琥珀色の輝き
一部の方へ:本作は短縮した小説「琥珀色の記憶」のWord原文となります。
琥珀色の輝き 道宮真澄
プロローグ
誰にでも、古い記憶、というものがある。不思議と色あせず、それはいつまでもその姿形を保ったままにそこにある。
年はもう百二十歳にもなる、そろそろ年金の受給も終わる頃だ。特例で長めに年金をもらえるかと期待したものだが、そうでもないらしい。悪い気分はしない。
さて…六十年分くらいは土産話を持っていけるかな。悪くない人生だった。
二一〇二年、という文字を書いた写真は、自分の古い記憶だ。写真はいくぶん古めかしく、少し色あせている。制服を着て撮ったそれの記憶を、今になって身近に感じてたまらない。今はもう二三世紀だというのに…
結局自分のような存在が果たして社会的に特例たりえるのか、少なくとも生きている間に結論は出そうにない。でも、それでいいとどこかで思っている。その答えが、不明瞭でいてほしいと願ってしまう。
愛すべき友人たちへ、この小説を送るとしよう。自分が何者なのかを教えてくれた、あの短い三年の物語を。
山中霞、と呼ばれて、少したってからはっとして席を立った。呼ばれ慣れていないせいで、反応も鈍くなる。
始業式の会場で、自分は入学証明書を受け取った。自分は動きこそ慣れていたが、名前を呼ばれるのはほとんど初めてと言ってよかった。不思議かもしれないが、自分の生い立ちはこういうものなのだ。クラス分けでどうしてあんなに騒げるのかと、訝しげな顔をしたのを自分でもよく覚えている。
広い校舎の四階、一番奥が自分の教室だった。東西南北は分からないのだが、文字だとどうやら西だ。自分が今登っている階段は東に位置するという。階段を登るのも少々おぼつかない。他の人たちは慣れた様子で上がっているが。廊下は長く、白色に塗装されていた。コンクリートの打ちっ放しではないらしい。
物珍し気にあたりを見回しながら歩いていたからだろうか、声をかけられた。
「お前迷子か?」
と第一声で聞かれたが、どうにも分からない。
「六組ってどこだっけ、一番奥であってる?」
「あ、そうそう。一番奥。ていうか、教室同じだな」
距離感がかなり近い。思わず顔をしかめた。
「あ、なんかグイグイいっちゃったかな、ごめん」
「…まぁ」
彼はそのまま申し訳なさげに先に教室に向かった。自分もそのまま教室に向かった。いちいち教室あたりからの声が大きいのは耳障りだが、それで特段気を損ねていないあたり他の人は気にならないのだろう。
高校。自分がこれからここに三年間通う。必要なことは、完璧であること、それだけ。
友達も、教師も塾も踏み台だ。なんなら蹴落としてもいい。上へ、上へ。極限を目指す、それだけでいい。そうするだけで、自分の価値は証明できる。
教師が前に立った。なくてもいい説明をし、それから宿題を集められる。鞄からそれを出して、あたりの様子をうかがいながら同じ動きを模倣する。そのうちそれも終わると、今度は教師が自己紹介を始めた。面倒だから適当に聞いていると、案外長い。慣れない椅子に座って疲れはじめ、そのタイミングで何やら教師が言ったらしく、生徒が途端に喋り始めた。最後列だった自分は、前にいる人と喋ればいいらしい。
…と、ここに見覚えのある人がいる。
「…また会ったな」
「…」
「…えーっと、名前は?」
「えっと…山中霞」
「俺は谷上希って言うんだ、よろしくな。カスミって呼んでいいか?」
「えぇ?あぁ、うん…それって許可がいるの?」
「あ、そういう訳じゃないけど…たまに嫌がる人いるからさ、保険」
「そっか」
「俺のことはノゾミって呼んでくれないか?」
「…のぞみ、これでいい?」
「えっ、あっ、あぁ」
常人から少々離れた行動が多いのか、多少翻弄してしまっているらしい。
「なんだか色々迷惑かかってるみたいだね…」
「いや、大丈夫!俺も元々はそうだったから!」
時間が終わったのか、先生が前でまた何かを言っている。彼は「じゃ」と言って前を向いてしまった。
「明日から授業が始まるので、教科書を忘れないように。じゃあ、全校集会があるから移動するぞー」
非効率だなとうんざりしながら、また別の場所へ移動する。階段を使うことを思い出して、それでまたうんざりした。それから新入生歓迎式と言って演奏やらなにやらが行われ、そのまま時間が過ぎて学校の初日は終わった。
階段に慣れない足取りで駅のホームへ上がった。何かと道に不便が多いが、電車だけはエレベーターと同じ感覚がした。30分も乗っていれば、自宅まで一直線に連れて行ってくれる。駅を降りたら、あとは家まで平地を歩くだけ。自室の机に向き合うと、自分はまた勉強を始めた。
———
いつものように、自分は早くから学校に向かった。日の出には幾分まだ早い六時半ごろだ。時間のシステムにもまだ慣れないが、案外思ったより対応できる。あいにくまた電車は逃したが、時刻表というものを見てからまだ数日しか経っていないことを思えばまぁまぁなのだろう。そこらへんを歩くにしても案外頭を使うものだ。
「あれ?カスミ?」
「…あ、のぞみ」
「反応ちょっと鈍いな、まだ眠たそう」
「眠たくはないよ、しっかり寝てるから」
「そうなのか、俺より健康的だな」
「…寝てない?」
「いや、寝たよ。3時間だけ」
「ちゃんと寝ればいいのに」
「なんも言えねぇ…」
のぞみもこの駅から乗るようだった。関係ないと割り切って、自分はヘッドホンをつけて音楽を聴き始める。数少ない自分の娯楽だ。
「カスミってゲーム知らなさそうだよな」とのぞみが言ったのは学校についてからだ。もちろん知らない。
「ゲーム?遊びはあんまりしないかな」
「やっぱり。でもなんで知らないんだ?」
「知らないよ、そもそも遊ぶ暇があったら勉強だし」
「うげ、親きびしそう」
「…一人暮らしだからわかんないかな」
「え?カスミって一人暮らしなのか?」
「そうだよ」
「え、じゃあ…料理とかも自分でできるのか?」
「一応」
自分は机に教材をあらかた入れ終わって、鞄を机の横に引っ掛けた。この動作もまだぎこちないかもしれない。
「でも、めんどくさくないか?毎日食事作って…」
「三日に一回作るだけだよ、二日の夕食は作り置き」
「管理能力がすごい」
「何もすごいことは無いと思うけど…」
「いや、たいていの奴は自分でご飯作ったりなんかしないぞ?」
「え?そうなんだ」
さも以外という顔が印象から違ったのか、のぞみは一瞬動きを止めた。
「…今度うちに来るか?」
「他人のテリトリーでしょ、そこは。行かないよ」
人の場所にこっちから入るつもりはない。招かれても同じだ。
「楽しくないのか?遠慮しなくていいのに」
「遠慮なんかしてないよ」
「うーん…硬い奴だなあ」
