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幕間2-2 足を踏んだら勝つゲーム ~2nd season~

幕間書きすぎた

 数日後。

 療養と称して館にこもるベルナデッタに、再び社交の世界が容赦なく扉を叩いた。

 午前、玄関に現れたのは王都からの使者だった。赤い封蝋で閉じられた分厚い封筒を恭しく差し出し、決まり文句のように告げる。


「アンスティーユ王立学園主催の舞踏会__次期国政に関わる子弟の社交の場に、必ずご出席を賜りたく」


 ヨグが手紙を受け取り、すぐさまベルナデッタの私室へ届ける。

 彼女は寝台に腰掛けたまま封を切り、流麗な文字を目で追った。招待ではなく、ほとんど命令に等しい。舞踏会はすでに決闘の騒ぎで揺れた学園を取り繕う場であり、その渦中に当事者である彼女を立たせようとしているのは明らかだった。

 ベルナデッタの指先が小さく震えた。わかっていた。療養の安らぎなど、長くは続かないと。

 ヨグは控えの間から歩み出て、無表情のまま恭しく頭を下げる。


「準備はすぐに整えます。お嬢様。稽古のほどは__」


 ベルナデッタは俯き、封筒を胸に抱いた。

 決闘、婚約、そして舞踏会。自分を取り巻く渦は止まらない。

 けれども、不思議と心は少しだけ軽かった。書庫に籠もりきりの男が外に立ち、自分を迎えてくれたこと。いつも無表情な侍女が、誰よりも傍にいてくれること。そんな些細な出来事でこうも気の持ちようが変わるとは、自分も大概親に似たのだと、ベルナデッタ他人事のように考えていた。


「……ええ。出席するわ。お稽古もすぐにでもつけて頂戴。指先から全身、踊りたくて仕方ない気分よ」


 凛とした声が館に響いた。

 舞踏会という新たな戦場へ向け、シュルズベリィの令嬢は再び歩みを始める。


 ***


 シュルズベリィ家の広間は、午後の日差しを受けて淡く照らされていた。磨き残された床板が光を鈍く反射し、音楽も楽師もいないその空間に響くのは、靴音と衣擦れ、そして浅い息遣いだけだった。

 ベルナデッタはドレスの裾を両手で持ち上げ、ぎこちなくステップを踏んでいた。だが裾は何度も絡まり、靴音は乱れて調子を崩す。決闘で拳を振るったとき以上に、彼女の額には汗が滲んでいた。


「……三歩目で重心が外に流れています」


 無表情の侍女が淡々と告げる。

 ベルナデッタは苛立ちを隠せず、声を荒らげた。


「分かってるわよ!」


 広間に響く靴音は、練習というより怒りの踏み鳴らしに近かった。ベルナデッタは汗を拭いもせず、息を荒げながら吐き捨てるように声を上げる。


「全く……あの気分屋ヒモ野郎!最初の夜だけは夕飯まで作ってくれてたくせに、それっきり部屋に籠りっぱなしじゃない!」


 ヨグは手を取り導きながら、涼しい声で返す。


「……そうですね」


 ベルナデッタはさらに語気を強めた。


「用があるならメイドを通せだなんて……一体どんな殿様気分なのよ!書庫に立て籠もって命令するくらいなら最初から顔を出していればいいじゃない!」


「……それがご主人様の平常運転です」


 苛立ちは収まらない。裾を踏みそうになりながらも、ベルナデッタは言葉を続ける。


「しかも!舞踏の練習だって少しは付き合ってくれてもいいでしょ?女子二人で踊って何になるのよ!」


「……お相手を務めるのは私で十分です」


「そういう問題じゃないのよ!」


 ベルナデッタは肩を上下させ、半ば叫ぶように言い放った。

 だがヨグの表情は変わらない。淡々と足を導き、正しいステップを刻ませ続ける。その無機質さがかえってベルナデッタの苛立ちを煽るのだが、それでも手を放すことはできなかった。

