8 ダンスレッスン
セリーヌのクラスはこれから社交界デビューを控えている貴族の子息、令嬢が集められ、一月後には王城で開かれる夜会で祝福を受けるのだ。
王と王妃の祝福を受けて初めて大人の仲間入りとなる。
その後パートナーと共に広間でダンスをしなければならないのだけれど、セリーヌは唯一ダンスが苦手なのだ。
いよいよ一月後に迫ってきているため、学園でも毎年この時期にはダンスレッスンに力が入る。
それもそのはず、国王陛下の前で粗相があってはいけないのだから。
中庭でシモンと一緒にお昼を食べお茶を飲みながら愚痴をこぼす。
「このあとダンスレッスンの時間なの…シモンが同じクラスなら良かったわ。練習相手になってもらいたかったのに…」
「それはお断りね、あなたに何度足を踏まれたことか」
「そんなにたくさんはない…と思うけど」
「あるわよ。その度にあたしの足が腫れるのよ!」
「それは…ごめんなさい。でもちゃんと治してるわ」
「あのね、治せば良いわけじゃないでしょ。今日のレッスンで相手の足を踏まないように気を付けなさい」
マルグリット伯爵家の者以外で唯一治癒魔法の事を知っていたのがこのシモンとダニエル兄弟だ。
幼い頃から活発なセリーヌの遊び相手だった二人はよく傷を作ってはセリーヌが治していた。
「わかってるわ!」
(何もそんなに言うことないじゃない)
と口を尖らせているとこちらに向かって歩いてくる男性がいる。
同じクラスにいるロンダリオ伯爵家の子息、ウィルバートだ。
セリーヌはこのウィルバートが少々苦手だ。
「やぁ、セリーヌ嬢。この後のダンスは僕がパートナーに決まったよ。美しい貴女ととダンスが踊れる僕は運がいい」
そう言ってセリーヌの手を取り口づけようとしたがゾワゾワっとしたので咄嗟に手を引っ込めてしまった。
「ウィルバート様、私足を踏まないよう頑張りますわね」
「ははは、心配しなくていい。どれだけ踏まれようと僕は平気だ。妖精のような君に踏まれても花びらが舞い落ちたくらいだよ」
と大げさに手を広げて得意げに話す。
あからさまに口づけを嫌がって手を引っ込められてもなんのその、ものすごく心が強いようだ。
ダンスレッスンが楽しみだと満面の笑みで去って行った。
「良かったじゃない、思い切り踏めるわね」
とシモンがニヤリと笑う。
(他人事だと思ってるわね!)
「そんな顔しないの。そうだわ、一応あなたにも近況報告しておくわね」
「ダニエルお兄様達の事かしら」
「ええ、今必死に探してるところなんだけど、流石というかほとんど痕跡を残してないのよ」
「ダニエルお兄様はとても聡明な方だから簡単ではなさそうね」
「そうなの、剣の腕もすごいけど頭もいいからね。でもここまで綺麗に消息を経つなんてよっぽど知られたくない何かがあるのか、或いは何かに巻き込まれたか…」
「悪いことに巻き込まれていないと良いのだけど…」
ダニエルの事を話していたら先日見た夢の事を思い出した。
「そういえば、懐かしい夢を見たの。私がまだ幼くて、ダニエルお兄様とノエールの高台でお話してる夢だったわ」
「あぁ、あの二人の秘密の場所って言ってたところね」
「どうして知ってるの?!」
「あたしは除け者にされたと思って悔しいから後をつけた事があるのよ」
「そうだったのね。ごめんなさいシモン、私ダニエルお兄様と二人の秘密って何だか嬉しくて。自分の事ばっかりだったわ」
「いいのよ、あたしはこっそり後を着けたりしたのだからお互い様よ。それで何か気になる事でもあったの?」
「ええ、昔ダニエルお兄様がお気に入りの場所があると言っていたの。そこは岬から夕陽が海に沈んでいくのがとても綺麗で、私が大人になったら教えてくれると…」
