悪役令嬢のひねくれた本音
結界の中では拳と魔術がぶつかり合い、光と衝撃が炸裂していた。
氷片が雨のように散り、雷光が床を走るたび、観衆は総立ちになって声を張り上げる。
「殴ったぞ! 腹に入った!」
「いや、氷槍か?雷が眉間に__! どうなってるんだ!?」
「人間業じゃない……」
声が飛び交い、ある者は身を乗り出し、ある者は手を合わせて祈るように見つめている。
息を詰める者も、拳を振り上げる者もいた。
そこにあったのは熱狂、そして誰もが目を離せなくなるほどの衝撃だった。
笑い声はもう消えていた。
ほんの数分前、杖を持たぬファイティングポーズに嘲笑が湧き起こったことを、観衆は忘れていた。
今そこにあるのは、異様な迫力と、血の匂いさえ漂う緊張感。
そんな中で__。
「……踊ってる、です」
栗色の髪を肩で結んだ小柄な少女、ヴィヴァーチェ領の令嬢、エーリッヒの唇から洩れたその言葉は、周囲の熱狂の中ではあまりに小さく、かき消されてしまいそうだった。
だが隣に座っていた同級生の男子は、その声を確かに耳にした。
「え?あ、君、ベルナデッタの妹さんだよね?あれ、見えてるの?」
声を掛けられた瞬間、エーリッヒはびくりと肩を震わせ、慌てて顔を真っ赤にした。
そして勢いよく首を横に振る。
「ち、違います!エーリッヒはお姉さまの弟子です!」
思わず大きな声になり、近くの数人がこちらを振り返る。
エーリッヒは視線を結界へと戻し、胸に手を当てながら小さく続けた。
「見えるんじゃなくて…聞こえるんです。拳がぶつかる音も雷のきしむ響きも…舞曲みたいに」
狂騒の只中で、ほんの一部の者たちがわずかに静まり、エーリッヒの言葉に耳を傾けていた。
「がんばってください。お姉さま!!」
***
遠くの席で身を乗り出すフィアナ=エインヘリヤルの横顔を、神父は静かに見つめていた。
観衆のざわめきの中、彼だけが穏やかな声を落とす。
「……心配なのですか」
金髪の青年はわずかに肩を震わせ、結界の中から目を離さない。
拳を膝の上で握りしめたまま、低く吐き出す。
「……ああ。あんな無茶をして……僕には、何もできない」
「フィアナ様」
神父は背筋を正し、穏やかでありながら揺るぎない声で語りかける。
「あなたは枢機卿の嫡子として、この学園に在るのです。神の御心を伝える立場にあり、示される試練を見届ける責務がある。……それを忘れてはなりません」
青年は結界の中に目を凝らしたまま、奥歯を噛み締める。ベルナデッタが雷を避け、氷を砕き、なお拳を振るう。その姿に胸が締め付けられる。
「……わかっている。わかっているさ」
低く答える声は、どこか掠れていた。
神父はさらに続ける。
「これは彼女に与えられた試練なのです。ここで立ち向かうことこそ、神の御心。あなたが煩うことではありません」
フィアナは瞼を伏せ、一度深く息を吐いた。
__神の御心。枢機卿の嫡子。役割。
その全てを理解している。理解しているはずなのに。
視線を上げる。
結界の光の中で、汗に濡れたベルナデッタの横顔が揺れる。
拳を振り抜くその姿が、ひどく眩しく見えた。
(僕は__)
その瞬間、心の奥に確かなものが芽生えた。ベルナデッタへの思いは誰よりも強いはず。遠い将来、彼女と一緒に、神という同じ拠り所に身を預ける安息が待ち遠しく、いとおしい。だが、それだけではない。それ以上に、語りえぬ何か。ただそれだけが、胸の奥で強烈に燃え上がっていた。
フィアナはそれを言葉にできない。神父の諭しに逆らうこともなく、ただ静かに頷いた。
「がんばれ、負けないでくれ。ベルナデッタ」
だが、その黄金色の瞳は結界から逸れることなく、ただベルナデッタだけを追い続けていた。