のぞみはいかにも寂しそうに言った。
「…そこまで来てほしいの?」
「まぁ、もしできるならだけど」
「…」
そこらへん、どういう感じなのかを自分は知らない。あくまで自分のテリトリーに入られたくないからこうしているわけだが、もしかすると他の人達の間ではけっこう雑なのかもしれない。
「…普通なの?人の家に上がるの」
「それは分からないけど、俺は気にならないぜ」
「…待って、ちょっとよく考える」
「真剣に考えるものじゃないような気もするけど…」
「…うん、行ってみようかな。のぞみも、来てほしそうにしてるし」
「嫌だったら正直に言ってくれよ?」
「嫌という訳ではないよ。あんまり自分のところに来られたくない感じがするから自分から行くのもやめようと思ってたんだけど」
「俺は気にしないからな。でもカスミが気にするならカスミのところにはいかないから」
「ありがとう…それで、いつかな?行くのは」
「え?今から」
「えっ」
「こういうのは皆ノリっていうか、なんとなくで決めてるんだよな。だから急に押し掛けるなんてのもたまにあるぞ」
「それ…微妙に面倒じゃない?」
「気にする奴は断るから、皆それで分かるよ。断れない人は悲惨だけど」
「…まあ、今から行くのにのぞみが気にしないなら」
「よし!じゃあ決まり!」
駅を出た道のりは、今日はいつもと違うことになった。のぞみの家は大き目なマンションの一部屋だった。
「あら、希?友達連れてきたの?」
「そうだよ。ほら、名前だけでも自己紹介」
「あ、山中霞です…」
「霞さんね。希の母の英子です。よろしくね」
「母さん、カスミけっこう世間知らずなんだ。たまに変なこと言ったりするかもだけど教えてやって」
「本人の前でそれ言うのね」
「本人はいいって言ってたから」
「そう。じゃあ、それも含めてよろしくね」
「あ、はい」
「じゃあカスミ、俺の部屋来るか?」
「何かするの?」
「え?いや…何も…」
「…帰っていい?」
「早い早い」
「ふふ、霞さん。友達って意味もなく他の友達を誘って無駄話をするものなんですよ」
「…じゃあ、行く」
「え?あ、来るんだ…」
「そういうものなんでしょ?」
「あ、ああ、まあ…」
のぞみは自分を部屋へ招き込んだ。自分の住んでいる部屋よりは小さいが、それでもただの寝たりするための部屋と思うとサイズは中々なものだ。
「…大きいんだね、この家」
「まあ、それなりに家賃高いって言ってたし…値段相応だよ」
「…そういえば、何するの?一緒に勉強とか?」
「真っ先に勉強が思い浮かぶのもすごいな…」
「遊びなんてやったことないからね。音楽は好きだけど」
「…なあカスミ、将棋しないか?」
「将棋?」
「将棋すら知らないのか…」
「遊びはあんまり知らない」
「こういう遊び。ほら、この説明書に色々ルールとか書いてある」
のぞみが取扱説明書をよこした。書いてあるルールは初見で覚えるには少し難しい。
「…この駒が、こう?」
「そうそう。のぞみだとそこらへんのゲームよりこっちの方が楽しいかなって思ってこれにしたんだ。オセロっていうのもあるけど、それはもっと簡単」
「…難易度をわざわざ自分に合わせてくれたんだ?」
「お前と楽しめるならこの程度気にならねーよ」
「…でも、ゲームって言わないってことは、これはのぞみの言ってたゲームじゃないわけだ」
「うわっ、すげぇ洞察力だ」
「あたり?」
「あたり。ゲームはソフトなんだ」
「ソフト?ソフトウェアってこと?」
「そう、それで、ハードウェアはゲーム機」
「専用の物があるんだ」
「そう、しかも種類もいろいろ。会社の派閥ごとに対応してるゲーム機が違うんだ」
「…ややこしいね。とりあえずゲームってデータってこと?」
「まあデータ」
「…データをどう遊ぶの」
「うーん…たとえば…ロールプレイングゲームとか」
「…つまり?」
「物語がゲームに設定してあって、イベントをこなしたり戦ったりするんだよ」
「へえ…」
「…もしかして、興味あるのか?」
「どんなものか見たことがないから、少しはね。でも…まずはこっちかな?」
「お?珍しくカスミから来るとは」
「新しい物…だからね。なぜかは知らないけど、楽しめそう」
「そうか…よし!負けないからな!」
「…じゃあ、自分も」
それから、一時間近く、何回ものぞみと将棋をした。ちょっと賭け事もしてみたり。時間があっという間に過ぎていった。
「そろそろ帰るよ。楽しかったね」
「ああ…俺も楽しかったぜ」
「またいらっしゃい、霞さん」
「はい」
家へ帰る前にとっくに日は沈んでいる。この夜景を見ながら楽しい気分になれたことに、いささか不思議な感じがしてやまなかった。
———
それから一気に時間は飛んで、二年生の晩夏。一年生の体育祭で色々あってから、自分はのぞみと一緒に行動するついでにその友達とも動くようになった。
「修学旅行先は北陸だ。今日は金沢での自由行動についての作業をする」
修学旅行は三泊四日、能登半島近くを動き回る。見たこともない景色が写真に広がって、修学旅行がおもしろそうになった。人生で初めてで最後になる修学旅行が楽しみだったのを、のぞみは感じ取ったらしい。
「カスミ、班は同じにするか?」
「あ、うん…班って行動の?」
「そうそう。自由行動は多分班だから」
「修学旅行は四人班で行動するように、一組は三人だ」
「ほら」
「ほんとだ…あ、いつものが来た」
「よう希、この班に来たぞ」
修学旅行のメンバーはいつもの三人になった。地味にのぞみの友人の名前を始めてしっかり見る。
「…一瀬海斗、あってる?」
「ああ、合ってるぜ。好きに呼んでくれ」
「…そう言われても思いつかないからなぁ」
「んー、じゃあカイトでいっか」
「じゃあ、かいと」
「ああ、よろしくな。希は霞って呼んでるし俺もそれでいいか?」
「いいよ」
先生が班を確認してから、紙を配った。
「行動計画は書いてある場所のうち一か所は必ず回るように。それから、極端に遠い場所はいかないこと。入場料が必要なこともあるから、それとも相談するように」
「へえ…行かなきゃいけない場所とかあるんだ」
「まあ修学旅行だからな。本来何かを学ぶものだし」
「あ、そっか」
「先生たちも楽しみ一番で考えてはいるし、まあ問題はないんだけどな。システム上そうしてるみたいな奴」
「じゃあ後は自由に、四五分までやっていいからなー」
「…金沢、面白そう。全部行くのは無理そうだけど」
「俺はここかな」
「行きたいところ書き出そうか」
自分たちがおのおの行きたい場所を書き出して、ぱっと見せ合わせた。
「あ、皆行きたい場所二つあるじゃん」
「ほんとだ、四つ書き出したのにな」
「じゃああと二個決めればいいわけかな?」
「うーん…遠いし二個はきついなぁ。一個になると思う」
