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憧れのゆくえ

「……あ、あのね」


 赤い瞳を泳がせながら、必死に言葉を探す。


「魔術の特訓なんて、朝からできるはずないでしょう? だって今日は舞踏会の練習があるもの。私にはそちらが先決なのよ」


 エーリッヒは一瞬きょとんとしたが、すぐに頬を膨らませた。


「でもです!舞踏会の練習もクソ大事なのはわかるですけど、魔術の特訓だって今から始めればクッソすごい成長できるはずです!」


 ベルナデッタは困惑し、目を逸らす。


「い、今からって……あなた、少しは時間割を考えなさい。午前は舞踏会の練習が組まれているのよ。そんな余裕__」


「そこをクソなんとかです!お姉さまならダンスと魔術の先生も絶対に両立できるです!」


 栗色の瞳が期待にきらめき、食い下がる気配は微塵もない。

 ベルナデッタが追い詰められそうになったその時、背後から落ち着いた声が差し挟まれた。


「……ご学友様」


 ヨグの無表情な横顔に二人の視線が吸い込まれる。


「舞踏会の稽古は、魔術の制御にも役立ちます。呼吸と姿勢を整えるのは、魔力を扱う際にも通じること。今はまず、そちらに専念されるべきかと」


 エーリッヒは目を丸くした。


「そ、そうなんですか!?じゃあ舞踏会の練習も魔術の特訓になるってことですか!」


「……理屈の上では」


 淡々と告げるヨグに、エーリッヒは両手を打ち合わせて喜色を浮かべる。


「なるほどです! じゃあ今日の練習は全部が特訓です! お姉さま、やっぱりクソすごいです!」


 ベルナデッタは頬を染め、赤い髪を乱暴にかきあげた。


「……そ、そう、そうよ。そうなのよ。だから、今日は魔術の、基礎中の基礎の一つであるダンスと呼吸から。い、いい?エーリッヒ、何事もはじめが肝心なの!」


 その言葉を聞いたエーリッヒは目を輝かせ、よだれを垂らしながら聞き入っている。それじゃあ、と一人でリズムを口ずさみダンスの練習を勝手に始めた。


「えへへ……これが魔術の基礎です……!わたし、すでにクソ天才になりそうな予感しかしないです!」


 よだれを垂らしてうっとりする姿に、ベルナデッタは額を押さえた。


「ちょっと、今はやめてくれるかしら」


「へっ? でも今が一番いいリズムが__」


「却下!」


 ベルナデッタは赤い髪をかきあげ、きっぱりと言い切った。


「そんな空腹のままじゃ、リズムも魔力もすぐに乱れるわ。まずは朝食よ。食堂へ行くわよ、エーリッヒ」


 彼女の真剣な表情に、エーリッヒは一瞬だけ口を尖らせたが、すぐにぱっと顔を輝かせる。


「なるほどです!さすがお姉さま、魔術の修行は食べることから始まるんですね!やっぱりクソ深いです!」


 そう言って栗色の瞳を輝かせながら、エーリッヒは先に駆け出していく。

 その後ろ姿にベルナデッタは思わず肩を落とし、ため息をもらした。


「……完全に誤解された気がするわ」


 けれど、口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。

 エーリッヒが小鹿のように駆けていく背中を追いながら、ベルナデッタは肩をすくめる。

 その隣で歩くヨグが、ふと無表情のまま問いを投げかけた。


「……彼女は?」


「エーリッヒ。ヴィヴァーチェ子爵家の娘よ。……あの子は子爵家の三女で、私と違って家の存続だとか、跡取りだとかに困らなくていい、そんな気楽なお姫様よ」


