まさか、杖も持たずに!?ってやつ
今夜19時前後に2本連続で入れます。
審判の声と同時に、ベルナデッタは大きく雄たけびを上げて踏み込んだ。
体操着の袖が裂けんばかりに張り、拳を振りかざしたその姿は、令嬢ではなく闘士そのもの。
「おっらぁぁぁああ!」
一方のマリーヌは、羽織った魔術専攻科のローブを翻し、優雅に杖を構えていた。その蒼玉が一瞬きらめき、まるで月光を集めたような光を宿す。ベルナデッタはためらいなく肉薄し、右拳を鋭く突き出す。狙いはマリーヌの脇腹、魔術師にとって最も想定外の角度からの一撃。
「ッ__!」
マリーヌは即座に杖を振り下ろし、蒼玉から透明な光幕を展開した。
次の瞬間、ベルナデッタの拳が防御魔術に叩きつけられ、鈍い衝撃音が結界の中に響き渡る。
観衆がどよめく。
「素手で殴った!?」
「バカな、魔術師相手に……!」
防御魔術の膜が波紋のように震え、青白い光を放ちながら拳の勢いを受け止める。
マリーヌの頬に緊張の色が浮かぶ。
「魔力で強化した拳……!?まさか本当に__!」
ベルナデッタの拳が脇腹を狙った一撃は、透明な光膜に阻まれた。
しかし彼女は怯まない。むしろ楽しげに息を吐き、再び拳を握り直す。
「はあッ!」
今度は正面から、渾身の右を叩き込んだ。
光膜が波紋を広げ、火花じみた魔力の粒子が散る。
観衆が息を呑む。
「拳で魔術障壁を!?」
「馬鹿な、無茶だ……!」
轟音とともに障壁が震え、マリーヌの足元まで振動が伝わる。
その顔にわずかな苛立ちが浮かんだ。
彼女はすぐさま詠唱を走らせ、杖の蒼玉を閃かせる。
「下賤な真似を……氷槍」
螺旋を描き形成された氷の槍は、ベルナデッタを打ち抜かんと迫る。だが彼女は素早く身を翻した。こぶし大ほどもある魔弾は彼女の頬をかすめ、後方の結界に激突し、火花を散らす。
観衆から悲鳴と歓声が入り混じった。
「はっ!」
ベルナデッタは息を吐き、再び正面から踏み込み、今度は左拳で障壁を叩きつける。
衝撃波が結界内を震わせ、マリーヌの杖がわずかに揺らぐ。
「……っ!」
マリーヌは驚愕と苛立ちを同時に噛みしめ、すぐさま二撃目の反撃を放とうと杖を構えた。
「まるで猿ねッ!氷槍」
だがベルナデッタの動きは止まらない。
まるで最初から知っていたかのような反応で身をひねり、再び魔弾の軌跡を紙一重で避ける。
その笑みは挑発に満ち、観衆のどよめきは一層激しさを増していった。
「そんな猿に翻弄される気分はどう!?」
ベルナデッタの拳が、二度三度と透明な光膜に叩きつけられる。
衝撃のたびに空気が震え、結界の内側に乾いた轟音が響いた。
「せぇぇぇいッ!」
右、左、と雄たけびとともに放たれる連打。
本来なら魔力をもってしても貫けぬはずの防御魔術が、波紋を広げ、きしむように揺らいでいく。
蒼玉から放たれる光は次第に乱れ、障壁はまるで悲鳴を上げるかのように不安定な振動を見せ始めた。
マリーヌは杖を強く握りしめる。
「あり得ない……こんな、無茶な……!」
唇が震え、冷や汗が首筋を伝う。
彼女の放った障壁の魔術は、文明が保証する堅牢な防御の一形態。それを素手で砕こうなど、常識では不可能なのだ。
しかし、ベルナデッタは止まらない。
一撃ごとに体操着の袖が張り裂けそうなほど筋肉が軋み、拳からは血がにじみ始めていた。
それでも彼女の瞳には痛みではなく、猛々しい闘志の炎が燃えている。
その瞬間マリーヌの双眸にベルナデッタとは正反対の、理知の光が灯る。
「___!」
粉砕音が響き、ベルナデッタの拳が防御魔術を打ち破った。
光膜が蜘蛛の巣のようにひび割れ、次の一撃で完全に砕け散る。
蒼白い欠片が弾け、結界の中に光の粉が舞った。
「これでっ!」
ベルナデッタは息を荒げながら踏み込み、右拳を振り抜いた。
勝負を決める一撃、その脇腹を捉えた……はずだった。
だが、拳は空を切った。
「__あらあら没落令嬢さん?ですからこれは格闘トレーニングではなくて魔術師の決闘だということ、お忘れになって~?」
