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18/32

あの、それ、今じゃなきゃダメなんすか

二本って言ったけど我慢できないのでキリよく3本目投げます。書き溜めないなりました。

 その瞬間、結界内を魔力の奔流が満たす。

 轟音が見えない壁すらをも震わせ、雷は霧散し、氷は一瞬で蒸発する。

 爆ぜた衝撃が渦を巻き、蒸気と閃光が場を支配した。


 誰もが視界を白く染め、音すらも遠く掻き消されていた。熱と冷気が入り混じり、肌を焼くような残滓だけがそこに残る。

 やがて、立ちこめていた蒸気が風に払われるように流れ去った。

 ゆっくりと結界の中が姿を取り戻す。


 蒸気の晴れた結界の中央で、マリーヌはただ立ち尽くしていた。

 迫るベルナデッタの手のひらを覚えている。ジンとした頬の痛み。あのいけ好かない小娘の事だ、令嬢の顔に傷などつけられない、と余裕を抜かすつもりだったのだろう。

 膝は震え、足裏に力はなく、杖を握る指先も痙攣のように痺れている。


「……え」


 眼の前には、石畳に倒れ伏したベルナデッタの姿。

 血に濡れた拳はまだ固く握られ、その姿は最後まで戦った敗者の証だった。


「なん、で……わたしは……」


(負けたはず……あの一撃で……氷も雷も……砕かれて……)