「そっか…」
「えっと…経路的にここは難しいから…」
「これとこれのどっちかか」
「どっちも気になるからなぁ」
「海斗はどことかあるか?」
「いや、俺は無いかな…なんとなくで選んだものだから」
「のぞみは?」
「俺のは全部遠いからナシだぞ。だからカスミか海斗のだけ」
「うーん…」
「じゃあこっちにするか、俺もこっちでいいかなって思ったし」
行先が決まったタイミングで、時間が終わった。
修学旅行の準備はゆっくりに見えて目まぐるしく進んだ。終わりかけの夏のすぐそこからから冬がやってきて、気温が一挙に低くなっていった。荷物の整理も忙しく、新しく物を揃えたりとせわしなく動いた。
冬の寒さもかなり強くなってきたころに、修学旅行の日がやってきた。
「寒いね…気温五度」
「ああ…流石にこんなに寒いとは思ってなかった」
「これから金沢かぁ…これより寒くないといいんだけど」
「まぁ大丈夫だろ、バス移動だし」
「そうだね」
自分たちはバスの貨物室にまとまった荷物を入れると、そのまま座席に乗り込んだ。席の配置は自分が窓でのぞみは内側だ。
道中の景色はこれまで見ていた都市の情景とは全く違う。山がすぐそこを走り、雲が山腹を隠して幻想的な風景を作り出したり、橋の上から広い盆地を見下ろしたり。見たことのない情景まみれの道中は自分を飽きさせることはなかった。
初日の行動はほとんどが移動だったが、途中で二手に分かれてアスレチックか別の場所かに移動することになっていた。敷地は広大で、自然にまみれている。
「日本最大のジップラインだってさ、行くか?」
「あ、いいねそれ。行く」
始めて見る大掛かりなアスレチックの数々に興味津々な自分を、のぞみは引き連れて回っていた。本人もそれに不満を感じずに楽しんでいた。
「…結構長くない?」
「三六〇メートルくらいあるんだってよ。最高速度六十キロ」
「早い…」
「まあ行ってみようぜ!二人で一緒らしいし」
そうとは言っても、数字で言うより奥行きも谷の広さも大きく感じる。
「三つ数えるから一緒に行こうぜ、カスミ」
「…じゃあ」
「さん、にー、いち」
自分は、地面から足を離した。
ジップラインはどんどん速度を上げていく。滑車が甲高い音を出して、景色が一挙に流れていく。遠いはずの終点が、少し後にはもう半分を飛び越える。風が自分の両側を吹き抜けて、雄大な自然だけが目の前を覆っていた。
気付けばもうジップラインは終わっていた。のぞみも満足そうな顔つきで、自分と一緒に脇の展望台に移った。自分の後に続く人が連続してジップラインを滑っていくのを見ながら、景色を眺めていた。
体験したことのない物だらけだった。時間が過ぎるよりも早く日が暮れはじめて、バスは今日の宿へ向かってまた運転を始めた。広い盆地の山のふちに、太陽がかかって夕日の色どりを生み出す。深紅の空は自分の知っている空よりはるかにきれいで壮大だった。憎らしくは絵にするような画才も、写真を撮るための物もなかったことだ。
二日目の濃いスケジュールも終わって、本命ともいえる自由行動の日になった。金沢駅に着くと、さっそくのぞみ、かいとと合流した。
「まずはこっちだよな。ひがし茶屋街」
「行くか!霞と一緒に行動できるの初めてだし楽しみだぜ」
「そうだね…ここをこっちかな」
「もしかして地図得意なのか?霞って」
「そうだぞ、カスミは地図得意だから迷ってもどうにかなるんだよな」
「へー、頼りになるな」
「…そうかな?」
「そうだぞ、たいてい皆地図読めないから」
「東京駅が大丈夫なら大丈夫そうなんだけどなぁ」
「東京駅は経験で覚えてるからあれ…」
「そうなんだ…」
自分は地図にある地形の特徴をつかみながら、景色を見ていた。首都圏の街並みとはまた違った風景が広がっている。昔ならただの街並み程度に思ったのだろうけど、今は違う。それ自体がある種の楽しみに変えられる。自分の足はいつものように軽快に、目的地までの歩数を数えた。
大通りの向こうに見慣れない建物が映り始めた。あれが伝統的な家屋なのだろう。全く見たことのない形態の屋根が連なっている。遠くから見る看板には、うっすらと「にし茶屋街」と書かれていた。
「ここがひがし茶屋街みたい」
「おっ、もう着いたのか」
「いろいろ見て回ろうぜ、海斗、カスミ」
「そうだな…あれ?おい希、あれ金箔アイスじゃね?」
「何それ?食べれるの?」
「金箔は食べれるぞ、確か体にいいとかも言ってなかったか?」
「へー」
「うーん…あるのはいいがそこそこ値段張ってるな」
「金だもんね」
「…まぁでも、食べる機会ないだろ?霞のぶんは俺が買うからさ」
「いいのか?海斗、奢るのは俺でもいいんだぞ」
「いや希、お前にはこの前の学食で世話になっただろ」
「あ、じゃあそれでいくか」
「…もしかしてくれるの?」
「そうだぜ。俺が三人分買うから待ってろ。あと希はあとでその分ちょうだい」
「オッケー」
そう言って、かいとは店に並んだ。
「ほら、買ってきたぜ」
そう言ってかいとが自分たちにアイスを渡してくれた。見た目は言わずもがな金箔に覆われたソフトクリームそのものだ。
「ん…金箔は味しないんだね」
「まぁただの高価な金属だしな…」
「…でもこれ、おもしろいね。よくわかんないけど」
二人がそれを聞いて笑った。自分の言っていることがよっぽどおかしかったらしい。
そこから、ひがし茶屋街を回って別の場所にも回った、一日は、楽しいほど早い。
夕食や入浴などが終わって、消灯時間を少し過ぎたころ、なんとなく思い付きで動きたくなった。
「ちょっと外見てもいいかな?気になっちゃって」
自分はそう言うと、のぞみが何かを言うより前にカーテンを開けた。
「どうだ?景色は」
「…空ってこんなにきれいな物なんだね…」
そう言ったところで、先生が扉を開けた。巡回してきた先生に見つかった。
「霞!希!なんで起きてるんだ!もう就寝時間だぞ!こっち来い!」
「う…」
先生に呼ばれて、廊下に出た。
「全く、修学旅行なんだから時間くらいは守れ!いくら明日で終わりとはいえ、形態的にはこれも授業の一環だからな。こんな時間まで見回りをする私らもあまり強くは言えないが、君らの健康が損なわれたらそれで胃が痛くなるのは私なんだ。それから…」
しゅんとしていたところに、先生のいつもの悪い顔だ。何をしでかすつもりだろうか。
「外の空は綺麗だったか、霞」
「え?あ…はい…」
「…よろしい!これからは時間に気を付けるように!ほれさっさと寝ろ、明日も早めだからな」
のぞみは安心したように自分を引っ張って部屋に戻った。
「いやー、災難だったなあれは。先生意外とああいうところ厳しいんだよな」
「…そうだね」
「気にしなくてもいいんだぞ、カスミ。大抵の奴はやったことあるから」