 しばし無言のままステップを踏んだ後、ベルナデッタはふいに問いを口にした。


「ねぇ……あのヒモ、ウィルって一体何者なの?」


 ヨグは一瞬の逡巡すら見せず、即答した。


「世界最強の魔術師です」


「……だからぁ」


「あるいは、極上のヒモ、と」


 ベルナデッタは思わず声を荒げる。眉をひそめ、唇を尖らせながら言い募った。


「それはアイツの勝手な肩書きよ! 極上のヒモだとか、いつも冗談みたいに名乗ってるアレじゃなくて……本当は何者なのかを聞いてるの!」


 ヨグの瞳は変わらない。無表情のまま、しかしごく自然にベルの足を導き、ステップを修正する。


「……内回りの足が遅れています。三歩目はもっと軽やかに」


「ちょっと、話を逸らさないで!」


「舞踏の稽古中です。」


 平坦な声。抗議を受け止める気配すらなく、まるで最初から舞踏以外の会話を認めていないかのようだ。

 ベルナデッタは息を呑み、再び足を動かすしかなかった。苛立ちを募らせつつも、ヨグの手は確かで冷静で、強引には振り払えない。


「……ほんと、メイドらしくないわね」


 小さく呟いたベルの声は、憤りと戸惑いの入り混じったものだった。

 ベルナデッタは食い下がるようにヨグを見上げたが、侍女の瞳は揺るぎもしなかった。


「……もういいわ」


 吐き出すようにそう言って、ベルナデッタは視線を逸らした。これ以上ヨグから答えが返ってくることはないのだろう

 それでも胸の奥にざらりとした感覚が残った。世界最強の魔術師、極上のヒモ。冗談にしか聞こえなかった肩書きの言葉が、今日はいつもよりノイズなく耳に入ってくる。


「もう……くだらない」


「……内回りの足を忘れています」


 ヨグの淡々とした指摘が、現実へと引き戻した。


「分かってるってば!」


 苛立ち半分、羞恥半分の声を上げながら強く踏み込んだ次の瞬間、硬く盛り上がった感触が靴底に返ってきた。ベルナデッタははっとして顔を上げる。


「……い、今のはわざとじゃないから!」


「はい」


 ヨグは顔色ひとつ変えずに頷いた。普段通りの無表情。だが次の瞬間、彼女は珍しく一歩強く踏み込み、ベルナデッタの背を押すように導いた。 


「な、ちょっと……!」


「足運びを矯正します。二歩目と三歩目の間隔が狭すぎますので」


 ヨグの動きは寸分の狂いもなく正確で、まるで音楽を頭の中に流しているかのようだった。その手に導かれるまま、ベルナデッタの足は自然に次の位置へと収まる。


「……う、うう……」


 顔が熱を帯びる。まるで子供のように手取り足取り教え込まれている感覚が、悔しくて仕方がなかった。


「もっと優雅に、と意識するよりも、まずは正しい位置に足を置くことが重要です。ご息女様は余計な力が入りすぎています」


「わ、分かってるってば!」


 それでも、ヨグの動きに合わせてステップを踏むうちに、裾が絡まず、靴音も乱れなくなっていく。苛立ちと羞恥に顔を赤らめながらも、ベルナデッタはほんの少しだけ胸を張ることができた。


「……こういうの、メイドの仕事じゃないわよね」


「同意見です」


 ベルナデッタは肩を震わせ、思わず吹き出しそうになる。

 ヨグに背を押されるまま、ベルナデッタは半ば強引にステップを踏まされていた。最初は反発する気持ちが勝ち、動きはぎこちなかった。だが、繰り返すうちに不思議と身体が馴染んでいく。


