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侍女と魔術は使いよう

 朝食を終え、生徒たちがざわめきながら教室へ戻っていく。

 すでに廊下には「放課後に決闘があるらしい」という囁きが飛び交い、扉を開けた途端、ベルナデッタにも好奇と嘲笑の視線が向けられた。

 赤い髪を揺らして席に腰を下ろした彼女は、その視線を無視するように胸を張った。けれど心の奥では、後悔がじわりと広がっていた。

 隣に座ったエーリッヒが、小さく唇を噛みしめていた。

 栗色の瞳が潤み、やがてか細い声がこぼれる。


「……お姉さま、ごめんなさいです。エーリッヒが余計なことを言ったから、決闘だなんて……」


 ベルナデッタは赤い瞳を細め、ちらりと横目で彼女を見る。

 小さな肩が震えていて、その姿に胸の奥が痛む。


「……謝ることなんてないわ」


 わざと軽く笑みを浮かべ、背筋を正す。


「マリーヌはもとよりいけ好かない娘だったし、いつか私自身の手で成敗しようって考えてたんだから!」


 エーリッヒは俯き、なおも唇を結んでいる。

 ベルナデッタは小さく息を吐き、ほんの一瞬だけ赤い瞳を揺らした。

 __本当は怖い。勝ち目など薄いことも理解している。けれど、この少女の前で弱音を吐くことだけはできなかった。


「心配はいらないわ、エーリッヒ」


 きっぱりと言い切るその声音は、震えを隠すための気高さに彩られていた。


「私は絶対に、あなたの前で恥をかかないわ」


 その言葉に、エーリッヒの潤んだ瞳が揺れ、かすかに希望の光が宿った。

 ベルナデッタは胸の奥の不安を押し隠し、赤い髪を払いながら正面を見据える。

 その時、教室の扉が開く音がした。

 振り返れば、金糸のような髪を持つ青年――フィアナが姿を現した。

 彼の穏やかな笑みはいつも通りだったが、その金色の睫毛の奥に潜む眼差しは、どこか不安を帯びている。


「ベルナデッタ」


 声をかけるその響きは、普段よりもわずかに低い。


「決闘を申し込んだと聞いた。相手はあのマリーヌ・ド=フォルジュだと。本当なのかい?」


 周囲の生徒たちが一斉に息を呑む。

 枢機卿の息子にして、教会の後ろ盾を持つ彼の問いかけは、ただの噂を一気に確かなものへと変えてしまった。ベルナデッタは一瞬、赤い瞳を伏せる。けれどすぐに顔を上げ、気丈に言い切った。


「ええ、本当よ。……あなたに心配される筋合いはないわ、フィアナ」


 彼の金色の瞳が、微かに揺れる。

 フィアナは一歩近くまで進み、真剣な表情でベルナデッタを見据えた。


「……知っているでしょう、ベルナデッタ」


 その声音は、普段の柔らかさを失い、硬く重かった。


「マリーヌ・ド=フォルジュは、かの軍神の一粒種。魔術専攻科の中でもトップクラスの成績を誇っており、専門外の剣術でさえ同学年の男子生徒を圧倒した実績もあるという。彼女に決闘を挑むなど……無謀だ」


 周囲がざわめく。生徒たちの視線が一層鋭く注がれる中、フィアナは言葉を重ねた。


「君が愚かな令嬢だとは思いたくない。今なら__お父様の、教会の権力を使ってこの決闘を誤解として取り消すことができるかもしれない。……僕は本気でそうしたいと考えている」