「…そうなんだ」
なんとなくうれしくなって、自分は布団にもぐりこんだ。
「また明日、今日は嬉しいから早く寝ようかな」
そう言って、自分は目を閉じた。
翌日の午前八時にバスに乗り込むと、バスは自分たちの散策した金沢を後にして走り出した。長かった北陸の修学旅行も、もう終わりになる。
「昨日ちょっと遅くまで起きちゃったね…」
「そうだな…何気にカスミが怒られたの初めてじゃないか?」
「…そうかも」
「よしお前ら、これから東京まではほとんどバスだ。途中で下道を通って昼食に寄るが、それ以外はほとんど移動になる。ちょうどここら辺になぜか映画があったからかけとくぞ」
「えー、それ先生のでしょー」
「う…!な、なんでバレた…?」
「このクラスで一番楽しそうにしてたの先生だもん」
「…バレちゃったか。私はお前らが楽しんでるのが何よりも楽しかった!あと私は乗り物酔いがひどいからこの移動は寝るつもりだ!楽しめ!」
いつもの勢いで、先生が話す。こういう時にはこの勢いも重要なものなのはよく分かった。
映画を車内で見るというのもまた新鮮な体験だった。これまでよく乗り物酔いをしていたが、この日は全く乗り物酔いがなかった。先生も寝ると宣言したわりに映画を全部見ている。
昼食に果物やらが多くでてきたりと最後まで気を抜かせず楽しませてくるのも修学旅行らしい。サプライズで帰りの一部区間にリニア新幹線を使うという荒業は誰が考えたか見当もつかないが、それは楽しみの前では些細なことだ。楽しみが手から零れ落ちそうなほど、この四日間は濃密だった。
最後の最後はまたバスだった。先生が予備で持ってきた映画を流して時間を潰していたが、さすがに疲れ果てて寝ている人も多い。自分も例外とは言えなかった。
「おーいカスミ…もうつくぞ」
「んー…」
眠さが限界にきていた自分は、のぞみが何を言ってるかを聞き逃した。
「しょうがないな…家まで送ってやるか」
寝る直前に、うっすらとそんな言葉が聞こえた気がした。
———
高校生最後の文化祭が気付けばもうすぐそこにある。模擬店をどうするかは過去一の盛り上がりを見せていた。
「…なんか今年が最後だからって攻めてるの多くない?一個攻めすぎて落とされてるし」
「うん、多分皆けっこう攻めてる。じゃなきゃ五回もメイド喫茶なんか出てこないよ」
「…もう一個も攻めてるよね」
「…正直恥ずかしいからあんまり乗り気にはならないかなあ…」
「希ー!皆霞にメイドやってもらいたいらしいぜー!」
「え」
「え待っ…」
「ほら、霞って腕細いしちっこいし、皆もうそれしか考えてないぞ」
「い、いや、だからってそこまでしなくてもいいんじゃ…」
「大丈夫大丈夫、なんならもう皆着るつもりだし」
「え?俺も?」
「そうだぞ」
「ばっ…カスミならいいとして俺は合わないだろ⁉」
「なんで自分はオッケーな前提なの⁉」
「とりあえず多分メイド喫茶だからよろしくな!」
「え…え…?」
「じゃ!」
「…えっと…どうしよっか…のぞみ」
「しょ、しょうがないだろ、だったら楽しもうぜ」
「…もしかして自分のが見れるからいいやって思ってる?」
「ヴッ」
「…のぞみも物好きだね」
「い、いいだろ別に」
「のぞみは一番忙しいタイミングのシフトにしてもらおっと」
「ちょっ…あっ…!わーっ!」
「がんばってね、のぞみ」
自分はのぞみに笑ってみせた。いたずらをするのも面白い。
「じゃあ霞も同じシフトな!」
「え?」
「希が居たほうがいいだろ?接客苦手そうだしな」
「えっえっえっ…」
…なんやかんやでメイド喫茶になった。ある人がメイド喫茶とふざけていったところ皆自分のメイド姿がなぜか浮かんだらしく、そのまま流れで最後の一回含め六回もメイド喫茶が出てくることになったらしい。まずなぜ自分のメイド姿なんか思い浮かぶんだ。
とにかく色々と決まっていき、そのうちに授業終わりのベルが鳴った。
「霞!楽しみにしてるぜー!」
「俺も!」
「カスミ…俺も」
「のぞみはこっち側でしょ」
「希も楽しみにしてるぞー!」
「うっ…やめてくれって」
「言い出しっぺじゃなかった?のぞみ」
「え」
「意外と耳いいからね。頑張れ言い出しっぺさん」
「だってよ、希。よかったじゃねーか」
「え…あー…」
「あとは甲板作ってもらうかってみんなで話してたんだけど」
「…まさか」
「霞やっぱ頭いいよな!外回りで宣伝!」
「…えーっと…あー…が、がんばろっか…」
「あ…そう…だな…」
流石に恥ずかしくて、自分ものぞみもそれ以上今日は喋らなかった。
文化祭当日、自分とのぞみは初めて別行動に変えた。一人で回る文化祭も新鮮で面白い。
模擬店で小説を買ったり、野外の模擬店で食べ物を買ったり、アクションゲームの模擬店に入ってみたり、のぞみとばったり会ってそのまま模擬店に入ったり。
シフトの時間の十分ほど前に自分は着替えにバックヤードに入った。乗り気と言われればそうではないのだが…とにかく着たことがない物となれば着るのに時間もかかりそうで、心配になったのが大きい。できれば着たくはないが、決まったことはしょうがない。
「あれ?霞じゃん、もしかして乗り気?」
「い、いや…時間かかりそうだし…」
「手伝おうか?」
「じ、自分で着る!」
「…あ、カスミ…先に居たんだ」
「お、十分前なのにもう揃った」
「…早く終わらないかな、ちょっとこれはさすがに恥ずかしすぎる」
「なんだよ、面積抑えたほうがよかったのか?」
「違う!」
「冗談冗談。じゃ、頑張れよ、霞!希!」
「あ…」
背中をバシッと叩いて、かいとが部屋を出ていった。一体いつ出ていったのかバックヤードに誰もいない。
それからというもの、看板をもって校内をまんべんなく歩き回らせるわ、接客のレベルを超えた人数が押し寄せるわで校舎内の一区画だけが大混乱に陥って、先生じきじきにシフトが替えられた。長いほうに。
恥ずかしさやらなんやらで頭がパンクするころにシフトが終わって、ようやく解放された。はちゃめちゃだったのに楽しい感覚がどことなくするのは気のせいなのだろうか。
「疲れたね…シフト増やされたし」
「…でも、おかげで無茶苦茶黒字になってそうじゃないか?」
「…ありえる」
「あとなんか…無茶苦茶すぎて楽しかったな…」
「…恥ずかしかったのに楽しいなんて変な感じだけど…」
「でも、よく考えたら人生で一度しか味わえない経験だったのかもな。さすがにもうやりたくはないけど」
「そうかも。自分ももう一度は嫌だけど。あ、最後にこれ買おうかな」
もうそろそろ模擬店が終わるころ、自分は手芸部の模擬店にあった小さな記念アクセサリーを手に取った。手芸部はこれがあと三つある以外は全部売れたらしい。
「いいなこれ、俺も買お…あ、足りない」
