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いざ、三たび来たれりアンスティーユ

 馬車の揺れは穏やかで、窓の外には花開く香りとが差し込んでいた。学園へ続く街道の両脇に並ぶ木々は若葉を揺らし、風が草の匂いを運んでくる。

 ベルナデッタは座席に身を預け、ふうっと息を吐いた。胸の奥には舞踏会を思う緊張と、何か予感めいたざわつきが渦を巻いている。


「……案の定あのヒモ、見送りにも来なかったわね」


 愚痴のような言葉を口にすると、対面のヨグがわずかに瞬きをした。


「ご主人様は書庫から出ない主義ですから」


「せめて形だけでもいってらっしゃい、くらい言えるでしょうに」


「……その点は、弁明の余地がありません」


 ヨグは淡々と答える。声には感情の起伏がないが、それがかえってベルナデッタの神経をくすぐった。


「まったく、信じて送り出した家主が学園で何をされるかも知らないで食っちゃ寝なんて……。心配してるって顔だけでもしてくれたら、少しは違うのに」


 ぶつぶつと言い募るベルナデッタに、ヨグは静かに首を横に振った。


「ご主人様なりに案じておられるかと」


「なりに、ね。……ほんとかしら」


 窓の外を眺めれば、学園の尖塔が遠くに見え始めていた。胸の奥に棘のように残る苛立ちは消えず、けれど隣に無表情な侍女がいるというだけで、不思議と少しだけ安心する自分に気づき、ベルナデッタは舌打ちを飲み込んだ。


「__次に帰った時、飢え死にしてないといいけれど」


 馬車が石畳を揺れながら進む先に、遠く尖塔を連ねた白亜の建物が姿を現した。

 アンスティーユ王立学園。王国でもっとも格式ある学び舎であり、貴族の子弟が己の未来を磨く場所。魔術を含む学問や武芸はもちろん、礼儀作法から舞踏に至るまで、上流階級に相応しい全てを叩き込まれる貴族の巣である。

 生徒たちはみな、いずれ家を継ぐ者、あるいは政略の駒となる者。互いに競い合い、結び合い、やがて王都の政に関わることを宿命づけられている。

 その学園生活の中でも、ひときわ華やかな行事があった。


 __年に二度開かれる舞踏会。

 その中でも、学年最後の春の大舞踏会は単なる社交の場ではない。

 王都の有力者や高位貴族が視線を注ぐ中で行われる舞踏会は、生徒たちにとって己の立場を誇示し、将来の婚約や同盟を結び、あるいは敵を牽制する大舞台であった。

 ベルナデッタは窓越しに尖塔を見つめ、胸の奥にじわりと熱を帯びる緊張を覚えた。

 __自分もまた、逃げ場のない舞台に立たされるのだ。


 馬車が石畳を進み、アンスティーユ学園の正門前に止まった。校舎の尖塔には布が飾られ、花々が並び、舞踏会に向けての準備で使用人たちが慌ただしく走り回っている。貴族の子弟たちも華美な衣に身を包み、すでに祝祭の気配に浮き足立っていた。

