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小さな嘘と、それを曝すための壮大な覚悟

 眩しい光がカーテンの隙間から差し込み、ベルナデッタは小さく身じろぎした。

 頭は驚くほど軽く、ぐっすり眠ったあとの清々しさがあった。

 __いつの間に眠ったのだろう。

 寝台から身を起こすと、整った姿のヨグが静かに控えていた。


「おはようございます。……よく眠れましたか」


 その一言で、ベルナデッタの胸に昨夜の記憶が唐突に蘇った。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにし、理不尽に怒鳴り散らし、挙げ句の果てにヨグへ抱きついて__。


「……っ!」


 顔が一気に熱くなる。

 忘れてしまっていた恥ずかしさが、朝の光よりも鮮やかに胸を刺した。


「な、なんでそんなこと聞くのよ……っ」


 思わず背を向け、髪をぐしゃぐしゃにかき乱す。

 ヨグは首をかしげることもなく、ただいつも通り無表情に告げる。


「昨夜は、随分とお疲れのようでしたので」


 淡々とした声に、ベルナデッタはさらに頬を赤くした。


「……もう忘れなさいよ、全部!」


 しかしヨグは相変わらず表情ひとつ動かさない。

 静かに歩み寄ると、寝台の脇に腰かけ、ベルナデッタの肩に手を置いた。


「身支度をなさらないと、遅れてしまいます」


「……っ、わかってるわよ」


 渋々顔を上げると、差し出されたのは丁寧に整えられた制服とリボン。

 白磁のような指先が乱れた金の髪を櫛で梳き始める。

 その手つきはいつも通り冷静で、無感情に見えるはずなのに、不思議と温かかった。


「昨日の疲れが残っているなら、舞踏の稽古は控えるよう手配しますが」


「……大丈夫。やるわ」


 鏡に映る自分の顔はまだ赤い。けれどベルナデッタは小さく頷いた。


「承知致しました」


 ヨグはわずかに顎を引き、言葉もなく髪を結い上げていく。

 スカートの裾を整えられ、靴紐を締められる頃には、昨夜の涙はどこか遠いもののように思えていた。

 ベルナデッタは唇を噛み、鏡越しに無表情な侍女を一瞥した。


「……本当に、何考えてるのかわからないんだから」


 呟きは風に溶け、ヨグはただ静かに一礼した。

 次の瞬間――


 ばんっ!