「…自分も二枚ぶん足りない」
「お、霞と希こんなところにいたのか…あれ?それ何?」
「鞄につけるやつだよ。今年の文化祭記念の装飾入り」
「へー、いいじゃん。俺金券余ってるから奢るわ。ついでに残り貰おっと」
「え?いいの?」
「いいよいいよ!あれ頑張ってもらったし」
「う…それは…」
「まあ楽しそうだったしいいんじゃないか?変ではないと思うぞ」
「あ、あとさ。俺間違えて衣装買うときに私物買っちゃったんだよな。それのせいで通らなくなったけど衣装もいらないし、それも今度譲るから」
「え、自分たちも着ないけど」
「頼むよ!クラスの英雄だろ⁉」
「…しょうがないか。もらうだけもらおう、のぞみ」
「いや、家のタンスにこんなものあってどうするんだ」
「知らない」
「雑っ!」
「まあいいじゃん。はい、これ二人のやつ。じゃあな、もう終わるけど最後まで楽しめよ!」
「あ、うん。奢ってくれてありがと…」
「…そういやあいつに去年奢ったな。もしかして覚えてたのか」
「え?いくら?」
「あいつ遊びすぎて金足りないっていうから三千円奢ったんだよ。俺も忘れかけてたんだけど」
「…服とかも含めてお返し?」
「お返しって言うには…まあいいか」
「…そうだね」
自分たちは最後に本校舎と別校舎を繋ぐ渡り廊下に出た。今日の夕日はいつもよりきれいだ。
「…落ち着くね、ここ」
「そうだな。あんまり誰も来ないし」
写真を撮ろうとしたけど、写真に写すのがもったいない気がした。しばらくそのまま、景色を楽しんでいた。
模擬店はせわしなく片付けを始めている。シフトを無理やり伸ばされた自分たちは先生に「片付けはしなくていい」と言われていたのもあって、なおさら余裕がある。余韻に浸りながら、自分は耳をすました。
高校生の目立った行事は、これで終わりになる。もう二度と見ないであろう景色、音、世界に、これほど寂しさを覚えたこともない。あんなことがあった後なのに、できればもう一日同じ日を過ごしたいと思うほどだ。
じっとそのままでいたところに、彼が飛び込んできた。
「おーい!希!霞!もうそろそろ集合だぞ!ついでに収支速報、俺たちぶっちぎりで一位だ!」
「え⁉い、一位⁉」
「ありがとな!それと先生が、遅れたらあれ着させるってふてくされてた」
「せ、先生入れなかったのか…」
「マジな目してたから早く来いよ!さすがに死んじゃうだろ、クラスメイト全員の目の前であれもう一回着るってなったら」
「た…確かに…!それは嫌だ…」
「行くか…」
自分たちはその場を後にした。名残惜しさも、もしかしたらいい記憶なのかもしれないと思いつつ。
「あ、集会終わったら服渡す。畳んどいたけど家で洗ってくれ。さすがに放置はまずいだろ」
「あ、うん…」
それからしばらく、この一件でいじられるようになった。のぞみも一緒に。
———
夏もそろそろ終わりだ。秋が来たのか、風は少し涼しくなってきている。
だんだん現実を見据える時期になってくるにつれて、自分の重大なことも思い出していた。それがひっかかってここ一ヶ月、素直に喜べない自分がいた。
「そういえば俺、カスミの根本的な情報を知らないよな」
「…そうだね」
「…なんか悩んでるんだろ?聞くぞ」
どうやら、のぞみにはあまりごまかしがきかないらしい。
「…大事な話をするね」
まだ少し寒い外の空気を吸って、東校舎の屋上と本校舎の四階を繋ぐ渡り廊下へ出た。ここに来たことはあまりないが、人の来ない場所だから聞かれたくないことを話すにはここ以外絶好の場所はなかった。
「ここなら誰にも聞かれないだろうから」
「そうだな、ここだったら誰にも聞かれないと思う」
「…初めて会った時に、親がいるかって聞かれたとき、答えなかったね。出身地も。あれは何か後ろめたい物があるわけじゃないんだ。…ただ、自分がどこで生まれたのかも分からないクローンだからなんだ」
「クローン?」
「そう、クローン。人間と姿形が全く同じの生物」
「…」
「自分は本来は人じゃないんだ。人間の真似をしてる生き物」
「…にしてはお前、けっこう人間くさいぞ」
「え?」
「だって、カスミは選択科目だって自分で選んだし、笑うし、まれに恥ずかしそうにするし」
「…きっと表面だよ。心の底じゃそんなこと思ってないんだ」
「じゃあカスミは俺のこと友達だって思ってないってことか?」
「そ、それは…思ってる、けど…」
「別にクローンうんぬんだなんて俺は気にしないぞ?俺からしたらちょっと世間知らずなだけの友達なんだからさ」
のぞみが飄々と言ってのけたのを見て、驚いた。だからといって引くような反応を予想していたと言えば嘘になる。…どこかで自分は、のぞみに依存でもしているのかもしれない。
「…じゃあ俺も言っていいか?」
自分はそっと頷いた。
「…お前のこと、ずっと自己肯定感ちょっと低い奴だなってみてたんだ。俺も昔そうだったから」
「…昔?」
「実は養子なんだ、俺。前の親がダメな奴でさ、ずっと否定されて育ってきたから。だから今の親に育ててもらうまでずっと自分がダメなんだと思ってた。…前の親がムショ行きになった時も、逮捕されるのを見て引き留めようとしてた。自分が悪いからって」
「…」
「カスミと会った時、どことなくそんな雰囲気がしてた。昔の俺みたいな感じが」
そっとのぞみを見た。早い夕日の影でよく見えなかったが、どことなく悲しそうな顔をしていた。
「今の親にたくさん愛情を注いでもらって、愛されて育ててもらったから俺は今こうやって生きれてる気がする。だからカスミにも…その…愛情というか、そういうのをさ。あげたかった」
「…優しいんだね」
のぞみの方をじっと見つめると、それに気づいたのか珍しく顔を逸らした。
「な、なんか恥ずかしいじゃないか。赤の他人に愛情だとか言って」
「恥ずかしいものじゃないと思うけどね、それは単に優しさの表れだと思うよ。もしかしたら昔の自分を思い出したくないからなのかもしれないけど」
「…そっか」
このとき自分は彼が何を思っているか分からなかった。今思えば、もしかしたら何か腑に落ちた顔をしていたのかもしれない。
「…似た者同士なんだろうね、きっと。もしかしたらそうだから仲良くなれた。のぞみが根気強いから」
背中をつついた。
「友達でいよう…どこまで一緒かは分からないけど」
人生で初めて、自分は心の底から彼が「友達」だということを認識した気がした。友達が何かなんて、多分きっと答えはない。でも、少なくとものぞみとは友達なんだと思う。
「…帰ろうか、今日も一緒に」
すっと手を差し出した。
「ほら、これからも友達でいよう」
のぞみは迷わずに自分の手を握った。力はいつもより強かった。
「…ほんと、お前の手って細いよな。何をしたらこうなるのか気になるレベルだぜ」
