幕間2-1 シュルズベリィ公爵家のヒモ
王立学園から西へ伸びる道を、装飾も簡素な馬車が進む。窓からは緩やかな丘陵と、見慣れたはずの領地の風景が広がっている。
ベルナデッタは深く座席に身を預け、頬を赤らめ硬く結んだ唇を解かない。
先日のシュルズベリィとフォルジュの決闘は熾烈を極め、両者全力を尽くし、両者ともに意識不明という終わり方ではあったが、マリーヌは殺傷性の強い魔術に手を出したとして敗北。厳重注意の後、療養という名目でそれぞれ領地へ送り返される__それが、決闘の顛末だった。
対戦相手のマリーヌ・ド=フォルジュは特に重傷を負い、救護の手を尽くされながら病院へ運ばれたと聞く。勝敗以上にその結果は、学園内外で大きな波紋を呼んでいた。
だが、ベルナデッタにとって無視できないのは別の出来事だった。
決闘の直後、教会勢力の若き御曹司フィアナとの婚約が公衆の面前で公表された。……らしいこと。
本人の意思も問われぬまま、社交の場で既成事実のように告げられた。もはや選択の余地はない。と、そう突きつけられる屈辱。
さらに追い打ちをかけるように、同時刻、自身の救命活動で侍女が人工呼吸を施したことが後から耳に入った。侍女が主人に唇を重ねたなどという話、令嬢として、女として到底受け入れがたい。事情が事情だと理解していても、屈辱と羞恥は抑えようもなかった。
「アンタ……どうして勝手にそんなことを……」
窓の外を睨みつけながら、ベルナデッタはかすかに吐き捨てる。
ヨグは膝の上できちんと手を組んだまま、変わらぬ無機質な声で返す。
「……救命活動の一環です」
「そういう問題じゃないのよ!」
「お嬢様、つまり王子様より先に唇を奪われたのが気に入らねぇってわけか。あまずっぺぇ~」
「黙れ、このヒモッ!」
ベルの顔が真っ赤になり、鞄を掴んで投げつける。
狭い馬車の中でどたばたと音が鳴り、御者が首を傾げながら手綱を操った。療養という名目の帰郷__だがその馬車の中には、全く療養にふさわしくない喧噪が満ちていた。
言い合いの余韻が残るなか、ウィルは座席にどっかり腰を預け、片手で頭を抱えるように大げさに溜息をついた。
「……これでも心配してたんだぜ? 信じて送り出した愛娘が、けがしてとんぼ返りなんてよ」
「愛娘だぁ……?」
わざとらしく肩をすくめ、芝居がかった口調で続ける。
「いやぁ、父親の気持ちってのは複雑だな。婿候補に囲まれて舞踏会に出ると思ったら、血だらけで帰ってくるんだから」
「誰がアンタの娘よ!」
ベルナデッタは即座に声を張り上げる。
ヨグが無表情のまま横から小さく補足した。
「……血だらけというのは誇張表現です。実際には皮下出血と手指の脱臼、その他軽度の外傷のみでした」
「余計なこと言わないで!」
ベルがぴしゃりと遮り、再び鞄を振りかざす。
ウィルはそれをひらりとかわし、にやりと口角を上げた。
「ま、いいじゃねぇか。俺としては宿主が無事に帰ってきただけで十分だ」
「__ッ!」
その声音には、ほんの一瞬だけ本音の温度が混ざっていた。だが次の瞬間にはいつもの軽口にかき消され、馬車の中は再びどたばたとした喧噪に包まれた。
「ッだぁーーれが宿主じゃ!この世界一の害悪寄生虫ヒモ野郎が!」
やがて車輪の揺れが穏やかになり、馬車は石畳の広い前庭に滑り込んだ。窓の外に見えたのは、ベルナデッタが生まれ育ったシュルズベリィ家の館。往年の栄華を偲ばせる壮麗な石造りも、今は外壁にひびが走り、庭木は荒れ、没落の影を隠しきれない。
ベルナデッタは無意識に拳を握りしめた。
弟子の名誉を守る決闘、婚約の公表、侍女の救命行為__どれも自らの力では制御できぬ出来事ばかり。今、療養という名目で送り返される己は家に縛られる少女に戻ったにすぎない。