 勢いよく扉が開け放たれ、朝の光とともに小柄な影が飛び込んできた。


「クソおはようございますです!お姉さまーっ!エーリッヒ、完全復活です!!」


 栗色の髪を跳ねさせ、頬を紅潮させた少女__エーリッヒ=ヴィヴァーチェが満面の笑みで叫ぶ。

 彼女の声は小鳥の囀りのように弾み、舞踏の余韻に包まれた部屋を一瞬で掻き乱した。


「排除を__」


「ノー排除よ」


「わっ、わわわーーっ!?」


 部屋に飛び込むなり、カーペットをずるりとすべたせたエーリッヒは、派手な悲鳴とともに宙を舞い、床に盛大にすっ転んだ。

 どしん、と大きな音が響き渡り、ベルナデッタは目を瞬かせる。


「……エーリッヒ、ノックくらいしなさいって何度言えば分かるのよ」


 ヨグは特に動じず、倒れた椅子を元の位置に戻しながら淡々と告げる。


「扉は壊れておりませんので、ご安心を」


「安心するところそこじゃないのよ!」


 ベルナデッタが呆れ顔でため息をついた、その隙を逃さず、エーリッヒは身を起こし、ベルナデッタに飛びついた。瞳はきらきらと輝き、頬は上気している。


「それよりお姉さま! 今日こそ、今日こそですよ! 魔術のご指導、お願いします!」


「……は?」


 思わず間抜けな声が出る。

 ヨグは無言で髪留めを整えながら、ちらと視線を動かした。


「昨日は倒れてしまって……!でも、だからこそ分かったんです。エーリッヒには足りないものがある、それを補えるのはお姉さましかいないって!」


 身振り手振りを交えて畳みかけるエーリッヒの勢いに、ベルナデッタはぐっと後ずさる。


「ちょ、ちょっと待ちなさい!そ、その、私は、私はですね……」


「だって!お姉さまの魔術は本当に綺麗でした!エーリッヒも、あんな風に魔術を使えるようになりたいんです!」


 瞳に宿る真っ直ぐな憧れが、容赦なくベルナデッタの胸を突き刺す。

 昨日の決闘以来、避け続けていた話題が、ここで不意に目の前へ叩きつけられた。


「……だって!でも、その……!」


 思わず視線をヨグへ送るが、彼女は淡々と結い上げたリボンを整えながら、何の助け舟も出さない。

 ベルナデッタの心臓は、再び早鐘を打ち始めていた。両手をばたつかせ、エーリッヒの勢いに押し負けぬよう必死に距離を取った。


「だ、だから!わ、私は……」


 言葉が喉に詰まり、どうにか振り絞る。


「教えるなんて、できる立場じゃないの!だって私、一般科の生徒よ?魔術の実技だってろくに経験したことがないのよ!」


 必死の言い訳に、エーリッヒはきょとんと目を丸くした。

 すぐに首を横に振り、声を張り上げる。


「そんな話はもう聞きましたです!エーリッヒはお姉さまの全てを受け入れますです!一般科でも、才能がないと言われても!魔術師になるために!」


 ベルナデッタは頭を抱える。

 心のどこかで、その真っ直ぐな瞳に揺さぶられている自分を感じてしまうから。

 ちらりとヨグに視線を向ける。だが彼女はいつもの無表情のまま、ただ「承知しました」とでも言いそうな沈黙で事態を見守っていた。


「……私は」


 ベルナデッタは小さく呟き、机に手をついて俯いた。

 真っ直ぐな瞳で見上げてくるその熱に、ただ圧倒されてしまう。

 そんな中、ヨグが静かにエーリッヒへと歩み寄った。

 気配もなく距離を詰め、彼女の正面に立つ。


「……たとえ嘘だとしても、受け入れるというのですか?」


 その声音は氷のように冷たい。

 エーリッヒは一瞬だけ口をつぐみ、困惑したように目を泳がせた。

 だが、やがて拳を握りしめて頷いた。


「……はい。嘘でも構いませんです。それでも……エーリッヒは、尊敬するお姉さまから学びたいんです」


 ヨグの蒼い瞳が、じっと彼女を射抜いた。

 ベルナデッタはその場で言葉をなくし、心臓の鼓動だけが耳に響いていた。


「……そんなこと言われたら……私」


 振り返ったベルナデッタの声は震えていた。


「私、実技でちゃんと自分の力を出したことなんて、一度もないの」


「え……?」


「この前の光花ルミナ・フロール……あれは、このメイドに補助してもらっていたからできただけ。なんで成功したのかもわからない。私自身の力じゃないのよ」


 エーリッヒの瞳が見開かれる。

 その視線に、ベルナデッタは思わず肩をすくめた。


「だから……本当は、人に教えられる立場じゃないの。嘘をついて持ち上げられるなんて、耐えられないわ」


 俯いて吐き出すその言葉は、苦くて、悔しくて、情けなかった。

 エーリッヒはしばらく目を伏せ、じっと考え込んだ。

