沈黙が落ちる。
土埃の中、イズモの眉がわずかに動いた。彼女の瞳に、一瞬だけ不可解な影が宿る。寂滅をひと振りして血を払うと、鞘に収め、背を向ける。
「くだらない」
短く切り捨てるような声が、灰燼と静寂に響いた。
残されたのは、未だ傷はなく、それでも主人を守れなかった大斧と、まだ微かに上下するヨグの胸。
その姿は誰にも知られず、夜の闇の中ただ冷たい静寂に包まれていた。
「……申し訳、あり、ません」
瓦礫の上に横たわるヨグの微かな呼吸だけが、この夜に彼女がまだ生きていることを示していた。
血に濡れた石畳の上、ヨグは倒れ伏したままかすかに瞳を揺らしていた。
冷たい夜気が頬を撫で、呼吸は浅く途切れ途切れだ。
「最後に、お役目、を……」
視界は赤と黒に染まり、ほとんど形を結ばない。
それでも心の奥に浮かぶのは__。
「……ル……ルム__さ」
その言葉を形にしようと唇がわずかに動いたが、声にはならなかった。
だが、ヨグは微かに口元を緩める。安堵のような、慈しみのような、ほんのひとしずくの微笑み。血と灰に染まった夜の中、不釣り合いなそれはかえって清らかに見えた。やがて瞳がゆっくりと閉じられ、呼吸は浅く細いまま、静寂へと溶けていった。
***
学園から遠く離れた薄暗い部屋。
灯りもなく、時計すらなく、ただいくつかの蝋燭の小さな炎が天高く積まれた書物を赤く照らし出す。
ペンで机を叩くかすかな雑音だけが渦巻く書庫で、男は大きなため息を吐きながら木椅子から立ち上がる。
「……ま、しゃーない。ナイストライ」
短くそう言い残し、その影はおぼつかない足取りで歩き出す。錆びた歯車が確かに回り始めた。




