留置所での平和交渉
トーラルムーラルは、少々拍子抜けしていた。場所は留置所。肥えた身体を揺らしてパイプから煙草を吸う。厳つい顔の頬が膨らむ。傍らにある酒を見る。高級な酒だった。しかも彼のお気に入り。
腑に落ちない。
彼は犯罪組織のボスで、違法ドラック所持の容疑で突然逮捕されたのだが、その程度なら彼にとっては特に気にするような事ではなく、部下に罪を着させれば、長くても二日程度で留置所から出て来られる。嫌がらせくらいにしかならない。否、嫌がらせにもなっていないかもしれない。彼を無下に扱えない警察の連中は、まるでスイートルームの客を扱うホテルマンのように彼に接して来たのだ。しかも自腹だが、酒も煙草もあるし、美味い飯まで食えて美女までいる。多少窮屈ではあるが概ね快適だった。
一体、これに何の意味があるのか?
実はつい最近、彼は妙な噂を耳にしていた。政府からオリバー・セルフリッジなる男が派遣されて来ていて、犯罪組織同士の抗争を止めさせようとしているのだとか。
この街にはトーラルムーラルがボスを務めるダイガナリ一家とルーパーがボスを務めるライガル一家という二大犯罪組織があり、ここ最近、軽い小競り合いを繰り返し、緊張関係が高まっていた。このまま進めば、抗争がエスカレートし大きな争いにまで発展しそうだったのだ。もしそうなれば、互いの組織の構成員はもちろん一般人にも被害が出るのは明らかだった。だから政府はそのオリバー・セルフリッジなる男を派遣して来たのだろう。だが、仮に彼を逮捕したのがその男の策だったとしても、何の意味もない。抗争が止まるはずもない。
もし仮に、抗争が止まる可能性があるとすればボスであるトーラルムーラルとルーパーが直接話し合う事くらいだが、そのような機会が設けられる可能性は極めて低かった。互いに相手を警戒し、決して会おうとはしないからだ。騙し討ちだと思っている会合にノコノコ出て来る馬鹿はいない。
その為、二つの犯罪組織の停戦は不可能であると思われていたのだ。
警察の連中はトーラルムーラルを捕まえておきながら、相変わらずに彼を腫れ物のように扱い続けていた。圧力をかけて、抗争を止めさせようと言うのならまだ分かるがそんな様子はない。彼にはこれを計画したオリバー・セルフリッジという男の意図がまるで読めなかった。
ひょっとしたら、そいつはとんでもない愚か者なのではないだろうか?
が、そう思い始めたところだった。何者かが彼のいる部屋に入って来たのだ。逮捕者だ。自分と同室という事はよほど大物なのだろう。そう彼は思い、入って来た人物の顔を見て愕然となってしまう。思わず加えていたパイプを落とす。
そこにいたのは、相手組織のボス、ルーパーだったのだ。彼と同時に警護だろう複数人の警察官も入って来ていた。そして、その後ろには別の男の姿も。見慣れない顔だった。痩せていて、長身で、いかにも人が好さそう。
その男は言った。
「どうも。初めまして。僕はオリバー・セルフリッジといいます」
それから複数人の警察官とオリバー・セルフリッジの立ち合いの元、彼らの話し合いが行われた。
仮に抗争がエスカレートしていけば、双方にどれだけの被害が出るのか、一般人の被害がどの程度の規模になるのか、オリバー・セルフリッジは過去の事例に基づく資料を作成していて二人にそれを見せた。
犯罪組織のボスにまで上り詰める男達だ。馬鹿ではない。このまま抗争を続けるより、停戦条約を結んだ方がより良い選択である事は簡単に理解できた。
――それだけではない。
「もし、一般人に甚大な被害が出るような抗争を行ったのなら、流石に政府も放置はできません。軍隊の出動も辞さない覚悟である点は伝えておきます。
互いに争い合い、疲弊しているあなた方にそれを防ぐ手段があるとは思えませんがね」
そうオリバー・セルフリッジは二人を脅して来たのだ。
流石に、軍隊はまずい。
もちろん、単なる脅しの可能性もあった。たが、その情報は彼らの部下達を説得する材料にも使える。元より、オリバー・セルフリッジはそのつもりだったのかもしれない。興奮している彼らの部下を冷静にさせる為の“言い訳”を与える。
「あなた方にとっても、この方が良いでしょう。きっと部下も喜ぶと思いますよ?」
そうオリバー・セルフリッジは語った。
それを聞いて、
“このオリバー・セルフリッジという男、相当の食わせ者だな”
と、トーラルムーラルは思っていた。
やがて、時間はかかったが、双方が納得できる着地点に到達した。もちろん、停戦が成立したのだ。
留置所を出ると、トーラルムーラルは事の詳細を部下に語った。血気盛んなタイプで、停戦を残念がるかとも思ったが、その部下は話を聞くなり安心した表情を見せたのだ。どうやら今までの態度は舐められまいとするあまり取っていたフェイクであったらしい。
考えてみれば、その部下には妻も子供もいる。彼が殺されたら、家族が路頭に迷う事になるし、下手すれば家族が狙われてしまう可能性だってある。
安心をするのは当然だったのかもしれない。
「あなた方にとっても、この方が良いでしょう。きっと部下も喜ぶと思いますよ?」
オリバー・セルフリッジの言葉を思い出す。本当にそうだと、安心した部下を見てトーラルムーラルは思っていた。