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嵐の前から阿鼻叫喚

 人気のない魔術準備室。薄暗い灯りの下、ベルナデッタは静かに目を開けた。

 胸の奥に火を灯されたような、奇妙に冴え渡る感覚が広がっている。


「……なるほど。悪くないわ」


 拳を握り、そっと開く。その動きに、どこかこれまでと違う確かな重みを感じた。


「過信は禁物です」


 そういってヨグは言葉を続ける。


「……術式は発動からおおよそ5分。それ以上は保証できません」


 ベルナデッタは指先を握り、開く。

 身体の奥に生まれた奇妙な軽さと熱を確かめるように。

 ヨグは淡々と続けた。


「相手は王宮騎士の娘、しかも魔術専攻。仕組みが割れれば即座に対処されるでしょう。総じて、短期決戦、早期決着を推奨します」


「ふん……ぐずぐずしてたら勝ち目はないってことね」


 ベルナデッタは息を吐き、肩を回す。


「上等よ。もとから長々と付き合ってやるつもりなんてないわ」


 彼女は自信を誇示するように笑ったが、その拳を握る指先はほんの少し震えていた。


 ヨグの瞳は静かにその背を追い、かすかに陰を宿す。


「……ご武運を」


 光の奔流に包まれた実技ホールの通路が眼前に広がり、観衆のざわめきが押し寄せてきた。

 体操着の裾を翻し、背筋を伸ばして歩む姿は気品に満ちていた。

 揺れる髪に結界の光が差し込み、観客席からどよめきが広がる。

 ベルナデッタ・フォン=シュルズベリィ__その名を刻むかのように、彼女は堂々と戦場へと歩み出た。


 アンスティーユ王立学園、魔術科教室棟の奥に設けられた第二実技場ホール。

 広大な石造りの空間は、天井にまで届く高窓から夕陽が差し込み、橙と影のまだら模様を床に落としていた。壁には魔術防護用の結界が幾重にも刻まれ、ひび割れひとつ許されぬ厳格さを漂わせている。

 だが、その荘厳さをかき消すように、生徒たちの喧騒が渦を巻いていた。廊下からも次々と押し寄せ、観戦席はあっという間に埋め尽くされる。


「本当なのか?あの軍神の娘が決闘だなんて!」


「一般科のシュルズベリィと魔術専攻のフォルジュ様が相手なんですって」


「いやいや、勝負になるはずがない。シュルズベリィといったらあの没落令嬢だろう?」


 ざわめきは熱を帯び、ひそひそ声と嘲笑と好奇の入り混じった視線が、すべて一人の少女に注がれていた。

 ベルナデッタ・フォン=シュルズベリィ。

 夕陽に染まる赤髪を翻し、ゆっくりと歩み入った体操着を着たその姿は、周囲の雑音を一瞬だけ止めるほどの気高さを帯びていた。後方には新たに入った侍女のヨグが控え、その無表情の青い瞳は観客を拒む氷のような冷たさを放っている。

 そして観客席の最前列__そこには栗色の髪を揺らしながら、身を乗り出して手を振る小柄な影、エーリッヒがいた。


「お姉さまーっ! クソかっけぇですー!」


***


 そこからはずっと遠くに敷かれた観戦席の一角。他の生徒たちから区切られるように設けられた生徒会専用の区画。

 そこは普段、学園祭や式典などの公式行事の際にだけ開放される特別席であり、決して一般の生徒が立ち入ることは許されない。

 その中央に、一人の男子生徒の姿があった。

 普段は生徒会室に籠もり、政務や学内行事の計画のみに専念して外に出ることは滅多にない。ましてや、学生同士の決闘の見物に顔を出すなど、ほとんど例のないことだった。


「……珍しいね。会長が決闘の見物だなんて」


 その傍らに立ち、声をかけたのは、東方からの留学生、イズモ。

 端整な顔立ちに流麗な黒髪を後ろに流し、切れ長の瞳は琥珀色に輝く。

 似合っているようでどこか異質な色気と妖艶さの混ざる女子制服を着こなす姿は端正でありながら、その表情には異国の気配を纏っていた。その眼差しは、多くの女子生徒の羨望を集める一方、鋭さゆえに近寄りがたい威圧感を放っている。


「そうかもね」


 会長、と。そう声をかけられた男は椅子に背を預け、組んだ指先を顎に寄せる。

 そして、高台から見下ろすように視線を下ろした。

 広い実技場の中央__仁王立ちで構えるひとりの少女の姿を、飽くことなく観察するように。


「それにしても……」


 柔らかな声が、静寂に溶け込む。


「赤のシュルズベリィと、青のフォルジュ。……とても良い取り合わせだと思わないかな」


 まるで試合を楽しむ観客のように、気軽で、それでいて底知れぬ響きを孕んだ言葉。

 イズモは口を閉ざし、目を細める。


「……赤と青ね」


 会長の言葉が冗談なのか、それとも意図の見えぬ思惑なのか。普段は道楽に興味を示すことのない彼が、決闘を直に見届ける__それがなんの意図をもってのことなのか、そんなことを思案しながらイズモはふと思い出す。


「私の祖国では、赤には白の組み合わせが縁起がいいとされていたよ」


「……へぇ」


 会長は愉快そうに唇を緩め、軽やかに返す。


「なるほど。文化が違えば、色の持つ意味も違う……実に興味深いね」


 そう言って視線を前へ戻すと、夕陽に照らされる横顔を彩るように、会長の白い髪が黄昏色に輝いて揺れた。静謐な特別席の空気に、その髪は光を帯びて流れ、何よりも目を引く鮮烈さを放っていた。