 金糸の髪が光を受け、彼の金色の瞳が揺れる。

 その眼差しは、憐れみではなく、純粋に案じる色に満ちていた。


「頼む、ベルナデッタ。君が傷つく姿だけは、どうしても見たくない」


 ベルナデッタは一瞬だけ赤い瞳を伏せ、隣に座るエーリッヒへと視線を移す。

 その悲痛な眼差しに触れ、ベルナデッタはふっと小さく笑う。強がりではない、ただ友を安心させたいがための、柔らかな微笑み。

 そして、再びフィアナに顔を向ける。赤い瞳が鋭く光を宿し、令嬢の声が教室に響いた。


「……ありがたい申し出だわ、フィアナ。でも、受け入れるつもりはない」


 フィアナの金色の瞳が大きく揺れる。


「私は逃げない。どれほど不利でも、どれほど無謀に見えても……妹分を侮辱されたまま黙っていることなんて、シュルズベリィ家の娘として、できない」


 フィアナは唇を結び、何かを言いかけて言葉を飲み込む。


「……家名を出してでも立ち向かわなければならない決闘、か」


 ベルナデッタの決意は、すでに揺るがぬものとしてそこにあった。

 __だが


「シュルズベリィのご令嬢」


 低く落ち着いた声が、教室の後方から響いた。

 フィアナの背後に、黒衣をまとった神父が立っていた。

 その存在感は静かであるにもかかわらず、ベルナデッタの背筋に冷たいものが走る。

 神父はにこやかな笑みを浮かべたまま、静かに歩み寄る。


「背筋を伸ばし、気高く言葉を放ったその姿……実に見事でした。若き令嬢が己の誇りをかけて決闘に臨む。これは試練であり、神の加護を得るにふさわしい行いでしょう」


 その言葉に、教室がざわめく。

 決闘を咎めるどころか、むしろ推し進めるような発言。誰もが予想していなかった反応だった。

 ベルナデッタは思わず赤い瞳を瞬かせ、拍子抜けしたように呟く。


「……てっきりまた淑女らしく振る舞え、などとでも言われるかと思いましたのに」


 神父は穏やかに微笑を深め、手を胸に添える。


「いいえ。信念を持つ者が侮辱に立ち向かうのは、神の御心にかなうこと。恐れに屈するより、戦いの中で気高さを示すことこそ尊いのです」


 その声音は甘やかでありながら、背を押すように強く響いた。


 「どうか胸を張りなさい、シュルズベリィののご令嬢。放課後の決闘を、私は楽しみにしています」


 にこやかに告げる神父の声が響いた瞬間、教室の空気はさらに重くなった。

 ざわめきが広がる中、金糸の髪を揺らしながらフィアナが我慢できないというように声を上げる。


「……神父様! 一体何を言っているんですか!」


 珍しく声を荒げる彼の姿に、生徒たちは息を呑む。


「ベルナデッタが相手にするのはマリーヌ=ド=フォルジュです! 魔術専攻科の首席候補に挑むなど無謀そのもの……彼女が傷ついたらどうするおつもりですか!」


 フィアナの金色の瞳は真剣そのもので、その声には焦りすら滲んでいた。


 だが神父は微笑みを崩さない。


「落ち着きなさい、フィアナ殿」


 まるで説法の続きを語るかのように、穏やかに言葉を重ねた。


「守ろうとする愛もあれば、信じて見守る愛もある。神はそのどちらも尊いと説かれているのです」


 フィアナの唇が震え、反論を探すが言葉が出ない。

 神父の声音は正論の衣をまとい、反駁を許さぬほど滑らかだった。

 その横でベルナデッタは、赤い瞳を瞬かせながらも、どこか拍子抜けしたように肩を落とす。

 __いつもはなにかにつけて制約を押し付けてくる神父が、今回は自分を後押ししている。

 正体のつかめない違和感だけが胸に残り、冷たい感覚が背筋を伝っていった。


「……あ、ありがとうございます、神父様。必ずや、シュルズベリィの名に恥じない戦いを披露することを約束いたしますわ」


 ベルナデッタのその言葉を聞き、満足そうにうなずいた神父は、ゆるやかに袖を払うと、懐から小さな箱を取り出した。

 蓋を開けば、そこには深紅の宝玉を嵌め込んだ繊細なネックレスが輝いている。

 蝋燭の光を受けて、宝玉はまるで血潮のような光を放っていた。


「ベルナデッタ嬢。これは教会の加護を受けし魔具、魔術の発動を助ける宝玉です。身につければ、あなたの力を補うはず」


 神父はにこやかな笑みを浮かべたまま、彼女に差し出した。

 教室がざわめく。

 決闘を前に、教会が直接支援を授けるなど前例のないことだった。

 ベルナデッタは赤い瞳を見開き、戸惑いながらも手を伸ばす。


「これを……私に?」


「ええ。気高さを示そうとするあなたに、ふさわしい贈り物です」


 神父の声は柔らかく、しかしどこか耳にまとわりつくような甘さがあった。


 その瞬間――。


 芸術のような美しい白磁の腕が素早く伸び、神父の手首を掴み上げた。

 悪案で無表情に、だがその瞳に暗い影を宿した侍女、ヨグだった。

 無表情のまま、深い青の瞳が真っ直ぐ神父を射抜く。