 前を駆ける小柄な背中を見つめながら、ベルナデッタは小さく息を吐いた。


「でも本人はずっと魔術師を夢見ていた。家には反対されて、仕方なく一般科に籍を置いたけれど……どうしても諦めきれない……そんな感じね」


 栗色の髪を揺らし、無邪気に笑う姿が視界の先で眩しい。 


「だからこそ、昨日の授業で光花ルミナ・フロールを見せてしまったのがいけなかったのかもしれない。あの子にしてみれば……」


 ベルナデッタの声には、わずかに戸惑いが混じっていた。

 ヨグは変わらぬ無表情で一礼し、ただその言葉を静かに受け止めた。

 廊下の先にざわめきが広がってきた。大きな扉を押し開ければ、学園の食堂が目の前に現れる。

 朝の陽光が高い窓から差し込み、白いクロスの長卓が整然と並ぶ広間は、すでに令嬢たちの談笑で賑わっていた。銀の器に盛られた温かなスープや焼きたてのパンの香りが漂い、そこかしこでくだらない話題が飛び交っている。

 そんな中、先に駆け出して行ったエーリッヒが、ひょいと片手を上げた。


「お姉さま! こっちの席がクソ空いてるです!」


 栗色の髪を揺らしながら手を振る姿は、目立つことこの上ない。

 ベルナデッタは一瞬、いつもとは異なる周囲の視線を感じて頬をわずかに熱くしたが、仕方なく歩を進める。


 ほどなくして、ヨグが銀盆を両手に持ち戻ってくる。そこには白い皿に盛られた焼きたてのパンと、湯気を立てる野菜のスープ、それに香草を散らした卵料理が整然と並んでいた。

 動きに無駄はなく、盆を置き、ベルナデッタとエーリッヒの前に滑らかに皿を配していく。


「ありふぁほうほはいまふへふ!」


 栗色の髪を揺らしながらパンを手に取り、もぐもぐと頬張ってから、エーリッヒはヨグに礼を言い、ふと対面斜め前に立つ、その銀髪の侍女に視線をやった。


「でもです、お姉さま」


 口元を拭いながら、彼女は不思議そうに首を傾げる。


「お姉さまの侍女さんって……いったい何者なんですか?なんかちょっと、雰囲気がちがうです」


 問いかけられたベルナデッタは、スプーンを持った手を一瞬止めた。

 赤い瞳が揺れ、隣の侍女を横目で見やる。


「……彼女は私の侍女よ。それ以上でも、それ以下でもないわ」


 短く切り捨てるような声音。だがわずかな間が、彼女の胸中に迷いを滲ませていた。

 エーリッヒもパンをかじる手を止め、ぱちぱちと瞬きをした。


「ふーん……でもです」


 栗色の瞳がまっすぐにベルナデッタを射抜く。


「ただの侍女にしては、背筋の伸ばし方とか、手の動かし方とか……なんか違う感じです。エーリッヒ、音楽も得意だから、人のリズム?みたいなのにはちょっと敏感なんです」


 ベルナデッタは心臓を跳ねさせ、視線を逸らす。


「……あなた、余計なことに首を突っ込むのはやめなさい。侍女は侍女、それで十分でしょう」


 しかしエーリッヒは椅子から身を乗り出し、なおも食い下がった。


「でもです、きっと何かあるはずです!お姉さまがあんなに強いのは、ヨグさんとただならぬ関係があるからなんじゃないですか?」


「っ……!?」


 思わぬ直球に、ベルナデッタの頬が赤く染まる。

 スープの湯気で熱くなったわけではないことを、自分でもわかっていた。

 一方のヨグは、何も言わず、ただ淡々と食卓の横に控え続けている。その静けさが、ベルナデッタに余計な重圧を与えていた。ただいつも通り無表情のまま、姿勢を崩さずにそこに立っていた。

