66 セリーヌの苦悩
十字架の前で雨に打たれながら跪いているショウキッドをマクベスは見ているしかできなかった。
「母さん…」
涙と雨が混ざり合って土に返っていく。
「帰ってきた時にはもう…母さんは…」
「俺が…俺が間違えなければ…か…母さんは…あぁ…あぁぁ」
何度も何度も泥に拳を沈める。
まるでショウキッドの悲しみが空にも伝わったみたいだ。
「ショウキ…」
泣き叫ぶ兄を見ているしかできない歯がゆさと、同じ悲しみを背負うからこそ慰めの言葉も見つからない。
「二人共こんなに冷たい雨に濡れてしまって。さぁ中に入ろう、温かいスープを用意させたよ」
いつからそこにいたのか、司教は仮面のように動かない微笑みで二人に優しく声をかけ傘を差し出す。
しかしショウキッドは未だ泥にまみれて立ち上がることができない。
手に持っていた傘をマクベスに渡し、仕方ないとショウキッドの上に差す。
「可愛い私の息子達。今日だけは父さんと呼ぶことを許そう」
マクベスは驚いて司教を見つめる。それもそのはず、周知の事実とはいえ公に子であると認めているわけではないのだから。
「こんなにお前たちが悲しんでいるのだ、今日は父としてお前たちの為になんでもしよう」
マクベスはまだ信じられない気持ちもあるが、心細い時に父親として側にいてほしいと何度も願った事を思い出し、心が揺れる。
「とう…さん…」
口にした途端涙が溢れてくる。
「息子よ」
傘を投げ出し司教に縋り付く。
司教はマクベスの背をさすりそれを受け止める。
「ショウキッド、お前も私の息子だよ。例え血の繋がりはなくともマリアの子は私の子なのだから」
ショウキッドは唇を噛みしめ拳を握ったまま動かない。
「さぁ二人共、そろそろ戻ろう。体を壊したらそれこそマリアが心配するだろう?」
宥めすかすように司教はショウキッドを立ち上がらせその場を離れた。
後ろを歩くショウキッドの拳が震えているのを雨に濡れた十字架だけが静かに見ていた。
******
「おはようございますお嬢様」
リリアンのいつもの明るい声でセリーヌは目覚めた。
一瞬マルグリット邸の自室にいると錯覚してしまいそうになるが、ここは昨日宿泊した館であることを思い出した。
「おはようリリアン」
「どうされました?お顔の色があまりよくありませんね。慣れない場所ではやはりお疲れが取れないのかもしれません」
少し心配そうに顔を覗き込み、温かいお茶を用意してもらうと言ってリリアンは部屋を出て行った。
セリーヌは昨夜の夢を思い出す。
(あれはショウキさんとマークさんのお母様のお墓…やっぱりその方がミオーネお姉様に呪いをかけた方なのね)
セリーヌのせいではないと皆は慰めてくれたが、それでも一人の命が消えてしまった事は事実。
父ロンベルクは向き合えと言った。
(私はどうすべきだったの…)
ミオーネを助けるためにしたことに後悔はないが、二人の悲しみを目の当たりにすると胸が締め付けられる。
窓の外に広がる森の木々がサワサワと風に凪いでいるのを眺めながらショウキとマークの事を考えていた。
(あの二人を慰めていた人がウォルドナー教会の司教様なのね。マークさんのお父上でショウキさんとは血の繋がりはないという事よね…)
どうやらあの二人にも複雑な事情がありそうだと考えに耽っていると扉を叩く音がした。
返事をするがリリアンにしては扉を開けるまで少し間があると思っていたところに入って来たのはアルフレッドであった。
「おはようセリーヌ、少し…」
朝一番にアルフレッドの顔を見れるなんてと喜びも束の間、アルフレッドは言葉が出ず目を大きく見開いたまま一瞬動きが固まった。が、すぐさま正気を取り戻した。
「すっすまない、まだ支度前だったのだな」
アルフレッドは慌てて背を向ける。
言われて初めてセリーヌはまだ寝衣姿であることに気づき、思わずベッドにあったシーツを剥ぎ取り体に巻きつける。
長椅子にはガウンもあったのだけれど。
「しっ失礼しました、お見苦しいところをっ」
「いやっ、こちらも突然訪ねてすまない。ちょっと話したいと思って来たのだがまた後にしよう」
「あっ、すぐに支度しますし少し外の空気をと思っておりましたので。よかったらご一緒に…」
「そっそうか、わかったでは外で待ってる」
アルフレッドは動揺を隠せず、早く出ようという気持ちが先に行き過ぎて扉を開くと同時に足が出てしまい、思い切り膝を打ち悶絶しながら退室した。
何せセリーヌが着ていた寝衣は胸元が大きく開き腕の部分は透け、足は太ももから下が露わになっている。
裸とまではいかずともかなり露出が多い。
王妃エリザベートが旅の間寝付きにくい事もあるだろうとの気遣いから、肌触りの良い寝衣で良く眠れるようにと書かれたメッセージが添えられた贈り物であった。
「エリザベート様…確かに寝心地は良いのですけれど、こんな姿をアルフレッド様に見られるなんてっ」
慌てて着替え髪を整えながらも、アルフレッドに見られてしまった恥ずかしさでいっぱいになる。
「もうお嫁に行けないっ」
未婚の女性が男性に足を見せるなど淑女としてあるまじき事。
しかし嫁にしたいと思っているアルフレッド相手ならばその心配をする必要もないのだが、乙女心とはそういうものなのだろう。
果たしてこの寝衣を贈ったエリザベートにセリーヌの睡眠を心配する以外の思惑はなかっただろうか。