「おー、懐かしの我が家、いや、我が書庫か?」
ウィルが馬車から降りながら欠伸混じりに呟く。
「なんでアンタが久々に帰ってきたみたいに言ってんの!」
ベルが即座に言い返すと、ウィルはわざとらしく胸に手を当て、大げさに溜息を吐いた。
「おーこわ。信じて送り出した愛娘が、傷物になって帰ってきたんだ。少しは親父代わりを労ってくれてもいいんじゃねぇの?」
「傷物って……!てか誰がアンタの娘ですってば!」
ベルが声を張り上げる横で、ヨグは荷物を抱えたまま無表情に言葉を継いだ。
「……館の食堂は現在、最低限の食材しか残っておりません。療養に必要な栄養を確保するため、早急に買い出しを指示すべきかと」
「よし、じゃあヨグ。いつも通り、掃除と洗濯と炊事と看病はまかせた。俺は堕落という重大な任務をこなす」
「__御意に」
買い物袋を無から召喚し、颯爽と町へ歩き出すヨグ。それとは正反対、ウィルは早々に館の中へ足を向けた。
「……いや、アンタが行きなさいよ」
ツッ込む勇気もないのかベルナデッタは呆れ果てたように肩を落としながらも、玄関前で一度立ち止まり、視線を上げた。ひび割れた外壁の向こうに広がる灰色の空。__この家も、自分も、まだ試練のただ中にある。彼女の足取りは重く、それでも凛として館の扉へ向かう。
「あ、そーだ!ベル」
「何よ」
そのとき、ふと気づいた。
玄関脇の柱にもたれ、腕を組む男の姿。
いつもは書庫に籠りきりで、屋敷の廊下を歩いている様子すら滅多にお目にかかれない。そんな珍獣が、今眼の前に立っている。彼は、なぜ屋敷を出たのだろう、と。思考を傾かせずにはいられない。
「……いやだから、何のつもりよ、気持ち悪__」
おちゃらけた声とともに、ウィルは片手をひらひらと上げる。
「おけーり」
やかましい。そう思った。けれど、ベルナデッタは驚き足を止める。胸の奥に積もった重苦しいものが、ほんの一欠片だけ和らいだ気がした。言葉にできず、彼女はただ小さく息を吐いて玄関へ歩みを進める。
ウィルはいつもの調子で肩をすくめ、背後に目をやった。
ベルナデッタは振り返らなかった。ただ、いつもより風が強い、と、そう感じた。
***
夕飯時__。
食堂に運ばれてきた皿を見て、ベルナデッタは固まった。
正体不明の薄黄色のペースト。それは持ち上げたスプーンにねっとりと張り付き、もったりと皿へ帰っていく。
「今日の夕飯は油で揚げた芋を加水してペースト状にし、山羊乳のチーズを混ぜ……?」
「__いい感じに」
「いい感じにした料理。通称じゃが……?」
「アリ__」
「じゃがアリゴです」
ウィルにとんとんと背中を押され、ヨグが無表情のまま銀の器をベルナデッタの前に差し出す。
「病人の食卓にまた変なもん出すなぁぁ!!」
ベルは即座にテーブルを叩いた。
おびえたようなそぶりでヨグは無表情のまま補足する。
「……調理担当は私でしたが、ご主人様がどうしてもご息女様の夕飯を作りたい、と申しましたので」
「だからって従わないでよ! なんで止めないの!?」
「……逆らえませんので」
ベルは匙を掴み、震える手でペーストを掬った。伸びたチーズが糸を引き、やたらと粘り気を主張する。
「見た目がも、もう……もう、……なに、なによ、これ!?」
ウィルは悪びれもせずに言った。
「いやいや、これがまた美味いんだ。伸びるだろ? 楽しいだろ?しかも腹持ちがいい」
「あんたは台所を実験場にするな!」
ベルは匙を振り回し、半泣きで叫ぶ。
ヨグは淡々と頷く。
「……確かに栄養価と保存性は高いです。味も、まぁ……食べられないことはありません」
「庶民の兵糧じゃないのそれぇ!!」
ベルナデッタの悲鳴が食堂に響き渡った。