「……ご息女様に触れること、許可いたしておりません」


 冷え冷えとした声が教室に落ち、ざわめきが一層大きく広がった。公爵家付きとはいえ、一介の侍女にすぎない彼女が、教会の看板でもある神父の腕をわしづかみにしたのだ。

 神父はしかし、痛みを感じていないかのように穏やかな笑みを崩さず、ヨグの腕を見下ろしていた。


 「おや、あなたは……」


 神父は穏やかな笑みを崩さず、掴まれた腕を見下ろした。

 その眼差しには驚きよりも、むしろ探るような光が宿っている。


「なるほど、噂に聞く新しい侍女というわけですか。……随分と反応が早い」


 ヨグは微動だにせず、深い青の瞳を冷ややかに向ける。


「申し遅れました。私はシュルズベリィ公爵家付きの侍女、ヨグと申します」


 教室の空気が張り詰めた。

 ざわめいていた生徒たちも息をひそめ、ただ二人のやり取りを見守る。

 しかし神父はなおもにこやかに、掴まれた腕を軽く持ち上げてみせた。


「疑り深さも忠義の形、ですか……。実に頼もしいことです」


 やがて彼はゆるやかに力を抜き、抵抗せずに腕を下ろし、微笑みを深めながら、懐に箱を静かに仕舞い込んだ。

 だが神父の眼差しは逸れなかった。

 まるで興味深い標本を前にする学者のように、つま先から頭の天辺までヨグを舐めるように眺める。

 品定めするかのような視線が、冷たくも飄々と彼女に注がれ続けた。


「……なるほど。やはり、ただの侍女ではありませんね」


 つま先から__丁寧に揃えられた靴の位置。

 膝、腰、背筋の伸び具合。

 そして指先のわずかな角度、頬の血色、無表情の奥に潜む静かな瞳の揺れに至るまで。

 まるで一つひとつを秤にかけるかのように、視線がゆっくりと這い上がっていく。

 礼儀を崩さずとも、あまりに露骨な品定めの眼差し。

 やがて神父の目はヨグの深い青の瞳にたどり着いた。

 そこでようやく、薄く笑みを深める。


「あなたのような者を抱えるなど、シュルズベリィ家は本当に没落寸前、なのでしょうか?」


 ヨグは瞬きひとつせず、平坦な声で応じた。


「私はただ、ご息女様に仕える者です。それ以上の詮索は、無益かと」


 神父の瞳がわずかに細まり、教室に重苦しい沈黙が流れる。


「……では、教会一同、健闘をお祈り申し上げますよ。神のご加護がありますことを」


 黒衣の裾がひらめき、足音が静かに遠ざかっていく。教室に残されたのは張り詰めた沈黙と、まだ胸の奥に残る冷ややかな気配だった。

 その静寂を破ったのは、栗色の瞳を輝かせたエーリッヒだった。小柄な体を乗り出すようにして、ベルナデッタを見上げる。


「すごいです! お姉さま、教会の神父様からまで応援されるなんて……クソかっけぇです!」


 無邪気な声に、教室の空気が一瞬和らぐ。

 ベルナデッタは赤い瞳を瞬かせ、頬をわずかに染めながら小さくため息をついた。


「……大げさよ、エーリッヒ」


 神父の黒衣の裾が消えていくと同時に、張り詰めていた教室の空気は一気に解け、ざわめきが広がった。先ほどまで息をひそめていた生徒たちは、互いに顔を寄せ合い、決闘の噂や神父の言葉をささやき合う。ちらちらと向けられる視線の中心にいるベルナデッタは、背筋を伸ばしたまま机に手を置き、表情ひとつ動かさなかった。

 隣で瞳を輝かせていたエーリッヒも、ようやく興奮を抑え込むように何度も「クソかっけぇ……」と小声で繰り返しながら、名残惜しそうに自分の席へと戻っていった。

 その背中は小柄ながらもどこか誇らしげで、ベルナデッタの胸にかすかな温かさを残した。

 ――そのとき。

 すぐ傍らから、感情の色を帯びない澄んだ声が落ちる。


「……ご息女様」


 ベルナデッタが顔を上げると、ヨグが静かに傍らに立っていた。


「決闘において、魔術の補助はいかがなさいますか」


 短い問いかけが、緩んでいた胸の奥を鋭く突いた。

 冷静に考えて、補助がなければ勝ち目は限りなく薄い。けれど、ヨグに補助を任せるということは、それは「自分ひとりでは立てない」と認めるに等しい。

 マリーヌ、フィアナ、彼ら彼女らの顔が走馬灯のように巡り、ベルナデッタは唇をかみしめ、しばし沈黙する。

 視線は自然とエーリッヒへと向かった。小さな体を揺らし、席から遠く自分を見つめているのと目が合った。次にヨグへ。いつも通りの無表情、だが彼女だけが真実を知っている。

 __二人の眼差しが、ベルナデッタの胸に重くのしかかる。

 赤い瞳を伏せ、しばし深く逡巡したのち、ベルナデッタは吐息とともに呟いた。


「……好きになさい」


 短い一言に込められたのは、信頼か、諦めか。

 ベルナデッタ自身にも、その境界ははっきりしなかった。

 けれどその声は気高さを崩さず、教室の空気に強い余韻を残した。


「御意に」

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