 脳裏に浮かぶのは、砕け散る氷壁。

 自らの象徴が叩き壊される衝撃。

 本来ならばその時点で、膝から崩れ落ちていたはずだった。

 だが今、自分はまだ立っている。

 なぜかはわからない。

 体を動かす魔力は残っておらず、意識さえ霞んでいるのに。


「どう、して__」


 思考は霧散し、まとまらない。

 マリーヌは自分の呼吸音だけを頼りに、揺らぐ視界の中でただ立ち尽くしていた。


 次の瞬間、轟く声が場内に響いた。


「__決闘の規則に背いた!殺傷能力の高い危険な魔術を行使したと認める!」


 審判の宣言に、観客席は騒然となる。

 その口調は冷徹で、断罪を言い渡す者の響きを帯びていた。


「マリーヌ=ド=フォルジュ!貴様は違反行為により失格!名誉ある学園の規則を汚した者として、捕縛させてもらう」


 マリーヌは震える唇を開いたが、声は出なかった。

 審判の声が轟いた瞬間、結界の光壁が淡く脈動し、ひときわ強く輝いてから音もなく消え去った。

 透明な壁は崩れ落ち、戦場と観客席を隔てていた境が消える。

 場内全体に、よく通る重々しい声が響いた。


「繰り返す!マリーヌ・ド=フォルジュは決闘規則に違反し、殺傷能力の高い危険な魔術を行使した!学園の名誉を汚した者として、これを追及する必要がある!」


 審判の腕に嵌められた宝玉が、不気味な光を脈打つ。

 その宣告は、先ほど以上に強い確信と断罪の響きを帯びていた。

 観衆のざわめきは一気に渦となり、会場を呑み込む。


「危険な魔術だって!?」


「フォルジュ家の令嬢が……?」


「いや、今のは暴発じゃないのか!?」


 肯定と否定、罵声と困惑が交錯し、熱狂は混乱へと変わっていく。

 怒号とざわめきが飛び交い、場内はもはや秩序を失っていた。

 結界の跡に、いつの間にか現れた数名の列が進み出た。胸に刻まれた十字の徽章、王国におけるもう一つの権力の象徴である教会の黒衣が光を受け、場内のざわめきが凍り付く。


「静粛に」


 先頭の神父が冷厳な声を響かせる。


「今しがたの決闘における規則違反……その責任の所在は明らかでしょう」


 観衆の視線が揺れる中、神父は続けた。


「マリーヌ・ド=フォルジュ。あなたの放った魔術は、殺傷性に優れ、もはや学園の規律を越え、秩序を揺るがす行為に等しい」


 周囲にざわめきが走る。

 だが神父は間髪を入れず、さらに言葉を重ねた。


「そして看過できぬのは__その相手がベルナデッタ・フォン=シュルズベリィであったという事実です」


 杖の先で床を叩き、声を張り上げる。


「ベルナデッタ様は、我らが枢機卿子息、フィアナ=エインヘリヤルの正式な婚約者である。その身に危害が及んだこと自体、教会の威信を損なう行為に等しい!」


 一度は落ち着きかけた観衆のざわめきが、神父のその発言で一層高まる。


「枢機卿の息子の婚約者だと?」


「あの没落令嬢が……!」


 神父は冷ややかな視線を巡らせ、結論を叩きつける。


「よって教会は、この件を軽視しない。マリーヌ=ド=フォルジュの規則違反。その責任は父、王宮騎士ゴットハルト・ド=フォルジュに帰す。__血統ゆえに見逃すことは断じてない!」


「ち、ちが、……違う!」


 マリーヌは蒼白な顔でかぶりを振った。

 だが、観衆の視線と教会の断罪の響きは、彼女の声を呑み込む。


「これ以上は聞く耳を持たぬ。自らの血に誇りを抱くなら、その罪もまた負うがよい」


「……っ!」


 背を向け、実技場ホールから外へと続く扉へと一直線に駆け出す。逃走、すなわち肯定。誰もがそうなのだと承知し、引き金となったのは、意外にも若い学生の些細なつぶやきだった。


「決闘の規則も守れない奴が魔術専攻科の首席候補だなんてな」


 それを皮切りに、場内の熱が一気に罵声へと傾く。


「軍神の名を汚すな!」


「卑怯者!」


「ベルナデッタ様を殺そうとしたくせに!」


「フォルジュ家も地に堕ちたな!」


 嘲りと憎悪が渦となり、どよめきは怒号へと変わっていく。

 歓声を浴びていたはずの舞台は、一転して断罪の檻と化していた。



 マリーヌは首を振り、口を開く。だが、先の決闘でほぼすべてを出し尽くしたマリーヌには、もう吐息の一滴すら絞り出すことはできない。


 蒼白な顔でホール入り口を目前にしたマリーヌの前に、影が滑り出た。

 黒衣の男たち――教会の修道士である。

 列を成して立ち塞がり、その動きは訓練された兵士のように一糸乱れなかった。


「道は閉ざされております」


 低く無機質な声が告げられた瞬間、マリーヌは杖を振り上げた。

 しかし、その手首を鋭く掴む腕が伸びる。

 次の刹那には背後からも両肩を押さえ込まれ、身体はがっしりと拘束されていた。

 観衆の視線は一片の同情もなく突き刺さった。彼女にとっての軍神の娘という名は、今や嘲笑の的でしかなかった。



 ***



 結界が消失して時を同じく、その瞬間、誰よりも早く動いたのはヨグだった。

 無表情の仮面の奥、瞳だけは烈しく揺れていた。


「__ご息女様」


 倒れ伏すベルナデッタの傍らにひざまずき、即座に体勢を確認する。

 脈は弱いが確かにあり、呼吸も乱れてはいるが止まってはいない。ヨグは手際よく裂けた衣服を押さえ、血の滲む拳に布を巻きつける。強すぎる冷気に晒された皮膚を魔力で温め、呼吸を整えるよう回復体位を取らせる。