「なんでだろうね。のぞみに手を握り潰されそう」
「しねーよ」
「ふふっ…これからもよろしくね」
風が吹いた。夕刻の迫る空はもう既に夜の空気をはらんでいる。気付けば自分は、のぞみと一緒に駅のホームから夕日を見ていた。時間の進みが一気に早くなった気がする。
夕日は、自分たちに別れを告げて沈んでいった。明日の朝日は一体、自分たちにどんな物語を吹き込むのだろうか。目を閉じて、自分もまた一日に別れを告げた。
———
二学期も半分を過ぎたころのある日、例の男から電話でチェーンの喫茶店に呼ばれた。重要なことを伝えに来る、と電話で場所を言いながら。威圧感に満ちた、嫌な声で。
それまで楽しさに埋もれてずっと忘れていた、根本的なことを思い出した。…自分の出自も、あったことも、求められるであろうことさえ。
楽しい生活に割り込んでそれを叩き壊すように、一挙になだれ込んでくる。とても不快なものだった。それでも自分に拒否権は無かった。店への足取りは思うように進んでいる気が全くしなかった。
自分が席について少ししてから、店に入ってきた男が前に座った。注文して飲み物が来ると、男はためらいもせずに話を始めた。
「山中霞、君にまずはこれを渡そう」
「…これは」
「大きな声で言える代物ではないが、これは君の最終的な配属決定通知書だ。君はそこに書かれている場所で合流し、他の者と共に具体的な説明を受ける」
自分はむっとして、目の前の男を見た。
「…従軍しろ、ということですか」
「最初から君たちの従軍は決まっている。君以下の人間がどうなったかは君が一番理解しているんじゃないかな?」
「…まずそもそも、なぜ従軍しなければならないんですか。徴兵すれば済むはずです」
男はあきれたような顔をした。
「社会生活を送っても所詮この程度か…今の国際情勢はお世辞にも安全、まして戦争が起こっても日本には無関係、という訳ではないんだよ」
男はバッグから新聞を放り出してこっちによこした。見てみろということなのだろう。
「…日中戦争?」
「そうだ、日中戦争。中国が戦端を開き、我々がその夢を叩き潰した戦争だ。戦後処理も今は終わっているが、元大国である中国が日本に負けたことで、アメリカにとっての予備覇権国家は中国から日本に置き換わった。ようは日本の次の戦争相手がアメリカである可能性が高いと言いたいんだよ」
「…正気ですか?勝てるはずがありません」
「ああ。勝てないさ。ちゃんとした手段を使えばね」
男はおもむろに自分を指さした。
「だが、君、つまるところクローンがいれば話は違う。資源が大陸にある現状、一番足りないのは人だ。そしてアメリカには膨大な人的資源がある。必要なのは、超人的な兵士を何万人、いや、何十万と集めること。そしてクローン技術は現状ほとんどの国家が手を出していないタブー色の強い領域だ。ゲノム編集と合わせて少し考えれば———いくら低性能な君でも気付けるはずだ」
…体がぞわっとした。その瞬間、目の前に全く同じ姿形の人間が、延々と並ぶ様子が映った。
「そう、つまり必要な遺伝子を改造して、そこから品質をチェックしつつできるだけ不良品が出ないように訓練をさせる。人間としてのリミッターを一つ一つ外していく。超高品質な兵士を短期間で可能な限り大量生産するのがこの計画ということだ。もっとも、君は少し予定が変更されたが」
…
何を言っているのか、全く理解できなかった。いや、したくなかった。
「…どうした。君の従軍も周りを見れば明らかだったはずだ。最初から従軍する目的でカリキュラムが組まれ、訓練される。それは何者でもなく君が一番よく知っていることなのではないかな?」
人格を否定されるような、極端に不快な感情が込みあがってくる。…分かっていたはずなのに、まるっきり忘れていた。自分もまた「工業製品」に過ぎないのだと。
認めたくなかった。この楽しさも、友達も、自分には代えがたい。今更自分からそれを捨てるなんてことは、昔ならきっと迷いはしなかったけど、今はそうじゃない。失いたくない何かが、今はある。それを捨てることは、今の自分には到底できない。
「話は以上だ。最後まで気を抜かず勉学に励め―――」
「待って…!」
自分は男の腕をつかんだ。
「いくらなんでも命の価値が低すぎる…!僕には何にも代えがたいモノがあるのに!」
男は自分の手をさっと振りほどいた。
「命の価値、か。本当は分かっているだろう?」
「違う、僕が言いたいのはそういうことじゃない!どうしてそんなに簡単に何万人もの人生を踏みにじれるのかだ!」
男は全く冷静だった。この問いに一つの答えをすでに持っているような態度だ。
「国家は、損益で成り立つ。立ち話もなんだ、座りたまえ」
「…」
「国家にとって、全ては有用であるか無いかだ。君の人生も、もとは有用だから決定したもの。君に有用性を見つけられなければ…それは君も知っているね」
「科学実験…」
「ああ、そうだ。無益な人間を極限まで有益に使う、それがこの計画、ひいては国家の方針だ。国家は規模と一部システムが違ういわゆる会社で、無益な物には基本手を出さない。出したとしても、優先度順ですぐに切り捨てられる」
男の口調が真剣になってくる。昔と同じ威圧感だ。
「これがアメリカなら、君にも優秀な育成プログラムが与えられて、優秀な兵士になりえただろう。少なくとも科学実験に用いられる者など、育成プログラムの脱落者から出ることはない。それとは別に科学実験に使う人を作ってしまえばいいだけだからね。問題は、日本にはそんな余裕も資源も資金も、ましてそんな人数を食わす食料の生産量もないんだよ。減反政策をやめ、米の作付けを奨励しているとはいえ、本来存在しないはずの人間八十万人を政府が養うのにも限界がある。いくら防衛費、その他もろもろをかさまししてもね。だから日本政府は君を優秀な兵士にはできないし、早期脱落者に再教育するなんてことは常識的に考えればまずしない。そして国家の前では君の命の価値も決まっているんだよ」
…え?今…
「君の育成コストは三千百万円ほどだ。今のところ、君には三千百万円の価値がある。もっとも、これは従軍予定で正当な訓練を受ける者たちに比べれば随分と安いがね。彼らの育成費用は最低で五十億円を超えている。並み以下の待遇で極限までコストを抑えても、兵士の訓練というの値段の前では君の価値は一パーセントにも満たない。国家というシステムが出した君への結論は結局、並み以下という事実だ」
嘘だ。
自分はずっと…学校でトップの成績を維持し続けていた。大学だって行きたかった。国内最難関の大学を受けて、首席で合格するためにすでに大学の教本すら手に付けていたのに、それなのに…
…自分は、並み以下?