目の前にいたはずのマリーヌの姿が、ふわりと宙に浮かんでいる。
ローブの裾を揺らし、冷ややかな眼差しで見下ろしていた。
「……上級魔術、ですって……!」
「浮遊魔術。知っているのね」
浮遊__。
それは魔術師を生業とするのに必須とされ、だがそれでいて高い習得難易度を誇るが故に魔術師全体のハードルとブランド双方を上げている上級魔術の一つ。
学生の身分で、しかも決闘の場で即座に行使できる者など、常識では考えられなかった。観衆から広がったざわめきや感嘆はやがて熱を帯び、結界の外を揺らした。
ベルナデッタは拳を握り直し、歯を食いしばる。
彼女の胸に、焦燥と闘志が同時に燃え上がった。
「その程度、予想できない公爵令嬢ではなくってよ!」
地面を踏んで駆け出し、再びマリーヌの足元に迫る。だが、正面から突き抜けてくることを確認したマリーヌは宙に漂ったまま、杖を優雅に振るった。
蒼玉が閃き、鋭利な氷槍が連続して顕現する。
「__氷槍!」
鋭い音を立てて空を裂き、次々と放たれる氷の槍。
それは降り注ぐ雨のごとく、ベルナデッタの行く手を遮った。
ベルナデッタは駆ける。
床を蹴り、氷槍を紙一重でかわし、時に拳で弾き飛ばす。
だが、狙いが絞れない。
「ちょこまかとっ!まるでハエね!」
マリーヌはふわりと着地し、すぐにまた上昇する。
「あら、これでも先生には風の妖精のようと褒められたのよ。知性のなっていない没落令嬢にはそう映るのね!」
上下へと滑るように動きながら、一定の距離を決して崩さず、氷槍を繰り返し放つ。
その姿は確かに妖精のようでありながら、射出される槍は冷徹な殺意を帯びていた。
「くっ……!」
ベルナデッタは走りながら、浮遊の軌道に翻弄される。踏み込んでも踏み込んでも、拳は届かず、逆に氷槍の刃が頬や腕をかすめる。冷気が肌を裂き、白い蒸気が立ち昇るたび、観衆のどよめきは高まっていった。
ベルナデッタは歯を食いしばり、なおも駆ける。
翻弄されながらも、彼女の瞳には一点の曇りもなかった。
絶えず迫る氷の弾丸を避けながら、彼女は依然として赤々と目を光らせ、その軌跡を見極めていた。
(……一瞬、ずれた)
マリーヌの魔術は優雅で、放つ間隔は息継ぎのように均一。だが蒼玉の光が脈打って槍を放ち、空を駆け、また次なる槍を生む前の刹那__重心が揺らぐのだ。
「……見えた」
ベルナデッタは低く呟き、結界の床を強く踏み鳴らした。それは、観衆にはただの猪突猛進にしか見えない。
「な……っ!?」
だが、マリーヌの表情が揺れる。
連射される凍てついた雨の間を縫い、ベルナデッタの影が迫る。避けるような動きは何ひとつとしてなく、彼女はほとんど直進していた。氷槍が眼前に迫り、観衆の一角で悲鳴と目を覆う生徒が数名。だが、ベルナデッタにその残酷な氷の砲弾は届かない。いや、当たらない。
ベルナデッタの五指が震え、全身の力が脈動し、それは右一点に収束していく。
「落下偏差ってやつの計算が苦手みたいね!マリーヌ!」
突破口は開かれた。
次の瞬間、勝負の間合いが目前に迫っていた。
「浮ゆ__!」
マリーヌは慌てて杖を振り、浮遊の高度を上げようとしたが__一瞬遅い。
「遅っせぇいっ!!」
渾身の右が脇腹をかすめ、体操服の布地を切り裂いた。
裂け目から白い布の端が翻り、観衆が一斉に息を呑む。
「しまっ__」
マリーヌは苦鳴を漏らし、浮遊の制御を乱した。杖を握る腕が揺れ、姿勢を大きく崩す。宙に逃れようと無理やり魔力を流し込んだせいで、浮遊は逆に暴れ出し、身体はぎこちなく跳ね上がった。
「きゃっ……!」
次の瞬間、ふわりと浮いたマリーヌの体が重力に引かれ、大人三人分ほどの高さから床へと叩きつけられる。
ローブが乱れ、体操着の裾が散らばるように広がり、観衆の悲鳴とどよめきが結界内に渦巻いた。
「どう、マリーヌ。降参するってのなら手を貸してあげても__」