その横で、ウィルは大口を開けて肉を頬張っていた。
「んぐっ……ん、やっぱ領の肉は旨いなぁ。俺が世話になってる書庫の隣の食堂よりはるかに豪勢だ」
「ちょ、はぁ!?なんでアンタだけ肉なのよ!」
「だって俺は療養してねぇし。しかも学校なんか通ってねぇから、こういう時ぐらい食っとかねぇと損だろ?」
「働かねぇ奴が一丁前に飯食ってんじゃねぇ!」
とぼけた顔で肩をすくめるヒモに、ベルナデッタの怒声が館に響いた。彼女が机から身を乗り出すと、ウィルがにやりと笑って口を挟んだ。
「おおっと、今回は対策させてもらったぜ?俺の新作魔術、脅威攻撃排除が」
__が、ベルナデッタの拳は見事にノーガードなウィルの額を直撃した。
「たりゃあ!!!」
「__めぎゃぺ!」
机から吹き飛び、三度バウンドして冷たい床に伸されるウィル。ベルナデッタは机を回って彼の正面に腕を組んで立つ。
その体からは微かに赤い湯気のようなものが立ち上って見えた
「ま、まさか、弱すぎる攻撃には反応しないのか!?……てか、筋力増幅!?どこで覚えたそ__グエェ!」
「ヒモは寝てろ!あわよくば死ね!」
ヒモは壁のシミになった。
***
その夜。
疲れ果てたベルナデッタは、ぶつぶつ文句をこぼしながらも布団に潜り込み、やがて静かに寝息を立て始めた。
ヨグは無表情のままそっと近づき、乱れかけた毛布を直し、肩口まで掛け直す。
ベルの眉間に刻まれた皺がわずかに緩んだのを確認すると、音を立てぬよう部屋を後にした。
廊下に出ると、壁に凭れかかっていたウィルが待っていた。灯火に照らされたその顔は、昼間の軽薄な笑みではなく、僅かに影を帯びている。
「……寝た?」
「はい。深く」
ヨグの短い返答に、ウィルは小さく頷いた。
その笑みは崩れない。だが眼の奥で揺れるものを、ヨグは見逃さなかった。
「学園での件……お嬢様は心に傷を負っています。決闘、婚約、救命行為。どれご息女様とっては避けがたい屈辱でした」
「三つ目はお前って聞いてるぞ」
ウィルは眉をひそめ、ヨグを指差す。当の本人は既に窓の外に目を逸らしてウィルを視界に入れようとしない。
「ご息女様は、教会の枢機卿閣下の子息、フィアナ殿とご婚約されているようです」
「そうか」
「おそらくは__」
「分かってるって」
ヨグを手で制し、ウィルは言葉を紡ぐ。
「シュルズベリィの人間がどんな選択をしても、俺たちは必ず後押しする。そう決めただろ?」
「……しかし、教会勢力の思惑は」
「関係ねぇし」
ウィルの声は軽い。けれど、その軽さの底にはひどく冷たい硬さがあった。
ヨグは無表情のまま視線を落とした。
「……結果としてご息女様がこの家を捨てると言っても?」
「その時はその時だろ」
ウィルは変わらぬ笑みを浮かべたまま、窓の外の月を仰いだ。
笑みの裏に何かを静かに隠したまま。誰にも悟らせず、ただ一人の少女を守るために。
「……死後もこの家を見守っている、とご先代様は」
「ハハッ、死人にゃ口も目もねーだろーが」
ヨグは冷徹な瞳で主人を見据える。
「そのためには、ご主人様自身が前に出る必要もあるかもしれません。……本当に、よろしいのですか」
「うわ、それはやだな〜〜」
そう言いながらも、声には棘がなかった。
ウィルはしばらく黙した後、ふっと笑みを浮かべる。
「ヨグ、あんた。なんかあいつに似てきたか?」
「……」
「ま、俺は俺のやることをやるさ。俺はシュルズベリィ家の……ヒモだからな」
廊下に再び沈黙が落ちる。
ベルナデッタの眠る部屋の奥からは、かすかな寝息だけが安らぎを告げている。
その扉を背に、廊下の窓から差し込む月明かりが、眠る必要のない二人を静かに照らしていた。
先代「だとしても、もうちょっと申し訳なさそうにして欲しいかな」




