72 月明かりの女神
「こんな場所に秘密の抜け道があったのですね」
重々しい岩がそこにそびえ立っている。
「僕もここに来る前おばあ様に教わったんだ」
アルフレッドが両手を岩にかざし呪文を口にすると、主を迎えるかの如くゆっくりとその扉を開けた。
「ここから湖まですぐだ。何事もない事を祈るが、セリーヌが何かを感じ取っているとすれば何かが起こっているのかもしれない。皆気を引き締めて行くぞ」
アルフレッドの言葉に皆の顔が引き締まる。
ダニエルが先導し、後ろをシモンが守る。
そしてセリーヌとアルフレッドを護るようにアンネルシアが前を歩き始めた。
「セリーヌは僕から絶対に離れないで」
セリーヌの手を強く握った。
「ここは私の出番ですわね」
二人の後ろにいるミオーネが防御魔法を使い二人を包み込む。
「ミオーネはいつの間にこんな強固な防御魔法を使えるようになったんだ?」
「ふふっ実は防御魔法の強化をする為にこっそり特訓していましたの。サンドラ様に教わって」
魔力が少く小さな防御壁しか作れなかった事でずっと苦しんできた。
しかしセリーヌに命を助けられ、今度は自分がセリーヌを護る為に強くなりたいと、かつて人々から恐れられていた王太后サンドラに教えを請うた。
「女帝と呼ばれたサンドラ様に恐れ多くもご相談しましたの。その時に私の防御魔法を強化すると良いとお言葉を頂いて、何度かお稽古をつけてくださったのです」
この国一の淑女と言われ、儚さを纏ったミオーネの美しさからは誰も想像ができないだろう。
「そうか、おばあ様に教わったのならこの強い防御魔法も頷ける。それにしても目が合うと石にされるとまで言われた王太后に稽古をつけてもらうとはずいぶん思い切ったな」
何かを思い出しているようでクスクスと笑っている。
「あら、優しく教えてくださいましたわ」
満足気に語るミオーネが逞しく見える。
「ミオーネお姉様…」
「あなたには何度も助けられたわ。だからこの程度ではまだまだ返しきれないの、申し訳ないなんて言わないでね」
その言葉に思わずアルフレッドの手を解き、ミオーネに抱きついた。
「ミオーネお姉様…大好きです!この先も私がお姉様を護りますから」
「私も大好きよ。でもね、お姉様と呼んでくれるのならたまには私にも姉らしくさせてちょうだい」
嬉しそうに抱き合う。
「アルフレッド様、私にヤキモチを焼かないでくださいね」
ふふんと勝ち誇った笑みを浮かべる。
「さすがにそこまで小さい男ではない」
皆が温かい空気に包まれた。
「良い所で申し訳ないが、もうすぐ出口だ。慎重に行こう」
ダニエルの一言で空気が張り詰めた。
アルフレッドが改めてセリーヌの手を握り直し、ゆっくりと進む。
段々と月明かりが差し込み、外に出るとそこは湖の畔で、先程よりも満月が近くなったようだ。
湖の真ん中に立つ女神像が月に照らされ、この世のものとは思えない幻想的な美しさに見惚れていると、ここで聞こえるはずのない声がキンと張り詰めた空気を裂いて響いた。
「どうしてっ…」
そこにはベネディクト侯爵家の令嬢ヴィクトリアが執事と共に驚愕の表情で立っている。
そしてその足元には誰かが倒れている。
見覚えのある銀色の美しい髪が月の光を受けてシルクのようだ。
「お…おばあさ…ま…」
「ヴィクトリア嬢、どういうことだ…なぜここにいる。それに倒れているのはクリスティア殿か?」
冷たい声で発するアルフレッドのその表情は今までにないほど怒りに満ちている。
「わかりません…私にも何が起きているのか…」
「ではなぜここにいる?」
「それは…」
緊迫した空気の中、セリーヌは震える体を奮い立たせ横たわるクリスティアに近づいていく。