「夕陽が綺麗な岬…」
「ええ、何も関係のない場所かもしれないけど思い出したことは一応報告しておいた方がいいかと思って」
「もちろんよ、ありがとう!正直手詰まり状態だったから少しの情報でも欲しいところなの」
「そう、それなら良かったわ。また思い出したら報告するわね」
そんな話をしている間にダンスレッスンの時間がやってきた。
溜め息を一つつき重い足取りでセリーヌは大広間へと向かった。
帰りの馬車では疲れ切ったセリーヌは抜け殻のようになっている。
(まさか7回もウィルバート様の足を踏んでしまうなんて…)
あんなにポジティブなウィルバートも最後には顔が引きつっていた。
(治癒魔法は使えないけど、念の為傷薬を持ち歩いていて良かったわ)
ノエールで取れる薬草から作った薬はよく効くと王都でも評判が良いので差し上げると喜ばれるのだ。
(社交界デビューの日はダニエルお兄様もいないし、やっぱりシモンにエスコートをお願いするしかないわね)
と、一月後にお城で開かれる年に一度の夜会のことを考えていると気が重くなるのであった。
屋敷に帰りつくといつも出迎えてくれるリリアンが今日はいない。
他の侍女達がいつものように迎えてくれた。
「リリアンはどうしたの?」
「それが…お昼を食べたあと洗濯物を取り込んでいる時に倒れてしまいまして。今自室で休ませています」
いつも元気が取り柄だとよく言っているくらい病気などしたことがない侍女が倒れたとあって居ても立っても居られずリリアンの部屋へ向かおうとするが他の侍女達がそれを止めに入る。
「どうして止めるの?私が治してあげるわ!」
「いけません、お嬢様。お医者様の見立てでは安静が必要だから極力人を近づけないようにとの事ですので」
「そんな…でも私の治癒魔法で治せるかもしれないじゃない!」
「これはリリアンからのお願いでもあるのです」
「え?」
「お嬢様が無理に力を使うとものすごく体力を消耗させてしまうのでそれはどうしてもさせたくないと」
「何を言っているの?それくらい少し寝れば回復するわ。それにそこまでの力を使わなくてもすむかもしれないじゃない」
いつになく強い口調で侍女達を困ららせていると
「何を騒いでいるのかしら」
キャサリンが大階段を降りてきた。それを見て皆がそちらへが駆け寄った。
「奥様!お嬢様が…」
「お母様、リリアンが倒れたと聞きました。私が行って治してあげると言っているのですが皆がそれを止めるので…」
「セリーヌ、皆を困らせないでちょうだい。お医者様にも見ていただいたし、家にはいい薬も沢山あるのだから心配ないわ」
今はゆっくり休ませるのが一番だと、キャサリンは優しい口調なのに有無を言わせぬ強さがある。
「わかりました…では目が覚めたらすぐに知らせて下さいね!」
「ええ、わかってるわ」
「お嬢様、お部屋にお茶をお持ちします」
「ありがとう。さっきは大きな声を出してごめんなさい。皆もお体大事にしてね」
「そんな、私達などに謝らないでください。お嬢様が私達の事を大事にしてくださって本当に…感謝しております!」
何だか侍女達が涙ぐんでいる。
「そんな大げさよ」
「いいえ、私達は本当に幸せものです」
「あらあら何だかしんみりしちゃったわね」
ふふふっと笑いながらキャサリンはいつものように夫の書斎へと戻って行った。
(リリアン早く良くなって…)
と胸に手を当てリリアンの部屋の方へ向かって祈りを捧げると、かすかに胸元が白く光った事に気づく者はいなかった。
その頃、熱にうなされ苦しんでいたリリアンだったが、なぜだかスーッと苦しさが消えてそのまま穏やかな眠りについたのだった。