 やがて顔を上げ、その瞳をまっすぐベルナデッタに向ける。


「……それでも、いいんです」


「……え?」


「お姉さまがひとりでできなくたって、メイドさんに助けてもらっていたって、そんなのクソ関係ありませんです。エーリッヒは――お姉さまから学びたいんです」


 言葉は幼く、理屈にもならない。

 けれどその真っ直ぐさが、ベルナデッタの胸を射抜いた。


「……どうして、そんなに」


 呟く声は震えていた。


「どうしてもです!」


 エーリッヒは拳をぎゅっと握りしめ、力いっぱい声を張った。


「たとえ全部が借り物でも……エーリッヒは、それを隣で見せてもらえるだけで十分なんです!」


 ベルナデッタの喉が詰まり、返す言葉が出てこなかった。

 ただ、その真剣さに押され、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

 声はか細く、心の奥に巣食う迷いをそのまま映していた。


「できないことばかりで、みんなに支えられてばかりで……そんな私が、人に何かを教えるなんて……」


 言葉が途切れ、視線が床へ落ちる。

 沈黙を破ったのは、ヨグだった。

 彼女は一歩近づき、淡々とした声で告げる。


「__不安なのは当然です。ですが、師が弟子に全てを与えられるなどという思い込みこそ、虚構でしょう」


 ベルナデッタははっと顔を上げた。胸のざわめきは消えずにいたが、その言葉でわずかな光が差した気がした。


「不完全だからこそ学び合える。……それが仲間の本質だ。と、ご主人様が言っていました」


「アイツの言葉かよ」


 無表情なその声音には、確かな芯があった。

 エーリッヒは強く頷き、ベルナデッタを見つめ続ける。


「いいこと言うじゃないですか!お姉さま!」


「え!?あ、ちが、メイドの主人ってのは私じゃなくて、えっと、いや、ここでは私なんだけど__」


 言い淀んだベルナデッタは慌てて弁明しようとするが、すべてを語るのにこの場では絶望的にふさわしくない。唇をきゅっと結び、視線を窓の外に逸らした。

 ベルナデッタの脳裏に浮かぶのは夜空に浮かんだ月の下。黒い長髪をなびかせ、襲撃者を次々と切り伏せていったイズモの姿。

 冷ややかに、迷いなく、ただ自らの力で全てを退けていったあの姿。

 思わず胸に手を当てた。

 その時の震えは恐怖だけじゃなかった。


「……私だって、強くなりたい」


 小さく吐き出された言葉に、エーリッヒの瞳が輝く。


「……!」


 ベルナデッタは振り返り、涙の跡を隠すように強がって笑った。


「誰かに守られてばかりじゃなくて……自分の力で、大切なものを守れるくらいに」


 エーリッヒは勢いよく頷き、机に手を叩いた。


「なら、エーリッヒも一緒です!一緒に強くなりましょう、お姉さま!」


 一瞬たじろいだベルナデッタだったが、熱に浮かされたようなエーリッヒの笑顔に、思わず口元が緩む。


「……そうね。二人できっと……」


 差し伸べられたエーリッヒの手を、ベルナデッタはぎこちなく握り返した。

 その様子を、ヨグは何も言わずに静かに見守っていた。


「一緒に、魔術を勉強しましょう」


 ベルナデッタがそう言った直後__ぐるんと勢いよく視線を横へ向ける。


「頼んだわよ、ヨグ」


 名を呼ばれたヨグは、わずかに瞬きをした。

 無表情のまま、しかし数秒の沈黙を置いてから、低く静かな声を返す。


「……承知しました」


 短い一言ながら、その声音には抗いがたい確かさがあった。

 ベルナデッタはようやく胸の奥のざわめきを抑え、再び前を向いた。


「よーうし!エーリッヒ、この凄腕メイドがいるからにはもう安心よ!どーんとなんでも任せちゃいなさい!」


「ぃやったー!エーリッヒの魔術師人生に新しい一ページが書き加えられたです!」


 ベルナデッタが胸を張ったその時、ヨグが静かに口を開いた。


「……ご息女様」


 呼びかけられて振り返ると、無表情なままのヨグがじっと彼女を見つめていた。


「少し……ご主人様に似てきましたか?」


 唐突な問いに、ベルナデッタは目を瞬かせた。


「なっ!は、は、は、はぁ!?メイドあんた、ソレどういう意味よ!」


 耳まで真っ赤にして声を張るベルナデッタをよそに、ヨグは変わらず淡々と立ち尽くしていた。

 ただ、その瞳の奥に一瞬だけ、かすかな温もりが揺れたように見えた。 

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