***
観衆が総立ちになり、歓声と悲鳴が渦巻く実技場。
その後方、特別席に並んで腰掛ける二人。ひとりは長身の東方の留学生、イズモと、もうひとりは白銀の髪を持つ男子だ。
会長は腕を組み、口元に感嘆を浮かべる。
「……すごいね、今年の一年生は。舞台映えだけなら上級生顔負けだ」
氷と雷、そして魔力で強化された拳。火花のように弾ける攻防を見つめながら、嬉しそうに率直に賞賛を口にする。しかし隣のイズモは瞳を細め、表情を崩さない。
「……派手すぎる」
「はは、心配性だな」
会長は愉快そうに肩を揺らした。
「だが事実だろう?ここまでの光景、学生の決闘で見る日が来るとはね。彼女たちは僕より強くなる」
「冗談だろ__」
イズモは視線を結界から逸らさず、低く吐き捨てるように言った。
「……光が強ければ影も深い。あの二人が注目を集めるほど、潰そうとする手も必ず動く」
会長はしばし黙し、やがてわずかに笑った。
「それこそ、面白くなりそうだな」
その声音は賞賛に満ちていたが、イズモの瞳には冷たい警戒の光が宿っていた。
ふいに彼が立ち上がると、雪のような白髪がふわりと翻る。
「__もういいだろう。続きを生徒会室で聞かせてもらう」
その背が通路へ消える直前「あぁ、そう」と足を止め、横目でイズモを見やった。
「……僕は舞台を乱す影が嫌いだ」
低く落とされたその一言に、隣のイズモの眉がピクリと動いた。
会長は返事を待たず、ただ意味深な笑みを浮かべると背を向けた。
雪のような白髪が揺れ、特別席の灯りにきらめく。その背は言葉の真意を明かすことなく、静かに喧騒の中へと消えていった。残されたイズモは、結界の外れに佇む黒衣の侍女の影を無意識に探し、細めた瞳でじっと見つめる。
「ベルナデッタ・フォン=シュルズベリィ……お前の背後には何が潜んでいる……?」
***
結界の外れ、誰の視線も届かぬ柱の影。
ヨグは戦いの一部始終を見つめていた。
氷と雷が交錯し、拳が唸りを上げる。ベルナデッタの呼吸は荒く、髪は乱れ、それでも背筋を伸ばし続けている。
__介入は許されている。「好きになさい」と、彼女はそう言った。
ヨグは袖の奥で指先に魔力を灯し、結界に触れようと手を伸ばす。
しかし、その瞬間、視線の先でベルナデッタが横顔を見せた。
汗に濡れた頬、ぎらつく瞳。その姿を見た途端、ヨグの手は空中で止まり、やがて静かに下ろされてしまう。
踏み出す足取り、その後ろ姿に、不思議な圧があった。
「……なぜ」
口に出しても、答えは返らない。彼女の命令通り、介入してもいいはずなのに。だがベルナデッタの横顔や背中を目にするたび、ヨグの指先から魔力はこぼれ落ちていく。冷静なはずの彼女の胸に、名もなき感覚が静かに渦を巻いていた。
「……ベルナデッタ様」
氷槍が砕け散る光に照らされ、必死に踏み込むベルナデッタの姿を見て、ヨグの唇がかすかに震えた。
だが、そう口にした数瞬の後、ベルナデッタは宙を舞った。
***
実技場ホールには、建物全体を揺るがすような大歓声が巻き起こっていた。
「フォルジュ様!」
「それでこそ軍神の娘だ!」
軍神の娘、と。氷と雷を自在に操り、優雅に宙を舞う姿は、戦いではなく壮麗な舞踏のようだった。体操着の上に羽織った専攻科のローブは裂け、汗に濡れた額から髪が頬に張り付く。だがその姿は痛々しいどころか、むしろ凛烈さを増し、観衆の目には一層眩しく映っていた。
青い炎を宿した瞳が結界の光に煌めき、杖を振り抜けば雷鳴が轟く。
氷槍が弾ける音は、観衆にとって歓声と拍手を呼び起こす合図のようになっていた。
「見ろ!あれがフォルジュ家の誇りだ!」
「まさに軍神の血筋……!」