外で待つアルフレッドはというと、セリーヌの陶器のような白い肌が目に焼き付いて離れない。
「足…綺麗だった…」
ボソリと呟く。
以前のアルフレッドは常に淡々とし如何なることにも動じなかったのだが、今やすっかりセリーヌに翻弄されている。
口元を抑えながら目を閉じ、煩悩を振り払う為に赤の魔王ロンベルク伯爵の顔を思い浮かべる。
そこへお茶を持ったリリアンが戻ってきた。
「外でアルフレッド様がお待ちなのですが、何かご様子が変といいますか…」
部屋に入るなり首を傾げている。
「そっそう?アルフレッド様どうされたのかしらっ。ふふっ変ね、じゃあちょっとアルフレッド様とお散歩してくるわっ」
リリアンに気づかれないうちにと急いで部屋を出た。
「ふ〜ん、あの様子だと早速あの寝衣姿でも見られたのかしらね。ふふふっ」
長年仕えているリリアンの勘は鋭かった。
「おっお待たせしました!」
勢い良く飛び出してきたものだからアルフレッドも少々驚いているがすぐに落ち着きを取り戻した。
魔王の顔は冷静さを取り戻すにはかなりの効果を発揮するようだ。
「うん、では少し出ようか」
こうして二人で館を出て森の入口付近を歩きながら、アルフレッドは自然とセリーヌの手を取った。
「昨日はよく眠れた?セリーヌは初めて家族と離れての旅だろう」
アルフレッドの優しい声と手に心が温かくなる。
セリーヌは昨夜見た夢の事をゆっくりと話し始めた。
夢で見たものは恐らく現実に起こっているだろうという事、ショウキッドとマクベスは異父兄弟であり、司教はマクベスの父親であるが公には認めていない事。
アルフレッドはセリーヌの話しぶりから、呪いを跳ね返した事でその二人の母親を死なせた事にやはり思い悩んでいたのだと気づく。
「あの時はミオーネお姉様を助けることに精一杯でしたし、それを後悔などしませんが…それでもあの二人の悲しむ姿を見ると胸が抉られるようで…苦しいのです…」
俯きながら絞り出すように声に出し、指の先まで冷えていく。
アルフレッドは立ち止まり、繋いだ手をさらにもう片方の手で包み頬に当てる。
「冷たくなっている。朝は冷えるな」
穏やかなその声の方を見上げると、アルフレッドの綺麗な瞳と目があった。
「申し訳ありません…こんな話しを…」
また俯くセリーヌはゆっくりと引き寄せられ、そっと優しくアルフレッドに包まれた。
「いや、君の本当の心を見せてくれて嬉しいよ。いつもあんなに分かりやすいのに大事なところは心の奥底に隠してしまうんだな」
「……」
「君のせいじゃないと言ったところで何の意味もないのだろう。それなら僕もその重い十字架を一緒に背負おう」
「どうしてですか?!アルフレッド様が背負わなければいけない事等ありません!」
思わず声を荒らげてしまう。
「あの時のこと思い出してみて。君の背中を支えて君が呪いを跳ね返せるように手助けしたのは僕だ。だからあの母親が死んだのは僕のせいでもある」
「それは…」
「違わないだろう?」
「そんな…」
「セリーヌは優しいから心配だな。そうやってあいつ等のかわいそうな姿を見て心を痛めて、その内気持ちが動かされてしまうのではないかと正直僕は不安になる」
いつも自信に満ち溢れているアルフレッドからそんな言葉が出るとは思ってもみなかった。
「そんな事はありませんっ!」
「どうかな、優しいセリーヌの事だから皆を愛そうとするのだろう?」
「それは、確かに誰の事も等しく愛せるなら幸せな事だと思います。ですが、それは人としてということでアルフレッド様に対するものとは違いますわ!」
「どう違う?」
「どうって…全く違います!」
必死に訴えてもまだアルフレッドには届かない。
どうしたら信じてもらえるのかと考えても、この気持ちを表す言葉が見つからない。
気がつけばアルフレッドの襟首を掴み、その美しい唇に口づけていた。
セリーヌは己の行動に驚き慌てて離れようとするが、アルフレッドはそう簡単に離してはくれないようだ。
「ふっ、やっと褒美を貰えた」
満面の笑みで嬉しそうにしているアルフレッドの顔を見て図られたと気づいた。
「わざとでしたのね!」
「すまない。途中まではそうでもなかったがむきになってるセリーヌが可愛くてついね」
顔を真っ赤にして怒るセリーヌを愛でる楽しみを見つけてしまったようだ。
「ひどいですわ、私真面目にお話をしていましたのに。でも私が唇を許すのはアルフレッド様だけですので…」
「うん、僕もだよ」
「まっまぁわかって頂けたのでしたら許してあげます」
プイと横を向くセリーヌの頭を撫でながらこの上なく幸せそうだ。
「ただ一つ僕の願いを聞いて欲しいのだけれど…僕が新しい寝衣を用意させるからあの寝衣はしばらく封印してくれないだろうか…」
あんなに肌を出されては気が気ではない。万が一他の男にでも見られたらそいつの目を潰してしまうかもしれないと恐ろしい事を言う。
セリーヌはまた頭から煙が出そうなほど真っ赤な顔で慌てて何度も頷く。
「はっはい、もちろんです!エリザベート様には申し訳ないのですが…他にも用意はありますので大丈夫です!」
「そうか、それなら良かった」
(母上はまた余計なことを…)
セリーヌの言葉にほっと胸を撫でおろしたところで来た道を戻ることにした。