***


 ぎしりとベルナデッタの立つ反対側の扉が開く音に、観客席が一斉にざわめく。熱を帯びた第二実技場ホールは次第に嵐の前の緊張感に包まれていく。

 入場してきたのは、金糸のような髪を揺らす少女――マリーヌ・ド=フォルジュ。

 燦然とした青の瞳は、冷たい自信に満ちている。

 同じく体操着の上に羽織った魔術専攻科のローブは、鮮やかな意匠を帯びており、それに加え学内でも有数の王宮騎士団推薦の紋章を胸に控える。それだけで周囲の視線を奪う。彼女が歩を進めるごとに、床に刻まれた魔術防護の結界がかすかに光を返す。

 その光に照らされ、マリーヌの姿はまるで舞台の主役のように際立っていた。

 マリーヌはその反応を当然のように受け止め、顎をわずかに上げて進む。その堂々たる足取りは、決闘を前にしても微塵の迷いもなく、むしろ気高さと余裕を誇示していた。

 やがて彼女は実技場の中央に立ち止まり、真正面に立つベルナデッタへと冷ややかに視線を注ぐ。青と赤、二つの瞳が夕陽に照らされ、火花を散らすように交錯した。


「……本当に出てきたのね、シュルズベリィ」


 マリーヌが唇の端をつり上げる。


「逃げるかと思ったけれど、少しは根性があるじゃない」


 ベルナデッタは微かに顎を上げ、冷ややかに返した。


「逃げるのはそっちでしょう?軍神の娘と呼ばれるあなたが、見下していた没落令嬢に敗れるなんて__恥どころじゃ済まないもの」


 観客席から小さなどよめきが起こる。

 その挑発的なやりとりだけで、決闘はすでに始まっているかのようだった。

 マリーヌは鼻で笑い、赤髪の少女を見下ろす。


「せいぜい恥をかかないように祈りなさい。……もっとも、祈り程度で救われるなら、だけど」


 ベルナデッタは胸を張り、真紅の瞳で真っ向から睨み返す。


「安心して、私は祈らないわ。もし神様程度とはいえ味方につけてしまったら、それこそアンフェアだと思わなくて?」


 挑発に挑発を返し合う二人のやり取りに、観客席は普段の貴族としての気品を覚えているものはすでに少なく、実技場ホール全体が火花を散らす前夜のような熱を帯びていった。

 その中央にもうひとりの人物が現れた。黒のローブを纏った教員であり、魔術科の審判役を務める男だ。年季の入った声が結界に反響し、場内は一瞬にして静まり返る。


「これより、ベルナデッタ・フォン=シュルズベリィとマリーヌ・ド=フォルジュによる決闘を開始する」


 宣言に続き、教員は厳しい口調で言葉を重ねた。


「まず、忘れるな。ここは学園であり、決闘は規則に則った正式な儀式だ。小細工を弄すること、命を奪おうとする行為、いずれも固く禁じられている。これは互いの気品と意思を示すための戦いであって、血を流す場ではない」


 沈黙を置き、観客をぐるりと見渡す。


「審判が危険と判断した時点で即時中止とする。勝敗は、相手が降参するか、もはや戦闘続行が不可能と認められた時点で決する」


 重々しい声がホールを包み、結界の光が一層強く輝いた。

 その透明な壁は、場内の魔術の奔流を外へ漏らさぬために幾重にも重ねられている。

 再び教員の声が響く。


「以上が規則である。違反者は即刻失格とし、学園の名誉を汚した者として重く処罰されるだろう」


 言い終えると、男はローブの袖をゆるりとまくり上げた。手首に嵌められた銀の腕輪、その中央に埋め込まれた宝石が、結界の光を受けてかすかに揺らめく。その輝きは一瞬にすぎなかったが、不思議な脈動のように脈打ち、見た者の胸に微かな騒ぎを残す。


 審判の声が再び場内に響く。


「両者__構え!」


 マリーヌは静かに歩を進め、ゆるやかに杖を掲げた。

 その杖は純白の木材に金細工を施し、先端には透き通るような蒼玉が嵌め込まれている。

 宝石の内奥に封じられた光が脈動するたび、結界の光を受けて青白い輝きが広がり、まるで月明かりをそのまま封じ込めたかのような神秘を漂わせていた。

 丁寧に磨かれ、王侯貴族の御用職人が仕立てたと一目で分かる逸品__それを操るマリーヌの姿は、まさに貴族の嫡女に相応しい優雅な魔術師、そのものだった。


「……あら?」


 一方、ベルナデッタといえば。彼女は杖を持っていなかった。観衆が息を呑む中、躊躇なく腰を落とし、両拳を胸元で構える。片足を半歩引き、鋭い視線を相手に注ぎ込むその姿は……武芸者のそれ、まるで闘技場に立つ格闘家。


「……っははは!」


「な、なんだあれ!」


「杖も持たずに、拳!? 冗談だろ!」


 広間に爆笑とどよめきが広がる。

 高位貴族の令嬢が、格式ある決闘の場で取るに足らぬ拳闘の構え、その異様さは、観客の常識をあざ笑うかのようだった。

 マリーヌの唇に冷ややかな笑みと、故のない苛立ちがヒクつく。優雅に掲げられた最高級の杖と、無骨な素手の構え。その対比は、滑稽としか表現できない。

 審判はそんな二人をしばし二人を見比べ、やがて声を張り上げる。


「__始め!」


 結界の光が脈打ち、決闘は開幕した。

ここまで読んでたら異世界[恋愛]ジャンルだと誤認する人も少なくないだろう。だがこれはハイファンタジーアクションである。

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