陰謀と計略の萌芽
朝の授業を終え、昼下がりの食堂はほどよい賑わいに包まれていた。
煌びやかなシャンデリアの下、長いテーブルには皿が並び、貴族の子息らしい気取った笑い声や、下級貴族の素朴なやり取りがあちこちで交錯している。
ベルナデッタはヨグとエーリッヒを伴い、空いた席に腰を下ろした。
湯気を立てるスープの香りが、ようやく朝から張りつめていた気持ちをほぐしていく。
「お姉さま、約束ですよ!午後から一緒に練習ですからね!」
パンをちぎりながら、エーリッヒは目を輝かせて宣言する。
「……はいはい。わかったわよ」
ベルナデッタは呆れたように返しつつ、思わず口元に笑みを浮かべた。
そのやり取りを無表情のまま聞いていたヨグが、淡々と補足する。
「既に練習場は手配済みです。食後、準備が整い次第ご案内いたします」
「えっ!? やる気満々じゃないですかメイドさん!」
エーリッヒが声を上げると、ベルナデッタは眉をひそめる。
「だからって、あなたまでそんなに張り切らなくていいのよ」
「ご息女様のご命令でしたので」
「……わたし、そんなに頼んだかしら」
ベルナデッタはスプーンをくるくると回し、目を伏せる。
昨夜、確かに「頼んだわよ」と口にした自分の言葉が、じんわりと頭に残っていた。
その言葉を素直に受け止めているヨグの様子が、なぜか居心地を悪くする。
そんな空気をものともせず、エーリッヒは元気に笑った。
「クソ楽しみです!エーリッヒ、絶対にお姉さまみたいに光花を咲かせますから!」
ベルナデッタは苦笑しながらパンをかじり、ほんのひとときの平穏を味わった。
だが、この賑やかな昼餉の場に、すぐ不穏な影が差すことになるなど、まだ誰も気づいていなかった。
パンとスープの香りに包まれた食堂は、昼下がり特有の賑わいに満ちていた。
談笑の声、椅子の軋む音、食器が触れ合う澄んだ音色__それらが重なり合い、学園の日常を形作っている。
そのざわめきを裂くように、重い靴音が響いた。入り口に立っていたのは、顔色の悪い教師だった。彼は息を切らしながら教壇に上がり、食堂全体を見渡す。
「全校生徒は……ただちに大講堂へ集まるように」
静まり返った空間に、その声が冷たく落ちた。
ざわめきが一気に広がる。
「大講堂に……? この時間に?」
「何かあったのかしら……」
ベルナデッタはスプーンを置き、嫌な予感に胸をざわつかせた。
ヨグは表情ひとつ動かさず、エーリッヒはパンをくわえたままきょとんと目を丸くしている。
教師は繰り返した。
「急ぎです。全員、大講堂へ」
その声音は強張り、震えていた。
食堂の温かい空気は消え失せ、生徒たちは重苦しい沈黙の中で立ち上がり始めた。
ベルナデッタは椅子を引きながら、胸の奥に冷たいものが落ちていくのを感じていた。
「参りましょう。ご息女様」
「……えぇ」
重い扉が開かれるたびに、ざわめきが大講堂へ流れ込む。全校生徒が呼び集められたその空間は、普段の式典とは違い、不安と疑念で張り詰めていた。壇上には学園長補佐が立っていた。
蒼白な顔を伏せ、握った手は小さく震えている。