「君が三千百万円を超える何かを国家に還元してくれない限り、国家としては君は無用の長物だ。それに君には…国家の基幹戦略に関わるほどの機密がいくつもある。そんな情報を他国に流されるともなれば、損失は数百億では済まされなくなる。国家としては君が使い物にならないとなれば、すぐにでも前線の捨て駒として損切りに動くだろうね」
あまりに衝撃が大きすぎて、やけに話がくっきりと聞こえた。嫌なほどその言葉が頭に響いて、何も考えられなかった。
「君の人生の価値などどうでもいい。それはあくまで経済効果だ。君の人生も経験も、全て君を使うために存在する能力にすぎない。話は以上だ。その封筒は家で読め。誰にも見せるな。後は好きなタイミングで店を出ればいい」
男は席を立って、会計をして出ていった。自分の心の奥底から、真っ黒な過去と未来を引きずり出して。自分は、ただの道具にすぎなかったのだ、と。そう頭の中に焼き付けられた。
大雨も何も、自分は感じなかった。そのうち大雨が降り始めても、自分は落胆したままでいた。傘もささず、ただ大雨の街中を歩いた。家へ向かって。
何かが、壊れた気がした。
———
あれから、細かい記憶はなかった。のぞみとの関係を切るために、自分は意識的にのぞみから離れていった。勉強も何もかも同じはずなのに、ずっしりとした何かがのしかかっていた。いつした大学受験が終わる頃にはのぞみと会わないようにさえしていた。終業式を欠席して、ついにのぞみとの接触手段も消えた。もう何もかもどうでもいい気がしていた。
冬休みも終わりに近いころ、自分は招集に行くため、外れにある山を登っていた。
「…カスミ?」
後ろから、聞きなじみのある声がした。
「カスミ!なんでお前こんなところに…」
「のぞみこそ、なんで…」
「最近元気ないから心配してるんだぞ…それこそここ最近なんか俺と会おうとすらしないし」
「それは…」
「なあカスミ、なんで俺から遠ざかろうとするんだ?俺が悪かったなら謝る、だから…!」
…どうやら、本当のことを言わなきゃいけない時が来たみたいだ。本当は何も言わずに消えるつもりだったけど。
「…のぞみ、自分はこれから軍隊にいかなきゃいけないんだ。…クローンだけでできた、人ならざる者の軍隊」
「クローンの軍隊…?」
「…のぞみとは住む世界が違うんだ。僕の人生より、国家の方が大切なんだ。たとえ僕がどれだけ嫌でもね…」
もし彼が僕についてくるなら、人間の限界なんか軽く無視した要求を平気で行う軍隊に入ることになる。
「のぞみ、自分はクローンだよ。人のようで、人ではないもの。だから、人権なんてなくても筋が通る」
「え…?だからって…そんなのはないだろ…?」
「…決まってることだよ。すでに今まで何人も研究所行きになった。体格がいい人は皆自衛隊に流れていった。クローンは人でありながら、人じゃない。国民を徴兵しない代わりに、クローンでまかなう」
反論したくても、のぞみは反論できなかった。国際情勢を見れば、仕方ないことくらい彼には分かる。それでも、のぞみは納得できなかった。
「だから何だ、お前は人じゃないか。友達も持って、感情も豊かで、将来の夢も進路もある。そこまでしてどこが人間じゃないんだよ!」
…彼の言っていることも、正しい。でも…
「のぞみ、クローンには人権はないよ。だから、人の心なんか簡単に捨てられる」
彼の顔が変わった。驚いてる顔だ。
「クローンにとって、作ったものは全て手段。目的は与えられて、使える物を全て道具にする。それが人間関係だろうが武器だろうが、全部。だから、のぞみとの関係も、進路も、夢も、全部道具」
言いながら、悲しくなってきた。それでも、自分は言い続ける。言い続けなければならない。
「もしのぞみが人質になっても、大事な物が国家機密だとか、そんなものならクローンはすぐにでも君を見放す。クローンはね、信用しちゃいけないんだ。それがクローンに与えられる命題、日本という国家に尽くすというこ———」
「嘘言っても通用しないぞ、カスミ」
のぞみの声が震えている。
「だったらどうしてそれを俺に言えるんだ!言わない方が利用できるんじゃないのか!お前がおれを道具としか思わないのなら、何も伝えずにごまかした方が穏便じゃないのかよ!」
「———あ」
泣いていた。自分の目から流れていたのは、演技でもなんでもなかった。涙、だった。
「…そっか、のぞみは…本当に友達だって思ってるんだ」
涙が止まらなくなってきた。なんで。どうして。泣かなくたって、噓を言えば彼は身を引いてくれる。…それでも、堰を切ったように涙は流れた。
「…なんでなんだろうね、利用するためには確かに何も言わない方がいいのに、なのに自分は…本当の友達だと思って…なんで…」
「カスミ」
のぞみが手を伸ばす。
「一緒に行こう」
ダメだ。一緒に行ってどうにかなるものじゃない。徴兵されるのとはわけが違う。逃げたところで、政府は絶対に僕たちを追いかける。
「兵役だとか、日本の未来だとか、そんなのいいよ。どうだっていい。俺は友達のほうが大切なんだ」
それでも…
「俺はお前がクローンだとか、人じゃないだとか、そんなことはどうでもいいんだ。俺はお前とずっと友達でいたいんだよ」
沈黙が響く。僕は、もう決めたくない気がした。もしそこに時の砂時計があるのなら、なりふり構わずそれをひっくり返したい。もっと、道があるのかもしれない。
「何をしている」
ふと、遠くから重い声がした。
「…そこの子供、一般人か」と声を漏らしたその人を見て、それがどんな人か理解するのにさほど時間はいらなかった。
「ここは一般人が来るような場所ではない、帰れ」
「そうですか。じゃあカスミ、帰ろう」
「待て、カスミだと?」
男がじっと自分を見つめた。自分がそっと目を逸らしたのに気づいて、そこから何かを感じ取ったらしい。が、私情を抑えるように、「国家は個人のことは保証しない。いくら誰かが悲しんだとて、それは国家からすれば単なる物語でデータではない」と言った。何が言いたいのかは、のぞみも察したようだ。
それでも、自分は決めたくなかった。決めてほしかった。自分が何者なのか、私情を押し殺してまで国家に属するべきなのか、背くべきなのか。
心の中がぐちゃぐちゃになって、考えがこんがらがって、混乱する。
「…そこの子供、今なら見逃す。帰るか、そこにいるか選べ」
「ここに残るって言ったら?」
「…威勢だけはいいな、だがそんなものに意味はない。お前は完璧なコンディションで育っては来なかった。だからどれだけ優秀でも、国家が必要とする人材には一歩足りん。それが何か分かるか?」
「…」
分かっている。それは———
「忠誠心だ。忠誠心がない兵士はどこかで保身して機密を流しかねない。そして君は、残念ながらその忠誠心が大きく欠乏していると言えるだろう。彼とは違ってね」
のぞみはまだ納得しなかった。のぞみにとって自分は唯一の友達だった。
悲しみの隙間から、憎しみと怒りが噴き出す。自分が何なのか、自分がどういうものなのか。
自分の腕を掴もうとした男の手を振り払って、首元を掴んだ。感情のままにどなった。
「だったらどうして!自分を世間なんかに放りだしたんだよ!そんなことしなくたって単純な兵士として育てればいいだけじゃないか、なのにどうして!どうしてこんなことをするんだ!」
がむしゃらに。ぐちゃぐちゃになった感情といっしょに。…人生で初めてかもしれないくらい大声で。