その一挙手一投足が喝采を生み、場内は熱狂と崇拝に満ちていく。
「軍神の娘」と。「フォルジュ家の跡取り」と。__その呼び声は、マリーヌの耳に幾度も届いていた。
鳴りやまない狂騒、歓声、応援。それがマリーヌの耳を打ちつけるたびに、胸の奥に走る痛みは比例して強くなる。
(結局、みんなは私を見ているわけじゃない……)
マリーヌは生まれつき父、ゴットハルトと同じ雷の魔術に適性があった。
どれほど早く詠唱を覚えても、どれほど必死に杖を振るっても……。
家に伝わる秘術を十三という若さで会得したその時でさえ、返ってくる言葉はただ一つ。
「やはり軍神の娘だから」「血筋が違うから」。
だからこそ、マリーヌは雷の魔術を嫌った。
自分の力を「血」に結びつけるすべてが憎らしかった。その反発から、誰に強いられるでもなく氷の魔術を学び、必死に会得した。雷と異なり、家に連なる影も血の呪縛もない、真に自分の力と呼べる術を。
彼女が氷を振るうのは、冷酷さゆえではない。
――せめてそれだけは、血筋ではなく、自分自身の証明でありたかったのだ。
だが、それでも努力を称えられることはなく、常に肩書が先に立つ。それは幼い頃からの宿命であり、決して誰も彼女自身を認めようとはせず、彼女はゆっくりと腐っていった。
(私は、フォルジュ家の、軍神ゴットハルトの娘)
努力を重ねても、自分の力ではなく「軍神の娘」という肩書きだけで見られる日々。息苦しさを抱えたまま、周囲の期待と重圧に押し潰されそうになる。
そんな中で目についたのが、シュルズベリィ家の没落令嬢――ベルナデッタ・フォン=シュルズベリィだった。
かつては王国内有数の名門の家に生まれながら、今では誰からも軽んじられ、学園の中で浮いた存在。
誇り高くあろうとする彼女の態度は、マリーヌの目には虚勢にしか映らなかった。
(何も持たないくせに、堂々と立っている……)
その姿が、どうしようもなく苛立たしかった。
努力を重ねても決して抜け出せない血筋の檻に囚われた自分と違い、彼女は何も持たず、何も背負わずに、それでも毅然としていられる。
それがどこか羨ましく、同時に許せなかった。
だからこそ、ベルナデッタを嗜虐することで自分の優位を確かめようとした。
「軍神の娘」である以前に、自分は誰よりも強いのだと証明するために。彼女を押さえつけることでしか、鬱屈した心を晴らす術を見いだせなかった。
……だが、ベルナデッタは一度も屈することはなかった。
どれほど嘲りを浴びせられても、どれほど孤立を強いられても、その背筋を折ることはできなかった。
「だから__!」
観衆の前で杖を振り抜くたび、喝采が波のように押し寄せる。だがマリーヌはその渦の中で、心の奥底でただひとつの願いを噛み締めていた。
「__アンタを真正面から叩き潰したいの!」
__いつか、肩書ではなく、自分自身の力でこのムカつく令嬢をぶっ飛ばしたい。
その渇望が、今の彼女を突き動かしていた。
「ねぇ見て!私!こんなに強いのよ!!」
轟音。
粉雪のように砕け散った氷片が光を反射し、華やかな舞踏の舞台のように結界内を彩る。
床に転がるベルナデッタの姿は、多くの目には決定的な劣勢と映った。その上に立つマリーヌの姿は、凛々しく、輝かしく、そして必死に己の存在を証明する者のように見えた。
観衆が一斉に沸き立つ。
「フォルジュ家万歳!」
「不死身の伝説の継承だ!」
「見たか!没落令嬢が!」
「……__!」
もはや外の声は聞こえない。ただ熱だけが彼女の全身を突き動かしていた。
「もっと見なさい!見て!私を!わたくしだけを!」
叫びは、氷槍の破片と轟雷が煌めく光景と共に、場内の熱狂をさらに押し上げていった。




