トンネル
鬱蒼と茂る樹々に埋もれるようにして空くそれは、暗闇の中にあって尚、闇い。
「うわ、こえー」
車から降りてすぐに、暗闇に目を釘づけた良平が間抜けな声を上げた。
それに鼓舞されるように、皆クスクスと笑い声を立てる。しかし、それさえも暗闇の中に吸い込まれ、溶けていく。
美雪はそれに気が付かない振りをし、明るい声を上げた。
「よし、写真撮ろ! ほら、良平と哲也はそこ立って」
「お前らは?」
哲也が、美雪とその横で不安そうに微笑む菜奈を振り返る。
「え、だって何かよく分かんないものが写ったら嫌だもん。それに、こんなに暗い所で撮ったら絶対ブスに写るから嫌だ。ねぇ、菜奈? あ、でも菜奈はどこで撮っても可愛いか。……写る?」
ふるふると首を振り「やだよー」と言う菜奈に微笑んでから、美雪はスマートフォンの画面を覗き込んだ。
良平と哲也が暗闇の中に立っている。背後にはより闇いトンネルが口を開いている。それはまるで、二人を飲み込もうとしている怪物の口にも見えた。
「マジで写んないの」
「うん、写んない」
「まぁ、いいじゃん、テツ。俺らだけでもさー。心霊スポットでめっちゃキメて写ろうぜ」
哲也の肩を抱いた良平が、親指を立てる。渋々といった風に哲也がレンズに目を向けた瞬間に、美雪はシャッターボタンをタップした。
一瞬、辺りが光に包まれる。
「うっわ、まぶしっ!」
良平は、それだけでゲラゲラと笑い始めた。釣られた菜奈がクスクスと笑う。
美雪は、スマートフォンの画面に目を落とし、「あっ」と声を上げた。一瞬、沈黙が生まれ、それを振り払うように良平が駆け寄って来る。
「なに、幽霊写ってた?」
美雪はのろのろと手を掲げ、画面を良平に見せた。
「良平が半目」
食い入るように画面を見回していた良平は、大袈裟に身を仰け反らせた。
「おもんな! うーわ、おもんな!」
良平の様子に笑いながら、美雪は再びスマートフォンを構えた。
「ほら、もう一枚。今度は格好良く撮ってあげるから──」
画面を覗いていた美雪は、暗闇の中に灯る光に目を上げた。
「あ、ヤバイ、車来る。端寄って、危ない」
トンネルの向こうからヘッドライトの明かりが近付いて来るのを、雑草の茂る道端でやり過ごす。車が二台すれ違うのがやっとの幅しかない道を、随分なスピードを出して車は遠ざかって行った。
車から目を離した美雪は、スマートフォンを構えなおした。
「はい、じゃあそこ立って、良平」
「あー、もうよくね。とりあえず中歩こうぜ」
良平は、片手をポケットに突っ込むと、もう片方の手で菜奈の手を取った。
「菜奈は俺が守ったる」
「えー」と可愛い声で答えながら、菜奈はクスクスと笑った。何故、恋人同士なのか疑問を抱かざるを得ない二人を見やってから、美雪は哲也を見上げた。
「行くか」
「そだね」
哲也がさりげなく自身の腕を示すのに、忍び笑いながら、美雪は哲也の腕に腕を絡ませると、先を歩き始めていた良平と菜奈を追った。
トンネル内の照明は点いていないに等しかった。スマートフォンのライトを頼りにのろのろとした足取りで進む。トンネルは緩くカーブを描き、終わりは見えない。例え見えたとしても、この暗さでは判別出来ないだろう。
「で、ここって何があるんだっけ」
美雪の声がトンネル内に反響する。それに反応したようにどこか遠くでピチョと水音がした。
「んー、なんか出るって」
「だから何が? あるでしょ、トンネルの真ん中でクラクション三回鳴らすと手形がーとか。トンネルの中にお地蔵さんがーとか、そういうの」
「知んない。先輩にどっか面白いとこないですかーって聞いたら、教えて貰っただけだし。何が出るか判らない方が楽しいからって言ってたし。あの人オカルトマニアみたいな感じらしい。見た目そんな感じしないけど」
良平がスマートフォンのライトを周囲に向け、何かを探すようにする。
「夜のトンネルを歩いてるってだけで怖いよ」
菜奈がか細い声で言うと、良平が笑みを浮かべた。
「もっとくっついたら怖いのもマシになるかもよ」
手を強く握り直し、菜奈の体を引き寄せた良平は、「ん?」と足を止め、ライトを手元に向けた。繋いだ手を僅かに離し、覗き込む。
「めっちゃ手汗かいてんじゃん、菜奈」
良平の言葉に、菜奈が頬を膨らませる。
「怖いんだから仕方ないじゃん。酷い」
良平は、わざとらしくとぼけてみせる。
「あ、これ俺の汗かも。怖いから出ちゃった」
「もー、なにそれ」
頬を膨らませたままの菜奈が、良平の腕を責めるように叩く。
その時、コンッという音が響いた。
じゃれ合っていた二人が笑顔を引っ込め、辺りを窺う。
「今のなに……?」