しかし、床に転がったマリーヌは、荒く息を吐きながら杖を使ってゆるりと立ち上がった。乱れたローブを払うその仕草は貴族の娘としての優雅さを失っていたが、その瞳は以前とは違う光を宿していた。蒼玉の輝きに呼応するように、瞳の奥で青い炎が燻りはじめる。
「……思い出したわ」
掠れた声が結界に響いた。
「……私は本気で、あなたを否定する必要が、あるの」
マリーヌは杖を高く掲げた。
蒼玉が閃き、青白い稲光が迸る。
それは氷の冷気とは異なる、荒れ狂う嵐の熱を帯びていた。
「雷嵐」
迸る光が空気を裂き、轟音とともに結界を震わせる。
雷槍が矢のごとく走り、ベルナデッタの足元を抉った。
「くっ……反則でしょ……」
ベルナデッタは泣き言をぽつりとこぼしつつも身をひねり、髪先を焦がしながら避ける。床に落ちた雷は瞬く間に亀裂を走らせ、蒸気を噴き上げた。観衆は息を呑み、その光景を固唾を飲んで見守った。氷と雷、二系統の魔術を操るその姿は、もはや学生の枠を超えていた。
マリーヌは瞳を燃やし、杖を振り下ろす。
「せいぜいお逃げなさい、没落令嬢!殺してしまわないか心配なの!」
結界の中に、氷と雷が交錯する嵐が生まれようとしていた。
だが__ベルナデッタは一歩も退かない。
「それ、私も同じこと思ったわ__」
喉を裂くように叫び、彼女は床を蹴った。
「一発で寝ちゃわないでね!マリーヌ!」
足元を抉る雷光を飛び越え、閃光を紙一重でかわしながら、一直線にマリーヌへ駆ける。
稲妻が頬をかすめ、肌を焦がす。それでもベルナデッタは顔を上げ、拳を握り直す。だが、顔を上げたその時にはまたマリーヌはふわりと距離をとっている。
「ここまで来てみなさい、遊んであげるわ!」
「__上等ォォ!」
叫びとともにさらに踏み込み、轟く雷撃の合間を抜けていく。
その眼差しは恐怖を知らず、むしろ歓喜すら滲ませていた。
稲妻が床を走り、氷槍が空を裂く。
その中を突き抜けるように、ベルナデッタの拳が煌めいた。
「……っははは!ピカピカ光ってばっかで全然当たらないじゃないの!」
雷撃をかわしながら、氷弾を打ち砕きながらベルナデッタが笑い、進む。
「おーっほっほっほっほ!!なにか勘違いしているみたいだけれど、まさか私を追い詰めているなんて思っているのかしら!」
マリーヌもまた息を弾ませ、蒼玉を輝かせた。
「ぶっ飛ばすわ!」
ベルナデッタは高らかに拳を振るい__
「私も、なるべくケガに留めるように努力するわ!」
マリーヌは空を飛び、ほとばしる雷と、螺旋を描き衝突する氷の弾丸をまき散らす。
二人の叫びと笑いが結界の中に響き、観衆はただ唖然とその熱に圧倒されていた。
そこにはもう、冷たい憎悪も妹分の報復もなかった。ただ火花を散らしながら高まっていく、若い二人の昂揚だけが、そこにはあった。
雷と氷が入り混じる嵐の中を、ベルナデッタは真っ直ぐに駆け抜けた。
拳を握りしめ、雄たけびとともに踏み込む。
「おおおおおッ!」
マリーヌは杖を振り抜き、氷の蒼光を鋭く放った。
「砕け散り__なさい!」
次の瞬間。
ベルナデッタの拳がマリーヌの腹部に深々と叩き込まれる。
衝撃がローブをめくり上げ、体操着の布が軋み、息を詰まらせる音が響く。
「……ッ!」
マリーヌの身体がくの字に折れ、瞳が大きく揺らいだ。
だが同時に、緻密に射出位置を計算された氷槍がベルナデッタの眉間を正確に撃ち抜いていた。
「__ッ!」
ベルナデッタの視界が明滅する。冷気が脳天を貫く錯覚とともに、透明な破片が炸裂する。
槍は命中した瞬間に砕け散り、鋭い痛みと血の気を奪う衝撃だけを残して霧散した。
砕けた氷片が結界の中に散り、蒼い光の雨となって舞い落ちる。
観衆は息を呑み、歓声も悲鳴もなく、ただその異様な均衡を見つめていた。
「ふふ、うふふふふ」
腹を押さえて方を肩を震わせているマリーヌ。
「っはっ。アハ、ははっ!」
額から冷気を滴らせ、ふらつきながらも拳を握り直すベルナデッタ。
両者ともに致命傷ではない。
だが、互いの一撃が確かに通じ合ったその瞬間、結界内の空気はさらに張り詰めていた。