「……先ほど、わが校の生徒、フィアナ=エインヘリヤルの付き人として教会より派遣されていた神父殿が……学園内にて何者かに襲われ、死亡しているのを確認しました」
その一言で、空気が凍りついた。
息を呑む音が一斉に響き、やがて抑えきれない動揺が爆発する。
「そんな……!」
「まさか、殺されたって……」
「学園の中で……?」
ベルナデッタは愕然と立ち尽くした。昨日までフィアナの背に控え、柔和な笑みで誰にでも声をかけていたあの神父。その死が、現実として突きつけられたのだ。壇上の声が震えを帯びる。
「犯人は、未だ不明です。ただし、学園の中で起きた以上、生徒諸君の安全が最優先となります。以後、不要な外出は禁じ、警備を強化いたします」
言葉の端々から、教師陣の混乱と動揺が滲み出ていた。
ベルナデッタは思わず隣を見る。フィアナは強張った顔で目を伏せていた。その様子を見て、胸が締めつけられる。大講堂全体を覆うざわめきは、恐怖と疑念が混じったものとなり、静まる気配を見せなかった。
「……動揺は理解いたします。しかし、生徒諸君の平穏な学び舎を守るため、学園としても事態を軽視することはありません」
教師陣がうなずき合い、さらに続ける。
「明日に控えた舞踏会についても、予定通り決行されます。ただし__これまで以上に厳重な警備のもと行われることとなりました」
場内にまたざわめきが広がる。
一部の生徒たちは安堵の吐息を漏らし、また別の者は顔をしかめて不安を募らせる。
補佐は手を掲げ、動揺を押さえるように言葉を重ねた。
「教会側も事態を重く見ております。すでに最大限の協力を約束されており、警護と運営に関しても人員を派遣してくださるとのことです。王国騎士団との連携も強化し、これ以上の不測の事態は断じて起こさせません」
その言葉は場内を震わせた。
不安は残るが、少なくとも「守られている」という建前は示された。
それでも、ベルナデッタの胸には冷たいざわめきが広がる。
__襲撃を受けた翌日、神父が学園の中で殺され、なお舞踏会は行われる。
その強引さに、背後でうごめく思惑を感じ取らずにはいられなかった。
壇上の補佐が結んだ。
「以上です。諸君は今後、より一層の注意を払って行動してください」
生徒たちのざわめきは収まらぬまま、大講堂は重苦しい沈黙と混乱を抱えて解散となった。
生徒たちがそれぞれの教室や寮へと散っていく中、ベルナデッタも人の波に押されるように歩み出す。
「お姉さま!」
エーリッヒがすぐさま駆け寄ってきた。
瞳をきらきらと輝かせ、昨日の約束を思い出したかのように声を弾ませる。
「今から魔術の修行、行きましょうです!」
ベルナデッタは思わず額に手を当てた。
「はぁ!? できるわけないでしょう!? アンタ、今の話ちゃんと聞いてたの!?」
「ふ、ふえぇ……」
エーリッヒは肩をすくめてしゅんとし、情けない声を漏らす。
「でも、でも……エーリッヒ、準備してたのに……」
「少しは考えて物いいなさいよ!人が死んで__」
そこまで口にして、ベルナデッタは昨日のことを思い出した。初めて味わった、本物の殺意。迫る刃物と、自分をかばい傷を負ったフィアナの血。
(そうだ、フィアナ__!)