(おばあさま…いやよ…おばあさま…)
手を伸ばしクリスティアの元へ進もうとしたが、突然目の前に見覚えのある二人が現れた。
「お前達!!」
アルフレッドが前にでる。
「セリーヌこちらへ」
「いやっ、おばあさま!!」
取り乱すセリーヌをアンネルシアが抱えるようにして護る。
「皆さんお久しぶりですね」
マークがこの場に相応しくない明るい声で挨拶をする。その横でショウキは鋭い目つきで睨みつけている。
「ああ、お姉さん無事だったんだね。いやぁまさか人違いだったとは、ごめんね」
「あなたあの時のっ」
ミオーネはナイフを突き刺した少年の事を思い出した。
「悪く思わないでね、そこの偽の女神と間違えたんだ。無事で良かったね」
これまで黙っていたダニエルが剣を抜き斬りかかったが、寸でのところで姿が消えた。
「くそっ」
「あんたいい腕だけど無駄だよ」
後ろから声がしたかと思うと、今度はショウキがセリーヌに向かって剣を振り下ろすが、それをアルフレッドが払い除けた。
「お前たちは何のためにここまでする」
「何のためって、この世界を正しく導く為には偽の女神を倒さなければならないからだよ」
迷いもなく、本物の女神は自分達の祖先であり、今や悪い魔女とされている方が本物だと言い切った。
「だからね、正当な女神の血族である俺達の頭首が真の王なんだ。だから元に戻すんだ」
恍惚とした表情で淡々と語っている。
「そんな事はどうでもいい。俺は俺達の母親を殺したお前を許さない!」
ショウキは憎しみに満ちた目でセリーヌから視線を外さない。
セリーヌは夢で見た光景を思い出す。
(あぁ、私があの時呪いを跳ね返したから二人のお母様は…)
強く唇を噛みしめ目を閉じる。
「何を言っているの?セリーヌがそんな事するわけない」
シモンは侮蔑のこもった目で二人を見る。
「嘘だと思うならそいつに聞いてみろっ」
怒りに燃えるショウキの感情がセリーヌの胸に突き刺さる。
「逆恨みもいいところだ。お前達の母親がミオーネに呪いをかけ、それをセリーヌが祓っただけの事。自業自得だろう」
アルフレッドは氷のような冷たい視線を二人に向ける。
「うるさい!そいつさえいなければ、母さんは生きていたんだ!!」
「…」
セリーヌは堪らず謝罪の言葉が口をつきそうになるがぐっと堪える。
「何が女神だ!俺は刺し違えてでもお前をっ」
言い終わらぬうちにアルフレッドの剣がショウキを斬る。
しかしまたしてもマークの移動魔法によって捉えることはできない。
「そんなにお喋りしている時間はないと思うけど。夜が明ける頃にはこの人呪いで死んじゃうよ」
はっとする。
「おばあさま!どうしておばあさまにこんな事をするの?!関係ないでしょっ」
「それはね、君に俺達と同じ苦痛を味わいながら絶望の中で死んでもらう為だよ」
口元は笑いながら、その言葉は鋭く突き刺さる。
「そんな事で…私を殺したいなら私の命で十分でしょう」
「はっ、そんな事だって?お前の命だけでは気がすまないからに決まってるだろ」
吐き捨てるように言うショウキからは抑えきれない殺気が溢れている。
「ショウキッド、そんなに大声を出すでない。皆様失礼致しました。これはこれは、王太子ご一行様こんな所でお目にかかれますとは」
この澄んだ空気には相応しくない、どこか不安を煽るような不快なその声の主の姿を探すと、湖面に浮き立ちこちらに向かって大仰に頭を下げている。
「お前は誰だ」
「これはこれは、重ね重ね失礼致しました。私はウォルドナー教会の司教を務めておりますラインリッヒ・ダン・ウォルドナーと申します」