 食堂のざわめきの中、この卓だけ妙な沈黙が流れた。

 黙して押し問答を続けるかに見えたが、先に根負けしたのはエーリッヒだった。


「……わかったです。お姉さまがそう言うなら、それ以上は聞かないです」


 そう言いながらも、どこかむずがゆそうに肩をすくめ、目の前の皿に手を伸ばす。

 銀のフォークを突き立て、香ばしく焼かれたソーセージをぱくりと口に運んだ。


「んんーっ! これ、クソうまいです!」


 頬をふくらませ、幸せそうに咀嚼する姿は、つい先ほどまでの鋭い問いかけとはまるで別人のようだった。

 ベルナデッタは呆れたように息を吐き、赤い瞳を細める。


「……本当に、あなたって調子がいいわね」


 エーリッヒがソーセージを頬張りながら幸せそうに身を揺らすのを見て、ベルナデッタは呆れた様子で肩を落とした。


 __そのときだった。

 食堂の奥から響く、よく通る声。


「……あらあら。耳を疑ったわ。ベルナデッタ・フォン=シュルズベリィに、お友達ができたって噂を聞いたものだから」


 銀食器の音が静まるほどに、周囲の令嬢たちが振り返る。

 青い瞳を細め、鮮やかな金髪を揺らしながら現れたのは、マリーヌ=ド=フォルジュ。

 魔術専攻の制服を華麗に着こなし、堂々たる足取りでこちらへと歩み寄り、唇の端に意地の悪い笑みを浮かべていた。

 その姿を見た瞬間、マリーヌとベルナデッタ、二人の間に割り込んでエーリッヒの瞳がぱっと輝く。


「ま、魔術専攻科の制服です……!わたし、魔術科にずっと憧れてるんです!すごいです、ほんとにクソかっけぇです!」


「え、ク……クソ?」


 戸惑うマリーヌを気にも留めず、小柄な身体を精一杯に伸ばし、勢いのまま机越しに手を差し出す。


「よ、よければ握手してほしいです! わたしの夢は、いつかマリーヌさんみたいな魔術師になることですから!」


 周囲がざわめく中、マリーヌは立ち止まり、その差し出された手を見下ろした。

 青い瞳には、かすかな驚きと、すぐに浮かんだ冷ややかな光が揺れていた。

 だが__マリーヌはその手から視線を外した。まるで存在そのものを視界から外すかのように通り過ぎ、青い瞳をベルナデッタにのみ注ぐ。


「本当に驚いたわ。あなたに友達なんてできるはずがないと思っていたのに。……ねぇ、シュルズベリィさん?」


 その言葉は甘く響きながらも、刃のように鋭い。

 食堂のあちこちでくすくすと笑い声が漏れ、好奇の視線がマリーヌの声でベルナデッタの席に召集される。

 ベルナデッタは静かにスプーンを置き、赤い瞳を細める。周囲の視線も冷たく注がれる中ただ一人、いまいち状況を理解していない少女がいた。


「えっ……じゃあ、マリーヌさんもお姉さまのおともだちなんですか?」


 ………………。

 食堂の空気が凍りついた。

 ベルナデッタは目を見開き、マリーヌの青い瞳もまた驚きに揺れる。

 そして、ほとんど同時に二人の声が重なった。


「「そんなわけないでしょう!!!!」」


 高らかに響いた声が食堂に反響し、あちこちから息を呑む音、そして食事を吹き出す音が漏れる。

 エーリッヒはぽかんと口を開けたまま固まった。

 妙な沈黙が卓を包み込む。

 __気高さと高慢、二人の令嬢の声音がぴたりと揃った異様な瞬間に、誰もが言葉を失っていた。

 二人の声が重なったあと、食堂にはしばし異様な沈黙が漂った。

 やがて、マリーヌが青い瞳を細め、口元に皮肉げな笑みを浮かべる。


「……ふふ、タイミングまで揃うなんて、確かにどこか通じる箇所があるのかしら?もっとも、私とあなたがトモダチだなんて、冗談にもほどがあるけれど」


 ベルナデッタは赤い瞳を細め、冷ややかに返す。


