あの、それ、今じゃなきゃダメなんすか
二本って言ったけど我慢できないのでキリよく3本目投げます。書き溜めないなりました。
その瞬間、結界内を魔力の奔流が満たす。
轟音が見えない壁すらをも震わせ、雷は霧散し、氷は一瞬で蒸発する。
爆ぜた衝撃が渦を巻き、蒸気と閃光が場を支配した。
誰もが視界を白く染め、音すらも遠く掻き消されていた。熱と冷気が入り混じり、肌を焼くような残滓だけがそこに残る。
やがて、立ちこめていた蒸気が風に払われるように流れ去った。
ゆっくりと結界の中が姿を取り戻す。
蒸気の晴れた結界の中央で、マリーヌはただ立ち尽くしていた。
迫るベルナデッタの手のひらを覚えている。ジンとした頬の痛み。あのいけ好かない小娘の事だ、令嬢の顔に傷などつけられない、と余裕を抜かすつもりだったのだろう。
膝は震え、足裏に力はなく、杖を握る指先も痙攣のように痺れている。
「……え」
眼の前には、石畳に倒れ伏したベルナデッタの姿。
血に濡れた拳はまだ固く握られ、その姿は最後まで戦った敗者の証だった。
「なん、で……わたしは……」
(負けたはず……あの一撃で……氷も雷も……砕かれて……)
脳裏に浮かぶのは、砕け散る氷壁。
自らの象徴が叩き壊される衝撃。
本来ならばその時点で、膝から崩れ落ちていたはずだった。
だが今、自分はまだ立っている。
なぜかはわからない。
体を動かす魔力は残っておらず、意識さえ霞んでいるのに。
「どう、して__」
思考は霧散し、まとまらない。
マリーヌは自分の呼吸音だけを頼りに、揺らぐ視界の中でただ立ち尽くしていた。
次の瞬間、轟く声が場内に響いた。
「__決闘の規則に背いた!殺傷能力の高い危険な魔術を行使したと認める!」
審判の宣言に、観客席は騒然となる。
その口調は冷徹で、断罪を言い渡す者の響きを帯びていた。
「マリーヌ=ド=フォルジュ!貴様は違反行為により失格!名誉ある学園の規則を汚した者として、捕縛させてもらう」
マリーヌは震える唇を開いたが、声は出なかった。
審判の声が轟いた瞬間、結界の光壁が淡く脈動し、ひときわ強く輝いてから音もなく消え去った。
透明な壁は崩れ落ち、戦場と観客席を隔てていた境が消える。
場内全体に、よく通る重々しい声が響いた。
「繰り返す!マリーヌ・ド=フォルジュは決闘規則に違反し、殺傷能力の高い危険な魔術を行使した!学園の名誉を汚した者として、これを追及する必要がある!」
審判の腕に嵌められた宝玉が、不気味な光を脈打つ。
その宣告は、先ほど以上に強い確信と断罪の響きを帯びていた。
観衆のざわめきは一気に渦となり、会場を呑み込む。
「危険な魔術だって!?」
「フォルジュ家の令嬢が……?」
「いや、今のは暴発じゃないのか!?」
肯定と否定、罵声と困惑が交錯し、熱狂は混乱へと変わっていく。
怒号とざわめきが飛び交い、場内はもはや秩序を失っていた。
結界の跡に、いつの間にか現れた数名の列が進み出た。胸に刻まれた十字の徽章、王国におけるもう一つの権力の象徴である教会の黒衣が光を受け、場内のざわめきが凍り付く。
「静粛に」
先頭の神父が冷厳な声を響かせる。
「今しがたの決闘における規則違反……その責任の所在は明らかでしょう」
観衆の視線が揺れる中、神父は続けた。
「マリーヌ・ド=フォルジュ。あなたの放った魔術は、殺傷性に優れ、もはや学園の規律を越え、秩序を揺るがす行為に等しい」
周囲にざわめきが走る。
だが神父は間髪を入れず、さらに言葉を重ねた。
「そして看過できぬのは__その相手がベルナデッタ・フォン=シュルズベリィであったという事実です」