 荷物を抱え外を見たベルナデッタは息をのみ、驚愕に目を見開く。


「なに、この人だかり」


「……さぁ」


 眼前には大量の人間。それらほぼ全てがアンスティーユの制服を着ている。そして、彼らはみな一様に馬車の窓の向こうから、ベルナデッタを見つめている。

 御者が馬車の扉を開くと、最初に飛び込んできたのは甲高い声だった。


「お姉さまっ!」


 いの一番に人混みをかき分けて飛び出してきたのは、目を輝かせたエーリッヒだった。頬を赤くしながら駆け寄り、勢いそのままに両手を握ってくる。


「エーリッヒ、もうクソ待ちくたびれてました!お姉さまが戻ってきてくれて、クソ嬉しいです!」


 唐突に飛んでくるクソ、にベルナデッタは思わず面食らう。だがエーリッヒの笑顔は、裏のない無邪気さそのもので、むず痒い気持ちと同時に胸の奥を温かくもした。

 そしてその声をトリガーにして__


「シュルズベリィ嬢が帰ってきたぞ!」


「魔術専攻科の主席を打倒した逸材が!」


「是非我ら魔術学科への転入を!」


 横殴りの大喝采。ベルナデッタが馬車を降り、アンスティーユの格式高い石畳を踏むや否や、パレードの観衆の如く集まっていた生徒たちが一斉にベルナデッタに押し寄せた。


「ちょ、ちょっと、なんなのよアンタら!」


 思わず耳を押えて後ずさりするベルナデッタ。その横から、陽を受けて金糸の髪を揺らす影がゆるやかに現れた。


「やあ、ベルナデッタ」


 目も耳も閉じているはずなのに、不思議と声が透けて聞こえ、姿がまぶたの裏に現れる。目を開けば、やはりフィアナ=エインヘリヤルはそこにいた。

 糸目の笑みを浮かべ、彼が一歩進み出る。その背後には、にこやかな神父がぴたりと付き従っていた。


「あなたの学園の帰還を、心から歓迎するよ。ベルナデッタ」


「……フィアナ様の声、耳を塞いでても聞こえるのですけど」


「それは嬉しいね。将来の夫として、妻に声が届くのはこれ以上ない喜びさ」


 その言葉に、周囲の生徒たちの間でざわめきが広がった。

 ベルナデッタはわずかに息を詰めた。祝祭の熱気のただ中で、彼女が再び「舞台」に引き戻された瞬間だった。

 周囲の視線は熱を帯び、婚約者として立つフィアナの言葉が拍車をかけている。息苦しさを覚えかけたそのとき、彼が静かに口を開いた。


「ベルナデッタ……少し、話がある」


 糸目の奥の表情は変わらぬ微笑だが、声音には妙な真剣さが混じっていた。促されるままに校舎の影へと足を向けると、人混みから少し離れた場所。そこから見覚えのある女子生徒がベルナデッタへと歩いてきた。

 かつてクラスの中心にいて、彼女を標的に悪意を振りまいた主犯格__その姿を見た瞬間、ベルナデッタの背に冷たいものが走る。

 しかし、歩み寄ってきた少女は今は俯き、唇を噛みしめていた。フィアナの一歩後ろで小さく震え、やがて決意を振り絞るように顔を上げる。


「……ごめんなさい」


 声は震えていたが、確かに謝罪の言葉だった。


「その……シュルズベリィが、没落寸前の公爵家だと、フォルジュ嬢が言いふらしていて、それで調子に乗ってあなたを傷つけてしまった。理由になんてならないことはわかってるの。でも、本当に……ごめんなさい」


 ベルナデッタは返す言葉を失った。胸の奥に浮かぶのは、かつての悔しさや屈辱、そして今もなお消えぬ痛み。だが同時に、周囲のざわめきと注目の熱を感じる。

 ここでどう応えるべきか__それは、貴族として、人の上に立つ者としての試金石にほかならなかった。

 ベルナデッタは小さく息を整え、視線をまっすぐに返した。


「……未来の枢機卿婦人と不仲なままでは体裁が悪い、そう思って謝りに来たんじゃなくて?」


 鋭い視線を向けられ、少女は顔を真っ赤にして必死に首を振った。


「ち、違うの!エインヘリヤル家の婚約者だからってわけじゃなくて!あの日の決闘で、あなたの横顔を見て、本当に……自分のしたことが恥ずかしくなって……だから……!」


 声が震えて途切れそうになる。周囲の空気も一瞬張りつめた。

 だが次の瞬間、ベルナデッタはふっと表情を和らげ、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「冗談よ。そんなに真に受けないで。……許します。それに、アンタの嫌がらせなんて、これっぽっちもしんどくなかったわ!」