 一歩、二歩、三歩。


 ヨグの掌は冷たいのに、その導きは確かで揺るぎがない。自然と足の置き場所が定まり、裾は絡まず、靴音は調子よく床を打つ。


「……あれ?」


 ベルナデッタは驚きに目を瞬いた。意識して優雅に見せようと力んでいたときよりも、今の方がずっと自然に舞踏らしい形になっている。


「正しい位置に足を置けば、姿勢も整います」


 ヨグの淡々とした声が重なった。


「余計なことは考えず、足を運ぶ。それで十分です」


 ベルナデッタは視線を上げ、息を吐く。胸の奥にわずかな充足感が生まれているのを、自分でも否定できなかった。


「……ちょっとは、踊れてるみたいじゃない」


 誰に聞かせるでもなく呟いたその言葉に、ヨグはいつもの調子で淡々と応じた。


「事実です」


 ベルナデッタは額に汗を浮かべながらも、どこか満足げに息をついた。

 靴音が途切れ、ベルナデッタは大きく息を吐いてその場に腰を下ろした。ドレスの裾を整える余裕もなく、手のひらで汗を拭う。


「……ちょっと休憩」


 ヨグは頷き、無言で水差しを差し出す。ベルナデッタは喉を潤すと、しばらく黙り込んでいたが、やがて視線を落としながら口を開いた。


「……このあいだね、女子寮の大浴場でエーリッヒに言われたの。師匠になってくれ、って」


 声は小さく、どこか苦々しい響きを帯びていた。


「私なんか、魔術の実技だってまともに経験したことないのよ。ただの一般科の生徒で、授業で光花ルミナ・フロールを出せたのだって……あれだってメイドが補助してくれたからにすぎない」


 指先で裾をぎゅっと握りしめる。


「そんな私が師匠だなんて、嘘をついたも同然じゃない。……本当に、申し訳ないって思ってるの」


 ヨグは表情を変えず、淡々とベルナデッタを見つめていた。その静かな眼差しに気づき、ベルナデッタは視線を逸らすように膝を抱え込んだ。


「それは、本人にこそ伝えるべきでは」


 ベルナデッタは一瞬ぽかんとし、それから小さく吹き出した。


「……ふふ、そうね」


 自分でも驚くほど肩の力が抜け、声が軽くなっていた。正論を返され、悔しいはずなのに、どこか救われた気もしていた。


「ふぅ……」


 ヨグは隣で背筋を正したまま控えている。無表情のまま、それでも気配だけは絶えず彼女に寄り添っていた。広間に漂う沈黙は決して重苦しいものではなく、むしろ奇妙に落ち着いたものだった。

 ベルナデッタは裾を整えながら、ちらりとヨグを見上げる。口を開きかけては閉じ、指先でもじもじと布をいじる。言葉を探す時間が流れ、靴音の余韻だけが耳に残っていた。

 やがて、意を決したように小さく声を落とす。


「ねぇ、ヨグ……」


 少しだけ言い淀んでから、唇を動かす。声にはならない、小さな頼みごと。

 ヨグはその動きを見逃さず、瞬きをひとつして答えた。


「……承知しました」


「まだ最後まで言ってないのに」


「それでも承知しました」


 あまりに変わらぬ調子に、ベルナデッタは思わず肩を震わせて笑った。


「ほんと、アンタってずるいわね」


「お互い様です」


 次の瞬間、ヨグが差し出した手に導かれ、再びステップが始まる。靴音が広間に軽やかに響き、ベルナデッタの胸にはほんのりと温かな安心感が灯っていた。


「じゃあ、あのね__」


広間に響いていた靴音は、やがて夜の帳に溶けていった。汗に濡れたベルナデッタの頬には、悔しさではなく、ほんのわずかな充足の色が差していた。ヨグは無言で寄り添い、少女の小さな笑みをただ受け止めていた。

シュルズベリィ家での一幕は、彼女にとって確かに安らぎだった。師としての迷いも、婚約の重圧も、そのひとときだけは遠ざかっていた。

アンスティーユ王立学園。

その大理石の廊下には、豪奢なシャンデリアの灯が瞬き、学生たちの笑い声と足音が絶えず響いている。誰もが衣装に心を躍らせ、誰もが次の一手を読み合い、華やかさの裏に鋭い思惑を隠していた。

やがて、ベルナデッタもその喧騒の中へと馬車を走らせる。

今度こそ次からほんへです

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