 ヨグは布を巻き終えた拳から手を離し、ベルナデッタの顔を覗き込んだ。

 瞼は重く閉じられ、唇の色は青ざめている。

 呼吸は浅く、胸が十分に上下していない。


「……酸欠、低酸素症」


 短く呟き、冷静に診断を下す。

 短時間とはいえ筋力増幅パンプアップの最大使用と再起動、さらに氷と雷の余波――酸素の供給が追いついていない。

 このままでは意識の回復は望めず、危険すらある。


 ヨグはためらわなかった。衣服の襟を緩め、顎を支えて気道を確保する。

 白い指先が規則正しく動き、手際よく処置が整えられていく。


「……失礼いたします」


 低く囁き、ヨグはためらいなく唇を重ねる。

 冷たく乾いた感触に自らの息を送り込み、胸郭がわずかに膨らむのを確かめる。

 鼻先が触れ合い、頬と頬がかすかに擦れ合った。


「……どうか、息をお繋ぎくださいませ、ご息女様」


 吐息が絡み合い、熱が混ざる。

 息を離したヨグの唇はうっすら濡れ、視線が思わず揺れる。

 だが迷いを振り切るように再び口を重ね、今度は深く息を送り込んだ。ベルナデッタの胸が上下し、細い喉からかすかな吐息が漏れる。


「……ん、……っ……」


 かすかな吐息とともに、ベルナデッタの瞼がゆっくりと持ち上がった。

 普段よりくすんだ瞳が、すぐ目の前にあるヨグの顔を映す。

 呼吸はまだ浅いが、意識は確かに戻りつつあった。


「……めい……ど……? ここは……どう……なって……?」


 掠れた声で問いかける。

 声量は弱いのに、その響きにはかろうじて気丈さが残っていた。

 ヨグはわずかに安堵を滲ませながら、いつもの無表情で答える。


「ご安心ください。命に関わるほどの傷ではございません。……ただ、しばらくはお休みになられたほうがよろしいでしょう」


「……試合は……」


 ベルナデッタは震える手で床を支え、上体を起こそうとした。

 ヨグはその肩にそっと手を添え、押し留める。


「無理をなさらぬよう。状況は……少々複雑ですが、ひとまず__ご息女様は戦い抜かれました」


 ベルナデッタは肩に添えられたヨグの手を感じながら、かすかに首を振った。

 まだ息は浅いが、その瞳には一つの問いだけが宿っていた。


「マリーヌは……?」


 掠れた声に、ヨグはわずかに思案して、それでも目をそらす。

 ベルナデッタは細い吐息をもらし、わずかに目を伏せる。


「……そう、そっか、私は__」


「__いいえ」


 ヨグの声音は低く、しかし確かで、それでいて主人の声を強くかき消した。


「三度目の氷壁ブリザード、アレを打ち砕かれた時点で、勝敗は決しておりました。ご息女様は……勝利しました。……と、私は考えます」


 ベルナデッタの胸が上下し、かすかな笑み、そして涙が浮かんだ。


「……ふふ、そう……なら……少し、誇ってもいいかしら」


 ヨグは答えなかった。

 ただその沈黙こそが、何よりの肯定だった。



 ***




 夕日に照り付けられ、その栗色の髪は明るく揺れていた。

 結界が解け、彼女が倒れ伏した姿をその見て、小さな両手を胸の前で固く組んでいた。


「お姉さま……」


 掠れる声は祈りのように細く、灰色の瞳には不安がにじんでいた。

 だが次の瞬間、爆発の余波に満ちた蒸気と閃光が過ぎ去ると同時に、エーリッヒの表情が歪んだ。


「……あ、ぁ……」


 栗色の髪をかき分け、両手が頭を押さえる。灰色の瞳は焦点を失い、エーリッヒは小さな身体をさらに丸めた。耳を押さえる両手は震え、吐息は浅く、早い。最初はただ頭を抱えるだけだったが、やがて肩が痙攣するように上下し、声にならない呻きが喉を震わせた。


「……っ……」


 観客席の喧噪は続き、誰も少女の異変に注意を払わない。

 エーリッヒの細い指が力なくほどけ、身体が椅子の端からずり落ちる。


「……ひ、か、りの、やい……ば?」


 栗色の髪が頬に散り、灰色の瞳がゆっくりと閉じられていった。

 意識はそのまま闇に沈み込み、彼女は小さな音を立てて崩れ落ちる。


「……おい、ベルナデッタのお弟子さん!?」


 ようやく隣席に座っていた生徒が気づき、慌てて抱き起こした。

 すぐに周囲の数人が駆け寄り、互いに顔を見合わせる。


「気を失っているだけだ……」


 言葉少なに結論が下され、エーリッヒの華奢な身体はそっと抱き上げられた。

 観客席のざわめきに紛れ、彼女は他の生徒たちに抱えられて退場していく。

 狂乱、怒号、喧騒の一角で、また小さな騒ぎがあったことは、多くのものが知ることではない。

ようやくこれから本編です。

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