杖の先で床を叩き、声を張り上げる。
「ベルナデッタ様は、我らが枢機卿子息、フィアナ=エインヘリヤルの正式な婚約者である。その身に危害が及んだこと自体、教会の威信を損なう行為に等しい!」
一度は落ち着きかけた観衆のざわめきが、神父のその発言で一層高まる。
「枢機卿の息子の婚約者だと?」
「あの没落令嬢が……!」
神父は冷ややかな視線を巡らせ、結論を叩きつける。
「よって教会は、この件を軽視しない。マリーヌ=ド=フォルジュの規則違反。その責任は父、王宮騎士ゴットハルト・ド=フォルジュに帰す。__血統ゆえに見逃すことは断じてない!」
「ち、ちが、……違う!」
マリーヌは蒼白な顔でかぶりを振った。
だが、観衆の視線と教会の断罪の響きは、彼女の声を呑み込む。
「これ以上は聞く耳を持たぬ。自らの血に誇りを抱くなら、その罪もまた負うがよい」
「……っ!」
背を向け、実技場ホールから外へと続く扉へと一直線に駆け出す。逃走、すなわち肯定。誰もがそうなのだと承知し、引き金となったのは、意外にも若い学生の些細なつぶやきだった。
「決闘の規則も守れない奴が魔術専攻科の首席候補だなんてな」
それを皮切りに、場内の熱が一気に罵声へと傾く。
「軍神の名を汚すな!」
「卑怯者!」
「ベルナデッタ様を殺そうとしたくせに!」
「フォルジュ家も地に堕ちたな!」
嘲りと憎悪が渦となり、どよめきは怒号へと変わっていく。
歓声を浴びていたはずの舞台は、一転して断罪の檻と化していた。
マリーヌは首を振り、口を開く。だが、先の決闘でほぼすべてを出し尽くしたマリーヌには、もう吐息の一滴すら絞り出すことはできない。
蒼白な顔でホール入り口を目前にしたマリーヌの前に、影が滑り出た。
黒衣の男たち――教会の修道士である。
列を成して立ち塞がり、その動きは訓練された兵士のように一糸乱れなかった。
「道は閉ざされております」
低く無機質な声が告げられた瞬間、マリーヌは杖を振り上げた。
しかし、その手首を鋭く掴む腕が伸びる。
次の刹那には背後からも両肩を押さえ込まれ、身体はがっしりと拘束されていた。
観衆の視線は一片の同情もなく突き刺さった。彼女にとっての軍神の娘という名は、今や嘲笑の的でしかなかった。
***
結界が消失して時を同じく、その瞬間、誰よりも早く動いたのはヨグだった。
無表情の仮面の奥、瞳だけは烈しく揺れていた。
「__ご息女様」
倒れ伏すベルナデッタの傍らにひざまずき、即座に体勢を確認する。
脈は弱いが確かにあり、呼吸も乱れてはいるが止まってはいない。ヨグは手際よく裂けた衣服を押さえ、血の滲む拳に布を巻きつける。強すぎる冷気に晒された皮膚を魔力で温め、呼吸を整えるよう回復体位を取らせる。
ヨグは布を巻き終えた拳から手を離し、ベルナデッタの顔を覗き込んだ。
瞼は重く閉じられ、唇の色は青ざめている。
呼吸は浅く、胸が十分に上下していない。
「……酸欠、低酸素症」
短く呟き、冷静に診断を下す。
短時間とはいえ筋力増幅の最大使用と再起動、さらに氷と雷の余波――酸素の供給が追いついていない。
このままでは意識の回復は望めず、危険すらある。
ヨグはためらわなかった。衣服の襟を緩め、顎を支えて気道を確保する。
白い指先が規則正しく動き、手際よく処置が整えられていく。
「……失礼いたします」
低く囁き、ヨグはためらいなく唇を重ねる。
冷たく乾いた感触に自らの息を送り込み、胸郭がわずかに膨らむのを確かめる。
鼻先が触れ合い、頬と頬がかすかに擦れ合った。