「ご安心なさい。こちらだって、あなたと同じ場所まで下ってやるつもりは毛頭ないわ」


 その一言に、周囲の空気がぴりりと緊張した。

 しかしマリーヌは涼しい顔でスープの匙を弄び、あくまで余裕の笑みを崩さない。


「そうかしら?でも、あなたに友達なんて似合わない。そこにいる小鳥ちゃんだって、せいぜい物好きが気まぐれで相手をしているだけじゃない?」


「……っ!」


 マリーヌの冷笑が空気を支配する。

 ベルナデッタは唇を噛み、言葉を探す__が、その隣で先に声を上げたのはエーリッヒだった。


「……そんなこと言うなんて、クソ失礼です!」


 栗色の瞳がまっすぐにマリーヌを射抜く。


「お姉さまに友達が似合わないなんて、そんなわけないです!お姉さまは立派で、気高くて優しくて!……いずれこの国を引っ張るクソ最強の魔術師になる御方です!それがわからないなんてアンタ、クソ見る目ないです!」


 その言葉は、食堂のざわめきを一瞬で鎮めた。

 小柄な身体を精一杯に張り、名前も知られないような子爵家の娘が、軍神の一人娘に牙をむいたのだ。

 マリーヌは一瞬だけ眉を上げたが、すぐに青い瞳に冷たい光を宿す。


「……ずいぶん威勢のいい子ね。でも、社会は気持ちだけで回るものではないわ。子爵家の娘が、没落寸前の公爵家と肩を並べて何になるのかしら?」


「なるです!」


 エーリッヒは机を叩き、身を乗り出した。


「わたしはお姉さまの味方になるです!それが何になるかなんて関係ないです!」


 鋭い言葉の応酬に、周囲の令嬢たちは息を呑んだ。

 ベルナデッタは赤い瞳を揺らし、隣の少女の横顔を見つめる。

 ――胸の奥で、熱いものがふつふつと込み上げてくるのを感じながら。


「もうやめなさい、エーリッヒ!」


 赤い瞳が怒りと焦りに揺れる。


「あなたまで巻き込まれる必要はないのよ!」


 しかし、マリーヌの笑みは消えない。

 黄金の髪を揺らし、青い瞳を細めて言葉を投げつけた。


「結局はそうやって庇うのね、ベルナデッタ。没落令嬢が口先だけで魔術を語る……その程度に憧れる物好きがいるなんて、実に滑稽だわ」


 その瞬間、隣にいたエーリッヒの栗色の瞳が大きく揺れた。

 __魔術専攻科。自分が憧れ、夢見て、けれど踏み込めなかった場所。その才女から投げつけられた冷酷な言葉は、胸の奥に鋭く突き刺さった。


「……っ」


 小さな嗚咽とともに、エーリッヒの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。

 それを視界の端に見逃さなかったベルナデッタは、胸に熱い炎が燃え上がる。自分だけではない。自分を信じてくれる少女の想いまで、何度も、何度も__

 彼女は椅子を強く押しやり、一歩前へ踏み出した。


「マリーヌ=ド=フォルジュ!!」


 赤い瞳が力強く燃える。


「今の言葉、聞き捨てならないわ。私と、正々堂々決闘で勝負しなさい!」


 ざわめきが一気に広がる。

 学園の食堂に走った衝撃は大きい。

 一般科の令嬢と、魔術専攻科の才女。軍神の娘。__その立場の差は歴然であり、誰もがベルナデッタの無謀を思った。


 だが当のマリーヌは、まるで待っていたかのように唇を吊り上げた。


「……ようやく、らしいことを言ったじゃない」


 青い瞳が冷たく光る。


「いいでしょう。放課後、魔術科教室棟の第二実技場ホールで受けて立つわ。格の違いを教えてあげる」


 その言葉に、場の空気は一層張り詰めた。

 決闘――それは名誉と未来を懸ける儀式。

 誰もが息を呑み、この瞬間を忘れまいと目を凝らしていた。

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