 驚いたように少女は目を見開き、やがて安堵に肩を落とした。


「……ありがとう」


 その場の空気は少し和らぎ、一部始終を見ていたフィアナとエーリッヒは、自分の事のように誇らしげに小さく鼻を鳴らした。


「わたくし、アメリア=ラヴァリエール。愚かだった私を……許してくれて、本当にありがとう」


 彼女、アメリアは小さく礼をし、ベルナデッタへと手を差し出した。


 ベルナデッタはほんの一瞬ためらったが、やがてその手を取る。指先はまだかすかに震えていたが、握手の温もりは確かに誠意を伝えていた。


「知ってると思うけど、ベルナデッタ・フォン=シュルズベリィ。……よろしくね、アメリア」


 二人が向かい合って微笑むと、その場を見守っていた生徒たちの間から自然と小さな拍手が起こった。

 わずかではあったが、それは確かにベルナデッタを取り巻く空気が変わりつつある証だった。

 その時、横で見ていたエーリッヒが目を輝かせて声を上げた。


「やった!これでお姉さまとアメリアさんも、みーんなお友達ですね!エーリッヒ、クソ嬉しいです!」


 あまりに子供のようなはしゃぎっぷりに、周囲の生徒たちから小さな笑いがもれる。ベルナデッタは一瞬むっとしたが、すぐに耳の奥が熱くなるのを感じ、視線を逸らした。


「……大げさよ。そんな大声で言わなくてもいいでしょうに」


 そう言いながらも、頬はわずかに赤みを帯びていた。

 その姿にアメリアも思わず口元を押さえて笑い、和やかな拍手の輪はさらに広がっていった。

 周囲の喧騒がまだ残る中、フィアナがゆるやかに歩み寄り、微笑を浮かべて声をかけた。


「もうすっかり有名人だね、ベルナデッタ。シュルズベリィの名は今日一日でまた学園中に広がるだろう」


「……ありがたくもあり、居心地が悪くもありますわ」


 ベルナデッタは肩をすくめる。視線の先でまだはしゃぐエーリッヒが、「だってお姉さまは凄いんですから!」と元気よく付け加えるのが聞こえ、頬がまた赤くなった。

 フィアナはその様子を柔らかく見つめ、さらに一歩ベルナデッタに歩み寄り隣に立つと、声を少し落として続けた。


「それで……マリーヌのことだけど__」


「ベルナデッタ様」


 柔和な笑みを浮かべた神父が、会話に割って入った。


「舞踏会まで、もうあまり間がございません。療養については問題ないかと存じますが、その期間練習の方は……滞りなく進んでおられますかな?」


 その問いかけに、フィアナは一瞬だけ苦い表情を浮かべた。それには気づかなかったが、ベルナデッタは少しも怯むことなく、むしろ胸を張って答えた。


「ええ、自慢の侍女が昼夜つき合ってくれましたから」


 自信に満ちた声音と晴れやかな表情。


「それはそれは……」


 神父の微笑は一層深まったが、瞳の奥には薄い影が宿る。

 フィアナは黙したままベルナデッタを見つめ、何か言いたげに唇を噛んでいた。

 そんな中、フィアナと神父たちから引き剥がすようにエーリッヒが勢いよくベルナデッタの腕を引いた。彼女の灰色の瞳は無邪気に輝き、声も大きい。


「さあさあ、お姉さま!授業が始まっちゃいますです!」


 隣で歩調を合わせたアメリアが、軽く裾をつまんで優雅に一礼する。


「ご一緒いたしますわ、ベルナデッタ様」


 ベルナデッタは小さく肩を落とし、振り返ってヨグに視線を投げた。


「……ちょっと、引っ張らないで。メイド、寮室で荷解き、お願いできるかしら」


 ヨグは無表情のまま腰を折り、深く頭を垂れる。その姿を背に、ベルナデッタはエーリッヒとアメリアに促されるまま歩き出した。

 陽光が差し込む廊下を進みながら、ベルナデッタはふと口元に笑みを浮かべる。


「……マリーヌの悪態がない朝というのも、退屈なものね」


 皮肉とも本音ともつかぬ調子だったが、エーリッヒは即座に反応した。


「平和でいいじゃないですか! エーリッヒはこういう朝、クソ好きです!」


 アメリアは思わず口元を押さえ、上品に微笑んだ。

 ベルナデッタは肩を小さく揺らし、物足りなさを隠すように笑みを残したまま、教室の扉を押し開いた。

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