「……どうか、息をお繋ぎくださいませ、ご息女様」
吐息が絡み合い、熱が混ざる。
息を離したヨグの唇はうっすら濡れ、視線が思わず揺れる。
だが迷いを振り切るように再び口を重ね、今度は深く息を送り込んだ。ベルナデッタの胸が上下し、細い喉からかすかな吐息が漏れる。
「……ん、……っ……」
かすかな吐息とともに、ベルナデッタの瞼がゆっくりと持ち上がった。
普段よりくすんだ瞳が、すぐ目の前にあるヨグの顔を映す。
呼吸はまだ浅いが、意識は確かに戻りつつあった。
「……めい……ど……? ここは……どう……なって……?」
掠れた声で問いかける。
声量は弱いのに、その響きにはかろうじて気丈さが残っていた。
ヨグはわずかに安堵を滲ませながら、いつもの無表情で答える。
「ご安心ください。命に関わるほどの傷ではございません。……ただ、しばらくはお休みになられたほうがよろしいでしょう」
「……試合は……」
ベルナデッタは震える手で床を支え、上体を起こそうとした。
ヨグはその肩にそっと手を添え、押し留める。
「無理をなさらぬよう。状況は……少々複雑ですが、ひとまず__ご息女様は戦い抜かれました」
ベルナデッタは肩に添えられたヨグの手を感じながら、かすかに首を振った。
まだ息は浅いが、その瞳には一つの問いだけが宿っていた。
「マリーヌは……?」
掠れた声に、ヨグはわずかに思案して、それでも目をそらす。
ベルナデッタは細い吐息をもらし、わずかに目を伏せる。
「……そう、そっか、私は__」
「__いいえ」
ヨグの声音は低く、しかし確かで、それでいて主人の声を強くかき消した。
「三度目の氷壁、アレを打ち砕かれた時点で、勝敗は決しておりました。ご息女様は……勝利しました。……と、私は考えます」
ベルナデッタの胸が上下し、かすかな笑み、そして涙が浮かんだ。
「……ふふ、そう……なら……少し、誇ってもいいかしら」
ヨグは答えなかった。
ただその沈黙こそが、何よりの肯定だった。
***
夕日に照り付けられ、その栗色の髪は明るく揺れていた。
結界が解け、彼女が倒れ伏した姿をその見て、小さな両手を胸の前で固く組んでいた。
「お姉さま……」
掠れる声は祈りのように細く、灰色の瞳には不安がにじんでいた。
だが次の瞬間、爆発の余波に満ちた蒸気と閃光が過ぎ去ると同時に、エーリッヒの表情が歪んだ。
「……あ、ぁ……」
栗色の髪をかき分け、両手が頭を押さえる。灰色の瞳は焦点を失い、エーリッヒは小さな身体をさらに丸めた。耳を押さえる両手は震え、吐息は浅く、早い。最初はただ頭を抱えるだけだったが、やがて肩が痙攣するように上下し、声にならない呻きが喉を震わせた。
「……っ……」
観客席の喧噪は続き、誰も少女の異変に注意を払わない。
エーリッヒの細い指が力なくほどけ、身体が椅子の端からずり落ちる。
「……ひ、か、りの、やい……ば?」
栗色の髪が頬に散り、灰色の瞳がゆっくりと閉じられていった。
意識はそのまま闇に沈み込み、彼女は小さな音を立てて崩れ落ちる。
「……おい、ベルナデッタのお弟子さん!?」
ようやく隣席に座っていた生徒が気づき、慌てて抱き起こした。
すぐに周囲の数人が駆け寄り、互いに顔を見合わせる。
「気を失っているだけだ……」
言葉少なに結論が下され、エーリッヒの華奢な身体はそっと抱き上げられた。
観客席のざわめきに紛れ、彼女は他の生徒たちに抱えられて退場していく。
狂乱、怒号、喧騒の一角で、また小さな騒ぎがあったことは、多くのものが知ることではない。
ようやくこれから本編です。