「誰かと一緒に走った!誰かと一緒に学びもした!誰かと一緒に遊んで、怒られもした!テストだって受けた!みんながやってることを僕はしてるんだ!」
涙で前が見えない。心臓が苦しい。
「それで人じゃないなら!定義してくれよ!じゃなかったら自分は何のために生まれて人と同じ生活をしてきたって言うんだ!」
空しい叫びだった。ぜんぶ、全部虚空に消えていく気がした。
「人じゃないなら…僕は…なんなんだよ…」
その場にへたり込んで、自分は泣いた。何も考えたくない。気が済むまでこのままで居たかった。
誰も、何も言えなかった。そのままいくらか、誰もしゃべらなかった。
「…それでも、「国家は」お前を人と定義しない」
男が姿勢を変えたのか、布がこすれる音がした。
「…だが、お前を「クローン」と定義することも、「国家」にはできない。お前が「クローン」である以上、国家はどんな手を使ってもお前が「クローン」だという情報を世間に撒きたくはない。それでも国家は一定数のクローンを世間に出す必要があった。なぜかわかるか?」
自分は黙り込んだ。のぞみには全く見当がつかなかった。
「我が国は仮想敵国をアメリカに据えて戦争の準備にいそしんでいる。日中戦争で中国が事実上負けた以上は、アメリカはその標的を日本に向けてくる。実際、アメリカは日本に対しての石油禁輸措置を呼び掛けている。このままいけば、アメリカは世界を日本の敵に仕立て上げるだろう。戦争は避けて通れない道なのだよ」
冷静に、それでいてどこか悲しそうに。男は語った。
「…カスミ、か。お前に与えられる予定の兵役任務は渡米だ」
「…え?」
思わず、顔を上げた。
「戦争は確かに数だ。アメリカと日本では数が違いすぎる。だが、情報も大切だ。だから、お前には敵国へ渡り諜報員として活動することが求められた。確かに情報を片っ端から日本に流す以上、もし発覚すればよくて無期懲役か、その場で殺されるだろう。生かされたとしても待っているのは厳しい尋問だろうな」
男はこちらを振り向いた。
「選択肢がある。だが、お前にも逃げる選択肢はもう無いぞ」
のぞみは何も言わなかった。
「二人とも渡米して諜報員になるか、二人とも兵士として徴兵されるかだ。片方が別の選択を取ることは情報統制上断じて許さん」
「…選択肢、無いじゃないですか」
のぞみは薄く笑った。
「渡米します」
そして、はっきりと。迷いなく。
「日本での戸籍は消えることになるぞ、不法亡命扱いになるからな」
「でも、兵役なら戦場に行かなきゃいけない」
「そうだ、兵士だからな」
「でも、渡米するなら少なくとも戦うことは少ないでしょ?」
「…そうだな、確かに徴兵されるより少ないだろうな」
「カスミ」
のぞみが手を差し伸べた。
「行こう。行って、生きて帰ってこよう」
…そうだね。
自分は、のぞみの手をしっかりとつかんだ。それはきっと、自分を繋ぎとめる糸。それはきっと、自分を導く糸。どこに繋がって、どこに導いてくれるかは分からないけど、それは多分、どれだけ苦しくなっても希望を与えてくれる。
「…行こう、希」
自分がどうだなんて、自分が何だなんて、もうどうでもいい。希が、自分を「友達」と言ってくれるから。自分の生きる意味がなんだとか、そんなものよりも自分は友情のほうが大切なのかもしれない。
「生きて、帰ってこよう」
———
〔プロローグ〕
「山中霞、か」
「…あなたは」
「…急に押し掛けてすまない。そして日米戦争前、戦中、お前にしてきたことも許されることではないことは承知している。そのうえで謝りに来た」
「まず名前を知らないですよ」
「…道乃修也だ」
「…元日本総理大臣ですか」
「クローン技術を使って人を揃え、戦争に臨んだのは、それが国家の最適解だったからだ。国家の存亡、世界の秩序の存亡の前では、一人の悲しみは軽い。だからといって、それを無視することは為政者、ひいては戦争を遂行した者の行いではない。私は、君のような人を幾人も生み出した。せめて、謝罪だけでもしなければそれが責任というものだろう」
「…言い訳ですか」
「言い訳ではない。…いや、言い訳だな。結局悲しみを生んだことに変わりはないのだから、せめてもの罪滅ぼしだ。二十年を返すことは、金でも自害でもできはしない。謝ることしか、私にはできない。どんな方法でも悲しみを負った人への謝罪が完了することはないんだ」
自分は口をつぐんだ。この人は、それだけの覚悟で戦争を指示していたのだろう。
「昔、私は君を「人ではない何か」と言ったな」
「…ええ」
「…本当は、そっと目を逸らしたあの時にもう「人」だと確信したよ。山中霞という人物は、確かに人だった。君はずっと、人間だった。おそらく、最初から」
最後に、彼はずっと悲しそうな声で言いながら、去っていった。
「すまなかった」と。
希が珍しく玄関で立ち話をしている自分を怪しんだのか、奥から顔を出した。
「カスミ?大丈夫か?」
「…道乃修也さんが来たよ。謝りに」
「…どうする?」
「どうするもなにも、きっとあの人は一生自責の念を持って生きながらえるつもりさ。ささやかな幸せも、楽しみもこの先、あの人にはきっとある。でも、あの人は最後まで決して戦争の責任を忘れないつもりなんだろうね」
「そっか…でも、悪くなかったよね、アメリカ」
「そうかなぁ?米軍と撃ちあうはめになって死にかけたとかは覚えてるけど」
「でも、その分アメリカですごい景色も見てきたよな」
「でも、今のほうが安心して景色を見れたり」
「だな。こうして楽に生活できてるし」
「楽に生活してるにしては、随分忙しく連休を堪能してるよね?」
「ありゃ、ばれちゃったか」
「それも、自分との時間は特に」
「うぐっ」
「まぁ、二十年も一緒に行動してきたらそうなるよね。切っても切っても切れない親友だし。親友じゃなくて半分家族みたいになってるけど」
「なんだ?籍でも入れるのか?」
「いや僕男だから…もしかして希、女?」
「ブッ」
「あはは、そんなわけないか」
「び、びっくりするだろ!」
「珍しく顔真っ赤だなぁ。あ、そういえば今年はどこに行こうか」
「あー、そういえばまだ決めてないんだよな」
「…じゃあ、学校に行く?」
「え?」
「休日に許可とって、校内回ろうよ。思い付きだけど」
「いいかもな、それ。そうしよう」
彼が笑う。自分も笑う。終戦から四年たった今でも、自分たちは幸せに笑っている。15年前、初めて彼と会い、初めて話した。どこかかみ合わないのに、どこかしらかみ合っていた、そんな気がする。
「あ、制服見っけ」
「うわぁ⁉どこから出てきたのそれ⁉」
「俺の部屋」
「なんでどっちも希の部屋にあるの⁉」
「わかんないけど大切だからかな?」
「えぇ…」
「もういっそのことふたりでこれ着て学校に行こうぜ」
「え」
「いいだろ、ほら」
「うわぁ⁉ちょ、なんでこんなのまで」
「どうせならこれで行くか?」
「だっ、ダメだってさすがに!」
「まあ俺も無理なんだけどな!」
「…言い出しっぺなら両方着たら?」
「カスミと一緒に?」
「なんでそうなるの⁉」
はちゃめちゃだ。でも、楽しい。
―――きっと、この日常がずっと続く。たくさんのやることすることが、きっと自分が死ぬころには懐かしい思い出になっているんだろう。
ありがとう、谷上希。ありがとう、相棒。
きっと、この記憶は色あせない。琥珀のように色あせず、姿形をそのままに。きっと、永遠に自分たちの中に残り続ける。ずっと、ずっと———