菜奈の声に、美雪はスマートフォンのライトで辺りを照らした。
「わ、わかんない……」
耳を澄ませると、静寂に包まれている筈のトンネル内に、少しずつ、小さな音が存在していることに気が付く。
ピ、チョン……コンコン……ヒュウゥ……ジャリ、リ……
「わっ!」
突然声を上げた哲也に、美雪は飛び上がる程驚き振り向いた。
ぎゃあ、という悲鳴が上がり、菜奈が地面を転がり呻く。良平が慌てて屈みこむと、菜奈を抱き起した。
「ちょっと、何⁉」
美雪が訊くと、狼狽えた哲也は、申し訳なさそうにした。
「いや、ごめん。怖がらせようとしただけ。あの……菜奈、大丈夫?」
菜奈は目元をこすり、洟をすすりながら唸った。
「こ、怖かった……」
「ごめん」
「う、ん。でも、一回怖い思いしたら、なんか元気出てきた、かも」
「え?」
菜奈は、この場に似合わぬ笑顔を浮かべると、服の汚れをハンカチで払った。
「怖すぎて逆に楽しくなってきちゃった。もー、哲也君。急に大声出したのは許すけど、代わりに帰りに何か奢ってもらうからね。美雪ちゃんの分も。ね、美雪ちゃん?」
菜奈が言うのに、美雪は「そうだね」と同調した。
「私の分も」とふざける良平を手で払った哲也は、小さく頷いた。
「判った。ファミレスかコンビニな」
「わーい。どうしよう。気になってる新商品も新メニューもあるんだよね」
そう言って微笑む菜奈の姿が突如、眩しい光に照らし出された。けたたましい音が響く。
「あっぶねぇ!」
良平が菜奈の体を引き寄せ、トンネルの壁にへばりつく。硬直する四人の前を、車が走り抜けた。
「んだよ、あぶねぇじゃねぇか! クラクション鳴らす前に最初からライトつけろ!」
良平の怒鳴り声が虚しくトンネルに響き渡る。
「ここ、思ってたより車通りがあって、幽霊よりそっちの方が怖いね」
良平に抱きかかえられたまま、菜奈が言った。
「そうだね。良平の先輩が言ってたのってこういうことだったんじゃない? 何か出るっていうのは、車通りが多くて驚くよっていう。騙されたんだよ」
「あー、マジ? うわー、今電話してやろうかな。いや、やめよ。声聞いたら苛つきそう」
不機嫌さを滲ませた良平が、菜奈の顔を覗き込み、思わずといった風に笑顔になる。
「まぁ、いいや。とりあえずあっちの出口まで行って写真撮ろうぜ。先輩に見せてやるよ。超余裕だったし、こっちはよろしくやりましたってさ。一番怖かったのは俺のダチですとも言っとく」
良平は菜奈の手を引くと、トンネルの出口に向けて再び歩き始めた。
「なんだそりゃ」
そう呟いた哲也と顔を見合わせ、美雪は笑った。
「なんかこんな所で安心してきちゃった。心霊スポットなんて、実際こんなもんなんだね」
「だなー。もう誘われても行く気しねぇ」
「これなら普通にドライブしてた方が楽しいし」
「だなー」
気怠い雰囲気のまま、美雪と哲也は前を歩く二人を追った。
「うわ、こっちはもっと暗いじゃん」
「本当だね。道も見えないよ」
スマートフォンを仕舞い、美雪の照らすライトの光の中で佇んでいた良平と菜奈が振り向いた。
「さっきまで怖がってたくせに」
美雪が言うと、菜奈はえへへと笑う。
「何かもう怖くなくなっちゃったし。冒険みたいで楽しいよね」
「まぁ、それでもいいけど。で、どこで写真撮ろうか。もう少し先に行ってトンネルが写るようにしないと。車に気を付けて──」
そう言いながら前の二人を追い出すようにして共にトンネルを出た美雪は、足を止めた。
ライトの中で良平が振り返る。
「もっとあっち行った方がよくねぇ?」
「ま、ま、ま……待って」
言葉を詰まらせた美雪に、良平は怪訝な顔をする。
美雪はざわざわと足元から寒気が駆けのぼるのを感じ、哲也に寄り縋った。哲也が黙りこくったままスマートフォンを取り出し、ライトで照らされた範囲を広げる。
「ど、どこから来たの」
「は、何が?」
眉根を寄せる良平の横で菜奈がスマートフォンを取り出した。美雪達より先に立っている菜奈が照らすのは、更に先の景色だ。
そこに道などなく、草木が茂り、先の方には倒木すら見える。周囲は鬱蒼とした樹々がまるで覆い隠すように生え出ていた。
「車、どこから来たの」
「は、え……? だからこの先から──」
「ないじゃん、道なんて!」
菜奈は絶叫に似た声を上げ、手に持ったスマートフォンを振り回した。光の中で、樹々に沈む景色が細切れに照らし出される。
「ま、あ……あ⁉」
良平の間抜けな声が辺りに響き、トンネルに吸い込まれた。
ジャリリ……ブゥウウン……。
トンネルから、車の遠ざかっていく音が聞こえる。
そこは、暗闇の中にあって尚、闇い──。