ベルナデッタは小さく息を吐き、視線を前に戻す。
そこには、すでに待っていたかのように立つフィアナの姿があった。
「ベルナデッタ」
彼の表情は固く、普段の柔らかな笑みは影を潜めている。昨日怪我した腕はどうなっているのか、気丈に振舞う彼の制服の上からでは推し量ることはできない。
周囲のざわめきが遠ざかり、足音だけが廊下に響いた。
ベルナデッタが歩み寄ると、フィアナは静かに口を開いた。
「……少し、いいかい」
その声音には、先ほど知らされたばかりの惨劇の重みがはっきりと滲んでいた。
フィアナの声色が低く沈み、ただならぬ空気が漂い始めたその時。
少し離れた柱の陰に控えていたヨグは、無言で二人を一瞥した。
彼女の深い青の瞳が一瞬だけ細められる。
ヨグは隣でそわそわしていたエーリッヒの肩に、すっと手を置いた。
「……では私と行きましょう」
「えっ?でもお姉さまが……」
「ご用事があるようですので。魔術の訓練は元より私が教える予定でしたので」
低く淡々と告げられ、エーリッヒは不満げに唇を尖らせたが、結局は従うしかなかった。
「ふえぇ……わかりました……」
ヨグは彼女を伴い、静かに回廊の奥へと歩き出す。
その背中が角を曲がって消えた時、残された空間にはベルナデッタとフィアナだけが取り残された。
重苦しい沈黙が、いよいよ二人を包み込む。
二人は人目を避けるように、人気のない回廊へと足を進めた。
壁に差す西日が長い影を落とす中、フィアナは足を止め、低く声を落とす。
「……神父がどうやって殺されたか、聞いたか?」
ベルナデッタは小さく首を振った。
「いえ……ただ、襲われたってだけで……」
フィアナの瞳が陰を帯びる。
「……刃物だ。それに、胴と腰を一息に__まるで上下を切り離すように斬られていた」
「……!」
ベルナデッタは言葉を失い、喉を詰まらせる。
その惨状が目に浮かぶようで、背筋に冷たいものが走った。
フィアナは続ける。
「普通の剣ではありえない。……斬られた瞬間に、体の中まで一気に」
ベルナデッタの脳裏に、昨夜の光景がよみがえる。
月明かりに舞う黒い長髪、刀を振るい、霞のような魔力で賊を斬り伏せていった男の姿__。
「……まさか」
フィアナは苦々しく唇を噛んだ。
「俺も確信はない。だが……昨日の件を思い出すと、どうしても浮かんでくる。生徒会の書記、イズモ先輩が……また、何かしたんじゃないかって」
ベルナデッタの胸はざわめきに満たされ、言葉が出てこなかった。
フィアナの声音には迷いがあったが、その結論だけは、恐ろしいほどに鋭く突き刺さっていた。
「……でも」
呟きは震えていた。
「彼女はあの場で、わたくしとフィアナを守ってくれたのよ。そんな人が、どうしてあなたの付き人をを……」
頭の中で矛盾が渦を巻く。
昨日確かに感じた安心と、今日突きつけられた惨劇が、どうしても結びつかない。
フィアナも腕を組み、眉をひそめた。
「……理由が見えない。わざわざ守った相手を害する理由が、イズモ先輩にあるとは思えない」
ベルナデッタは拳を握りしめる。
「じゃあ……いったい誰が……」
答えのない問いが、心を重く締めつけていく。
イズモを信じたい気持ちと、事実として突きつけられた死とが、どうしても噛み合わない。
彼女の思考は堂々巡りとなり、出口を見つけられぬまま渦を巻いていた。
その矛盾に答えはなく、ただ重苦しい沈黙が二人を包み込む。
やがてフィアナが息を吐き、低く言葉を落とした。
「……わからない。なんで神父様が殺される必要があったのか」
琥珀の瞳がわずかに揺れ、彼は苦々しげに視線を逸らした。
「教会の人間が殺されたとあらば……父上も協力してくれるだろう。僕のほうでも調べてみるよ」
その声音には、決意と同時に重い覚悟が滲んでいた。
長い沈黙の後、ベルナデッタはふっと肩を落とした。
「……考えても仕方ないわね」
自分に言い聞かせるように呟き、少しだけ視線を上げる。
「それでも……あなたが無事でよかった」
弱々しい笑みが浮かんだ。
それは強がりとも安堵ともつかない、不器用な笑みだった。
フィアナはその表情を見つめ、胸の奥がじんと熱くなる。
――それは僕も同じだ。
だが、その言葉を口に出すことはなかった。
「……ありがとう」
それだけを残し、彼は背を向ける。
ベルナデッタもまた一歩を踏み出し、互いに振り返ることなく、それぞれの教室棟へと歩き出した。
広い回廊に、二人の足音だけが遠ざかっていった。




